毒親後遺症とうつと教育虐待
子供の頃に毒親に育てられたことは、大人になっても心に深い傷を残します。
私がそうでした。
私のうつ病の原因は、仕事でのストレスと心労が直接的な原因でしたが、心が脆くなっていたのは、私は毒親後遺症であり、教育虐待であり、不適応な完璧主義者だったからでした。
毒親のもとで育つと、その経験は深いトラウマとして心に残ります。
これを毒親後遺症と言うそうです。
大人になってもこれらのトラウマ、毒親後遺症に悩まされ続け、そんな人はうつ病に誰よりもなりやすいですし、あたしがそれを経験してきて、断言してもいいぐらいです。
- 人間関係での苦労
- 努力の空回り
- 環境変化への適応が難しい
- 燃え尽き症候群になりやすい
- 無気力に陥る
- 自分をどこか無意識的に否定し続ける
- いつまでも承認欲求が満たされない
- 他人の意見や評価を気にして、過剰に頑張ってしまう
- 自分の感情や意志がわからなくなる
- 抑圧を抱え続ける
などが挙げられます。
これらを毒親後遺症の症状であり、うつ病になる大きな原因です。
トラウマの原因となる毒親の特徴
毒親の特徴としてよく挙げられるのは、子供の感情や考えを無視し、否定する傾向があることです。
親のエゴが絶対で、それから外れた子供は決して許さない、それが私の親でした。
その結果、自己価値を見失い、自分を疑い続けるようになります。
それでも私は頑張りました。
親の期待に応えるために。
しかし、それは親の願いであって、本当の私の願いではなかったのです。
そこで反発して、自分のやりたいことをやっていたら、私はうつ病になっていなかったでしょう。
仕事で派閥争いに巻き込まれ、ストレスだらけとなっていても、メンタルブレイクせずに乗り越えられていたでしょう。
ここでうつ病や毒親後遺症、トラウマを乗り越えるために必要なことを簡潔に書いておきます。
私がうつや毒親後遺症を乗り越えた2つの柱
- 感情の解放
子供の頃に感じていた痛みや悲しみを受け入れ、それを解放することが重要でした。
ずっと抑圧を感じ続けている人が病んでいきます。
途中まで頑張っていても、急にエネルギーが枯渇してしまいます。
抑圧を解放したら、余裕が生まれてきます。
伸び切ったゴムのように、燃え尽きてしまわないように、こちらのリンク先を読んでみてください。 - セルフコンパッション 自分を受け入れる
もう一つが自己受容です。セルフコンパッションともいいます。
つまり自分を受け入れることです。
自分を傷つける考えや感情に寄り添い、自分自身を慰める、頑張ってきた自分を受け入れて、認めてあげること、誰よりも自分を愛することです。
最初から愛することは難しいですが、自分を受け入れることはしてみてください。
あなたの人生はあなた自身のものであり、受け入れることができなければ、苦しみ続けます。
なぜ私が感情を解放でき、自分を受け入れることができたのかは、下の私の体験談をご覧ください。
毒親の影響は深く、そのトラウマは大人になっても影響を及ぼします。
しかし、それを乗り越える方法はあります。
自分自身を理解し、傷ついた心を癒すことで、より健全な人間関係や自己評価を築くことができます。
まずは自分を知ることです。
私のうつ病になってしまった体験談をここから書いていきます。
うつへの階段を転落していく
まず私がうつになる原因から書かなければなりません。
うつはいきなりはならないからです。
脳のホルモンバランスがどうだのセロトニンの放出ができなくなっているだの、それがあるからうつになるって研究成果が発表されても、結局は半生での出来事で落ち込んだりするもんです。
うつになった人の話を聞いても、うつになって当たり前のストレスやプレッシャーを浴びて生きてきた(またはうつになりやすい性格)からなっています。
心因性のうつなら必ず原因があり、だからこそ良くなります!
うつになるルーツを分析して、まずは頭で理解し、客観視でき、感情で理解すれば、ストレスそのものへの負荷がなくなっていきました。
最終的には心根で納得すること、これが気持ちを落ち着かせてくれました。
脳は原因がわからず足掻く時、混乱し不安が増し、恐怖に支配されます。
それがうつが激悪化させてしまいます。
例えが悪いかもしれませんが、自分は呪われていると思いこんでいる人がいるとしましょう。
霊媒師が「あなたは狐の例に取り憑かれているから苦しんでいるんだ。稲荷神社にお百度参りすれば治る」と言われて、
その人が納得したとしましょう。
不思議と原因がわかり(本当の原因が重要ではなく、本人がそう思いこんでいることが重要)、呪いが解ける(=安心できる)という例はいくらでも探せばあります。
それだけ、脳みそは、今起きている不都合な状況の原因をはっきり自覚した時、怯えや不安を発することをやめてくれるのです。
ルーツ分析・整理は、うつという性質上、そしてやる人の人生のつらさにより、落ち込みを少なからず伴います。
でも、やらないままだと、幾分回復したところで再発の恐れを伴います。
私の経験ではたしかにそのとおりで、原因を無視したら、いつまで経っても脳が不安がってしまいました。
ただし、一人で悶々とやってしまうと、余計落ち込んで最悪な精神状態になってしまいます。
私は岩波英知先生のトランス状態の元で、ルーツ整理を行いました。
不思議とどんどん気づきや発見があり、その都度、すーっと心が落ち着いていきました。
そうなると、家でもたくさんのうつの気づきや発見がなされるようになり、一人でのルーツ整理も有効になっていきました。
きちんととトラウマや原因に当たるものを消化して、ストレス要因を排除していくことで、きつい抑うつ状態から回復することができました。
抗うつ剤で症状をいくらか和らげても、うつが治らないのは原因から対処できないからです。
うつのどん底の苦しさを知っている私としては、完全に抗うつ剤を排除しろと言えませんが、
うつを脱却するには、絶対抗うつ剤だけではダメだと思っています。
またそれを信念として持っていたからこそ、乗り越えられたと思います。
なぜルーツ分析を掲載しているか? ルーツ分析の意義
ルーツ分析をすることでうつ回復のきっかけになったからです。
自分を客観的に分析し、かつ、感情的に入り込むという二つの視点からやっていくと良かったです。
決してうつのルーツを排除するのではなくて、ありのまま受け入れること。
そして、ありのまま受け入れることができたら、うつのルーツがどんどん消化されていきます。
「この落ち込みは、こういう原因があったからこそ」と知ることで、私はうつから徐々に回復傾向に好転していきました。
そうなると落ち込んでいてもいいんだという肯定的な感情が出てきました。
落ち込んでいて当たり前、こうなったのも当たり前という考えが、心に余裕を広げてくれました。
脳が理由がわかったから、がたがた騒ぐことはないと判断したのでしょう。
だからこそ、自分のうつのルーツ分析は必要です。
私のうつのルーツ(原因)
──両親について──
両親とも厳格な人で 完璧主義者。
そして、毒親であった。
しっかりしている人間で、隙を子供の私に見せなかった。
立派な人物と世間では目されていました。
それが第一の目的だったのだから、成功していたのでしょう。
世間に出たら、それはもう厳しく立派な雰囲気を身にまとっていました。
しかし、私や家族の空気には悪影響だったのです。
毒を私に注入してくれました。
父、母の夫婦間でも本心や地を見せ合ったことはないと思う。
常にぴりぴりと神経が貼っているような感じだった。
ものすごい窮屈な家族だったし、それが子供時代の私にとって毒であった。
私が子供時代の家族を思い出すと、窮屈、窒息というキーワードがすぐ浮かびます。
当時、毒親という言葉もなかったし、毒親後遺症である自覚もなかったものの、今思えば、私のうつは、毒親後遺症によるものであったことは間違いなく、毒親後遺症プラス仕事での過剰なストレスや心労が重なって、うつ病へ悪化させていったのだと思います。
うつになる人はこういう家庭(一見真面目で硬いけれど、実は毒親がいる家庭環境)が多いかもしれません
私が今まで出会ったうつの人は、こんな家庭が多かったですから。
何かうつになる方程式が作れるかもしれないほどにです。
毒親後遺症はたしかにうつ病になるための方程式に欠かせない数式となるでしょう。
毒親後遺症を作り出す家庭環境
問題は、その家庭環境で小さい頃から教育されたら、うつになりやすい性格になると言うことです。
完全主義者、生真面目、手を抜けない、遊びが下手、我慢強い、地を出せない、演技をして生きる、感情表現が下手、頑張りすぎる、自分を追いつめる
ざっと書きましたが、こういう共通点をみんな多かれ少なかれ持っていると感じました。
両親は教育を厳格にやっていくことに血道をあげて、その影響をまともに受けて育ってしまった。
一番をとることを義務づけられ、4,5番になったときには親父に殴られた。
成績が芳しくない時の恐怖といったらなかった。
家に帰りたくなかった。
どんなに叱られるか不安だった。
友達は青ざめている私を見て、成績がいいんだから何でそんなに心配なの?と不思議な眼で私を見ていた
今思うに、小学生の頃から抑圧の塊だった。
遊びも許可を取らないといけなかった。
試験が毎回恐怖だったし、同時に、一番にならなくてはいけないプレッシャーも大きな重荷だった。
まさに毒親に支配された家庭だったのです。
完璧主義者や親のエゴというものも度が過ぎると、毒親になります。
経歴は立派なだけに、毒親であることは世間は察知しにくいのですが、私にとっては本当にきつい存在でした。
何の因果か完璧主義者の子供は完璧主義者になる。
完璧主義者はうまくいっているときは、非常に心ものってくるものだし、そういう時期も確かにあった。
しかししょせん人間は人間。
完璧にいくことはないし、周囲が完璧にいかせないときもある。
完璧主義と毒親後遺症とうつ。私は悩んで当然だった
今思えば人生なんて失敗の連続だ。
失敗があるから、更に上を目指そうと頑張れるのに、失敗を恐れていたら何にもできなくなる。
完全にうまくいかないときの方が多いくらいだというのに、失敗を恥と無意識に植えつけられた。
だから、そこで悩んでしまうんだと思う。
完全主義者は悩みやすいというのは当たり前すぎるほど当たり前だ。
しかし完全主義者は、悩むことすら受け入れず、さらに頑張る。
されど劣等感を感じる。
つまり完全にやろうとしても完全はあり得ないことだからだ。
人から見たら成績も良く、スポーツもできるということでうらやましがられたこともある。
しかし、私は劣等感の塊だった。誰よりも怯えて生きていた。それを隠しながらも。
思うに、自分に満足したことはなかった。
人よりも色々とできる能力はあるとは感じていたが、それが充実感、満足感になっていたかというと違っていた。
どんなに人よりも体裁を整えたとしても、いかんせん自分の心は騙せないものだ。
親の教育もあり勉強もスポーツも完璧にいかなくちゃすまなくなった。
もっと肩の力を抜いて気楽に生きれば、と人は言うが、どうしてもできないのは、親の教育が大きい。
自分をどうしてもそこに追い込んでしまう。
教育虐待という言葉も当時はなかったけれど、教育虐待を私は受けていたのでしょう。
精神的や肉体的虐待と違って、経歴だけは立派になったが、それ以上に私は失ったものが大きかった。
教育虐待後遺症というものも、私のうつ病の大きな原因となっていた。
グータラやすぐあきらめる人間(でも楽しく生きられる)と完璧主義者(見返りはほとんどない)、どちらがいいかと問われると──
私はそれでも後者を選んでいたと思う。
あきらめるとかぐうたらするということができないタチだった。
完全にすり込まれていた。
でも、程度というものがある。
余裕と心の枠を持たせないと長い人生やってはいけない。
完璧にやるためには、すべて完璧にやるのではなく、どこか完璧を捨てることで、結果を出せばいいと今は思えるようになった。
広い視野・柔軟な思考をもてるようになったと思う(これもうつ脱却に必要な要素だった)
こういう観点からも、私の人生のどこにうつになる原因があるか知ることで、私がどう変わればいいかわかってくる。
──親父の親父──
もともと親父の親父(わたしの祖父)は学校の教師で、親父はその父親に反発を感じて生きてきた(そうだ)。
疎遠な感じだったが、親父は私の祖父よりももっと厳しく教育した。
人の心の因縁を感じる。
そもそも私の祖父が毒親だった。治し方への
毒親が毒親を作り、私に毒親後遺症をもたらした。
代々受け継がれた、もっとも強いしわ寄せが私に最後にきてしまった。
「先祖代々の呪い」と岩波英知先生が言っているが、まさしく私は一番呪いのパワーを受けてしまった。
私の親父は、幸せに生きたかどうかわからないが、少なくともうつになっていなかったからだ。
岩波先生の言葉・知恵袋集に親と子供の関係について、興味深い記事があります。こちらをタップ
学校の教師の息子というのもひどくうつなどで病みやすいらしい。
人様の子供にしっかり教えているようだけど、自分の子供だけは教育ができないのは笑うより仕方がない。
教育とは、心を本来育てるべきものだろう。
心がない人間が教育をしてはいけないと思う。
ここまで分析していても、最初はイライラするような、圧迫感を感じた。
眉をしかめるような過去を思い出し、許せない気持になった。
書いているだけで息苦しかった。
が、ここでやめたらせっかくのルーツ分析が無駄になってしまう。
壁を突破したら楽になるという話を信じ、それでも分析を続けたのがよかった。
これだけ眉をしかめることが、その段階であったのだから、いま生きづらいのも当たり前だと思うことにした。
──教育虐待と毒親後遺症というトラウマを抱えたまま出世コースに乗って──
ともあれ、親父に殴られないように必死に勉強してうまく出世できるラインにのった。
高校でもほとんど学年一位で過ごし(うまくやり終えたと同時に綱渡りでもあった)、第一志望の国立に行けた。
合格発表の時は非常に嬉しかった。苦労が報われたからだ。
人生が開けているように思えた。
まさかうつになるとは思いも寄らなかった。
一寸先は闇である
うつになる前の私の最大の幸せはこの瞬間だった。
しかし、考えてみると、果たして私の本心から、その大学に通いたかったのだろうか?
高校の時も小学生の時と同じく、親父のために勉強していたようなものだった……
完全主義者だし、勉強も人より要領よくやっただけだ。
入った大学でものびのびとやっていけた(と当時思っていた)。
一人暮らしは許されなかったため、家に帰りたくない一心でサークル活動に精を出した。
バイトもたくさん入れた。
リーダーとして部員を引っ張り、いつもエゴを満たすことが出来ていた。
そのときまでに抑え込んでいた親への反発心が急速に芽生え始めた。
やっと自我に目覚めてきたということかな
いつも親父を怒鳴りつけて、ぎゃふんと言わせてやろうと考えていたが、悲しいことに幼少期からの習慣からか親父の前では蛇ににらまれた蛙になった。
シミュレーションをしても、親父の前だと萎縮してしまう。
内地蔵外弁慶という状態である。
どんどん私の心の中に鬱憤と劣等感がたまっていった。
ストレスもより感じるようになっていった。
そんな萎縮した心でも、親父に対して反発心を見せようと努力はした。
親父とは進路で対立し始めた。
親父の望むとおりに生きてきたに過ぎないと心のどこかで感じ始めてむなしさを覚えていた。
もっともっと自分の望むとおりに生きようと思った。
──初めての毒親への反発──
官僚になろうかと思ったが、両親がそれを望んでいたため、初めて私は反旗を翻した。
まだ当時伸び盛りだった会社に入社した。
親父はすごく反対したが、自立という名目で東京で一人暮らしをはじめて、親父の抑圧圧政下からはずれた。
ホッとした気持ちを今でも覚えている。
猛烈に怒られたが私にも意地があった。
まだまだ反発心と意欲があった。
うつ時から考えると、不思議なほどあった。
この家にいたら私はダメになると無意識で感じていたのだろうか。
親父への萎縮の歴史を振り返ると、このときの行動は自分で自分を褒めていいと思っている。
どちらにしても私にとって、親父のひいたレールから外れることは必要不可欠なことだった。
だが、入った会社ではじめて挫折する。
精神的にやられてしまった…。
世の中うまくいかないことの方が多い。
完璧主義者だった私は、それが許せなかった。ストレスがたまった。
親父から肉体は離れようとも、小さい時から受けた影響まで外せなかった…
そのころでも完璧を目指し、最大限努力しようという自分が、不都合な生き方とは考えていなかった。
しかし、どうも状況が芳しくない。
うつになる人は、漠然とした息苦しさに直面した時、さらに頑張ってしまう人が多いと思う。
私はそういうタイプだった。
見えない闇に拳で立ち向かったようなもので、ただ疲労とストレスが溜まっていった。
──心に傷を抱えたまま、無理に猛烈に働く──
何でも強烈にやらなければ気が済まない私は、会社の中でも猛烈に頑張った。
睡眠時間などおかまいなしで、残業をするのは当たり前だったし、土曜日も出勤していた。
周囲はそんな私を困りもの(周囲との調和を崩す)として扱ったが、当時の私は周りをゆっくり見渡す余裕はなかった。
本当に視野が狭い生き方をしていたと思う。
要領の良さが全くなかった。
上司の受けだけは当時は良くて、同僚よりもはやく出世し、成功への階段を上っていた。
逆に頑張ることが出来ない同僚を見て不思議に思った。
なんでやり抜かないんだろうと理解できなかった。
享楽的に酒を飲んだり、女遊びをしたり、遊びにかまける奴らを見下していた。
まあ、 同僚も私を厄介者だと思っていたのだから同じだ。
人間関係でうまく行かなくとも、人目を気にしない強い(?)心が私にはあった。
悪い意味で、わがままとも言えるが。
つまり親父のようにいつの間にかなっていた。
全く柔軟性がない私は、愚直にただ邁進し、進めば進むほど泥沼に足を取られるようになっていった。
見下していた同僚とはその後に地位が逆転することになる。
それも私の生き様と親からの教育と視野の狭さが原因だった。
当時、うつになるなんて思ってもいなかった。
うつは、今も一般常識かもしれないが、根性が足りないたるんだ精神から起きることだと思っていた。
人生は、一寸先は闇。
完全主義者ほど、逆境に弱く打たれ弱い。
外ばっかりに目がいっていた私は、ある時、パワーが出ない自分に気づいていった。
内側を意識してはじめて自分のもろさに直面せざるを得なくなった。
親父の「~ねばならぬ」という思想が、ストレスと抑圧への耐性を脆くしていた。
私はメンタルタフネスがありそうで、実はまったくなかった。
限界まで酷使された自転車のチェーンのように、遊びもなく、伸びきり、さび付いて、がたがたになっていた。
それでも進もうとしてしまう。
うつになるまでまだ時間があった。
しかし、確実に着実に私はうつへの階段を登っていたのだった。
私のうつ病、毒親後遺症、教育虐待後遺症を克服できた体験談その1
私のうつ病、毒親後遺症、教育虐待後遺症を克服できた体験談その2
毒親後遺症とは?
〜幼少期の傷がもたらす大人の心の問題〜
毒親後遺症とは、幼少期に心理的な虐待や過度な支配を行う「毒親」によって育てられた結果、大人になってからも続く心理的・感情的な問題を指します。これは、健全な親子関係が築けなかったために、自己肯定感の低さや人間関係の困難、不安感や抑うつ状態など、さまざまな問題が生じる状態です。
毒親とは?
毒親とは、以下のような行為を繰り返す親を指します:
- 心理的虐待: 暴言や無視、比較、脅しなどで子供を傷つける行為。
- ネグレクト: 愛情や関心を示さず、基本的な世話を怠る。
- 過干渉: 子供の自主性を尊重せず、常にコントロールしようとする。
これらの行為を通じて、子供は深い心の傷を負い、その影響が大人になっても消えず、様々な問題として現れることがあります。
毒親後遺症の特徴的な症状
毒親後遺症には、以下のような症状が一般的です:
- 低い自己肯定感: 自分を価値のない存在だと感じ、常に自己否定的な思考に陥りがち。
- 人間関係の築きにくさ: 他人を信頼することが難しく、対人関係に不安を感じる。
- 不安や抑うつ: 常に不安を感じたり、気力が湧かず、うつ状態に陥ることもある。
- 依存的な性格: 他人に頼りがちで、自分の意見を持てず、人に流されやすい。
- 完璧主義: 何事にも完璧を求め、失敗すると自己批判が激しい。
- 怒りっぽさ: 些細なことでイライラしやすく、周囲の人間関係を壊してしまうことも。
毒親後遺症がもたらす影響
毒親後遺症は、本人だけでなく、周囲の人々にも大きな影響を与えます。
- 対人関係の困難: 友人や恋人との関係がぎこちなくなり、孤立感を強く感じることがあります。
- 仕事への影響: 仕事のパフォーマンスが低下したり、職場の人間関係でトラブルが起こりやすい。
- 健康への悪影響: ストレスが原因で心身の不調をきたし、最終的に心の病気を引き起こすこともあります。
毒親後遺症のその他の特徴
毒親後遺症は、長期的な影響をもたらします。主な特徴として以下のものが挙げられます。
- 境界線の設定が苦手: 自分と他人の境界を引くことが難しく、過度に他人に合わせてしまう。
- 感情表現の困難さ: 自分の感情を適切に表現できず、抑え込んでしまうことが多い。
- PTSDに似た症状: 過去のトラウマがフラッシュバックし、強い不安やパニックを引き起こすこともあります。
毒親後遺症の治療方法
毒親後遺症の症状を改善するためには、専門家のサポートが効果的です。心理療法などを通じて、自分の感情や考え方を整理し、健全な人間関係を築くための方法を学ぶことが重要です。また、時間をかけて自己肯定感を高め、過去の傷から立ち直るプロセスをサポートしてくれる治療が推奨されます。
まとめ
毒親後遺症は、幼少期に受けた心理的な虐待や過干渉の影響を大人になっても引きずる状態です。主な症状として自己肯定感の低さや人間関係の困難、不安や抑うつ状態が挙げられます。これらの症状が日常生活や仕事、人間関係に大きな影響を与えることがありますが、専門的な治療を受けることで改善が期待できます。