足利事件は本当に冤罪なのか? 115 菅家さんは福島万弥ちゃんの存在を事前に知っていたか? | 宇都宮義塾

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★1991年12月4日付『下野新聞』2面より

 

真実ちゃん殺害事件 2件の幼女殺しと関連か

 

捜査本部が「重大な関心」

 

菅家容疑者に土地鑑

自宅から手書きの地図

 

(中略)

同市家富町、元幼稚園運転手菅家利和容疑者(四五)=殺人容疑などで逮捕、送検済み=

の同市内の借家と自宅からの押収品の中に、手書きの地図があったことが三日までの足利署捜査本部の調べで分かった。

同市内の配送センターに勤めていた当時、配送先などを細かく記していたもので、捜査本部は事件との関連を捜査している。

(中略)

捜査本部によると、手書きの地図は一日、同市福居町の借家を家宅捜索した際に押収したメモ帳、紙片二枚のうちの一つ。

ノート型A6判のメモ帳に配送先や仕事の予定が書いてあり、

菅家容疑者が同市内の全域にかなりの土地鑑を持っていたことの裏付けになるとみている。

 

 

菅家容疑者 万弥ちゃん宅近く知る

 

菅家容疑者は地元の中学卒業後、足利市内の繊維会社にセーター編み立て工として就職。
捜査本部などによると、その後、金物店や配送業など、職を転々とし、
七八年から約十年間にわたり保育園の送迎バス運転手や用務員として勤務。
さらに、今年三月まで一年間、幼稚園のバス運転手をしていた。

 

このうち、約二十年前から五年ほど勤めた金物店は、七九年八月に殺害された福島万弥ちゃん=当時(五つ)=

が失跡した八雲神社、すぐ近くの万弥ちゃんの自宅とはわずか三百メートルの距離。

事件当時は既に退職していたとみられるが、失跡現場や被害者宅付近に十分な土地鑑があることもうかがえる。

さらに、福島さん宅に小さな女の子がいることを知る機会も十分あったともみられる。

 

また、菅家容疑者が自宅とは別に同市福居町の借家を借りたのは七七年で、

真実ちゃん事件を含む三件の幼女殺害事件はいずれも、この後に発生。

しかも、三件とも被害者は週末の金曜日か土曜日に失跡しており、

菅家容疑者が借家を利用していたのも週末だった。

 

この借家は八四年に長谷部有美ちゃん=当時(五つ)=が失跡した
パチンコ店や万弥ちゃんの失跡現場とは、いずれも直線で二・五キロ前後。
万弥ちゃん、真実ちゃんの遺体が発見された渡良瀬川河川敷からも直線で
一・五キロ弱で、自転車を使えば容易に行き来できる位置にある。

 

菅家容疑者はパチンコ好きで、真実ちゃんの失跡現場のパチンコ店にも度々来店。
パチンコ好きな菅家容疑者が、借家からそう遠くない有美ちゃんが失跡した
パチンコ店に通っていたことも十分考えられる。

 

 

(1991年12月22日付『下野新聞』1面より)

(1991年12月25日付『下野新聞』1面より)