宇都宮義塾

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Music & Study Cafe
- 宇都宮随一を誇る高音質と豊かな教養 - Since 2012

 

 

 

 

 

↑ここら辺の記事の内容が冗長でわかりにくかったかもしれないので、

なるべく簡潔にまとめたいと思います。

 

 

インチキ弁護士こと佐藤博史や、

嘘吐きジャーナリスト1号こと小林篤ら

極悪非道なペテン師のグループは、

下記の旨を主張の骨子にしているわけです。

 

【足利事件の捜査当時の警察は悪質であり、

DNA型鑑定の全国導入の予算が欲しいがために(そのための実績作りとして)

事実無根の菅家さんを逮捕して幼女殺人犯にデッチアゲた。検察もグルだ】

 

と。

 

↑でも、この主張だと、直ちに下記の矛盾点が浮上してきます。

 

【じゃあ、なぜ検察が起訴したのは1990年に起きた「松田真実ちゃん」殺害事件だけなのか?

1979年の「福島万弥ちゃん」と1984年の「長谷部有美ちゃん」の事件はなぜ起訴しなかったのか?

実績作りのためというなら、後者の2件もデッチアゲで起訴しちゃえば良かったじゃん】

 

↑で、この矛盾点を解決するために、

(※実際は時間が経ち過ぎてて物証が不十分だっただけですw「疑わしきは被告人の利益に」)

インチキ弁護士・佐藤博史らのペテン師グループはこんなロジックを展開させるんです。

 

・万弥ちゃん事件当時、菅家さんの犯行可能時間は昼休み(正午から午後1時まで)の1時間しかなかった

・だが当日の午後2時過ぎに、自宅から300メートル離れた食堂の前で店員が万弥ちゃんを目撃している

・司法解剖の結果、万弥ちゃんの胃の内容物から解析した死亡推定時刻も午後2時頃であり整合している

・12年後、事実無根の菅家さんを幼女殺人犯に仕立て上げたい警察&検察は上記の目撃証言が邪魔になった

・なので元食堂の店員に賄賂を渡して、万弥ちゃん事件の目撃証言の調書を作り直すように無理矢理協力させた

・上記の調書偽造の悪事が裁判で発覚すると、真実ちゃん事件でも検察が不利になり菅家さんが無罪になりかねない

・それでは目的(DNA型鑑定の予算獲得云々)が達せられないので、万弥ちゃん事件と有美ちゃん事件は起訴しなかった

 

↑ところが、佐藤博史らが展開してるこのロジックは

根本的な部分で「ありえない」んですよ。

大法螺を吹いてるんですよ、このペテン師どもは。

 

 

★1979年11月9日付『下野新聞』2面より

 

一方、万弥ちゃんの解剖結果で胃の内容物から米飯の残留物が検出されたが、

これまでの捜査では万弥ちゃんは失跡当日の二日午前八時半ごろ、

母親のつくったタマゴ大のニギリメシ四個を食べており、

残留物が自宅で食べたものとすれば消化時間から犯行時間は正午前後になるという。

 

しかし三日午後二時半ごろ、顔見知りの食堂店員が通四丁目地内で目撃しており、

しかも四日午前中に同署員が聞き込んでいるだけに、

これまではこの目撃は非常に確度が高いものとしてきた。

それだけに他の場所で朝食以外に食事をしたことも考えられ、

この線の捜査も重点に行ってきたが、有力な手がかりは得られず、難航している。

(1979年11月9日付『下野新聞』2面)

 

★1979年12月8日付『下野新聞』2面より

 

また、万弥ちゃんが行方不明になったのは当初、

目撃者の証言などから八月三日午後二時ごろで、

自宅から約三百㍍離れた同市通四丁目の飲食店前路上とされていたが、

その後の遺体解剖で胃の内容物から同日正午前後との見方が強まり、

捜査本部は万弥ちゃんが連れ去られたのは自宅裏の八雲神社近辺と見ている。

(1979年12月8日付『下野新聞』2面)

 

 

★★★↑胃の内容物と整合してねーだろwwwww

大ウソこいてんじゃねーよwwwww

★インチキ弁護士・佐藤博史(二審から菅家さんの弁護を担当)

 

↑こいつは大嘘吐きのペテン師である。

元東大全共闘のアカ(共産主義)の手先の戯言に

(DNA型再鑑定&再審時の)裁判官をはじめ、

多くの日本国民がまんまと騙された。

 

 

万弥ちゃん事件を菅家さんが「自白」するまでの一一年間は、
事件当日の午後二時半頃が万弥ちゃんが最後に目撃された時刻とされていました。
万弥ちゃんの自宅がある八雲神社の近くの食堂で働く男性が
「正午から午後一時までの昼食時を回った午後一時過ぎに出前の電話を受け、
注文を届けて店に戻った午後二時半頃、店の前で、万弥ちゃんが同い年くらいの
男の子と渡良瀬川のほうへと賭けていったのを見た」と供述していたのです。
 

男性は、「万弥ちゃんの自宅や祖父母の家に出前に行くこともよくあり、
万弥ちゃんは自分になついていた、事件の前日にも万弥ちゃんを見ていて、
見間違えることはない」と供述していました。
そして、万弥ちゃんを見た時刻についても、出前の伝票が存在し、
しっかりと裏付けが取れていたのです。
(菅家利和・佐藤博史『尋問の罠』p46)
 

しかし、その日(一九七九年八月三日)は、金曜日で、平日でした。
そして、菅家さんは、皆勤で、その日も当時勤めていた
B保育園に出勤していたことは動かし難い事実でした。
そこで、菅家さんに可能な犯行時刻は、自宅に戻って食事をした一二時から
午後一時までの昼休みしかなかったのです。

(菅家利和・佐藤博史『尋問の罠』p47)

 

ともあれ、菅家さんが万弥ちゃんを殺すことは時間的に不可能でした。
(菅家利和・佐藤博史『尋問の罠』p48)
 

 

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(1991年12月25日付『下野新聞』1面より)

 

(1991年12月22日付『下野新聞』1面より)

 

 

万弥ちゃん殺害で菅家被告

勤務時間中に犯行?

 

足利市の三幼女殺害事件で、真実ちゃんを殺したとして殺人罪などで起訴された同市家富町、

元幼稚園バス運転手菅家利和被告(四五)は二十三日までに万弥ちゃん事件について

「殺したのは万弥ちゃんと会った日の昼過ぎ」と犯行日時を供述した。

足利署の捜査本部は「万弥ちゃんと会った日」は

失跡した一九七九年(昭和五十四年)八月三日とほぼ断定。

捜査本部は、当時勤めていた同市本城一丁目の本城保育所関係者の供述などから、

同日は菅家被告が同保育所で仕事をしていた裏付けを得ており、

勤務時間中の犯行だった可能性が高いとみている。

捜査本部は引き続き、万弥ちゃんの遺体を詰めたリュックサックの入手経路、犯行時間、

場所の特定を進め、一両日中に殺人容疑で再逮捕する方針を固めた。

 

一両日中にも再逮捕

 

捜査本部は万弥ちゃん事件を中心に調べを進めているが、

菅家被告はこれまでの調べに対し、日時は特定できないものの

「万弥ちゃんに会った日の昼過ぎ。仕事をしていた日」と供述した。

 

捜査本部は、失跡した一九七九年八月三日から後には、

万弥ちゃんの目撃情報が全くないことから、

菅家被告の供述した日時は同年八月三日でほぼ間違いないとみている。

 

捜査本部で当日の行動について裏付け捜査を進めたところ、

当時勤めていた本城保育所ではパート勤務だったため勤務日誌などはない。

しかし、菅家被告が欠勤すると、代理で送迎バスを運転する人が必要で、

関係者は「当時、欠勤や遅刻はしていないはず」と証言。

 

勤務時間は午前七時五十分から同九時が迎車運転、
同九時-午後零時が給食調理の手伝い、
同零時-同一時が昼休み、
同一時-同三時が寺などの清掃、

同三時半-同四時半が送車運転となっていた。
 

同園関係者の証言によると、

寺の清掃は義務付けられていたことではなく「雑用があればやる時間」のため、

捜査本部は昼休みを含めた八月三日午後零時から同三時半の間が犯行時間とみて、

更に絞り込んでいる。(後略)
(1991年12月24日付『下野新聞』2面)

 

 

★万弥ちゃん事件当時、菅家さんの昼休みを含めた自由な時間は

正午から午後3時半まで、実質的に3時間30分もあったので、

菅家さんが万弥ちゃんを殺すことは時間的にじゅうぶん可能だった。

 

 

★スティーヴィー・ワンダー

 

 

 

★マーヴィン・ゲイ

 

 

 

★ダニー・ハサウェイ

 

 

 

★菅家さん

 

 

 

中学時代に仲が良かった同級生とは、その後もときどき遊びに出かけました。

いっしょに映画を見たり、喫茶店でお茶を飲んだり、ちょこっとパチンコを打ったり、

ふたりでのど自慢大会に参加したこともありました。

夏のビヤガーデンにも連れていかれましたが、自分はちょこっと飲むだけですぐ酔っ払ってしまい、

以来、ほとんど飲まなくなりました。

 

中学時代から橋幸夫のデビュー曲「潮来笠(いたこがさ)」がすっかり気に入ってしまい、

口ずさむうちに歌謡曲を歌うこと自体が好きになっていました。

三田明が十六歳でデビューするきっかけとなった歌のオーディション番組「ホイホイ・ミュージックスクール」

の予選会に自分もまた十六歳で応募したのを皮切りに、

NHKのど自慢の予選会、鑁阿寺や織姫山でののど自慢大会にも自分で応募して、

いつも三田明の「美しい十代」を熱唱しました。

緊張するのは歌い始めだけで、歌ううちに人前でも平気で歌えるようになりました。

話すのが苦手なのに、ちょっと不思議です。

(菅家利和『冤罪 - ある日、私は犯人にされた -』〈朝日新聞出版〉p108)

 

平日の作業の合間には、一日三十分の運動があります。

晴れていれば外へ出て、足腰が弱くならないように、

一周四〇〇メートルの運動場を歩いたり走ったり、

仲間とソフトボールをしたりすることもありました。

雨の日には講堂で卓球をしたり、カラオケの道具を出して歌を歌ったりもしました。

年に一度ののど自慢大会では、何度か工場の代表として「潮来笠」を歌い、

一度だけ刑務所全体で二位に入賞したこともあります。

(菅家利和『冤罪 - ある日、私は犯人にされた -』〈朝日新聞出版〉p165)

 

二日前、東京拘置所に面会に行ったときだ。

菅家被告は喜色満面といった表情で、接見室に現れた。

「こないだ、弁護士さんたちがきて、『ここを出たら何したい?』って聞くから、

自分は寿司が食べたいって言ったんですよ」

 

彼が逮捕されてから、四年半の月日がたっていた。

逮捕当時は頬がやせこけて体重も四五キロしかなかったが、

いまは一〇キロ以上も増えたそうだ。

身長一五五センチの小柄な男は短髪に白髪が目立つようになり、

福々しくていかにも人の好さそうな人相になった。

彼はほかにも、ステーキ、天ぷら……といくつも食べ物の名を挙げてから

「でも、本当は……」と、言葉を区切った。

「カラオケ、思いきり歌いたいです」

 

町内のお寺で年中行事となっていたカラオケ大会では、

準優勝したことがあるそうで、NHKの『のど自慢』の予選にも出場したという。

鐘の連打はのがしたが、歌は橋幸夫の『潮来笠』だったと楽しそうに思い出す。

彼から自慢めいた話を聞くのは初めてだった。

それならカラオケのある寿司屋で歌いまくるのはどうかと言うと、

やや間があいて彼は右手をあげ、掌を頭の上でパッと広げた。

「あの、ス、スポットライトも欲しいです」

 

照れたのだろう。顔を真っ赤にして、つっかえながらそう言った。

(小林篤『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』〈草思社〉p7~8)

 

個人的にはカラオケが大好きで、刑務所の中でのど自慢大会に出たこともあります。

いつか地元ののど自慢大会に出られたらいいな、という望みも持っています。

橋幸夫が大好きで、橋幸夫の歌はほとんど全部歌えます。

(菅家利和・佐藤博史『尋問の罠 - 足利事件の真実』〈角川oneテーマ21〉p175)

 

菅家さんのたっての希望でカラオケにも行くことになった。

菅家さんはマイクを握ると一気に二〇曲も歌い続けた。

橋幸夫や石原裕次郎、三田明といった懐かしの歌手のナンバーを歌いながら、

抑圧から解き放たれた喜びからか、その顔は笑顔でくしゃくしゃになっている。

時に両手を大きく広げ、時に床を蹴って飛び上がる。

何もかもが一七年半ぶりなのだ。

(清水潔『殺人犯はそこにいる - 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件 -』〈新潮社〉p187)

 

 

※日本テレビ系列『真相報道 バンキシャ!』で放送された、

上記赤字部分の映像(コミカルに踊りながら歌いまくる菅家さんw)が

youtubeにUPされていたのだが、いつの間にか削除されたようだ。

この映像をお持ちの方がいたら、筆者にご一報いただけると幸いです。

★マット・クーパー

 

 

 

 

↑尚、このライヴでは、ドラマーのピート・レイ・ビギンも滅茶苦茶カッコイイので要注目。

 

 

 

★ジョー・サンプル

 

 

 

 

★ロニー・リストン・スミス

 

 

 

 

★ハービー・ハンコック

 

 

 

 

 

★デオダート

 

 

 

 

 

じゃあの。

※以下、重要箇所を引用する。

 

★プーチン氏側近「ロシア存亡の脅威あれば核兵器使用ありえる

 

ロシア軍のウクライナ侵攻を巡り、プーチン露大統領の側近として知られるペスコフ大統領報道官は22日、

核兵器使用の可能性について「ロシアの存亡に関わる脅威があった場合にはありえる」と言及し、

状況次第では核の使用も辞さないとのプーチン政権の姿勢を強調した。

 

 

★プー助にとって一発目の適地は、チェルノブイリだ。

 

チェルノブイリで核爆発を起こせば、

それはウクライナが作りかけていた爆弾だとも宣伝できるし、

その脅威を除いただけだとの強弁もできる。

 

すでに周辺は無人地で、人の被害も限られる。

欧州にとってはデジャブだから、パニック反応から核戦争に急拡大することもない。

 

ポーランドからウクライナ西部への軍需品移送は、その爆発で、ただちに止まるとも期待できる。

 

 

★プーチンはウラルへ遷都して、

モスクワ市民をわざと全滅させてしまうつもりだ。

NYCと刺し違えさせる気だろう。

 

プー助はモスクワには未練がない。モスクワの住民がじぶんを支持していないと知っている。

だから、モスクワ市民には全員、NYC市民と刺し違えになって、死んでもらう。

 

プー助の支持基盤は、地方都市と老人世代だ。

ウラルの新首都には、だから、モスクワ住民は、つれていかない。

 

政府の引越しを進めつつ、まずチェルノブイリに警告の初弾を炸裂させ、

政府疎開があらかた済んだ時点で、次はいきなりニューヨーク市を核攻撃する。
 

バイデンは返礼としてモスクワを水爆攻撃するしかないが、

プトラーの新地下宮殿は、米国のDCとともに、アンタッチャブルだ。

米露ともに、お互い、政治取引をする交渉相手が消滅してしまっては、困るからだ。

 

 

★プトラーが「ウラルの地下宮殿」を欲するようになったきっかけは、

平壌の地下トンネル網に感心したからだろう。

文字通り、これから「大きな北朝鮮」を目指すのだ。

 

モスクワ市民が核で半減でもしてくれれば、

プトラー政権はとうぶん、年金の財源について心配する必要がなくなる。

プトラーは、老人層から政治的支持を得ているのに、その老人を、減らしてしまいたいのだ。

戦争こそ、その好い機会である。

 

 

★チェルノブイリ

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★ニューヨーク

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★モスクワ

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