宇都宮義塾

宇都宮義塾

Music & Study Cafe
- 宇都宮随一を誇る高音質と豊かな教養 - Since 2012

 

 

↑見たからに「怪しい」って思いませんか?w

 

戦時中は海軍にいた → わかる

 

じゃあ、昭和20年8月から昭和34年4月まで、どこで何をしてたの? → (ド素人には)わからないw

 

 

そもそも、徳川は、栃木県で生まれ育った人間ではないのです。

ヨソ者なのです。流れ者なのです。

本籍地が「宇都宮市」となっているが、これは戦後に変更したのだろう。

 

 

投降してきた米軍爆撃機の搭乗員数名を「斬首」して、土中に埋めてから、しばし経ったとき、

豊臣以下の軍人たちにとって、極めて都合が悪い出来事が起きた。

 

【日本の敗戦】

 

である。

 

昭和20年(1945年)8月15日の「玉音放送」の直後頃の話だと思うのだが、

豊臣は、過去の捕虜虐殺の発覚を恐れて、部下を使い、すかさず「証拠隠滅」を図った。

 

「あのとき土中に埋めた米兵の遺体を掘り起こして、火葬して、川に流せ」

 

 

このように命令して、以前の処刑には加担しなかった者たち(徳川の部下ら)にも、

この遺体の掘り起こし作業をやらせた。

 

そして、

 

「米兵虐殺の件は、進駐軍に捕まっても決して口外するな」

 

と、緘口令を敷いた。

 

 

それから、さほど時間を置かずに、徳川ら、捕虜虐殺に加担した者たち、虐殺の真相を知る者たちの多くが

祖国に戻ってきて、何事も無かったかのように、過去を隠して、平穏な生活を送り始めた。

 

織田と、足利は、西日本で、サラリーマンをやっていたという。

 

徳川ら、処刑を実行した下位の者たちがこの時期に何処で何をやっていたのかは、不明である。

 

そして、豊臣は、その後も、ずっと、GHQに捕まることは無かったところから察すると、

終戦直後のドサクサに紛れて、部下の徳川らを見捨てて、徹底的に何処かに逃亡したと思われる。

JR宇都宮駅にある『餃子像』。

冷静に考えてほしい。

何が『餃子像』じゃw

「おかしい」「変」だと思わなかったのかな?

これを考えた奴、間違いなくキチガイだよwww

 

 

イメージ画像。IS(イスラム国)による斬首。

 

 

豊臣は、数名の米軍捕虜をトラックに乗せると、

徳川、武田(仮名)、今川(仮名)の3人の部下を引き連れて

基地から少し離れた、ある場所まで運んだ。

 

そこで捕虜を荷台から降ろして、並ばせると、

徳川、武田、今川に、「斬れ!」と号令を発した。

 

豊臣の合図により、3人の部下たちは、軍刀で、一斉に米兵の首を刎ねて殺した。

 

処刑が終わると、頭部と胴体が切り離されたその米兵たちの遺体は、土の中に埋めた。

 

 

「宇都宮市民になって3カ月さん」という御方から、下記のコメントを頂いた。

 

>はじめまして。新参者の宇都宮市民です。

>なので宇都宮の事とか栃木の事とかを知りたくてネットサーフィンしててこちらにお邪魔しました。

>マァ私も最初は未解決事件の記事から入りましたが、読み応えあるブログで楽しく読ませて頂いてます。

>始めから全部読ませていただいてますよ。

 

宇都宮の事とか栃木の事とかを知りたくて

言うとる。

 

 

これ、書いちゃっていいのかなぁ…

 

じゃあ、これも何かの縁だし、居住3カ月にして、「えぇっ!?」って驚くかもしれないが、

ここは一つ、だいぶディープなネタを提供してあげますよ。

 

『下野新聞』とか『もんみや』とかを読んでても、

永久に出てこないんじゃないかな、という話を。

 

 

その昔、『私は貝になりたい』という映画がありましたが…

 

 

 

イメージ画像。日本兵に処刑(斬首)されるオーストラリア兵とオランダ兵。

 

 

「黒幕」「フィクサー」「日本の首領」

日本船舶振興会(現・日本財団)、笹川良一会長

巣鴨プリズンを出獄後、BC級戦犯の支援活動に奔走

 

 

元海軍少佐

第71~73代・内閣総理大臣、中曽根康弘(群馬県高崎市出身)

 

 

大戦末期、日本の敗戦が濃厚になった頃の出来事だ。

 

ある日、ある場所で、徳川(仮名)という若き日本軍将校が、

上官の豊臣(仮名)に呼ばれて、こう告げられた。

 

「墜落したアメリカ軍の爆撃機から投降してきた捕虜を今から処刑しに行くぞ」

 

 

イメージ画像。日本兵によるシナ人の斬首。

 

イメージ画像。1974年、カンボジア。

 

もとはと言えば、豊臣の更に上官の織田(仮名)の、

 

「捕虜を取るのは面倒くせー」

 

という怠惰な姿勢から始まった一件なのだが、

 

部下の豊臣もタイガイである。たぶんこいつはサイコパスだと思う。真性のキチガイだよ。

 

「米軍の捕虜は殺しても良い」

 

という方針を、足利(仮名)ら、織田の更に上層部が、織田を通して伝えてくると※、

豊臣は嬉々として「処刑人」を買って出た。

 

「私が殺しますよ」って。

 

※しかし、戦後の裁判で、足利ら上層部は、「殺しても良い」なんて言ってねーよ、勘違いだよ、と主張

 

 

徳川は、その日は、基地からしばし離れた場所で別の作業をしており、尚且つ、体調不良だったので

豊臣から「捕虜を処刑せよ」と聞かされたときは嫌悪感を抱いたが、上官の命令には逆らえない。

不本意ながら、渋々、アメ公をブチ殺すことにした。

 

 

「すがやん」氏から、下記のコメントを頂いた。

 

高知の白バイ事件も冤罪と騒いでますがどう思われますか?推理お願いします

 

↑「推理」って、私の独創的な考察は無いんすけど。

 

 

「高知白バイ事故」は本当に冤罪か?

 

↑こちらのサイトを読めばわかると思いますが、

あの事故は、やはり、裁判所の判断が正しいでしょう。

検察の主張が正しいでしょう。

 

「バス」は動いてたでしょう、あのとき。

 

ただし、私の個人的な思いとしては、

この事故で、業務上過失致死の罪で起訴されて

禁錮1年4ヶ月の実刑判決を受けた片岡晴彦氏については、

あまり責める気にはならないなっていう感じだ。

 

「オートバイ」って、どう考えても極めて危険な乗り物ですよ、やはり。

 

私の小学時代の同窓生のバイク乗りと、中学時代の同窓生のバイク乗りも、

それぞれ別の交通事故で死んじゃったよ。20代の若さで。あっけなく。