毎日、生活している中でたくさん浮かんでくる疑問。もしくは、苦痛で仕方ない心の叫びかもしれません…。

 

自分一人だけじゃ、答えが出なくてなかなか解決のできない疑問に、一緒に向き合ってみませんか?まほらは、皆様の心が少しでも優しくなるようにできることを探しています。

 

今もし、お話ししたいことがあるのならぜひ覗きに来てみてください!心からお待ちしてます♬

 

まほら部主催 第三回哲学対話カフェ

 

日時:2024年2月11日(日)

形式:Zoom(オンライン)

参加費:無料!

テーマ:皆様から募集!お話ししたいことを教えてください!

※発言&顔出しなしでのご参加も大歓迎です!気軽に覗きに来てみてください(*'ω'*)。

お申込み:下記リンクから!

 

 

まほら

|いつもの世界が少しだけ優しく見えるメディア|

 

17歳このみ&18歳えなの2人で

皆さんの心が優しくなれるような情報を発信しています!
 

・自分は普通じゃない?周りと違う?

→普通って何?普通なんてない!みんな違ってみんな良い!
 

・やりたいことが見つからない。生きる意味って?

→誰にだって絶対に居場所はある!それを見つけるためのきっかけや仲間を作れるように…。私たちにできることを探します!

 

・いじめがなくならない。辛いことを言われる。

→きっと、あなたが輝いているから周りは羨ましいの。いつか、一緒にいて幸せだと思える相手が見つかるはず!!

 

私は、何のために生きているのでしょう?

 

毎日、朝起きて支度をして家を出て仕事や学校へ向かう。あまり良いことがないのが毎日。だけど、社会の中で生きるためには必要なこと。生計を立てるには働かなくてはならない。大人になるためには学校で学ばなければならない。

 

疲れ果てて家に帰り、ご飯を食べて家事をこなす。生きるために頑張る。

 

でも、その頑張りが辛いなら...。なぜ辛い思いをしてまで私は生きるのでしょうか?その辛さから抜け出す方法はあるのでしょうか?どこかに、頑張ることを楽しめる世界があるのでしょうか?

 

そんな世界を、見つけたいなと思います。今週の日曜日、私たちまほらでイベントを開きます。Zoomでの開催なのでぜひ訪れてみてください!あなたには、どんな世界が見えていますか?私たちは、今見えているあなたの世界が少しでも優しくなれば良いな...と心から願います。

 

【イベント詳細】

まほら部主催 第一回哲学対話カフェ

『人間として あなたはどう生きる?』

12/10(日)16:30~18:00 on Zoom

 

お気に入りのお飲み物を手に、自分自身の心と向き合ってみてください。ご参加お待ちしております!

 

お申込みはこちら↓↓

 

 

 

まほら部主催 第一回哲学対話カフェ 『人間として あなたはどう生きる?』 

2023年12月10日(日)16:00〜18:30 on zoom

 

まほら初イベント開催!ぜひご参加ください<(_ _)>

 

自分の生き方、考え方、生きている意味…。あなたは今、そしてこれからをどう生きたいですか?? 

 

途中参加も途中退場もOK!顔出ししなくても良いし、聞いてるだけでも◎まずはエントリーしてみる勇気に大拍手です👏

 たくさん自分の心の声を引き出してもらえたら良いなと思います☺️ぜひご参加ください!今の過ごし方を見直す良いきっかけにもなるかな〜と。やりたいことが見つからない人も、何かヒントを得られるかも?! 

 

 ※参加にあたり下記のことは絶対に守ってください🙏

 ・相手の考え、思想を受け止める

・人格を否定しない 

・発言、顔出しを強制しない 

・個人情報を詮索しない 

・自分の心を守ることを優先する(途中退場可能)

 

お申し込みは下記リンクから↓↓

 

 

 

 

 

 

病気のこと、進路のこと、友達のこと、母親のこと、将来やりたいこと…。身の回りのすべてのことがうまくいかない時期だった。

 

毎日のように頭痛が起こって、もはや薬を飲むのも億劫になった。一人暮らしをするつもりで決めていた第1志望の大学も体調のことや両親の心配からなしになって、志望校を全て入れ替えた。同級生と価値観が合わなくてこれまで大人と話すことが多かった私は、仲の良い親友とも色々な面でずれを感じて距離ができてしまった。病気のことを受け入れられない母親、時々まだ私が病気であることに気が付いて取り乱す。そして将来やりたいことが叶うのかという不安に駆られる毎日。

 

生きることから逃げたくなった。こんな毎日を必死に生き抜いた先に、いったい何があるのだろうかと何度も思った…。だけど、ちゃんと生きる理由はありました。

 

それは、素直に笑える瞬間を幸せだと思うため!

 

何もかもがどうでもよくなりつつある私に、声をかけてくれたのは少し距離間のわからなくなっていた親友でした。その子は、私が色々な面で問題を抱えているのを知っていた。そのひとつひとつを、何も言わずに聞いてくれたのだ。私は、これまで自分の感情を整理することができないまま次々に襲ってくる新たな問題と直面していたということに気が付いた。だけど、じっくり話をしながらひとつひとつにどう対処すればよいのかを2人で話しているうちに、心がふわっと軽くなっていた。

 

心が軽くなった途端、前にしていたように自然に笑うことができた!ずっとしていた作り笑いではなくて、心から、素直に、溢れ出てくる笑顔で!!

 

何も特別なことはしてない。ただ、話を聞いてもらっただけ。でもそれって実は、最強の魔法なのかもしれませんね!!皆さんも、今心の中に抱えているもやもやを誰かと少し分け合うことで、自然に笑顔になれますように…。私は今、すごい幸せです!生きてて良かったって改めて思ってます。明日が来るのが楽しみ!また大好きな人たちに会えるのが楽しみ!誰もが、そんな生活を送れる社会になったらいいな…。

親友からの報告メールに私は涙が止まらなかった。

 

大好きな同性の大人に告白した彼女。以前にもお話ししたことの続き…。あの時は冷たいメールが返ってきて終わった。

 

けどその後もきちんと大好きな人と向き合おうとした私の親友。勇気を振り絞って話をしてもらおうと約束をした。

 

けどそこで言われた言葉は…。

「仕事とプライベートをはっきり分けているの。仕事中の私に好意を持ってくれたのは嬉しいけど、それはプライベートの私ではないから付き合うとかはできない。」

 

涙が止まらなくて、ただ話を聞いていることしかできなかったという。やっぱり思ってしまう。職場恋愛なんてよくある話。彼女が女性ではなく男性だったら…違ったのではないか?!と。

 

決して視野の狭い相手ではないが…。どうしてもそう思ってしまう。まだまだ、固定概念から抜け出せない世の中だな〜なんて思いました。

 

これから彼女をどうやって支えていこう。ずっと好きでその人のことが24時間頭から離れなくて困り果てた末に気持ちを伝えた彼女に…。どんな言葉をかけたら良いのか。私にはわからない。

大好きで憧れの人からお手紙が届いた!!ずーっと会ってみたいと思っていて、この間やっとお会い出来た人。

 

初めにお手紙を書いたときもお返事をくれた。たくさん他にもファンがいて、たくさん手紙も届いてるだろうに…。

 

綺麗な字で、心のこもった文章を書いてくださる方。最近届いた2通目のお手紙には、お会いできた日のことが書かれていて、覚えてくれているのがまずは嬉しかった…。

 

私、小さな頃からお手紙を書くのが大好きなんです!だって、手紙ってその人にしか創り出せないものだから…。

 

メールが増えている時代だけど。

 

メールって、誰が打っても同じですよね。明朝体の文章で、新たなメールが来ればそれが上に入り込んできて、古いメールはどんどん下に埋もれていく…。

 

だけど手紙って、絶対に同じにはならないんです。便箋を選ぶところから始まり、どんなペンを使うかを決めて、その人自身の筆跡になる。封の仕方も切手も、宛名の書き方もその人によって少しずつ変わってくる。世界にひとつだけのあなたへの贈り物。

 

埋もれることなくカタチに残るお手紙は、いつまでも自分の宝物としてとっておける。データ残量がなくなりそうになって一斉削除されるメールの中に紛れることもなく、思い出として…何年も何十年も残っていてくれる。

 

そんな素敵な贈り物に、改めて喜びを噛み締めている私です。時には、大切な人にお手紙を贈ってみるのも良いかもしれませんね(^。^)。ほっこり笑顔が生まれると思います!!

今日ふと耳にした言葉『かわいそう』

 

病院で、車椅子に乗ってたくさん点滴をつながれている子を見てある大人が言ったのだ。「可哀想に…大変ね…」と。

 

私の知り合いの子。同じ脳外科の子。よく喋るし、仲も良いし、賢くてすごく良い子。台風が来ていてどうしても不安定になっているここ数日。入院中の彼女と今日外来で来ていた私の2人でテラスに行って、太陽を浴びながらおしゃべりして病室に戻ろうとしていたところだった。

 

私は疑問に思った。可哀想って言ってその先に何があるのか?!それ、伝える必要があるのか?!私は、彼女のことを可哀想だなんて一度も思ったことはないし、病気を持っていても必死に闘う姿にむしろ、何も考えずにのうのうと生きている人を可哀想と思うほどだ。

 

思わず突っ込んでしまった。「え?!どこが可哀想なんですか?!」って。私にそう言われて戸惑った様子の大人を見てすぐに謝る。立ち去ってから気が付いたけど、なぜ謝ったんだ?!私…。ってか、あの大人も何も考えずにポロっと口にしたんだろうな。

 

思い返してみれば、私もこれまで何度も言われてきた言葉だった。可哀想だね…って。いや、この言葉ってなんで生まれたんですかね?!そんなことをふと思いました…。

私の親友は、同性の大人の方に恋をしています。likeの好きではなくloveの好きだと確信して…。

 

人を好きになるのに年齢も性別もキャリアも関係ないと思うし、好きになっていいし好きになられた側もその気持ちに応えて良いと思います。

 

親友は、これまでその大人の方と話していても自分が恋をしていることは言わずに時間を共にしてきました。ただ、そうして本当の気持ちを伝えないことに申し訳なさを感じ、打ち明けることにしたのです。直接言いに行く勇気はないからと、メールを…。私にも送る前に見せてくれましたが、とても心がこもったメールでした。同性であるということ、年齢が少し離れているということ、本当の気持ちを伝えずにこれまで話していたことの申し訳なさ…。彼女が感じるハードルをすべて語ったものでした。

 

私も一緒にドキドキしながらメールを送る。1日経ってから返信が来た。

 

私はそこに書かれていた内容を見て、彼女の恋の相手を心底軽蔑した。

 

『あなたが感じてくれていることについてはわかりました。』と。そしてその後も大した内容はなく、ただ勉強を頑張りなさいと書かれた大人からの文章だった。彼女の絶望した顔を私は忘れられない…。

 

私的には『え?!それはないだろ!』って感じ。彼女がどれだけ自分の気持ちと闘い、何をしていても頭から片時も離れないほど好きな相手に、勇気をもって気持ちを伝えたのか…。もし、同じ文面のメールが男の人から来ていたものだったらどうだっただろう。きっと、『あなたが感じてくれていることについてはわかりました。』とは返ってこないでしょう。

 

私はこの一文に、どんなに好かれてもそれ以上にはならないと断言されているように感じました。なんで?!別にいいじゃない!同性だって、恋愛できる前提として捉えてくれていいじゃない。少しくらい年齢の差があったって、いいじゃない。なぜ、勇気をもって気持ちを伝えてくれた相手に、そんな冷たい言葉でしか返せないのか…。疑問でしかなかった。

 

まだまだ、恋愛をすることに前提条件のような、『当たり前』みたいな概念があるのか…と少しショックを受けました。すべての人に理解してほしいというのは無理だとわかってる。だけど、そう思いました。

難病を持っていることがわかってから、描いていたビジョンは全て崩れた。大好きな踊りを続けて、いつか大きな舞台に立つ!っていう夢を持っていたけど、運動制限もかかるし通院も増えるしで、前のようにはいかなくなった。どんなに頑張っても趣味の延長。

 

正直、やりたいことを見つけるのに必死だった。これまで楽しいと思っていたことを奪われて絶望に突き落とされた気分。おまけに、私の母親は頼りにならなかった。病気の話をすると、パニックを起こして頭がおかしくなる。それに、私自身も本当の自分を見失った。

 

これまでみたいに、いつでも明るく元気でポジティブな私…。そんな私でいたいけど、もはやできなかった。絶望的で、無理やり笑っていることしかできなかった。それでも、なぜか知らないけどみんなの前では前の自分でいたくて、必死に明るくて元気なふりを続けた。病気のことも誰にも言わなかった。

 

けど、そんなことをしていても限界が来るわけで…。限界が来たことがある。もう死んでやろうと。こんな、自分のいたい自分でいられない状況で必死に生きていても仕方ないと…そう思って。頑張るのをやめようとしたことがある。

 

そんな時、私を引き戻してくれたのは…大切な人だった。私が、直感で話してみたいと思った大人。何が理由かはわからないけど、追い込まれているその時に話したいと思った相手。そこまで面識もなかったのになぜか私はその人に惹かれて、気がついた時には病気のことを打ち明けていた。

 

私は今、その人がいてくれたからめげずに生きている。生きることから逃げずに過ごせている。本当に素敵な相手…。こんな、奇跡みたいな人に出会えた私は幸せ者だなって思う。