私には怖い音がある。それは、飛行機の音。

 

家の近くにアメリカ軍の基地があり、毎日のように朝から晩まで軍事演習を行っている。私は、小さいころから基地の近くに住んでいるため、お家にいても学校で授業を受けていてもその飛行機の音を聞いていた。

 

ただある日を境に、何気なく聞いていたその音が怖くて仕方なくなったのだ。小学5年生のころ、授業で戦争についての平和学習があった。そこでは、何十台もの飛行機が相手国の土地に飛び込んでいく映像を見た。そして、私の家の近くにある基地はアメリカ軍の基地で、戦争に負けたから今もあるのだということをその時に知った。

 

無知なもので、何も知らなかった私…。その日の夜、おばあちゃんに基地のことを聞いた。今は亡き私のおばあちゃん。まじめな顔で、私の目を見て基地について話してくれたのを今でもはっきり覚えている。

 

偏った考え方かもしれないが、おばあちゃんは「今基地にいる兵隊さんたちは、また戦争になってしまったときに負けないように、毎日訓練しているんだよ。そして、日本はアメリカに守ってもらえるようにと条約を結んで、今もこうして基地を日本に置いているの。」と。

 

今思えば、砕けた言い方で分かりやすく話してくれたものだ。だが私は、なんだか引っ掛かりがあった。その話をした数日後、何の縁なのか基地の中で友好祭があり、私たち日本人も中に入ることができた。だがそこで見たものが、私のトラウマとなってしまったのである。

 

基地の中には武器の展示や多くの戦闘機があり、兵隊さんもたくさんいた。

 

その光景を見た途端に、これまでに見た戦争の映像がものすごい勢いでフラッシュバックしてきたのだ。原爆が落ちた瞬間、戦闘機が突っ込んでいく様子、映像を撮っている記者のほうへ戦闘機が向かってくる様子…。それに加えて、いろんな話を聞いて出来上がった戦争という怖い出来事のイメージ。急に足がすくんで、身体が震え始めた。心臓の鼓動が早くなり、音が少しだけ大きく聞こえる。いつものように飛んでいる飛行機の音、聞こえてくる英語の会話、盛り上がっているその場の空気感…。

 

怖くて、すぐに基地から出てその日は家にこもってしまった。昔の記憶か何かのように、戦場にいるかのような感覚に陥った。怖くて仕方がなかった。

 

今でも、飛行機の音を聞くと鳥肌が立つ。そして、空を見上げて青空が出ていることに少しホッとする。学校でする平和学習も、逃げ出したいくらい辛いし、怖い。もう2度とこんなことが起きませんように…。と心から願う。

 

戦争は過ちだと。私はそう思います。たくさんの人が亡くなり、社会は壊れる。このような悲劇を繰り返さないために、戦争の残酷さを、人の命の大切さを伝えていかなければいけないと思います。

 

78年前の今日、天皇陛下の玉音放送があった日、終戦の日ですね。戦争で犠牲になったたくさんのご先祖様に、心からご冥福をお祈り申し上げます。そして、その犠牲のもとで今私たちの生活があることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

今当たり前だと思っているこの日常は決して当たり前ではありません。78年前の今日、今私たちがいるこの場所はどんな状態だったでしょうか。きっと、想像を絶するほどの惨状であるでしょう。絶対に繰り返さないように、この当たり前ではない日常をかみしめて、毎日大切に生きようと思います。

私はなぜこんなに必死に生きているのだろうか…。生きている意味が分からなくなった時期がありました。

 

私にはもやもや病という難病があります。状況によっては、オペをして完治に近づけることもできるのですが、不運にも私はそれができないなので、毎日微妙に変化する自分の身体と向き合い、時には痛みと闘い続けなければいけない。

 

何度かそんな日々から逃げ出したいと、そう思ったことがある。自分は何のためにここまで必死になって生きているのか、この辛い現実がこれからも続くのに、それに耐え抜いてその先に何があるというのでしょうか。

 

でもわかりました。その理由が…。それは、大切な人のためです。そして、自分のためです。たった一度しかない人生で、病気にかかってしまったことは不運なことかもしれません。ですが、それを除けば私はとても恵まれた環境にいました。私の周りには、大好きな人がいて、尊敬できる人がいて、そして自分がいる。自分の人生は、いくらでも自分の好きなようにできる。

 

親の縛り、お金の制限、世の中の不条理…。たくさんたくさん、壁はあるけど、私は私の人生をどんな風に過ごしてもよいのだ。そんなことに気が付きました。

 

きっと、病気という形ではなくても、何かしらの形で毎日を必死に生き抜いて、耐えている人がいると思います。でも、その辛さはどこから来ているものなのか、よく考えてみてください。もしかしたら、何かたったひとつのアクションでその辛さから抜け出すことができるかもしれません。

 

私にとってそれは、大切な人を見つけることでした。大切な人のことを見つけて、たくさん話をして、時間を共にして、時には泣いて、自分の心の叫びをその人に伝える。そうすると、少しだけですが楽になれるんです。私は一人じゃないと思えるんです。そして、これからもその大切な人と一緒にいられるように頑張って生きようと思えるんです。皆様にも、どんなに辛いことと引き換えでも生きていたいと思える大切な人が見つかりますように…。

 

世の中は優しさであふれています。でも、そんな素敵な世界を見れる確率はとてつもなく低いのかもしれません。その確率を上げられるのは、あなたの考え方次第。毎日が奇跡だととらえて、悪いことよりも良いことを見つけるほんの少しの心掛けが、あなたのことを幸せにしてくれるのではないでしょうか(^^♪

私は、生徒会長です。中学の時からずっとなりたかった。生徒会長ですが、高校退学することを決めました。

 

はっきり言って、学校はしんどい、つらい。受験して入ったところだけど、しんどい。多分向いてないんだと思います。授業はレクチャーばっかりで、頭使わなくて面白くないし、クラスメイトも陰口ばっかりでいてしんどいし、何もいる意味なんてない。唯一、生徒会長で、学校行事を運営する責任があるからいるだけです。

 

ちょうど一年ぐらい前から遅刻をよくするようになりました。遅刻して駅の近くのカフェのモーニングに行く。ゆっくり行って、気が向いたら授業に出て、出てない時間は自分の好きな勉強をしたり、世界の美しいものを見たり。

 

絶対に座学では得られない世界の美しさを、私は見たいです。あの教室の中には、私の幸せはどこにもない。

 

だから、退学します。

 

生徒会の任期が終わる来年の5月で。

 

まずは高卒認定を取って、この絡まった空間から自由になる準備を始めます。

 

それではまた、

それでずっと良かった。

よく、『ごく普通の人生が過ごせれば…』とか『私なんて普通の人間だから…』と”普通”と言う言葉を耳にします。でもその度に思うんです。

 

普通って何よ?!って。

 

毎日の生活の中で、人は他人の目を気にし、その場の空気を読み、相手が嫌がらない行動を取る。相対的に反応をする訓練を日々積んでいるような気がします。そして、それをきちんとできる人間が正しいというよくわからない常識が存在する。

 

でもよくよく考えてみたら普通なんて存在しないんです。勉強が極端にできる人が普通なわけでもないし、その場の空気を感じ取って積極的に動ける人が普通でもない、そしてその逆で、引っ込み思案で無口気味なことが普通なわけでもない。じゃあ普通って何?!世の中の人間の性格を全て書き出した時に、なんとなく数が多い性格が普通なのか?!いや、それも違う。

 

私たちが何気なく使う”普通”という言葉は、みんなが思っているほど普通ではないのです。だから逆にね、”普通じゃない”とかって表現をするのもおかしな話なんです。だって、そもそも普通が何かみんな分かってないのだから…。

 

でも私たちは日々、他人と違うこと、普通ではないことに嘆き、悲しみ、苦しんで、悩んで、どうしたら周りから嫌われないか、どうしたら相手と仲良くできるか…と考えて、普通の人間でいようとしてしまいます。

 

大丈夫!普通でいようとなんてしなくていいから。それをしなくても、そばにいてくれる友達を見つければ良い。自分のそのまま、ありのままの姿である自分を愛してくれる友達を探せば良い。

 

そう思うと少しだけ、心が軽くなりませんか?!仕事や学校生活で、これを押し通すのは時に難しいかもしれません。ですが、あなたが思っているほど周りはあなたのことを気にしてはいないし、仮に何か言われたとしたら、それはその人の心が小さいのだと思う。もしかすると、あなたのその普通じゃないであろう何かを羨ましがっているだけかもしれないですしね…。

私のお母さんには彼氏がいる。

お母さんの望みはその彼氏を含めたみんなで家族になること。

 

はっきり言って、私には本当のお父さんがいるし、「みんなで家族」なんて無理な話。それにその彼氏はクソブスだし、キモいし、ジジイだし、ちんちくりんだし、ガチキモい。

 

父親ぶってるのとか見るとまじでキモいなって思う。父親になれるわけないのに、でもまぁ、金だけ払ってもらっていい金づるだなとは思う。

 

一緒に住み始めてもキモいし、そいつが入った風呂なんて入る気ないし、ニタニタしてる顔がキモい。

 

 

同じ境遇の人も多いと思う。キモいって思うのも、嫌だなって思うもの、それはもちろんそう。だって本当のお父さんじゃないのに父親ぶってキモいよね。私には本当のお父さんいるのに、ね。

 

でもやっぱり、お母さんには幸せになって欲しいし、大変な思いをしてるのも知ってるし。私はお母さんの彼氏とは家族になれないけど、もし少しでも受け入れられたら、楽になるのかな、って思ったり。

 

ステップファミリーは嫌い。

家族にはなれない。絶対に。

そう思ってるお母さんもおかしいと思う。

 

でもいつまでもネガティブなままだったら、私もしんどい。早く家を離れるのがベストかな、なんて思うけど、実家に帰ればそいつがいるわけだから、どっちにしろ一生ついてくる。それに、この嫌悪感はやっぱり自分でもおかしいなって思うんだよね。学校の先生とか、そういう人で同じぐらいのおっさんにはキモいって思わないのに、お母さんの彼氏にだけ思う。

 

これはそんな私が、お母さんの彼氏をちょっとだけ受け入れられるようになったらめっちゃ生きやすくなったって話。

 

ちょっとでいいの、ちょっとで。それだけでめっちゃ生きやすくなった。

 

 

もうちょっと大きくなったらみんなからもお話し募集したいなって思ったり。

 

それではまた、

いつもの場所、みつけたよ

 

時間というのは、私たちの意思に関わらず、毎日同じペースで絶えず秒針を刻んで過ぎて行きます。

 

どんな生き方をしていても、何を考えていても、時間だけは置いて行くことができず、私たちが生きた瞬間瞬間もしっかりと刻まれていきます。どんなに逆らいたくても、誕生日を迎えればひとつ歳をとりますしね

 

そんな、過去も未来も一本のレールとなって繋がっているこの世界で、今この瞬間に私たちには何ができるのでしょうか。小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と人生はそれぞれの時で、形を変えて成り立っていきます。

 

大切な人からの言葉で、「その時にしかできないことを全力で楽しみ、大切にしなさい」と。これは本当に多くの方に言われてきた言葉です。高校生の間は、高校生にしかできないことを、大学生の間は大人への第一歩として、一気に視野も経済力も広がるからこそできることを!!

 

たった一度しかない人生、前世のことも後世のこともわからないのだから、今の人生はあなたのもの!!どう使うかは全てあなた次第。

 

毎日、様々な壁にぶつかり、時には理不尽でしかないバリアがはだかってくると思います。ですが。私たちは自分の人生のために、それらを破壊し、殻から抜けて自立しなければいけません。守ってばかりでは、人生は豊かにはならないと思います。

 

難しい一歩ですが、今日は昨日よりも少しだけ人と多く話してみませんか?!毎日会っている人に、目を見てありがとうと伝えてみませんか?!今感じられる環境の全てをいつもよりも大切にしてみませんか?!私はそうしてみようと思います。

 

それも、明日になったらできないことかもしれません。人は儚いです。いつ何が起こるかわからない毎日だからこそ、今できることを大切に、過ごしていかなければなと思います。

突き放されてからの9ヶ月間、大切な人に話してもらえず、冷たくされて、それでも嫌いになれないくらい大好きで、ずっとなぜ突き放されたのかわからずに何度も何度も頭の中で考えて、必死に答えを見つけようとしている自分がいました。

 

でもついに、その答え合わせができたんです。それをしてくれたのは6年来の親友でした。その私の大好きなあなたの元へ行って、1時間かけて話をしてきてくれたんです。私は本当に幸せ者だと思いました。

 

こんなに近くに素敵な友達がいて、私のためにしてくれたすべての優しさが温かくて、感謝の気持ちでいっぱいです。私はこの友達がいなかったら、9ヶ月では止まらずにこのまま何ヶ月もひとりで闘い続けたでしょう。

 

そして、私が大好きで大切に思っているあなたの考えも、愛で溢れていました。それは私の人生について。あなたは、「一度しかない人生、一度しかない高校生活を、私とではなく周りにいる同い年の子達と大切にして欲しい…」と言っていた。21歳年上の女性です。

 

あなたに一度惹かれて、そこから抜け出せないくらいあなたのことを好きになり、尊敬し、ただそばにいたいと思っていた私に対してあなたは、自分ではないと、それを伝えるために、ずっとずっと私のことを突き放し続けていた。時に、辛そうな顔をして突き放すこともあったのに、私はそれを汲み取ることができなかった。ただ嫌われたのだと、ただ私のことが嫌になったのだと思って追いかけ続けてしまった。あなたには大きな愛があったのに…。

 

「全く嫌いじゃない、むしろ好きなタイプの子、だけど私は今は一緒にいるべきじゃないと思うから…」って。私のためだけに、ずっと、突き放し続けてくれていたのだ。

 

私はこれまでにないくらい大きな愛を感じた。言葉にされるまでわからなかったけれど、そこにはとても大きな愛があった。

 

世の中は愛で溢れていると思う。それを全て感じ、受け取るのはとても難しいこと。だけど、身近にいるみんなが、愛を持って自分と関わってくれている。その愛を、大切に受け取り、そして自分も誰かを愛し、大切にすることが必要だと思った。私はあなたの心からの愛をしっかりと受け取る。

 

そうやって、また新たに毎日を過ごしてみようと思いました。この9ヶ月がとてつもなく長く感じた。でも、この9ヶ月越しの問題を解決してから、これまでよりも世界が明るく見えました。そして、優しく見えました。愛で溢れている、この優しくて温かくて明るい素敵な世界が、これからも続いていきますように…。