尾崎右宗official blog select「右宗ブレンド」powered by Ameba -8ページ目

1994デビュー

僕の出自、舞台のことを。 

デビューは舞台「アナザー・カントリー」(1994年/演出:釜紹人/アートスフィア)。


イギリス発日本初演、

パブリックスクールの人間模様を描いた作品。

TBS製作、このオーディションからキャリアがスタートしました。


俳優養成所卒業後、必死に食らいついたオーディション。稽古本番と気を張り続けてずっと微熱ぎみ(笑)

ビギナーズラックも手伝って好評価に。千秋楽のカーテンコールで感極まったのがいい思い出です。

職業俳優になりたい、その覚悟で挑んだ作品でした。
いまも大切にしてるパンフレットで綴った視座。

『舞台という虚構。しかし虚構の中にある真実を見つける作業は、現実をより感じる時間となると思うのです』


虚構からみる現実、現実から生まれる虚構。
俳優を通じて毎回考えさせられます。

覚悟と決断。行動によって動きだす生きざま。

いかに生きるか?を描くのが俳優業。

舞台は、

俳優の軸をつくる。


稽古を重ね、自信を培う作業。

作品を魅力的に…どう伝えどう動かすか。


台詞は自分の思いにして語るが、そもそも作家の心。そして相手役、カンパニー、演出家と共に作られる。

キャラクターの居場所、相手との距離、リアルに…

考えつづけた日々。


こんなにも、かけがえのない経験が俳優の魅力。

あと何作出会っていけるのか、
仕事も人生も大事に生き方を問いたい。

背中を追って(1996〜2012)

舞台から

スタートした俳優人生。



芝居がしたくて
仲間と小劇場で公演をしてた19の頃。
何が基本かも分からないなと
文学座附属研究所(↑女の一生)へ。

劇団には残れず、
何か分かった訳でもなかったが(笑)
芝居は好きなままだった。

続けたい一心で、
舞台「アナザーカントリー」のオーディションを受けてデビュー。


プロの世界はさらに右も左も分からない。

少しずつ出会える現場に必死にくらいついていた。


振り返ると、

鍛えていただいたのは

加藤健一事務所公演だった。


つかこうへいさんと人気を博した加藤健一さんが設立した事務所。世界中の戯曲から選んだ作品を公演し、数多くの演劇賞を受賞しているプロデュース集団。


ファンだった自分は光栄すぎて、呼んでいただいた嬉しさと不安で身震いしたことを思い出します。




舞台袖から加藤さんの芝居を見て登場し、一緒に芝居することは役者として大きな糧に。

懐の深い演技、舞台を包む居住い、スウィングする芝居… 毎回魅了されました。


「レグと過ごした甘い夜」

「トーチソング・トリロジー」

「バッファローの月」と


汗と涙と笑顔が詰まってます。





初参加作品「レグと過ごした甘い夜」。

演出家の意図が分からず、役の気持ちも掴めず、いきなりスランプ。早く稽古場に来るしかできない自分に…加藤さんが「稽古場は遊び場。僕らが楽しまないとね。今のまま好きにやっていいよ」と背中から優しく語りかけてくれた。

芝居への姿勢…悩むのを吹っ切った。

相手役だけ考えて、心が動くのを待って、ダメを出されようが…前向きに😝(笑)




お陰さまで補助席まででる大入満員の中、

『中でも最年少の尾崎右宗が、硬質で心の揺れ続ける若者を好演している @毎日新聞』

と評判も劇評も高評価😆ホッとしました。

心折れず乗り切れたのは加藤さんの言葉があったからこそです。




2作目「トーチソングトリロジー」では地方公演でダウン。背中バリバリ…呼吸が浅くなり身体が悲鳴(笑)大事にいたらず穴はあけずに済みましたが、日々のリラックスや身体のメンテナンス、トレーニングの必要性を実感。

加藤さんからは青竹ふみをいただきました😝💦



再演を重ねた3.4作目「バッファローの月」初演と再演でようやくライブ感を楽しめるように。役者の息やグルーブがハーモニーを生むことを感じた。


達者な共演者たちの俳優魂が忘れられない。中でも魅力的な芝居だけでく最高のムードメーカーでもあった松本きょうじさんの思いに感謝ばかりです。


普段、加藤さんは芝居の示唆はしないのですがふとした言葉が沁みる。


・間は相手の台詞の中で

・相手の台詞を聞けば台詞覚えは半分

・集中力は辺り全体へ広がっていく

・自分の声を聞くと声は前に出る

・舞台と考えずリアルに


悩みを見かねてでしょうが、

たくさん指針をいただきました。


そして言葉よりも

舞台上で投げかけてくれます。

芝居が小慣れたころにテンポやエッジを変えて、

雑念を吹き飛ばしてくれます。


…とまあキリがない。


リアルはシンプル、

人情と外連味、

演技で魅せてもらいました。



現場や出会いの中で、

教えていただいた数々、

経験や哲学が濃縮された言葉は

いまでも標となってます。

いくつか宝物をご紹介…


坂東玉三郎さん。

舞台「ふるあめりかに袖はぬらさじ」で「俳優は(技術の研鑽を重ねた上で)器用より、観客に想像させたいもの」と役の意気を。


辻萬長さん。

舞台「いろどり橋」の公演中、萬長さんと焼肉をつつきながら「芝居には何が大切ですか?上手くなるには?」と思い切って聞いたところ、「相手を動かせたかどうかだと思ってる。動かせなかったら俺の負けだな」「言葉ってのは綺麗だけじゃダメだ、濁さなきゃ」その笑顔が素敵だった。


西田敏行さん。

ドラマ打ち上げで。余貴美子さんが自然な芝居について西田さんに投げかけると「流す芝居はすぐ出来るんだよね、大切なのはさ、外連味(をどう加えるか)だと思うんだよ」と。


聞いたとき、ため息がでた一家言たち。素晴らしい先輩方の背中を追って少しでも近づけたらのなら。


原動力

胆力を鍛えてくれたもの、

僕にとっては自主映画だろう。


何作創ったろうか。

監督、制作、俳優部、その時々でスタンスを変えながら短編から長編まで…20代は創りたい欲求が止まりませんでした。


コンテストに出したり、上映会をしたり、ネットで公開したり、大学の課題でも…仲間と語り、時にはぶつかり、歓喜した。



そして遂に

劇映画へとたどり着いた。

ヒロインは水野美紀さん。


「刀狩るもの」(DVD時はソードシーカーズ)、

このアクション作品を仲間と作れたことはかけがえない思い出です。


都築監督とは自主映画仲間。

毎晩、デニーズで打ち合わせ、

何稿にもわたり脚本を推敲し、

スタッフ・キャストの人選、劇場、パッケージまで…形にすべく語り合った。スピリットはインディペンデントのままに。


監督の熱意、行動力は多くの人を動かし、互いに夢中になって考え、私は俳優部として邁進した。


まさに

青春まっしぐら!


あの頃もがいた

夢への渇望と熱量は、

今日まで続ける糧に。


インディペンデントの底力、

僕にとって大切な原動力です!