しんどいときも。笑顔のときも。
何があろうと「ぜったいに大丈夫」のまえぶれだって「じぶん」がちゃんとおしえてくれてる。
信じるとか信じないとかって、目を向ける先はそこじゃないよね、きっと。
だれもがみんないつだって
「じぶんのこころ・からだ・環境を自分で調律」できる「じぶん専属セラピスト」であること思い出せるといいね
「納得の今」と「理想のあした」にもっときらくに近づくために。
「生き抜く(息抜く)」ためのバランス感覚、自分の中から自在に引き出せるように。
「おわり」のための準備じゃなく、しあわせな「今」をつみあげるための「終活=想いの見える化」お手伝いしてるサイタは、今日もやっぱり感じています。
目を向ける先まちがえなければ、今あるほとんどの悩みは解決しちゃうのかもね。
(長年、原因不明の痛みに悩まされていたひとの改善の様子を目の当たりにして思ったことをシェアしてみます。)
ところでサイタさんって誰だ??
と思ったらまずはここをぽちっとね
少し前までは、だれもが知っていたはずなのにね。
100歳で天寿を全うしたうちのまきばあちゃんも、ご近所の長老たちも
意識せずともみんな当たり前にそこにそったしあわせ&けんこうな生活していたことをふと、おもいだす。
農作物を栽培するときの種を植える時期。
収穫のタイミング。
樹木の伐採時期。
潮の満ち引き。
体調の変化。
葉っぱや食べ物のチカラ。
バイオリズム。
サイクル。
ひとにも自然にもある共通のリズム。
月も星も太陽も
雨も雪も雲の流れも動物の行動や変化も。
「ことをなす」ベストなタイミングを教えてくれる先生が、こんなにも周りにたくさん存在してるのに。
この地球上(宇宙も含めてかも。)で存在するすべてのものの移り変わりに目を向けて耳をすませばちゃんと聴こえてくるはずなのに。
そこを無視するから「自然のゆらぎ」を正常なものととらえられずに、
「正常な不調」さえも私たちがみずからこねくりまわして「異常な不調」にしちゃうことあるんじゃないのかなって
あらためて感じています。
人も動物も地球も、調子がよいときもよくないときもあって当然でそれこそが自然なことなんだって気づけたとき。
気候や体調の変化にだって一喜一憂する必要なんてないこと
そんな自然の流れ(自然界のサポート)に沿って変化してるすべてのことが正常なこととわかったとき。
それだけでふしぎなほどに「痛み」が楽になることがある。
何件お医者さんまわっても一向に変化ないどころかつらさは増すばかりだったり。
鍼やお灸で一時よくなってもまたぶりかえしていたり。
食べものや生活習慣見直してもなにしてもすっきりしないまま「原因不明」がつづいていたひとが
ある日を境にぱったり痛みが消えちゃったって話、聞いたことありませんか?
実際にサイタが初めてこの状況を目の当たりにしたのはアロマテラピーを学びはじめたころ(10年以上前)なんだけど
長年夜も眠れないほどの肩から腕にかけての痛みに悩まされていた人から
ここに意識向けなおしただけで「あの痛みがうそみたいに消えちゃったよー」って聞いたとき
ふしぎなようで、ふしぎじゃない、これが自然なのかもなっておもしろい感覚もったことをおもいだします。
猛スピードで時代は変化し、本来持ち合わせている感覚(五感+α)で判断できるものの代わりになるものが次々と作り出されていろんなことが便利になって、それはそれでありがたいことだけど
つい自分の感覚よりもそっちを頼り切ってしまいそうになることによる弊害もあるんじゃないかなって感じる。
きっちり正確に動く機械もいいけど、ゆらぎのなかで調整される感覚を普遍的な指標としておけると
きせきみたいなふしぎなこと実際に感じられることふえたりする。
だからって、自分だけでどうにかしようといってるわけではないですよ。
機械の便利にたよることも
もちろん、不調なときには、お医者さんや専門家に頼ることも大切。
だけど、相談すれば(それがあれば)どうにかなるという思いがあたりまえにあると、
せっかくもってる天然の?感覚がますますにぶってしまう。
そこからじぶんのこと信頼できてない状態が無意識にもつよまってしまえばもったいない。
っておもうんです。
痛みと原因究明にだけに集中しすぎる原因をあえてつくる状態はできればさけたいよねって。
目を向けていないからみのがしてるだけで。
どんなときも何があろうと自然なゆらぎがある以上、
しんどさと同時に奇跡みたいなことも同じ場所で起きていること、忘れずにいよう。
そんなあれこれかんがえてみると、私たちだって自然の一部であるんだよね。
そうじゃないなら一体なんなのか知りたい。ダレカオシエテ
結局なにがいいたかったかといえば
とにもかくにも不安な日には
「そういう日もある。」に脳内変換するくせつけとこう♪
ってはなしでした。
サポートしていてやっぱりおもう。
本音に向き合う「終活=思いの見える化」でもね、
この感覚おもいだせると、体調の変化もそうだけど、もつれていた対人関係が思わぬ形でほどけていくことがある。
人生はきっとおもうよりもっとずっとあっという間。
不調や不安にとらわれ過ぎてるかもと感じるときは
ゆらぎや不調ある場所にも、同時に奇跡は存在してる。
って思い出すとこからも、しあわせのむだづかいなくしてなくしてこ。
不安や焦りつのる日があっても
どんな今でも、すこしでも穏やかなひととき集まる先に意識向けて
あっちにもこっちにも笑顔あふれますように。
祈ってます。
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長老たちの知恵袋。ややこしい・・と感じたならばこのへん併せて読むと今より何かヒントみえてくるかもしれません。
読んでみたんだけど
よくわかんないよー
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それだけで今日もどこかできっと起きだす、
福わらい
みんなと一緒にたのしみながら
おおきなおおきな笑い声もっともっとめぐらせたいなぁ