先日のブログで
わたしたちには大いなるチカラや
宇宙の叡智が
すでに備わっているということ

そして
「感じる」という機能があるカラダで
今この瞬間存在できていること
それ自体が奇跡ということ

をお話ししました。


ダイヤオレンジ先日のブログはこちら





わたしたちには

宇宙の叡智も大いなる力もある。

奇跡はいつも起こっている。


すべてが備わっていて「ある」のに

どうして「ない」と思って

しまうのでしょうか?





わたしの推し神社

秋田県大仙市にある唐松神社の唐松山天日宮。




わたしも以前はずっと

自分はダメな人間

生きていても価値がない人間

と思っていました。

(今でもふと思うことはあります)


お金がない

結婚していない

子供がいない

才能がない

自信がない


どうして自分はこうなんだろう?

どうしたらこんな自分を

変えられるんだろう?


ずっとそう思いながら

たくさんのことを試してきました。




その試行錯誤の中で

あれは無駄だったな

バカなことしたな、、って

今は思うことがたくさんあります。


今でも、その時のことを思い出せば

胸がギューっと苦しくなったり

気持ちが重くなったりする。




だけど

ココロとカラダの基礎講座で


自分のカラダそのものが

価値であることを知って


最初はわからなくても

それを、どうやらそういうものらしいと

頭の片隅に入れておきはじめてから


どんどん脳がそれに合わせて

情報を集めてくれるようになって

(頭の片隅に入れたことによって、今まで見えてなかったものが視界に入るようになったとも言う)


じわじわと自分の体感で

それが腑に落ちるようになって


その当時は

無駄だった、バカなことした

何の意味もなかった

としか思っていなかったようなことに


学びがしっかりとあったことを

感じられるようになりました。


今の唯一無二のわたしをカタチ創る

ピースのひとつになっていた。





幾度となく歩いた参道。

今年はまだ行けてないなぁ。




自分はダメな人間

生きていても価値がない人間

と思い込んで

もがいていた時でも


それでも

確かにわたしの存在はあって

大いなる力によって

毎日毎瞬生かされていたんです。


「感じる」機能があるカラダが

あるからこそ

痛みも辛さも悲しみも憎しみも

感じることができた。


自分には何も「ない」と思っていたけど

実はずっと「あった」ということに

やっと納得ができました。




ココロとカラダの基礎講座の師

小田切まあいさん曰く


とても逆説的なことだけど

どうやらわたしたちは


「ない」「ない」と

思うことによって

絶対的な「ある」を

見つけ出すゲームを

しているそうです。


そしてそれすらも


大いなる力=宇宙の叡智に

そうさせられている。




「ない」「ない」からの

「ある」を見つけ出すゲームを

することによって


わたしたちは、人間としてのおもしろさ

「すべて喜び」の感覚を知ることができて


「ある」ことに対しての

脳の納得感を得ることができます。




このお話を聞いて

わたしは

なーんだそっかぁー。って

すごく体感が楽になりましたラブラブ


だって

また「ない」「ない」って

心が騒ぎ出しても


それは大いなる力があるゆえの

「ある」を見出すゲームなんだって

俯瞰して捉えることができるから。


絶対的な「ある」が軸にある安心感。

揺れても戻ってくればいいキラキラ




「ない」「ない」に

心が囚われてしまったとしても


それすら糧にして

生きていきたいと思いますスター



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