ダイヤオレンジ前回のブログの続きです。



これまでの
なぜ願いが叶わないのか?シリーズで

わたしたちのカラダには
すでに大いなる力=宇宙の叡智がある
ということ

事実とまぼろしを分けて

本当の願いを脳に認識させて
意思表示すること

怖さや不安は持ったままでいいから
一歩踏み出してみること
を書いてきました。




見渡す限りの青。
秋田県男鹿市 雲昌寺の絶景。



もうひとつ大切なことは

日常に奇跡は溢れている
という視点を持つこと 

です。



このブログを読んでいただいているあなたが
日常の中で奇跡を感じることって
何でしょうか?

このブログを読んでいただいている方々は
もれなく
「母親」という存在から産まれてきました。

わたしたちは宇宙と同じ
素粒子でできているのだから

母親のカラダには
宇宙のこれまでの歴史や
先祖の記憶
母親の持っているカラダの記憶が
入っています。



だから
わたしたちが母親の卵巣の中で
卵として発生した時から

わたしたちには
膨大な量のデータベースが
すでにあるんです。

その膨大なデータベースを持つ卵が
母親の卵管で

同じように
宇宙の叡智
父親の先祖の記憶
父親のカラダの記憶を持った
精子と出会って

母親の膨大なデータベースと
父親の膨大なデータベースが
掛け合わされた

この世で唯一無二の「わたし」が
受精卵となって

母親の子宮の中で
誰の指示があるわけでもなく
「わたし」という存在を
創っていきます。

そう考えると
途方もない奇跡だな、と
わたしは思うんです。

上のどれかひとつが
わずかに違っていたとしたら

今ここに存在しているわたしは
いなかったかもしれない。






その上でさらに

病気があろうが不調があろうが
年齢が何歳であろうが
性別がどうであろうが
今、生きていられている。



生きていられているということは
今この瞬間、誰かに命令されなくても
カラダの中にある

膨大な数の細胞が働き
血液やリンパ液、脳脊髄液が流れ
たくさんの器官や臓器が動き
筋肉や骨を動かしているということ。



そしてそのお陰で
わたしたちは何かを感じられています。

重い
苦しい
痛い
冷たい
軽い
楽しい
心地いい
あたたかい

どんな体感も
カラダの奇跡の積み重ねがないと
感じられないんです。

だから

わたしたちが
今存在していること
何かを感じられていること
それ自体が奇跡

なんです。



「とはいえ」と言いたくなっても
そういうことにしてみようという
視点を持ってみれば

わたしたちが日常を生きている中で
奇跡はそこらじゅうにあることが
じわじわ体感できてくると思います。

奇跡は自分でいくらでも
見出すことができる。






わたしたちには
すでに大いなる力が備わっています。
奇跡も日常に溢れています。

だとしたら
わたしたちの意図で
奇跡を起こすことは
特別なことじゃないんです。

「わたしにはすべて備わっている」
それを意識して感じていくことが
自分への確信に繋がっていきます。



揺らぎながらでもいいから
自分で奇跡を見出して
自分への確信を深めていく。

「ある」の意識を持つか
「ない」の意識を持つかで

同じ行動をしていくにしても
体感はまったく異なります。
(それすら、すべて経験と喜びなのだけれど)



わたしも、このことを学んでから
見失いそうになりながらも
揺れながらも

それでも立ち戻って
自分への確信を深めてこれたと思っています。

これからもっと深めていく。
そして
自分の願いを叶えていきますキラキラ







    

カラダを内側から巡らせて
カラダの本当の力を呼び覚ます
足からの健康つくりセラピスト
やってます🦶

リラクゼーションサロン 癒家よしなに。





    

Instagramやってます🌸
主にストーリーを更新中。

asami_seito