「南京に虐殺など無かった」 当事者、蒋介石の証言
2010-05-02 20:40:00
テーマ:歴史 南京
蒋介石の謝罪
「興亜観音を守る会」の会長であり、
「南京事件」の研究家として知られている田中正明氏は、
1960年、岸内閣の時に締結された日米安全保障条約を積極的に支援し、
岸首相のいわば私的ブレーンのような役割を担った方である。
その田中氏が岸首相から、
「これからは台湾がアジアの平和にとって大変重要な地位になる。
これから台湾に行って蒋介石とも会い、台湾の軍事基地も見学して、
将来のアジアの平和について考えてほしい。
蒋介石氏には私から紹介状を書いておく」と言われ、台湾を訪問したが、
紹介状のおかげで、準国賓級の待遇で迎えられた。
そして最後の蒋介石総統との会見の席上、
何應欣将軍を初め多くの政府要人が同席している中で、
蒋介石総統が悔恨の涙を流したという。
蒋介石
一週間後、
台北の旧総督府で蒋介石その他の要人とのお別れの宴が開かれた時だ。
最後に田中氏が、蒋介石総統の前に進み出て、
御礼の挨拶をした後、
「私は昭和16年(1936)2月に松井石根閣下と二人で、
(蒋介石)閣下にお目にかかったことがございます」と告げると蒋介石総統は、
「松井石根」という名を耳にした瞬間、顔色がさっと変わり、
目を真っ赤にし、涙ぐんで「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」。
手が震え、涙で目を潤ませてこう言うのです。
松井石根閣下
「南京に大虐殺などありはしない。
ここにいる何應欣将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを、
記録してあるはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」と言いながら、
涙しつつ田中氏の手を二度三度握り締めたという。
南京は中華民国の首都であり、蒋介石は同国の総統であった。
一国の最高責任者が明言するのであるから、
その言に耳を傾けるべきであろう。
「騙される日本人」 PHP刊より
「南京大虐殺」はなかった 1/4
2010-05-04 12:00:48
テーマ:歴史 南京
私は評論家でも歴史学者でもございませんし、
もちろん右翼というような者でもありません。
ただ南京攻略に参加した一人の軍人です。
昭和12年7月蘆溝橋事件勃発後、9月に第16師団(京都)に動員下令、
私は歩兵第20連隊(福知山)中隊長として出征し最初は北支に上陸、
次いで師団は11月17日上海付近に上陸、その後連日戦闘追撃を続け、
12月9日に南京の東北地区に進出しました。
日本軍と南京市民
途中で連隊長の入院、大隊長代理戦死の為、
私が大隊長職を代行して大隊を指揮し、南京総攻撃に参加致しました。
南京は、昭和12年12月13日完全に占領されましたが、
私は翌年の1月下旬まで約一ヶ月余り、
南京及びその近辺で警備に任じられておりました。
いわゆる「南京大虐殺」があったと言われているその時、
その場所にいて、当時の南京およびその付近の状況はこの目で見て、
この身体で体験している者であります。
私が今からお話します事は、いわゆる「南京大虐殺」と言われている議論が、
本当はどういうものであるかという事を知って頂き理解して頂いたならば、
一人でも多くの人に真相を語り伝えて、
世間の誤った考えを正して頂きたいと考えております。
当時第一戦において部下と共に戦い、
たくさんの部下を戦死により亡くしました指揮官と致しまして、
「南京大虐殺」というような真に話にもならない暴論がいかにも、
まことしやかに伝えられ、
しかもそれを大部分の日本人が些かも疑いを持たないで信じている状態は、
何としても我慢の出来ないことなのです。
共に戦った戦友、
ことに日本の将来を信じて戦死して行った多くの戦友や部下に対して、
全く根も葉もない濡れ衣が着せられている事は、
私ども生き残った者にとっては、黙っていては申し訳の無いことだと感じており、一人でも多くの人に真実を知って頂きたい、その為に自分が役に立つならば、
どんなに遠くでもどんなに忙しくても出掛けて行って真実を話したい、
また下手な文章であっても書いて、
それを活字にして残しておかねばと願っているのであります。
森王琢氏
平成4年4月、岡山国民文化懇談会にて
「南京大虐殺」はなかった 2/4
2010-05-04 14:00:54
テーマ:歴史 南京
南京大虐殺論は、なぜ起こったか
これだけ大きな戦争をやったのです。
何十万、何百万という軍隊が命懸けで動いているのです。
しかしながら「大虐殺」などという事が、何故言われるようになったのか。
その第一は、戦後に東京裁判において、
検事側の証人の証言により始めて問題とされたのであります。
日本軍を拍手で迎える南京市民
1937年(昭和12年)12月13日、米国パラマウント・ニュース撮影
支那人の他、当時南京城内にいた宣教師、医師、大学の教授等が、
悪意ある証言をし、それが検証もされずに採択された事が、
第一の原因であります。
第二は、東京裁判が進行するに従って、
NHKラジオの「真相はこうだ」という番組でおひれを付けて放送したことです。
ただしこれは、当時占領政策として占領軍がNHKの報道を統制し、
指導をしていた事によるという事は十分に考えられるのであります。
第三は、新聞報道機関が「虐殺、云々」と盛んに書きたてた、
それを一般の人が信じるようになった事であります。
NHKラジオ放送と同様、
統制されていたために新聞等もそのように書いていたのでありましょうが、
報道統制が解けてからはNHKラジオは余りそういう事は言わなくなりましたが、新聞はその後も依然として書き立てていた。
しかも「一流紙」と言われる朝日、毎日、
読売、あるいは有力な地方紙などが態度を改めなかったものですから、
一般の人も信じるようになったわけであります。
「南京大虐殺」はなかった 3/4
2010-05-04 15:00:55
テーマ:歴史 南京
東京裁判における検事側の証言
いわゆる「南京大虐殺」は東京裁判で言われるようになったと申しましたが、
ならばその東京裁判とはどういうものであったか。
東京裁判の全般について詳しく立ち入ることは差し控えますが、
第一には裁判という形を取った戦勝国による日本への復讐であります。
第二には日本の「歴史の断罪」であります。
つまり日本の歴史を始め、日本古来の道徳も、宗教も、家族制度の教育も、
日本にあったものは全て悪いものなんだという決め付けであります。
第三は、日本人に自虐観念を植え付け、
洗脳し、精神的に弱体化しようとしたことであります。
また裁判の運営についても、
(1)偽証罪の無い裁判であった事。
(2)検事側の証言は明瞭な偽証であっても無批判に採択し、
弁護側の証言は多くあるいは抹殺された事。
(3)公正なるべき判事が安易に検事に同調し、
検事と全く同じ立場で運営している事。
(4)弁護人の原爆投下の責任追及、ソ連の不法参戦の追及を、
裁判長が「本裁判に関係無し」として発言を封じた事。
(5)判決は11名の全判事合議によるべきにも関わらず、
一部多数派の偏見的意見のみにより判決を強行しております。
日本軍侵攻後の南京で、爆竹で遊ぶ子供達。
その不当な事は明かなのであります。
「南京大虐殺」に関する検事側証人のデタラメな証言は、
偽証罪が無いのですからことさらに被害を大きく、
いわゆる白髪三千丈的証言がなされ、
弁護人の反対尋問によってそのウソが暴露され、証言した証人や、
それを採用した検事がむしろ恥をかき、失笑をかったという事さえありました。
「南京大虐殺」はなかった 4/4
2010-05-04 18:00:58
テーマ:歴史 南京
(1)アメリカ人牧師マギーの証言は、日本軍の殺人、強盗、強姦、
放火など、聞くに耐えない証言を1日半かけて行いました。
これに対してアメリカ人のブルックス弁護人が反対尋問したところ、
マギーの証言は、実際目撃したのはわずか2件で、ほとんどが噂を伝え聞き、憶測、はなはだしきは自分勝手な想像に過ぎない事が暴露されています。
マギー牧師
(2)その他、当時南京城内に居住していた牧師、
南京大学教授、医師、ジャーナリストなど、
多くは悪意に満ちた証言をしております。
(3)中国人の証言に至っては、全く白髪三千丈という証言であります。
宗教団体の紅卍字会副会長の許伝音という者の証言は、
「自分は4万3千人の死体を運搬して埋葬した」と言い、
また「34万人が殺害され、4千軒の家屋が焼き払われた」とも言っております。
しかし南京城内には、平時は100万人位の人口があったらしいのですが、
大部分は戦禍を避けて避難をしておりまして、
当時は精々15万人位であったろうというのが、割合確実な数字です。
それを34万人殺害されたと言っている。
家を4千軒焼かれたと言いますが、12月13日に占領した南京に、
私は15日に入りそれから約1ヶ月余りいたわけですが、
その間に1件の火事も焼け跡も見ておりません。
南京安全区国際委員会委員、マギー牧師撮影
日本軍入城後、笑顔の南京市民
「哀声地に満ち死体山を築き、我が軍民悉く掃射を受け、
死体揚子江を掩い、流水為に赤し」
中国人は当時の南京をこう表現しておりますが、
流石に中国は文章の国であると感心の他ありません。
揚子江は軍艦が南京からもっと上流まで上って来るのです。
対岸は霞んで見えません。
その流水が「為に赤し」とは、何をか言わんやです。
(4)崇善堂という慈善団体が、
約15万から20万の死体を埋葬したと証言しています。
だいたい戦闘が終わりますと、作戦をした軍隊は一応「戦場掃除」といって、
敵味方の区別なく戦死者の遺体を片付けるのが軍事常識なのです。
我が軍がそういう片付けをしているのに、
そんなに多数の死体を埋葬したということはとても考えられないのであります。
同時に、そんなに多数の死体を埋葬するには、一体どんなに大きな穴を、
あるいはどんなにたくさんの穴を掘れば良いと言うのでしょうか?
考えただけでもウソだとお分かりになるのでしょう。
さらに東京裁判の判決は、全くデタラメ、支離滅裂のものでした。
第一に広田弘毅という方が、
軍事参議官の職にあったということで絞首刑になっております。
軍事参議官というのは軍人の、しかも大将、
元帥の古参の人だけが任じられる職であるのに、
外務大臣であった文官の広田弘毅が、
その職にあったという事で処刑されている。
あるいは陸軍大臣であった荒木貞夫という方は、
なったことのない総理大臣の肩書きで判決をされております。
またインドのパル判事は裁判中から「日本無罪論」を唱えておりましたが、
判決では一切無視されたばかりか、
これを印刷することも頒布する事も禁止されました。
このように東京裁判の不当な事は、
後になって裁判の管轄権者であったマッカーサーでさえ、
解任後帰国して大統領トルーマンに対し、東京裁判は誤りであったと告発し、
又主席検事であったキーナンも東京裁判論告や判決は、
厳しすぎたと言っております。
その他英国国際法権威ハンキー卿、米連邦裁判所ダグラス判事、
米国際法学者マイニア博士を始め、独・英などの国際法学者、
哲学者などもその不当性を厳しく批判をしており、
今やそれは近年国際法学界の共通の認識になっております。
然るに現在の日本の状態はどうですか。
半世紀以上経ってすでに独立国であるにも関わらず、
いわゆる進歩的と称する学者、文人、
評論家、マスコミの多くは依然として「東京裁判史観」
という麻薬に犯されたまま、
「東京裁判は正しかった、南京大虐殺はあったのだ」と言っているのです。
日本軍は、世界史上初の「略奪行為をしない軍隊」
2010-05-03 19:41:08
テーマ:大東亜戦争
中国政府は日中戦争で1200万人が死んだと強弁し、日本を非難している。
ところが、この数字はだんだんと増えている。
1985年には2100万人だと主張し、
それから10年あとの1995年には3500万人だといいだしている。
蒋介石と毛沢東
1200万人であれ2100万人であれ3500万人であれ、
このほとんどは国民党と共産党の内戦によって死んだのである。
当時の日本軍は、蒋介石の軍隊や毛沢東の軍隊とはまったくちがう、
紳士的な軍隊であった
文字どおり「人民解放軍」だったのである。
日本軍と南京市民のふれあい
日本軍はおそらく、世界史上初の「略奪行為をしない軍隊」であり、
これを裏づける記録はあちこちに残っている。
当時の中国の人口は4億で、平均寿命は25歳程度だった。
これは、戦争がなくても中国の人口のうち毎年1600万人が死亡するという、
意味で、日中戦争の15年間を通じて、
戦争がなくても2億4000万人以上が死亡したであろう。
このうち1200万人が日中戦争のせいで死んだというのは、
ただのコメディである。
むしろ毛沢東ではなく日本軍によって大陸が統一されていたならば、
現在の中国人の生活ははるかに向上していただろう。
過去の戦争において日本には正当性があったがドイツにはそれがなかった。
日本は生きる道を探してやむをえない戦争をしたが、
ドイツは他の民族を抹殺して支配者になるために戦争をした。
すなわち日本は名分ある戦争をし、ドイツは名分のない戦争をしたのである。
そしてもっとも重要な違いは、ドイツは民間人3000万人を虐殺したが、
日本は大量虐殺をおこなわなかったという事実だ。
中国が主張している南京事件や731部隊の残虐行為については、
まずは客観的な調査をとおして真実が明らかにされなければならない。
問題は、日本に関するかぎり中国や韓国が主張する資料には、
信憑性がないということだ。かれらは食事をするような感覚で、
必要に応じて歴史を歪曲しているのである。
金完燮 「親日派のための弁明」
1 ■私も伯父からこれからの人に伝えてほしい。
泣きながら、話を聞きました。
当時、伯父は満州で今でいうハローワークの仕事をしていました。日本軍は従軍慰安婦を買うことも禁止されていたし、もし寝るようなことがあれば睡眠薬を飲まされて腕時計など盗むひどい女どもだったし買えば次の日、貴様それでも軍人か?と殴られるぐらいだったと聞いています。横須賀のパンパンのほうがよっポロかわいそうです。
南京大虐殺は中国共産党のやらせで平気で女を犯し、子どもも殺す。それを日本の朝日新聞が品軍がやったことに日本共産党とした。それを日教組が今も当たり前のように授業で教えている。
こんな腐った嘘早く消していただかないと伯父の供養になりません。
jnakamura611 2010-05-04 13:23:37 >>このコメントに返信
2010-05-02 20:40:00
テーマ:歴史 南京
蒋介石の謝罪
「興亜観音を守る会」の会長であり、
「南京事件」の研究家として知られている田中正明氏は、
1960年、岸内閣の時に締結された日米安全保障条約を積極的に支援し、
岸首相のいわば私的ブレーンのような役割を担った方である。
その田中氏が岸首相から、
「これからは台湾がアジアの平和にとって大変重要な地位になる。
これから台湾に行って蒋介石とも会い、台湾の軍事基地も見学して、
将来のアジアの平和について考えてほしい。
蒋介石氏には私から紹介状を書いておく」と言われ、台湾を訪問したが、
紹介状のおかげで、準国賓級の待遇で迎えられた。
そして最後の蒋介石総統との会見の席上、
何應欣将軍を初め多くの政府要人が同席している中で、
蒋介石総統が悔恨の涙を流したという。
蒋介石
一週間後、
台北の旧総督府で蒋介石その他の要人とのお別れの宴が開かれた時だ。
最後に田中氏が、蒋介石総統の前に進み出て、
御礼の挨拶をした後、
「私は昭和16年(1936)2月に松井石根閣下と二人で、
(蒋介石)閣下にお目にかかったことがございます」と告げると蒋介石総統は、
「松井石根」という名を耳にした瞬間、顔色がさっと変わり、
目を真っ赤にし、涙ぐんで「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」。
手が震え、涙で目を潤ませてこう言うのです。
松井石根閣下
「南京に大虐殺などありはしない。
ここにいる何應欣将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを、
記録してあるはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」と言いながら、
涙しつつ田中氏の手を二度三度握り締めたという。
南京は中華民国の首都であり、蒋介石は同国の総統であった。
一国の最高責任者が明言するのであるから、
その言に耳を傾けるべきであろう。
「騙される日本人」 PHP刊より
「南京大虐殺」はなかった 1/4
2010-05-04 12:00:48
テーマ:歴史 南京
私は評論家でも歴史学者でもございませんし、
もちろん右翼というような者でもありません。
ただ南京攻略に参加した一人の軍人です。
昭和12年7月蘆溝橋事件勃発後、9月に第16師団(京都)に動員下令、
私は歩兵第20連隊(福知山)中隊長として出征し最初は北支に上陸、
次いで師団は11月17日上海付近に上陸、その後連日戦闘追撃を続け、
12月9日に南京の東北地区に進出しました。
日本軍と南京市民
途中で連隊長の入院、大隊長代理戦死の為、
私が大隊長職を代行して大隊を指揮し、南京総攻撃に参加致しました。
南京は、昭和12年12月13日完全に占領されましたが、
私は翌年の1月下旬まで約一ヶ月余り、
南京及びその近辺で警備に任じられておりました。
いわゆる「南京大虐殺」があったと言われているその時、
その場所にいて、当時の南京およびその付近の状況はこの目で見て、
この身体で体験している者であります。
私が今からお話します事は、いわゆる「南京大虐殺」と言われている議論が、
本当はどういうものであるかという事を知って頂き理解して頂いたならば、
一人でも多くの人に真相を語り伝えて、
世間の誤った考えを正して頂きたいと考えております。
当時第一戦において部下と共に戦い、
たくさんの部下を戦死により亡くしました指揮官と致しまして、
「南京大虐殺」というような真に話にもならない暴論がいかにも、
まことしやかに伝えられ、
しかもそれを大部分の日本人が些かも疑いを持たないで信じている状態は、
何としても我慢の出来ないことなのです。
共に戦った戦友、
ことに日本の将来を信じて戦死して行った多くの戦友や部下に対して、
全く根も葉もない濡れ衣が着せられている事は、
私ども生き残った者にとっては、黙っていては申し訳の無いことだと感じており、一人でも多くの人に真実を知って頂きたい、その為に自分が役に立つならば、
どんなに遠くでもどんなに忙しくても出掛けて行って真実を話したい、
また下手な文章であっても書いて、
それを活字にして残しておかねばと願っているのであります。
森王琢氏
平成4年4月、岡山国民文化懇談会にて
「南京大虐殺」はなかった 2/4
2010-05-04 14:00:54
テーマ:歴史 南京
南京大虐殺論は、なぜ起こったか
これだけ大きな戦争をやったのです。
何十万、何百万という軍隊が命懸けで動いているのです。
しかしながら「大虐殺」などという事が、何故言われるようになったのか。
その第一は、戦後に東京裁判において、
検事側の証人の証言により始めて問題とされたのであります。
日本軍を拍手で迎える南京市民
1937年(昭和12年)12月13日、米国パラマウント・ニュース撮影
支那人の他、当時南京城内にいた宣教師、医師、大学の教授等が、
悪意ある証言をし、それが検証もされずに採択された事が、
第一の原因であります。
第二は、東京裁判が進行するに従って、
NHKラジオの「真相はこうだ」という番組でおひれを付けて放送したことです。
ただしこれは、当時占領政策として占領軍がNHKの報道を統制し、
指導をしていた事によるという事は十分に考えられるのであります。
第三は、新聞報道機関が「虐殺、云々」と盛んに書きたてた、
それを一般の人が信じるようになった事であります。
NHKラジオ放送と同様、
統制されていたために新聞等もそのように書いていたのでありましょうが、
報道統制が解けてからはNHKラジオは余りそういう事は言わなくなりましたが、新聞はその後も依然として書き立てていた。
しかも「一流紙」と言われる朝日、毎日、
読売、あるいは有力な地方紙などが態度を改めなかったものですから、
一般の人も信じるようになったわけであります。
「南京大虐殺」はなかった 3/4
2010-05-04 15:00:55
テーマ:歴史 南京
東京裁判における検事側の証言
いわゆる「南京大虐殺」は東京裁判で言われるようになったと申しましたが、
ならばその東京裁判とはどういうものであったか。
東京裁判の全般について詳しく立ち入ることは差し控えますが、
第一には裁判という形を取った戦勝国による日本への復讐であります。
第二には日本の「歴史の断罪」であります。
つまり日本の歴史を始め、日本古来の道徳も、宗教も、家族制度の教育も、
日本にあったものは全て悪いものなんだという決め付けであります。
第三は、日本人に自虐観念を植え付け、
洗脳し、精神的に弱体化しようとしたことであります。
また裁判の運営についても、
(1)偽証罪の無い裁判であった事。
(2)検事側の証言は明瞭な偽証であっても無批判に採択し、
弁護側の証言は多くあるいは抹殺された事。
(3)公正なるべき判事が安易に検事に同調し、
検事と全く同じ立場で運営している事。
(4)弁護人の原爆投下の責任追及、ソ連の不法参戦の追及を、
裁判長が「本裁判に関係無し」として発言を封じた事。
(5)判決は11名の全判事合議によるべきにも関わらず、
一部多数派の偏見的意見のみにより判決を強行しております。
日本軍侵攻後の南京で、爆竹で遊ぶ子供達。
その不当な事は明かなのであります。
「南京大虐殺」に関する検事側証人のデタラメな証言は、
偽証罪が無いのですからことさらに被害を大きく、
いわゆる白髪三千丈的証言がなされ、
弁護人の反対尋問によってそのウソが暴露され、証言した証人や、
それを採用した検事がむしろ恥をかき、失笑をかったという事さえありました。
「南京大虐殺」はなかった 4/4
2010-05-04 18:00:58
テーマ:歴史 南京
(1)アメリカ人牧師マギーの証言は、日本軍の殺人、強盗、強姦、
放火など、聞くに耐えない証言を1日半かけて行いました。
これに対してアメリカ人のブルックス弁護人が反対尋問したところ、
マギーの証言は、実際目撃したのはわずか2件で、ほとんどが噂を伝え聞き、憶測、はなはだしきは自分勝手な想像に過ぎない事が暴露されています。
マギー牧師
(2)その他、当時南京城内に居住していた牧師、
南京大学教授、医師、ジャーナリストなど、
多くは悪意に満ちた証言をしております。
(3)中国人の証言に至っては、全く白髪三千丈という証言であります。
宗教団体の紅卍字会副会長の許伝音という者の証言は、
「自分は4万3千人の死体を運搬して埋葬した」と言い、
また「34万人が殺害され、4千軒の家屋が焼き払われた」とも言っております。
しかし南京城内には、平時は100万人位の人口があったらしいのですが、
大部分は戦禍を避けて避難をしておりまして、
当時は精々15万人位であったろうというのが、割合確実な数字です。
それを34万人殺害されたと言っている。
家を4千軒焼かれたと言いますが、12月13日に占領した南京に、
私は15日に入りそれから約1ヶ月余りいたわけですが、
その間に1件の火事も焼け跡も見ておりません。
南京安全区国際委員会委員、マギー牧師撮影
日本軍入城後、笑顔の南京市民
「哀声地に満ち死体山を築き、我が軍民悉く掃射を受け、
死体揚子江を掩い、流水為に赤し」
中国人は当時の南京をこう表現しておりますが、
流石に中国は文章の国であると感心の他ありません。
揚子江は軍艦が南京からもっと上流まで上って来るのです。
対岸は霞んで見えません。
その流水が「為に赤し」とは、何をか言わんやです。
(4)崇善堂という慈善団体が、
約15万から20万の死体を埋葬したと証言しています。
だいたい戦闘が終わりますと、作戦をした軍隊は一応「戦場掃除」といって、
敵味方の区別なく戦死者の遺体を片付けるのが軍事常識なのです。
我が軍がそういう片付けをしているのに、
そんなに多数の死体を埋葬したということはとても考えられないのであります。
同時に、そんなに多数の死体を埋葬するには、一体どんなに大きな穴を、
あるいはどんなにたくさんの穴を掘れば良いと言うのでしょうか?
考えただけでもウソだとお分かりになるのでしょう。
さらに東京裁判の判決は、全くデタラメ、支離滅裂のものでした。
第一に広田弘毅という方が、
軍事参議官の職にあったということで絞首刑になっております。
軍事参議官というのは軍人の、しかも大将、
元帥の古参の人だけが任じられる職であるのに、
外務大臣であった文官の広田弘毅が、
その職にあったという事で処刑されている。
あるいは陸軍大臣であった荒木貞夫という方は、
なったことのない総理大臣の肩書きで判決をされております。
またインドのパル判事は裁判中から「日本無罪論」を唱えておりましたが、
判決では一切無視されたばかりか、
これを印刷することも頒布する事も禁止されました。
このように東京裁判の不当な事は、
後になって裁判の管轄権者であったマッカーサーでさえ、
解任後帰国して大統領トルーマンに対し、東京裁判は誤りであったと告発し、
又主席検事であったキーナンも東京裁判論告や判決は、
厳しすぎたと言っております。
その他英国国際法権威ハンキー卿、米連邦裁判所ダグラス判事、
米国際法学者マイニア博士を始め、独・英などの国際法学者、
哲学者などもその不当性を厳しく批判をしており、
今やそれは近年国際法学界の共通の認識になっております。
然るに現在の日本の状態はどうですか。
半世紀以上経ってすでに独立国であるにも関わらず、
いわゆる進歩的と称する学者、文人、
評論家、マスコミの多くは依然として「東京裁判史観」
という麻薬に犯されたまま、
「東京裁判は正しかった、南京大虐殺はあったのだ」と言っているのです。
日本軍は、世界史上初の「略奪行為をしない軍隊」
2010-05-03 19:41:08
テーマ:大東亜戦争
中国政府は日中戦争で1200万人が死んだと強弁し、日本を非難している。
ところが、この数字はだんだんと増えている。
1985年には2100万人だと主張し、
それから10年あとの1995年には3500万人だといいだしている。
蒋介石と毛沢東
1200万人であれ2100万人であれ3500万人であれ、
このほとんどは国民党と共産党の内戦によって死んだのである。
当時の日本軍は、蒋介石の軍隊や毛沢東の軍隊とはまったくちがう、
紳士的な軍隊であった
文字どおり「人民解放軍」だったのである。
日本軍と南京市民のふれあい
日本軍はおそらく、世界史上初の「略奪行為をしない軍隊」であり、
これを裏づける記録はあちこちに残っている。
当時の中国の人口は4億で、平均寿命は25歳程度だった。
これは、戦争がなくても中国の人口のうち毎年1600万人が死亡するという、
意味で、日中戦争の15年間を通じて、
戦争がなくても2億4000万人以上が死亡したであろう。
このうち1200万人が日中戦争のせいで死んだというのは、
ただのコメディである。
むしろ毛沢東ではなく日本軍によって大陸が統一されていたならば、
現在の中国人の生活ははるかに向上していただろう。
過去の戦争において日本には正当性があったがドイツにはそれがなかった。
日本は生きる道を探してやむをえない戦争をしたが、
ドイツは他の民族を抹殺して支配者になるために戦争をした。
すなわち日本は名分ある戦争をし、ドイツは名分のない戦争をしたのである。
そしてもっとも重要な違いは、ドイツは民間人3000万人を虐殺したが、
日本は大量虐殺をおこなわなかったという事実だ。
中国が主張している南京事件や731部隊の残虐行為については、
まずは客観的な調査をとおして真実が明らかにされなければならない。
問題は、日本に関するかぎり中国や韓国が主張する資料には、
信憑性がないということだ。かれらは食事をするような感覚で、
必要に応じて歴史を歪曲しているのである。
金完燮 「親日派のための弁明」
1 ■私も伯父からこれからの人に伝えてほしい。
泣きながら、話を聞きました。
当時、伯父は満州で今でいうハローワークの仕事をしていました。日本軍は従軍慰安婦を買うことも禁止されていたし、もし寝るようなことがあれば睡眠薬を飲まされて腕時計など盗むひどい女どもだったし買えば次の日、貴様それでも軍人か?と殴られるぐらいだったと聞いています。横須賀のパンパンのほうがよっポロかわいそうです。
南京大虐殺は中国共産党のやらせで平気で女を犯し、子どもも殺す。それを日本の朝日新聞が品軍がやったことに日本共産党とした。それを日教組が今も当たり前のように授業で教えている。
こんな腐った嘘早く消していただかないと伯父の供養になりません。
jnakamura611 2010-05-04 13:23:37 >>このコメントに返信