不幸のブログ  -10ページ目

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



最近私の周囲に集ってくるのは
創価学会の中の同和部落の人間達がその中心のようです。


この地域の周辺の心無い人間たちと協力しては
磁界まで作り上げてのハイテク攻撃のようです。


ひどい時は一日中激しい電磁波に見舞われて
私は足から脳まで体感できる電気的刺激と熱に
精神的物理的にやられることにもなります。


多くの加害者達が私の周囲から去ったその中で
いつまでも延々と加害行為を私達夫婦に対して実行している


そして脳機能障害、意識障害が
彼らの私達夫婦に対して実行している行為です。


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ここ一ヶ月
私のブログのアクセス数がどんどんと落ちているようです。


それが工作絡みであろうことも想像できますが
その手法があまりにも稚拙なのです。


ブログ更新をやめた状態でしばらくぶりに覗いても
アクセス数は今の倍以上あります。


一切の更新なくて数ヶ月放置していてもです。


しかし頑張って記事を更新し続けると書くほど
どんどんとアクセス数が減っていく。


こんなことがあるのですね(苦笑)


それほどまでに私に記事を書こうとする
意識を持たせたくないのが
この社会のサイレンスの傀儡たちのようです。


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宗教と宇宙の法則の違いとは一体何なのか?


そんな質問を受けました。

少し触れてみたいと思います。


宗教と宇宙の法則の共通は
それが人間の生きるすべを語っているということです。


私達にとって生きるにあたっての指針として
存在するものであり、


私達はそれを実践することで
神や仏を意識することになります。


では両者の違いとは一体何でしょうか。


宗教とは宇宙の法則の一部に人間が自分の価値観をも付け加えて
作り上げたものであり、その時代の価値観が
個々の宗教の指導者によって付け加えられたものだと言えます。


それは絶対的なものでは無いことは
宗教と言われるものが多種多様な価値観と主張をしていることを
理解すれば解るはずです。


更には私達の学ぶべきすべてを語っているものでもありません。


それは普遍的絶対的なものではなくて
相対的恣意的に作り上げられたものとも言えます。


一方宇宙の法則は、この宇宙空間が出来上がった時には
既に存在していたものであり、人間がどうあるべきかの指針を
示すものであるということ。


目に見えなくてもそれは存在していて
確実に私達に影響をもたらしているものです。


地球社会の中で私たちが体験する物理現象は
宇宙の法則の中の惑星内部の現象を司る
摂理によるものと理解することができますが、


その宇宙の法則の中で人間に対して与えられた摂理が
アダムスキーが”生命の科学”と呼んだ内容です。


そして宗教は得てして神よりも身近な存在として
指導者や人間を崇拝しがちですが、


宇宙の法則は神こそを唯一絶対的な存在として、
その存在が作り上げた目に見えない戒律を実践して、


被造物とされて作られた時に期待されたその生き方を
実行するための指針と言えるものです。


語った人間が美化されたり神聖化されるものではありません。


更に宗教は経典を与えられて
それは全てが正しいから理解しなさいと
見聞するものですが、


宇宙の法則は体験と実行の中で
一つ一つ学んで身につけていくものでもあります。


つまり知識を詰め込んでそれを知ることで
満足するようなものではなくて

確実に学びながら知恵として意識し
実践することを期待されるものだと言うことです。


私は宇宙の法則を学ぶにあたり
知識として必要なのは、その法則の骨格であり
枠組みであると考えています。


つまりジグゾーパズルの外枠を知ることで
その内部に当てはまる正しい断片(真理)を選択することも出来るようになるという事です。。


私は生命の科学と講座という形でこれを伝えているわけで


それを知識として宇宙の法則の全体像を理解したら
あとは自らの見聞と体験、そして閃きや印象によって
パズルの断片を埋め込んでいき、


正しいと確信したことを実践し
心にもその価値観を刻み込んで行く作業が大切なのです。


そして更に宗教と宇宙の法則の違いは
宗教はその価値観で他人を量り裁き
時には争いや戦いの原因にもなりますが


宇宙の法則はその価値観で他人を量り裁くためのものではなく
あくまで自らが進化を果たすための指針であるということ。


そしてその生き方を実践すれば
確実に分裂や戦いを好まず、平和や奉仕を意識するようになります。


それは他人や組織に強いられることなしにです。


宇宙の法則の内容は時には感覚器官で意識できて
更には理屈で論理的に思考すれば意識できるものもありますが


その多くは道徳という形で例えば儒教や神道という形で
私たちは既に学んでいます。


その残りは思考して理論的に認識するものではなくて
私達の心と魂が改善されることで閃いたり
印象として感じたりするものでもあります。


理屈で考える事でたどり着ける解答もありますが、

思考すればするほど泥沼にはまるような場合が多いと思います。


それは思考するのではなくて
感じ取らねばならないものだからです。


私は以前には、聖書解釈や宇宙の法則を記事で書いている最中も
頻繁に閃きや印象を受け止めていました。


それは私の思考というよりは
私が解らずそれを知りたいと願ったところ
その解答が私に送られてきたということです。


「求めなさい、そうすれば与えられるでしょう」


という状態です。


それをくれたのが天使達なのか
四次元の神の意識なのかは不明です。


しかし一旦基礎的な事を理解すれば
その残りはこのような手段でしか私達は回答を得ることもできません。


神がこの世を創造した時に同時に作り上げた
私達が見たことも聞いたこともないものが


この四次元空間には知識として
大量に散乱しているからです。


目に見えないことを信じる事が出来るものは幸いだと
イエスキリストは語りましたが

まさにこの事だと言えます。


私達が理解しているよりもはるかに多くの法則や秩序が
この四次元空間には存在している、


そしてその多くは視覚聴覚味覚嗅覚では認識できず、
原因と結果の法則、波動の法則の如く


体感して意識して語られるに過ぎないと言うこと。


そしてその殆どを私達は未だ認識できていないのです。


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同じ科学力であっても使用する人間の意識のレベルで
その用途も大きく変わるのが医学であり電磁波技術。


宇宙の法則やスペースブラザーズの主張と
似て非なる主張が精神サイトでも利用されるようになって来ました。


私が以前から触れている宇宙人情報を伝えているサイトや
某精神サイトが私の主張である宇宙の法則と類似する内容を
一部取り上げてはミスリードを始めたように思えます。


部分的には宇宙の法則やブラザーズと同じ事を触れていいるのですが
しっかりと地球の法則へと誘導する毒が混じっています。


宇宙の法則の中にはオカルトや神秘的なものは存在してはいません。


霊界も否定されますし、アセンションも出ては来ません。


いつも言うように天国も地獄も存在してはいません。


タイムトラベルも同様です。


出てくるのは元素の空間としての三次元と
その現象の原因となっているエネルギー空間の四次元であり
現実の三次元空間はとても単純なのです。


私達は今まで目で認識できないものや
視覚と聴覚の間において矛盾する現象などに恐怖や神秘を覚え
(音は聞こえるが目に見えないなど)


それを全て正しく理解・認識することが出来ず
神秘・オカルトとして取り扱ってきてしまったと言う経緯があります。


それは私達人間の知識の足りなさ、そして理解力の不足、
更にはハイテク技術の隠された使用のために、
誤って作り上げてしまった神秘現象に過ぎないのです。
(錯覚であり、真理ではない)


全ての現象や結果はその原因が説明できるものとして存在していますし
まったくその因を説明できないまま存在するものは無いのです。


私達が見えないけれど認識しなければならないのは”神の意識”と
神が用意していている各種法則の裏の仕組みだけです。
(諸摂理)


私達は、事実だと思い込まされている、実は誤った情報を
私達の心から完全に排除するためにも


生命の科学を学び宇宙の法則を知り
それを実践しなければなりません。


今回(今現在の闇政府の一連の動き)も
地球の法則が宇宙の法則を押しのけて
今後の地球の行方を決定付けてしまうのか、


それとも覚醒した多くの人間によって
今度は大きな意識の変貌が地球規模で
もたらされることになるのか。。


それは神のみぞ知る。。


と言うことでしょうか。

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前回の続きからです。

アダムスキーの著書からの引用からです。

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心が楽しい状態を保とうとするのならば、
いつかはこうした勝手な意見を捨てなければなりません。


世の中のあらゆるトラブルはこのようにして作られてきました。


そしてトラブルが大きくなってくると、
人々は目的をもって万物を創造した”全包容的な意識”である
神の手にそれをゆだねようとします。


人々はこの”偉大なる英知”が
状況を修正しようとしてくれることを望みます。


しかし多くの例でその修正法がしめされても
人々はそれに応じようとはしません。


最初に過失をおかした心によって
その修正法が理解されていないために
それが受け入れられないからです。


そして時として心は抵抗の態度を取り
不活発な状態となって何もしません。


修正によって学び取ろうという決意を持つ代わりに
責任を逃れようとします。


神は自ら助けるものを助けると言われてきましたが
そのように、望ましくない結果を修正し、報いを得るためには
個人も何かをなさねばなりません。


センスマインドの自尊心は苦難に満ちた過程を見出すかもしれませんが
感覚を持つ人間は体験によって学ばなければなりません。


そしてこれを成すためには本人は感覚器同士が互いに尊敬しあうように
訓練しなければなりません。


現在そうであるように、それらは互いに尊敬感を持たず
そのために人は自己の存在に尊敬感を持ちません。


そこで人は何かの感覚器官を楽しませてくれる人々以外の他人に対して
尊敬感を持たないのです。


センスマインドが自ら訓練をせず、自身を意識(精神)に支配させないならば
其の状態は過去と同様に今後も続くでしょう。


家族が幸福であろうとするならば
家族の各人は自分が尊敬されたいのと同様に
家族の各人をも尊敬しなければなりません。


そして指導者である両親を信頼する必要があります。


感覚器官についても同様です。


それらは人間と言う世帯を作りあげている
家族のようなものです。


従って各感覚器官を元の正しい状態に戻すのは
容易ではないでしょう。


しかし、我々が天国のような生活をすごそうとすれば
右のことが達成されなければなりません。


生きるための理由を学び、これを理解する以外に方法はありません。


ここまでです。
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日々多くの過ちを犯している人間であっても
其の過ちを過ちであると認識できなければ当然反省する機会もありません。


それ以前に、私達は自分の失敗や罪を反省するのではなくて
責任逃れする傾向があるとアダムスキーは触れています。


私達の心は心地良い事こそが好きなのですし
エゴの意識は自分が可愛いと言う意識そのものでもあります。


自尊心なるものはその最たるものだと思いますし
私達は其の自尊心を傷つける事をとても嫌うようです。


何かを為した時にその行為が自分のエゴは心地良いかも知れませんが
結果的には正しくないような事もあります。


もしも其の行為をした後に冷静になって、


「自分は正しくない行為をしたのではないか」と


気がついて魂の意識を使う事が出来れば
そこで反省すると言う行為が生まれるはずです。


しかし”心”は自分が可愛くて仕方がありませんし
とてもプライドが高いのですから
自分の間違いを容易には認める事が出来ないようです。


そんな時にはそれを責任転嫁する事で
自らの罪や失敗を正当化しようとするのだと思います。


それが心にとって一番心地良いのでしょう。。


たとえ話をして見ます。


会社の中でお茶をお盆に載せて歩いていた時に
お盆のために視界がさえぎられ、


通路に置いてあった、他人のかばんに足を取られ
転んでお盆をぶちまけたとします。


当然湯飲み茶碗は割れますし
結果、机にお茶を飛ばしたり周辺の人間には
迷惑をかける事にもなるでしょう。


この時に心が自尊心を前面に押し出したとしたら
お盆をひっくり返した人間は


「こんなところにカバンを置かないで」と


通路にカバンを置いていた人間を責め立てるかもしれません。


それは自分が失敗してしまった行為を
自分のエゴが其のプライドの可愛さゆえに
カバンを置いた人間に全ての責任を擦り付ける意識だと思います。


カバンを通路に置く人間もいけないのですが
不注意でそれに足を引っ掛けた人間も良くない。


”魂”で考えればそういう事になると思います。


でもエゴの暴走している人間は
決してそうは考える事はないのです。


「自分は悪くない。悪いのはカバンを置いた人間である」
 「自分は悪くない。悪いのは勝手につまづいた人間である」


とです。


カバンを置いていた人間が全面的に
「自分の所為である」と譲れば問題はありませんが


もしも
「前をしっかり注意していないお前も悪いだろう」


と正論でコメントすると
その後争いになることも目に見えています。


アダムスキーはそんな事の積み重ねが
この社会をトラブルだらけにしているのだと触れているのです。


一方私達は自らは何も変わる事の無いまま
心地良い事、自分にとって都合の良い事を望みます。


時には自ら何の努力もせずに神頼みをする事もあります。


しかしアダムスキーが触れているように
自分が何も変わる事なく、努力する事無くして
報酬だけを受け止める事は出来ないわけです。


エゴである心を源泉とする意識が願い求める事柄は、
宇宙意識、神の意識に乗っ取ったものではないからです。


宇宙意識の欠片も持たずに
神にエゴに基づいた願い事をしても
神が其の願いを聞いてくれる事があると思いますか?


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アダムスキーは各感覚器官はそれぞれが
エゴを主張すると話しています。


例えば目の前に私達が理解していない科学力を使用して
夜道に人間の立体映像が写されたとします。


それが、目の前を歩いている映像であれば
目はそこに人の存在を認識する事になります。


しかし耳の方は其の存在を認識できません。


歩いているはずの人間の足音が
聞こえてこないからです。


ここで両者は争い
心に混乱を引き起こす事になるわけです。


目の方は人間を認識しているのに
耳の方はそれが認識できない。


其の両方の感覚を受けている脳は
混乱するに至ります。


そしてそれはそのまま不安や恐怖心に繋がる事になるかもしれません。


それは私達の心の価値観として作り上げたものの中には
存在していない体験だからです。


更にそのような心(各種感覚器)では説明の出来ない事柄は
全てオカルトや神秘現象とされてしまうことになります。


例えば視覚には見えて音が聞こえないその原因が
立体ホログラフ映像であったり、


聴覚には聞こえて視覚では認識できないその音は
パラメトリックスピーカーの応用による
音飛ばしだったりする事もあるでしょう。


前回の記事で取り上げたように
好きと嫌いの意識にしても各感覚器官は異なります。


納豆の匂いは嫌いだけど食べる事は好きだと言う人もいます。


これは嗅覚が嫌う現象を味覚は好んでいると言うことになります。


そして味覚の好きという意識が、嗅覚の嫌いと言う意識を超えているから
その人は納豆を食べる事が出来るわけです。


食べ続けていると
嫌いだった匂いも慣れてくるから不思議ですが


もしかしたら納豆なる存在を無自覚のうちに
魂を利用して正しく評価するようになったからかもしれません。


人間を見る時も同様に各感覚器官は好きと嫌いを持っているはずです。


そしてそれらの暴走を認めると
私達には沢山嫌いな物、嫌いな人間が出来上がる事になりますし


一方私達に心地良さを感じさせてくれる物ばかりを求め、
心地よい体験ばかりを求め、
それこそが好ましいと考えるようになる状態にも繋がって行きます。


全ての人間が心を使用しながら
このような行為を続けているのが今の地球社会であり


心の価値観の暴走が敵を作り上げ、
この社会に混乱を齎しているのだと思います。


好きなもの同士、似た価値観の者同士が
仲間として集い、嫌いな人間達、
価値観の異なる人間達との間に分裂を引き起こし


その分裂が酷くなるとそこには戦いが起こることになる。


これを繰り返しているのが地球社会の国家であり
宗教であり、民族であり、企業であり、イデオロギーだと言うことです。


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心と魂の併用という作業は
同時に心の修正を伴う物のようです。


単に原因と結果を見つめるだけでなく、
原因を変える事で結果を変化させるだけでなく、


心を魂と並行して見つめる事で、
行動の基準が無自覚のうちに魂=神の意識になるように
近づけていく事が大切なのだと思います。


しかし今まで遣りたい方題していた私達のエゴを
魂の意識(神の意識)に近づけなさいと言っても


このエゴなる意識は私達が生まれて来た時からの
環境や体験に基づいて培われたものですから
容易に変更する事は出来ないと思います。


でも変えようという意識がなければ、それは永遠に変わる事もないわけで
私達のエゴは既存の地球環境に適応している内は
増長し続ける事になるはずです。


でもそこで魂の存在を意識して
今まで心を使用して100の暴走をしていたのを
80まで減らす事が出来れば。。


そしてそんな意識を持つ事が出来れば、
私達地球社会の人間の心は少しずつでも変わっていくのかもしれません。


そしてこのような意識を持つ事が
私達が宇宙の真理に覚醒するためには
不可欠だと思います。

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私達は天国と言う言葉に惹かれ、
出来るものならそこに生きたいと願って居るはずです。


なぜに天国なるものに惹かれるのかといえば
そこが自分達にとって心地良い世界であると
考えているからではないでしょうか。


それが本当はどんな世界であるかは
私が触れているとおりです。


では私達は一体どんな世界を心地良いと感じるのか?


問題はそこだと思います。


私達はこの社会の中で
感覚器の持つエゴの意識に捉われて
其の中で心が心地良いと思っている事を喜んで実行しています。


心が望んでいるのは、したい事をすること
楽しい事をすること、心地良い経験をする事です。


(視覚聴覚味覚嗅覚が快感を感じる行為も同様です)


そして心が楽しいと感じる事が宇宙的意識と重なればよいのですが
間違いなく私達が楽しいと感じる事の中心は
地球独自の価値観に基づいていると思います。


楽しい事は他人と仲良く語りあう事ではなくて、
個人の財産の増幅かもしれませんし、


心地良いのは、自然を眺めている時ではなくて
敵を倒した時や、性的快楽を感じているときかもしれません。


その様な行為にばかり心地良さを感じて要るとしたら
私達が求めているはずの天国が其の通りに存在していて


もしも其の世界に入る事が出来ても
其の天国を楽しいとか心地よいと感じる事はないはずです。


何故ならば其の場所は地球よりも遥かに神の意識に則って
生きなければならない社会ですし


宇宙意識に満たされた社会であり
地球上の価値観に捉われた私達がそのままの意識で暮らす分には
決して心地良い世界ではないはずだからです。


そして、地球の価値観に捉われ過ぎてしまった場合は
私達の魂もそんな場所へは行きたいとも思わないのではないでしょうか。


つまり地球の法則に捉われたままの人間は
本当の天国に行ったとしたら


そこを刺激の無い息の詰まるような空間に
感じるかも知れないということです。


周りはお釈迦様やイエスキリストのような人間ばかり。


そんな空間を心地よく感じることが出来る人間は
地球社会に違和感を感じ続けているような人間だけだと思います。


その事に気がつけば私達が望むであろう事は二つです。


少しでも長くこの自分のエゴの満たされる空間に
居続けていたいと望むか、


天国なる存在を意識して、そこで暮らす事が
幸せであると感じるように心を変える事です。


いずれかの選択しかないと思います。


宇宙の法則に従うのかどうかの選択肢は、
永遠の命を求めるのかどうかと言う選択肢でもあり。


そして地球的な価値観を求め続けるのかどうかと言うのが
もう一つの選択肢となると思います。


宇宙の法則を受け入れず地球の法則にしがみつく人間たちは、
刺激が大好きで、心の想いを満たすことばかりが好きで


心はエゴと欲にまみれているはずですから
地球のこの環境こそが彼らの理想社会なのだと思います。


弱肉強食で一攫千金で、個人主義でエゴだらけのこの空間がです。

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私は天国なる空間が霊界ではなくて、
金星や土星のような私達よりも遥かに意識の高い人間達が
暮らしている空間であると認識しています。


そして天国の概念も元々は彼らが私達の祖先に対して
天を指差して示した場所であろう事も想像できます。


地べたを這っている人間にとっては
天空高く存在する惑星はまさに天の国だからです。


(ブラザーズが地球社会の天国地獄の概念は
元々が自分達が宇宙の法則を地球の人間に理解させるために
作り上げた概念であると話しています。そして天国のモデルは金星であり
地獄のモデルは地球社会の人間が暑い空間であると信じられていた水星だそうです)


そこに住んでいる人間達は皆が
イエスキリストやお釈迦様のごとき精神性の高い人間であることも理解しています。


そして尚且つそんな社会に暮らしてみたいと思っています。


病気もなく、犯罪も無く、戦争も無ければ、争いごともない。


食べることに困ることもなく、お金もなく


誰もが平等で平和な空間です。


かといって退屈かと言うと彼らには学ぶべきことが沢山あり
常にさまざまな経験を繰り返していますし宇宙旅行にも出かけています。


地球上の生活のように、生きるためだけに働き、
働くために生きるのではなくて


彼らには経験をして精神を進化させるという
大きな目的もあります。


しかも彼らは寿命だって数百年あります。


更には死ぬたびに記憶を持ったままで転生を繰り返し、
其のたびに脳も進化を続けるのです。


未知能力だって開花しますし
私にしてみれば羨ましい事だらけです。


ただ、其の場所に行くためには私達は
地球内部での転生を終わらせなければいけません。


記憶を失いながらの転生をです。


しかも其の回数が15回になるまえに
私達は宇宙の法則に従ってこの社会から卒業しなければならないのです。


天国に関してもう一つ言えば


私達が宇宙の法則を意識して暮らすようになれば
自然とこの社会も変わっていくはずです。


勿論地球の権力者が皆そろってそれを妨害するのであれば
話は別ですが。。


そして私達の意識が変わっていくことにより
この社会に実現される社会は
天国に限りなく近いものとなると思います。


天国はこの社会の中でも
本当は実現可能な世界なのです。


ただ、心を持って暴走している人間が
それを望まないからそれを実現することができないだけ。


そしてそんな人間が大量に存在していて
裏で手を繋いで真理の拡散を妨害しているという実態もあります。


彼らはこの社会を天国にしたくはないのだと思います。


その意味では魂の導きに従って生きている他の惑星の人間達を
私達は天使と呼んだのですから


心のエゴに従って生きている地球社会の人間は
悪魔として象徴する事も出来るわけです。


私達地球社会の人間こそが
彼ら天使達から見れば悪魔だと言うこと。


そしてもっと言えば
私たち人間は誰もが神の意識と悪魔の意識を持っている
存在であると言うこともできます。


そのどちらを実践しようとしているかが問題なのです。
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第二講義 VOL2


私達が如何に感覚器官に依存して生きているかと言う事に関して
誰もがその自覚はないと思います。


見えて当たり前、聞こえて当たり前。


私達はその感覚を当たり前だと感じて其の状態に
慣れ親しんでいるからです。


勿論、以前の私もその事を自覚していませんでした。


しかし大学時代に自分の意識を再認識させられる体験を
した事があります。


それは一切光の届かない”真の暗闇”の体験でした。


高速道路の高架橋の真下に長い側道があって
私は夜にそこを歩くという経験をした事があります。


その場所は長いトンネル状態になっている事もあり
道の真ん中にまで到達すると光は一切届かない状態でした。


つまり真っ暗闇で一切の光が視覚で感じる事が
できない状態になるのです。


その時私が感じたのは恐怖でした。


恐怖と言っても暗くてお化けが出そうで怖いというものではなくて、
真っ暗闇の中、一切視覚を感じる事が出来ない状態に、
心が不安でたまらなくなったのです。


それまで当たり前に使用していた視覚が一切使用できなくなり
そのために訳の判らない不安に陥り、


その上で体がふわふわとまるで平衡感覚を失ったような状態になり
そして地面に足がついていないような感覚を感じる事になりました。


その頃から怖いもの知らずだった私が其の時怖いと感じたのは
暗闇やそこに潜む危険ではなくて


単に普段、正常に使用できている感覚を失ってしまった事に対する
不安によるものだったようです。


近年で言えば私は聴覚に関しても不安を感じた事があります。


数年前に靖国神社に出かけた時に
夏の暑い中で無理して厚着でいたために熱中症のような感覚に陥り
聴覚が突然くぐもりだした時です。


(これも周辺にハイテク利用者が存在し
その影響であろうことも理解しています。
ノートパソコンまで持ち込んでいました


多くのミュージシャンが聴覚をやられていますが
その原因もハイテク被害だと認識しています)


その時は流石に涼しい場所に移動し
最後にはその場を後にして速攻で家に帰る事になりました。


(電車に逃げ込んで数分すると漸く聴覚が回復したというオチです。)


しばらく続いた聴覚の違和感に
底知れぬ不安を感じた事を覚えています。


この事は私が無自覚のうちに感覚器官が使用できる事を
当たり前だと認識していたためと理解する事が出来ます。


おそらく私達は誰もが通常そのように、
無自覚の内に心が司る感覚器官に依存して生きているのです。


見えないものに導かれている人間であれば、
聞こえないものを聞いている人間であれば、
おそらくは私のような不安を感じる事にもならなかったのだと思います。


しかし私達は通常それができません。


結果、日々生活している中で
心が司る感覚器官に激しく依存して生きていると言う実態があります。


私達はまずその事を自覚する必要があるのです。


感じようと勤めるのではなく、ひたすら受身で波動を受け続けている。


因を感じるのではなくて、現象から現象へと目を向けて暮らしている。


誰もがそんな生き方を続けています。


原因と結果として表現すれば
私達は結果ばかりに目を捉われていて、其の原因を
追求しようとはしていない事になります。


しかもその結果にしても色眼鏡を持って
心の価値観を持って見つめている。


それが私達の実態なのです。


私達は三次元と四次元を同時に体験している存在です。


只、結果としての現象を受け止めるだけではなくて
そしてそれを色眼鏡で見つめるのではなくて


持つべき意識を持って先入観や好き嫌いなしに
正しく見つめなければならない。


其の上で其の因なるものを感じてこそ
この社会を100%生きていることになるのです。


私達は目に見えるものと目に見えないものを
同時に感じ取らねばならないと言う事です。


今の私達は人生の半分しか生きてはいない。


アダムスキーの語った其の言葉が意味するのはまさにそのこと。


私達はイエスキリストの語った”死人”でいてはいけない。


その事を意識して暮らし続けて欲しいです。

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第二講義 VOL3


アダムスキーは、私達は本来、四つの感覚器官を
それぞれを調和させて暮らさなければならないと言う話をしてました。


それが一体どのような状態を指し示しているのか考えて見ます。


生命の科学の中で書かれていたように
外部の現象として花を例にしてみると、


その花の色と匂いに対して視覚と嗅覚はどのように反応するかという
事を考えれば判り易いかと思います。


花屋のそばを通った時に、
私達の視覚が美しいと感じた花を買おうとして近寄ると
今度はそこから自分にとって好ましくない匂いがしたとします。


その時にその花を買うか買わないかは
おそらくは視覚と嗅覚の好みのどちらを優先したかによって
決定されることになるはずです。


匂いは我慢できるし、その視覚的な魅力を優先しようと考えた方は
それを買う事になるでしょうし、


匂いを嫌いと判断した方は、其の見た目の魅力を割り引いて
買うのを控える事になるでしょう。


これは視覚と嗅覚がそれぞれ好きと嫌いを持っているがために
私達の行動がそれに左右される事を示しています。


つまり私達の価値観や行動は、
感覚器官に大きく依存していると言う事です。


私は以前にこの事を”納豆”を例に説明しました。


納豆というのは一つの結果であり現象といえます。


私達は感覚器官を持ってその現象を
如何に受け止めているのを考えて見ます。


例えば納豆は見た目は糸を引いていてグロテスクです。


腐った豆ですし、視覚的には美しいものではありません。


更にかき混ぜればネチャネチャとした音を立てます。


そして匂いは言うまでもなくアンモニア臭でとても強烈なものです。


目や鼻や耳の好き嫌いに従えば
目で見て嫌い、音を嫌い、
鼻で匂いを嗅いで嫌うという事にもなりかねません。


その証拠に多くの人間が納豆を嫌っていますし
関西では納豆を食べる習慣も少ないと聞きます。


中にはその納豆を食べた事さえない方もいるはずです。


私達の感覚器官は本来はお互いを並行して使用する事で
現象、そして結果を正しく認識する事が求められています。


しかし私達は通常その感覚器官を持って
この納豆の例の様に好きと嫌いを作り上げているのです。


そのために食べる事なく納豆を嫌いだと判断し
口にしない方もいるはずです。


これは一種の先入観や独自の価値観、偏見が
私達に現象を正しく認識させていない事を意味します。


恐らくは私達の中には食べず嫌いをする人間もいる事でしょう。


しかしその中にも、思い切って納豆を口の中に放り込めば
そんなにまずくはないと判断したり、
美味しく食べれると判断する方も出てくるに違いありません。


その方は納豆を味覚を持って味わう事を体験していませんし、
納豆を偏見をもって見つめていた事に気がつくのです。


ここからも伺えるのは私達は通常
四つの感覚器官を正しく利用していないと言う事です。


現象の一面を偏見や独自の価値観を持って見つめているだけで
実際にはそれが正しく理解されてはいない。


現象や存在を正しく理解しようと勤めるのなら
私達は四つの感覚器官を正しく使用して


物事を好き嫌いで判断するのではなくて
対象物を正しく理解する事が求められているのです。


感覚器官を使用するのは現象面ですが、
もしもここで目には見えないものをも理解しようと勤めるのなら


例えば目の前の現象としての納豆を製造する過程をも
思考する事もできます。


わらに茹でた大豆を入れて保つと
納豆菌がわらで繁殖してそれが豆を発酵させる。


例えばそんな過程を私達は想像する事もできます。


四つの感覚器官をまずは正しく使用することで
現象を曇りめがねではなくて
正確に理解する事がここでは何よりも重要ですが


私達は更に一歩進んで、
その因なるものをしっかりと認識するように努力する。


その結果、私達は目に見えるものと目に見えないものを同時に
認識する事になるのです。


ついでに触れておけば
その納豆に関して四つの感覚器官で認識できないものとして
納豆の断面、更にはその成分、栄養などもあげられます。


更には現象としての納豆が時にはしなびたり
白い粉を吹いていくような生命活動をも認識する事もできます。


そのようなものまで理解しようと勤めることで
私達の納豆への理解は更に深まる事になります。


私達は納豆を通じてそれに付随する生命をも
感じる事が出来るのです。


少しばかり庶民的な例えですが、感覚器官を
好きと嫌いを作り上げるためではなくて
現象を理解するために利用する事を


無意識で実行できるような癖をつける事が私達の進化にとって
大切だと、アダムスキーも語っていたのだと思います。


私達が原因と結果をみつめるためにも
先ずは結果としての現象を正しく認識する必要がある。


そのためには現象を認識する心を支える
感覚器官を鍛える必要がありますし、
それらが正しく機能するように改善する必要があるという事です。


私達が通常感じている外部からの刺激が
実は私達の心の価値観によって歪められ私達の中で再現されていると言う事に気がついて
それを如何に正しく再現するか、


そしてそのためには何が必要なのかと言う事を
私たちはここで学んだことになります。


私達の受け止めている現象と言うものを認識するのは
私達の心の先入観だけではいけないと言う事を
私達は理解して心の改善を実行して行きましょう。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


P.S.


少なくとも今の精神レベルの私達が
引っ越していったとしても


天国(金星や土星)の暮らしは心地良いものにはならないと
アダムスキーも触れていました。


転生し地球での記憶を元に幼少期から教育を受けることで
初めてその社会に馴染む事になると言うことだと思います。


今現在の人生を最高の意識で送れる場所があるとすれば
それは今の地球よりは進化しているけれども、
価値概念が然程かけ離れていない社会と言う事になると思います。


(例えばアダムスキーによれば一番精神レベルが地球に近いという
火星のような星とか(地底社会ですが))


本当であればこの地球社会がそっくりそのまま
全ての面で改善され続け、


既存の価値観を変化させながらも
人々がその中に楽しみを感じる事の出来る社会発展が続けば
今の私達は一番心地良いと感じる事ができるのだと思います。


日本の高度成長期からバブル直前にかけての時のような状況は
それに似ている物があると思います。


勿論、お金中心社会や暴飲暴食時代をもたらしたような
負の面を除いての話です。


そしてもしも地球が1960年代に宇宙時代に突入していれば
必ず今頃は同様の満足感を世界中の人間が
享受することが出来ていたと思うのです。


戦争産業から宇宙産業への転換が出来てさえいればの話です。


しかし現実には地球の生活環境は悪化するばかりで
それと並行して人間の心も荒んでっています。。


ここにきて更なる経済的な危機が世界に蔓延しそうな気配ですが
勿論あれだって経済を握っている人間達が誘導している
世界的な経済危機の兆候だと思います。


つまりこの地球社会の中の多くの人間の精神状態は
進化しているどころか確実に退化させられているのです。


日本の中を見ていればとりわけ其の事が良く判ると思います。


人間同士が交流していた社会が
今ではお金とエゴと個人主義の世界へと変貌しました。


それに追従するようにドイツや中国までもが
資本主義の悪しき影響を受けるにいたり


今や世界中にサイレンスグループの悪影響を
受けていない先進国は存在しないと思います。


これでは全ての事実を認識したとしても
天国に行きたいなどと考えることなく


この社会で繰り返し生まれたいと考えるようになる人間も
増える事でしょう。


そんな人間達には宇宙の法則は不要もしくは邪魔なのです。


そして真理を拡散しないためにも
新興宗教を乱立させているのもサイレンスグループの仕業だと
私は想像しています。


宗教は人為的な価値観を多く含むものであり
ましてそこにお金儲けの意識でも入ることになれば
それはもはや宗教とは呼べるものではないと思います。


元々の宗教を宗教と意識せず
イエスキリスト風真理、お釈迦様風真理
孔子風真理、マホメット風真理、モーセ風真理と理解すれば


それぞれは真理を別の人間が時代背景と
歴史背景を異とした状態で語ったものであり


その大元は宇宙の法則という
絶対的な真理であるということを理解できるのではないでしょうか。。




思考の回転が良くない状態で
書いている記事であることを
まずは理解して読んで頂ければと思います。


相変わらず、近所に集う心無い創価学会関係者
下の部屋に入り込むその協力者達


私や妻へと周波数帯洗脳や
危険な電磁波効果による脳の機能障害を狙っていて
その手を休めようとはしません。


そしてこの連中は何事も
力尽くなのです。


私はその事が何よりも腹立たしく思っています。


この連中がやっていることをそっくりそのまま
社会の中に知らしめることが


敷いては日本社会の改善にも役立つかと思い
周波数帯洗脳の記事を書いています。



世界支配層の傀儡と成り下がっている
創価学会が如何にしてこの社会の中で


敵と見做した人間に対して
自然を装っては圧力をかけ社会から
淘汰しようとしているかのその実態を


集団ストーカー行為として私たちは認識してますが



更に見えない実態としての
ハイテクによる洗脳、マインドコントロール等の
誘導に関してこそ私は目を向けて欲しいを思っています。


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私が今一体どんな状況に置かれているのか?


まず、以前触れたように私の脳はかなり縮んでいて
以前の様な思考能力を失っています。


その原因も一年前の夏場に延々と毎日のように
磁気回しという脳への電磁波の影響を受け続けたことと無縁ではありません。


脳にコアとなるモノを作られた状態で激しい電磁波の回転を
そのコアに対してかけ続ける。


そのコアが脳内を駆け巡りそれが脳細胞を削り
そして時には傷つけることになるようで


その当時には意識があっても思考が全く回らない
そんな状況を作られてしまいました。


解りやすく表現すれば
寝た状態で足元と頭に凄まじい電気的刺激の回転が起きて
それで全身が洗濯機や掃除機の如く振動しては
その影響を脳に直撃されたといえばわかりやすいと思います。


夏場だったがゆえに近隣の住宅の中の
心無い連中もエアコンを使いますし


その室外機などで強化された電磁波が
私の身体を直撃したわけです。


それを殆ど毎日のように繰り返されたために
私の脳はどんどんと干上がった状態になったようで
おかげで今では脳がスポンジ状になっていて


実質、アルツハイマーのような状態になっているわけです。
(信頼できる病院でその実態を調べたいくらいです)


そして巷に増えている痴呆症の原因を
電磁波被害の一環ではないかと確信を持つようになりました。


老人に限らず若年性の痴呆症なども万延しているのに
その原因を追求しないのはこの社会の権力者層、
特権階級層の人間達が揃って電磁波利権をもっているから。。


つまりは電磁波だらけの環境を意図的に作り上げることで
日本国内に大量の病人を作り上げては
それで潤っている連中が大勢いて


その連中のトップもその事を知っているから
電磁波に関しても集団ストーカー行為に関しても
更には作り上げられた病に関しても


自然現象の成せる技であるかのように振舞っているのだと思います。


私を守ろうとしている人間達は私のそのような状態を、

水分を補給したり
塩分を補給することで回復しながら膨らませては
脳を機能させているようです。


そのために長時間外に出ていると
栄養と水分が追いつかず、例え水分不足を補っても
今度は栄養が足らず、ふらついて動きが鈍くなる始末。


実はそんな事情もあって、私は今では
外に出ても最長三時間程度(お花見の時)


最近も運動は外で公園を歩くのがやっとと言う始末です。
(ここに引っ越してきた当時は多少は走ることもできましたが
今では走るという行為自体ができそうにありません)


その状態を改善しようとリハビリしようとしていても
私が日本や世界の実態を暴いていることに目を向いて
噛み付いてくるような連中が近所やアパート周辺に集っては後を絶たないのです。


言うまでもなくその殆どが創価学会とその他サイレンスグループに従う
連中の仕業だと思います(特定企業の人間含む)


おかげで私は自分が肉体的に健康だった時と比べても
どんどんと気力も精力も落ちていますし脳だけでなく
筋肉もそげ落ちて脂肪がついている始末でもあります。


その結果、頭蓋骨と脳の間には広い隙間が空くことになり


今度はそこに対して洗脳効果とそれに対抗する協力的な効果が
入り込むことになります。


一方は洗脳強化、私の脳機能障害狙いであり
一方ではそれを阻害するための効果です。


通常ありえないことを実行されているわけですが
それを可能としているのが以前にも触れた
首筋に作り上げられている人工管であり


彼らは人工血管含めて外部から体内に
穴を開けたり管を作り上げる技術を持っているのです。
(殺傷する気になれば早々とそれも可能だと思います)


その結果、栄養物や飲食物、更には外部から受ける薬品が
私の脳へと直接送り込まれることになります。


これに関しては強い磁気回しの影響で立っていても重力に無関係に
飲食物は脳へと送り込まれることになるのです。


何故に私を殺傷しないのか?

一つには体裁でしょうし、証拠をのこしたくないので
自然を装いたいから、


更には出来れば真理を語る私の事を
精神異常者にでも仕立て上げて
真理自体の信ぴょう性を下げたいという思惑もあるかもしれません、


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世間一般に知ってほしいのは
このハイテクによる被害を受けているのは
被害を自覚して訴えている人間だけではないということ。


被害を自覚するようになった頃は
既にかなりその状況は進んでしまっている頃であり
多くの人が全くの無自覚のまま洗脳を受けたり
病気へと誘導されたりしているのだと私は認識しています。


その中心は言うまでもなく日本人としての意識の強い人間
そして彼らと違って平等意識や平和意識の強い人間だと思います。


実行しているのは日本中に散らばっている
サイレンスグループの傀儡であり
その中心は創価学会信者達。


音声送信や思考盗聴は当たり前で
彼らは自らが特定の周波数帯を音として
受け止める事のできる機能を脳へと作り上げ


一方ではターゲットに対しては
思考をそのまま音で飛ばすという状態を
電磁波・音波などを利用して実行中。


勿論長い時間かけて脳内にコアとなるものを作り上げ
そこを中心に磁気回転と思考を読み取るための工作を実行し、
(思考盗聴の音声化、ただし思考を言語思考レベルまで落とす)


その後は強い磁気回転を
ターゲットに与え続ければ


ターゲットは無自覚に音を飛ばし続けることになるわけです。


何で被害者の事を的確に見つけては
色々な嫌がらせを実行できるのかと不思議がっていた人もいましたが


携帯やGPSで居場所を見つけるよりも
とても効果的でそして防御のしようのない技術が
存在しているわけです。


言ってみればターゲットの脳からは常に特定の
周波数帯の音が出続けているからです。


それをラジオのごとく拾っては脳内で聞いているのが
この連中であり、彼らは音声送信を人工テレパシーとして
連絡用にも使用している気配があります。


この場合の人工テレパシーとは
完全に音として脳内で会話する機能です。


私が良くも悪くも体験しているので
それをはっきりと認識することもできます。


しかし私がブログで説明しているテレパシーとは
全く技術が異なっていると思います。


つまりこの社会は真の肉体的進化を
果たせない人間に人工的な進化を齎そうと
ハイテクを応用しているということにもなります。

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このハイテクの基本的な関与を説明しておきます。


まず、電磁波を使用しての磁気回転を他人に対して実行する
技術を持っている連中がいるようです。


その多くは年寄りや設備工など
この技術の使用に慣れている連中や
電気的な知識を持っている人間です。


磁気回転というのは、言ってみれば人体を磁石や鉄の棒に見立て
それに対して外部から電磁波で介入してくる行為で、


その回転は下から上に更には上から下へと
変更することもできます。


この回転はある一定の強さまでは通常私達には自覚できず、
そのため電磁波の介入を受けている本人は
その事に気が付くこともできないと思います。


しかしその効果は確実にターゲットに対して
悪影響をもたらします。


例えば小便をしようとした時に
磁気上げを受けていると
なかなか用を足すことが出来なくなります。


これがひどくなれば尿毒症の原因にもなりますし
もしも人工管を脳へと繋げられている場合は
脳に尿素を送り込まれる原因にもなります。


アンモニア成分は脳を溶かすようなそんな役目をも
果たすことになり、脳機能は低下させられることになるでしょう。


更にはこの効果は暗示を強化する原因にもなります。



時には人間の全身、更には胃腸や、
水道、ガス設備を磁石の棒や鉄の棒に見立てて
磁気回しをする事が彼らの常套手段です。


身体の胃腸を長い管に見立てれば
それはガス管や水道管と同様の効果が期待できることも
理解して頂けるかと思います。


水道管やガス管に対して磁力の回転をもたらすことで
強い電気的な刺激が発生することにもなるようですし


例えば室内では水道管に水を流している状態で
そこに電磁波を送り込むとそれは更に強力に増幅されます。


科学的に考えれば磁界とコイルの巻き付いた磁石の事を思い出して
いただければ良いかと思います。


そんな行為を設備だけではなくて
時には身体や胃腸に対して実行してきているわけです。


これをやられると排泄物が上がったり下がったりする原因となりますし
便秘も容易に引き起こすこともできます。



この連中は胃腸の飲食物を固めては
それを回転させてくることもあります。


この場合はその回転箇所によっては
いつまでたっても排泄がままならない事もあります。

腸の蠕動運動が回転での上昇効果に追いつかず
それが便秘の原因となるわけです。


何故にこの連中が胃腸の中に
飲食物を利用して回転体を作り上げるのかといえば


その回転を利用することで
体内に磁界を作り上げる事が容易になるからだと思います。


何よりも脳への磁気回転に利用できますし
そのためにこそ回転体を胃腸に作り上げるわけです。


これは洗濯機のドラムの回転や
掃除機のモーターの回転などと同様に
外部からの補強が楽にでき、しかも増幅効果もあるようです。


少し前にTVで、最近は便秘を原因にした
腸閉塞が増えているという内容を取り上げていて
加害者の擁護をしているなと感じたのですが


近年日本国内で私がやられているような事を
無自覚で実行されている人間が大勢いるからこそ
このような事も起きているのだと私は確信してもいます。


この連中の使用する電磁波は
筋肉強化もできますがその逆に筋肉を衰えさせる事も可能です。


つまり腹筋を衰えさせては排泄を弱め
回転体を胃腸に作り上げそれを維持し続けるという
そんな行為を繰り返しているのでです。
(コアを出さないように胃腸への介入をするので
結果せり上がっては吐き気をもたらしたり、


途中で詰まっては腸閉塞のような
症状をも引き起こす事になるわけです。


しかもそのコアは電気刺激を受け続けるうちに
外部からの薬品や飲食物の影響を受けて
一層磁気化されることになるようです。


こうなるとこれはそう簡単に外部へと吐き出すこともできません。


ひどい時はそれがヘドロのごとく腐るような状態になるまで
体内で回転させられることになりますし、


その腐敗状態や外部からの薬品や成分の影響で
体臭をももたらす原因ともなります。


手やワキや足など汗をかきやすい場所は
悪臭を放つことにもなるようです。


体内に磁気化したコアを作り上げると、
その後は外部から電磁波を照射した時に容易に人体へと
送り込むこともできます。


電磁波の影響は時にはメーザーという
方向指針を特定したレーザー・マイクロ波の影響で
直撃を受けることもありますが


そんなことをしなくても、
人体の内部に磁気化したコアを作り上げれば
人体を磁気化してしまえば、


近場にある電磁波は体内へと容易に誘導されるわけです。


そして多くの方が無自覚にこれを実行されていると想像しています。


小便が他人と比べてもキレが悪いとか
時間がかかる人間や、便秘がちだったり
食事ごとに胃腸がもたれたり吐き気がするような場合は
要警戒です。


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このコアとなるものを利用すると
様々な悪影響を人体へともたらす事ができます。


体内の回転体が頭に近い場所で回転することで
脳への磁気回転もやりやすくなるようで


例え脳にインプラントのようなモノや
異物でコアとなる磁気化物が作られていなくても


磁気回しを強くする事で
飲食物や薬品を脳へと送ることを強化できます。


いつも触れますがハイテクの前には血液脳関門など
何の役にも立ちません。


あとは飲食物や薬品の成分の脳への影響だけが
問題となります。


そのためにこの連中は周辺に多くの薬品を撒いたり
妙な成分を撒き散らしているのです。


時にはニンニクのような匂いのものだったり(体臭)
火が燃えた焦げ臭いような匂いだったり(栄養阻害)
アルコールのような匂いであったり(本能増強)


ガソリンのような匂いであったり(怒りの感情書き込み)
消毒薬のような匂いであったり
モロに便の匂いであったり(体臭)


そんなものがハイテク被害者の体内へと
誘導されているわけです。


ハイテク被害者の体内は一種の回転体でもあります。

まして磁気化してもいます。


周囲に漂う成分がイオン化されていても
されていなくても大量に取り込まれて
その影響を受ける羽目になるであろうことも想像がつくかと思います。


同じ環境で空気を吸っていても
被害を受けていない人間とターゲットとでは
影響にも差が出てくるという事です。



(そのうち再び触れます)

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そしてターゲットの部屋は通常
その周囲が磁界で覆われることになるはずです。


例えば私のアパートの周囲にも沢山の家があるわけですが
その中にもアパートめがけて電磁波を放射している連中が居るわけです。
(私の場合は良い効果と悪い効果の両方がありますが)


その流れを特定箇所にまとめては管理し
その後私達の部屋の特定箇所や(冷蔵庫や水道管)
人体に対して照射してくる役目の人間もいます。


私のアパートの場合それを実行しているのが
真下の部屋の人間達であり、


その連中は時々は下の部屋で大工仕事をしていますし
効果的に私達夫婦に電磁波の影響を与えるように
磁界を作り上げ、


家電を使用したり、水道管を使用したり
ガス管を使用するとそこに対して電磁波を流し込み
出力強化やイラつきの電磁波照射を実行しているようです。


それ以外にもメーザーのようなもので
外部から私を直接狙っているような連中もいます。


ときには心臓、時には肺、時には目に対して
それは実行され一時的に刺されたような痛みを感じることにもなります。


電磁波発生装置と私が呼んでいるようなものも存在しますし
それが私たちへの強い電磁波放射のエネルギーの中心のようですが
エアコンの室外機、更には冷蔵庫そして洗濯機、掃除機のような


回転体を持つ家電を彼らが使用することでも
私の部屋へと送り込む電磁波の出力を高めることができるようです。


近所に頻繁に家電が運び込まれていたり
家電のモーター音が頻繁に聞こえるようでしたら
警戒を強めるべきだと思います。


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コメント

今、創価学会の連中にやられているのは
記憶の消去です。


異常な意識をした人間達が
身近に寄ってきては強力な電磁波で
磁気回転を私の体内と脳で引き起こしては


脳への周波数帯洗脳効果をもたらしたり

脳機能障害を狙ったり怒りの感情を引き起こされたり
人体実験まがいの事を繰り返されています。


2015年7月6日18:00


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目に見えない、そして自分では決して認識できない
霊界の存在を信じていて、


現実に存在していて
単に隠されている太陽系の実態を理解しようとしない方は
読んでも仕方のない話を今日は記事にして見ます。


私の記事は理解できる方や、その努力をしてくれる方、
更には、「もしかしたら。。」と思える方が読んでくれれば良いわけで


価値観が凝り固まっていて全く理解不能の人間が
私への憎しみを溜めるために読むのは止めてください。


せっかく心込めて書いても
誤った意識の人間が読んでは怒りや憎しみと言った
良くない想念を吐き出させる事になるのでは社会へ悪影響ですし
それは私の本意ではないからです。

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宇宙にある惑星は全てがその星ごとに精神の進化の状態が異なると
アダムスキーもブラザーズのマスターも語っていました。


そしてそこでは今でも宇宙の法則を深く理解するための
勉強が続けられているはずです。


宇宙の法則が神の作り上げた宇宙空間全てにおける摂理である以上
それを私達人間が全てを理解するにはとても長い時間がかかるからです。


そして例えば太陽系でいえば
火星よりも金星、金星よりも土星のほうが
精神の進化は進んでいるそうです。


例えば地球はもしもあと1000年も文明が存続して
発展し続ければ金星の科学力に近づくことになると触れていましたが
一方ではその精神性は数万年遅れているという事でした。


つまり地球社会は科学の発展と人間の精神性の進化が
並行できていない状態での進化が続いている。。。


もしくは人間の精神的進化が全く止まった状態で
科学のみが発達している状態だと言えます。


しかしその中でしっかりと精神的進化を果たした場合は
私達にはどんな未来が待っているのでしょうか。


ブラザーズのマスターは、
私達はその精神の進化に応じて
転生する惑星を変えていくのだと話していました。


それは地球の学校制度にも似ているという事です。


小学校、中学校、そして高校、更には大学と
私達はその知識を積み重ね、地球社会の内部での
価値観に対する理解力を増していくことになります。


上級学校では、今まで学べなかった知識や
下級学校で学んだ事よりも更に深く進んだ内容を学んでいく事になるのも
ご存知のとおりです。


勿論、地球での知識はその殆どは宇宙の法則とは無縁のものであったり
誤りが多分に含まれているものであるので
将来もそのまま利用出来るわけではありませんが、


基礎から学び、そこに更なる知識を積み上げていくという
行為に関しては、彼らの社会の勉強と同じはずです。


私達は人間として生まれ、これからも転生を繰り返し生き続けていくためには
その転生先でも様々な事を体験し学び続ける事になります。


その中心となる学習が宇宙の法則ですし、
その中にはありとあらゆる分野の知識が
ひしめき合っている事になります。


私達が地球で化学や物理、生物と呼んでいるようなものも含めて
あらゆる法則をそこで学ぶ事になるのです。


彼らが重力を打ち消し惑星内部や惑星間の磁場の流れを利用して
宇宙船を操縦していることや


アステロイドベルトが太陽系の子宮であることなど
私達が未だ学んでいない多くの科学的な知識が
法則として存在しています。


そして今私達が学んでいるのは将来学ぶことになる
そのような一連の知識を学ぶための大前提となっている
物の捕らえ方や見方、更には人間という存在とその役割、


そして何よりも宇宙の法則、
普遍的真理を学ぶにあたっての大前提である、
神の意識の存在を理解し認識することです。


その行為は例えれば、日本に生まれた人間が
幼少時代に日本語を学ぶのと同じようなものだと思います。


日本語が出来なければ日本語で書かれた教科書は読めませんし


日本の中で暮らしていくにも
全てに於いて不便を感じる事になります。


いわば日本での生活を送るにあたっての基礎中の基礎が日本語です。


同様に宇宙の法則を学ぶにあたっての基礎中の基礎が
原因と結果の法則を用いて心と魂を理解する事なのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宇宙の法則に関して私達が学ぶべき事は
山の様に存在していると思います。


私達は普遍的真理の核心どころか
太陽系の実態すら理解してはいません。


自分自身の役目もその未来も理解できてはいないのです。


重力に抵抗する方法にしても知っているのは
一部の特権階級の人間のお抱えの科学者達だけ。


それどころか環境に溢れている
電磁場や電磁波エネルギーに関しても
私達は全く知識も持ってはいないのです。
(ブラザーズ社会では常識だと思います)


そんなこと含めて全てを学んでいくのが宇宙の法則ですから
私達はその中のほんの一部をかじっているに過ぎないわけです。


しかし既存の不要な知識を山ほど詰め込まれている私達にとっては
其のほんの一部であってもとても難解で、しかも既存の知識とは異なるために
容易に理解し実践出来る物では無くなっているのです。


そして、そう考えれば宇宙の法則を学ぶ事の本質は、
神に救われるためではなくて、


私達が永遠の転生に進むためでもなくて、


大きな真理へと続いている永遠の階段を、
一歩一歩理解して進む学習の機会であるともいえます。


そしてブラザーズが私達にこの宇宙の法則の”存在”を知らせるために、
そこへと私達が進んでいくきっかけを作るために与えたものが


宇宙の法則を意識するきっかけとしての
魂の勉強。
宗教の元となった教えだと思います。


しかし宇宙の法則の本質が決して宗教ではないことも
理解して頂けるはずです。


私達がやろうとしていることは
まずは最低限の知識としての宇宙の実態と、


それに関する諸法則を理解するためのきっかけとなる
意識と理解力を持つようになる事です。


つまりは生命の科学は
宇宙の法則を学ぶための導入やきっかけでしかないのです。


ただ、これを理解することは
そのまま私達の意識を地球の法則から
目覚めさせる事に繋がりますし


結果的には私達は自分達が身につけていた誤った概念に気がつき、
それを心から捨て去って行く事になるはずです。


その結果、私達はより”精神”を理解しやすい状態へと進み
永遠への転生への道をも歩んでいくことになるわけで


私達が語っている”救い”や”永遠の命”は
実は普遍的真理への単なる通過点に過ぎないのです。


生命の科学は地球で語られている他の諸法則である
”引き寄せの法則”や”波動の法則”、”因果の法則”と同様に
宇宙の法則の一部を語ったものに過ぎず、


其の中心は”原因と結果の法則”である事は以前説明したとおりです。


私達はこの原因と結果の法則を学ぶ事で
結果的に永遠の進化への道へと進んでいく事になるだけで


永遠の魂の転生はあくまで付随的に付いてくる結果であって
それは真の目的ではないのです。


そう理解して頂ければ
既存の宗教や精神論に支配されている心を持った人間であっても


それと並行してでも生命の科学を学び実践していくうちに
何が正しいかを嫌でも理解していく事になると思います。


そして宇宙の法則が宗教の元となった物であるにしても
それが人間の手で如何に歪められて来てしまったかという事も
理解出来る様になると思います。


ブラザーズは古代の私達の先祖がそれ以前の文明崩壊後の低迷期にあり
其の意識も科学力も発展が途上だった状態の時に


如何に私達に自分達が学んでいる知識を知らせる事で
人として正しい生き方を気がつかせようかと思考し、


その後2000年後に26000年の大周期が
終わる地球に再び大変動が起きる前に、


地球の人間を一人でも多く自分達に近いレベルにまで進化させようと意識して
宇宙意識の道徳を私達の祖先に教育して見せたのだと思います。


それが私達の知っている聖人達の地球での伝導でありますし、
時には彼らが直接現れては私達に警告や誘導をして見せたこともあります。
(ファティマ奇跡や予言、アダムスキー達とのコンタクト)


そんな彼らの生き方を理解する事こそが、
彼らが聖人を送り込んだ目的だったのでしょうが、


私達は彼らの存在を神聖化しては
それを神々しい物とし崇拝してしまった事が全ての誤りの根源だと思います。


太陽系の他の惑星の住人達が私達に求めているのは
彼らや聖人達を神や天使と崇拝する事でもなければ


彼らの教えを元に宗教なるものを作り上げ
神を奉る事でもなければ、


地球独自の価値観を作り上げて誤った道へと進んでいく事でも
間違った知識で心を濁らす事でも無いのです。


彼らが私達に求めている事は
私達一人一人が宇宙の法則の存在を知って


人としてあるべき意識を持つ事を心がけることで、
彼らの社会への仲間入りを果たすことだったはずです。


今の私達の社会がそれとは大きくかけ離れた意識を持っていることは
私が言うまでもありませんし、


今のところそれを改善しようとしう意識も
この社会の中には明確には見えてきてはいません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

宗教と宇宙の法則の大きな違いが
生命の科学を読んで学んでくれている方には理解できると思います。


宗教と言うものは既存の知識をそっくりそのまま私達に与えては
それを全て真実だから信じろと言うものです。


一方生命の科学に代表される宇宙の法則は、
まずは法則を理解してそれをあらゆる側面で自ら実践することで
普遍的真理のかけらを自ら体験していく作業です。


与えられた教材をそっくり信じても
内容を丸ごと暗記しても
私達はそれだけでは永遠の転生へと進むことは出来ません。


経験と実践こそが大切で、そしてそれによって自らの心と精神を
正しく学び改善の意思を持つ事が大切なのです。


地球の宗教の様に
信じたからと言って救われるとは限りません。。
(勿論本当の意味での救いではありえないと思いますが)


勿論いつも言うように
もともとが道徳的な意識で生きている人間は
無自覚の内に原因と結果の法則を実践している事になるので


(そのような方はそれほど数多くは存在しないとは思いますが)


そんな人間達は宇宙の法則など学ばなくても
次の転生へと進むことになるのだと思います。


しかし私達大多数の人間に関しては事情が違います。


私達の多くはこの地球で人間が作り上げてきた価値観に
あまりにもどっぷりと嵌り過ぎて来ました。


このままの状態を放置しておく事で、私達が向かう事になるのは
記憶を失っての転生を地球で繰り返すこと、
そして最終的には魂を消してしまう事に他ならないのです。


(今回が15回目の転生であればこれが最後の転生かもしれないわけです)


さらに、この地球が変動期に来ているというのは確かだと思います。


闇政府が自作自演で自然災害を起して見せなくても、
太陽の地軸が傾いてから、既に半世紀以上にもなるようですし
その影響だって私達の地球は受ける事になると思います。


そしてそれ以前に、地球が26000年の大周期の終わりを告げたと言う意味は
古代にもあった地球規模の大異変の原因であるポールシフトが
いつ起きてもおかしくは無いと言う事を示している事にもなります。


確認こそされてませんが、古代の多くの文明の跡が海に沈んでいたりするのも
ポールシフトの影響で陸地と海が何度も入れ替わってきた事にも
由来するはずなのです。


しかしそのような地球変動の情報さえ、
私達の恐怖心を煽り、誤った価値観を植えつける事に利用されているこの社会で
私達の心が如何に”魂の意識”から遠ざけられているかを考えると


其の心の軌道修正をするためにも、少しの道徳を学びなおす程度では
焼け石に水かもしれないわけです。


なぜなら私達の魂は無自覚の内に限りなく曇ってしまっているからです。


アダムスキーの死後にアリス・ポマロイという
アダムスキーの取り巻きの一人であった女性が


アダムスキーが地球の変動に関してスペースブラザーズから語られたと言う話を
日本のアダムスキー翻訳者である久保田氏に語っていた内容が


旧アダムスキー全集の7巻に取り上げられていました。


以前も一度触れましたが


この地球はいずれ大きな変動を起こすことになる。


しかしそれが人間の手による戦争などが引き金となるものであれば
ブラザーズたちは一切地球の救済には手を貸すこともないであろう。


そしてその結果もしも地球に大異変が起きることになったら
其の時はほんの僅かな人間だけが
地球から卒業してもっと高度な星へと転生するであろうと言う事でした。


とても恐ろしい話の様でもありますが
アリスポマロイ女史はこの事を全く恐れてはいなかったようです。


なぜかと言えば自分が生命の科学をアダムスキーによって学んでいた事と
それによる宇宙の法則を実践して生きている自覚があったからだと思います。


例え明日に地球が丸ごと崩壊したとしても
宇宙の法則を感じて道徳を実践して生きている人間は
永遠の転生の存在を知っているわけですし


まして自分が死んでも数秒後には生まれ変わっている事を
信じています。


苦しんで死ぬことを望む人間はいないでしょうが
普遍的真理を理解しそれに沿った生き方を意識している人間は
今の生での死を必要以上に恐れる事もなくなりますし


地球に大災害が起きてもあわてる必要も無いことを知っているわけです。


だからこそアリス女史は未来の大災害を
少しも不安に思っていなかったのだと思います。


しかし私達に関しては事情が違います。


私達の殆どは宇宙の法則を知りません。


そして勿論殆どの人間は
その法則に則った生き方を出来てはいないのです。


このままでは将来的に永遠の転生は難しいのは言うまでもありませんし
いつまでも死への強い恐怖心からも逃れることが出来ないと思います。


そしてその死への恐怖心こそが
私達を地球の法則へと縛り付けている一番の原因でもあるのです。


そんな状態が地球を更なる地獄へと変えていると思いますし
私達の意識を改善するためにも
皆がこの社会から卒業して次なる進化へと進むためにも


私達全員がこの宇宙の法則の存在を知り
それを理解する事が必要なのです。


そしてそのためにも出来るだけ早く
一人でも多くの人間にこの普遍的真理の存在に気がついてもらうこと


更には道徳に基づいた意識で生きていくよう誘導することが
大切なのだと思います。


私は闇政府の構成員の多くは
神を信じてなどいないと思います。


もしくはこの今現在の人生を面白おかしく過ごせれば
それで良いと思っているはずです。。


なぜなら宗教なるものが、宇宙の法則の基礎である
人間としての道徳の実践を求めているものであることを


彼ら地球の実力者達はスペースブラザーズによって
知らされているはずなのに
それを広報しませんし、実践もしないからです。


多くの宗教を束ねては誘導している人間達が、
誤った価値観を一般市民に与えては


信仰心を持った人間達を地球の変貌のために悪用しているのは
彼らが神に従うつもりは無いと言う意識の現われにも見えるのです。


それはとても真の神を信仰する人間の姿には思えないのです。


本当に神を信じていれば、そして其の存在を身近に感じていれば
正しい事と、誤っている事、やって良い事と悪いことの区別が
ある程度は認識できて然るべきなのです。


そんな人間達が道徳心を意図的に消し去るような誘導を
地球規模でし続けるわけがありません。


天国と地獄をも利用しながら
実は其の存在だって信じていないからこそ


誤った価値観を人々に植え込んで
その結果、真の神の教えを隠すことにもなっている。


私にはそう思えて仕方がありません。


そしてそんな人間達の手によって埋もれさせられてきた
イエスキリストや釈迦の本当の教え
更にはアダムスキーの伝えた宇宙の法則。


私達は其の原点にまで戻って正しい内容、
学ぶべき内容を認識しなければならないのです。


そしてそれを実践していく事こそが
私達人間として生まれてきた者に対して神が望んでいる事である
と言うことを理解すること。


更には、自らそれを実践して生きて行く事が
本来の私達のあるべき姿であることを理解する事が
普遍的真理へ道の始まりとなると思います。


地球で生きている人間の全員が、この事を理解してくれれば
一番なのは言うまでもありませんが
おそらくはそれも難しいであろう事も理解しています。


第一に私やその他真理を語る人間には広報力や人望が無いこと。


第二に、凝り固まった人間の意識を変えるのは
容易ではないからです。


そんな中でも、理解できる人間には理解できるように。。。


賢明で思考能力のある人間には容易に理解できるような記事を
書く事を意識しているつもりです。


いつもの台詞ではありますが、
理解してくれた人間だけでも私と共に”生命の科学”
”原因と結果の法則”という宇宙の法則の一部を学んで


出来る限り多くの人へとそれを伝えて
共に地球の法則から卒業していきましょう。


覚醒者は皆が小さな救世主となることが出来ます。


そして精神が認識しにくいこの地球の社会では、神が人を救う以前に、
人の手によって、人が救われるきっかけを与える事が必要なのだと思います。


しかしいつの世も結局最後に自分を救うことが出来るのは
自分自身であるという事。


天使たちから受け止めた真理は
宇宙の法則を実践するためのきっかけに過ぎず
救世主達は決して天国行きのパスポートを手渡してくれるわけではないからです。


その事だけは誰もがしっかりと意識し続けて
頂きたいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】★





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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-12038745783.html
生命の科学と講座 VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-12039475113.html
生命の科学と講座 VOL2
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生命の科学と講座 VOL3
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生命の科学と講座 VOL4
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生命の科学と講座 VOL5
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生命の科学と講座 VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-12044541949.html
生命の科学と講座 VOL7


前回までで一章が終わりましたので
今回からは第二章に入ります。


21世紀生命の科学の中のすべての文章を載せていますので
過去記事を読んで頂いて一章をしっかり理解して
その上で二章へと進んでください。


これは単なる記事ではなくて
ここでは私達が正しい思考をして、
普遍的真理へとたどり着くための手段を得ていると感じてほしいです。


宇宙の法則を記事にするときには
私には大量の妨害と大量の援護があります。


単なるどこかの宗教や精神サイトとは異なる
普遍的真理へと続く道の入口として
利用していただきたいと強く願っています。


それと私達が勘違いしてはいけないのは、
私達がここで学べるのは
”宇宙の法則”の中のほんの一部に過ぎないと言うことです。


ブラザーズでさえも皆が全てを理解しているわけではない普遍的真理を、
私達が容易に取得することはできません。


ただ、私達はその第一段階への道すら進めていないと言う現状がありますし
このままでは地球の法則に捉われ続け
既存の価値観と権力体制に惑わされ騙された状態のままです。


もしも創造主の眼鏡に叶い、
永遠の転生へと入るためのパスポートを得るために
心が試される試験があるとすれば、(勿論そんなものはありませんが)


そのための知識となる最低限のものが
ブラザーズからアダムスキーに与えられた
この”生命の科学”だと思います。


元々が道徳的で無自覚にこれを実行している人間もいるでしょうが
今のこのサイレンスグループ支配社会の中では
そんな人間は早々とターゲットにされて淘汰される
もしくは洗脳されたりマインドコントロールされたりするのが
オチなので、私達は容易にはそこへとたどり着けないのです。


ここで普遍的真理の第一段階を理解し実践できた人間は
永遠の転生に入るパスポートを得ることができる。


私は今ではそれを確信してこの記事を書いています。


説明が遅くなりましたが第一章は”原因を知ること”
と言うテーマでした。


私達は常に心を使用しては”結果”(現象)ばかりを
見つめている存在なので


”原因”(魂の意識)を意識することで物事を深く認識し
時には結果の改善をも図る方法を学ぶと言うのが
一章での目的であったわけです。


もっと簡単に言えば
私達に対しての司令塔は、心だけではなくて
魂も同様であり、こちらこそを私達は教師とすべきだ、


という事です。


そのために私達がすべきことは
心のエゴを抑える術を学ぶ、もしくは魂を感じる術を手に入れること。


第二章は”心とその成分”
と言うテーマになっています。


ここでは心と言うものを科学的に分析し
それを体系として理解した上で
その改善方法を学ぶことにあります。


更には、私達の心の動き、
心が持っている価値観としての恐怖、
そして心の限界を学ぶことになります。


例によってアダムスキー著書


21世紀生命の科学より引用します。

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【第二章 心とその成分】


【心は何か】


さて今度は感覚器官で成り立っている”心”なるものを分析してみましょう。


このセンスマインド(感覚器官の心。普通に言う心と同じ)は


実際には絶え間のない学習をつづけながら
創造されてゆく過程にあります。


それは結果(現象)の観察から波動を感受する感光版のようなものです。


そして大抵の場合、”心”の下す結論は自然の法則と一致しません。


心の活動を更によく理解するため、四人の異なる人々のように
それを四つに部分に分けて考える事にしましょう。


もっとも有力な部分は視覚です。
その次は聴覚で、続いて味覚と嗅覚と言う順序になります。


「触覚はどうだ」とあなたは言うかもしれません。


それは感覚器官ではなくて神経の衝動反応だと言って良いでしょう。


しかしそれは心に感覚器官の反応を伝えるのです。


各感覚器官はそれぞれ別個に働いているために
時として他の感覚器官と衝突することもあります。


例えば視覚は美しい花を認めるかもしれませんが
それが放つ匂いが嗅覚にとってきわめて不快なものであれば
嗅覚はそれを拒絶します。


ですから心の統一は既に破られています。


他の感覚器官についても同様の事がいえます。


ある感覚器官は何かを好むかもしれませんが
他の感覚器官はそれを嫌うかもしれません。


そしてこのことが起こっている間、
(人間の各感覚器官には長い間その状態が続いてきたのですが)
結果として苦痛と不愉快な状態が起きます。


二心では何をしてもだめだとイエスは言っています。


一感覚器官があることを好み、他の感覚器官が
それを好まない場合にはニ心ある状態です。


それゆえイエスはあらゆる点で誠実であれと教えています。


言い換えれば、四つの感覚器官を奉仕の目的のために
結束させることであって、裁きに利用してはいけないと言うことです。


そしてこれは意識(魂)の指導によってのみ可能です。


何故なら意識の中には好き嫌いがなく
しかも意識はあらゆる現象の目的を理解しているのですが
心はそうではないからです。


あらゆる現象はまず意識の中ではらまれて
次に結果の世界へと生まれます。


それは丁度心が意識の中ではらまれて
その受胎の結果として生まれてくるのと同様です。


だから心が結果(現象)によって導かれるのが容易になるのです。
そして心はあらゆる結果(現象)が起こった理由も知識ももつことなく
好き嫌いの判決を下しています。


ここまで
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まず、最初に注釈として


アダムスキーは私達の魂の受ける感覚としての触覚を
完全に別なものとして説明してくれているので
それに準じて触れて行きたいと思います。


そして例によって、私はアダムスキーのいう”意識”を
区別の理由から”魂”と置き換えている事を
前提として読んで下さい。


触覚というのはこんな説明の仕方もできます。


「私達の肉体にかぶさっている霊魂が
感じることになるあらゆる外部からの刺激や感覚」とです。


霊魂が肉体に被さることで肉体に生命を与え
それが反射的な信号を脳へと送るのが私達の語っている触覚だとすれば


霊魂が肉体の外部から想念や残留思念、印象や閃きを
受け止める行為をも、それに含めることになるのです。


だから金星のマスターは私達には
五つの感覚器官しか存在しないと触れていました。


第六感とか第7感というのは
私達地球社会の人間が作り上げた分類であり


私達が超能力と呼んでいるものはその全てが
テレパシーという言葉で説明ができるのです。


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アダムスキーは、心を作り上げているのは
四つの感覚器官であると触れています。


私達が目で見た映像、耳で聞いた音
鼻で嗅いだ匂い、舌で感じた味が、


全て私達の経験として蓄積されて
心を作り上げていると言うことです。


(ここに本能や既に出来上がっているエゴが絡み
更なる価値観として心を形成していきます)


私達はそれに触覚を含めて通常五感と呼んでいますが


私達の脳への記憶の元となるものが
これらの器官の経験に基づくものであることは
理解して頂けるかと思います。


私達の行動の判断基準である心、
そして同時に好き嫌いの判断の基準でもある心は、


それらの器官から送られてきた情報を元に
人それぞれの価値観を作り上げていて、


百人居れば百人の経験は皆異なりますから
心の価値観も結果的に全て異なる事になります。


そして心を操縦している各器官同士は
必ずしも同じ嗜好を持つとは限らないわけです。


それぞれの器官は好き嫌いを持っているそうです。


例えばチーズを食べるのが好きな人が
チーズの匂いを好きとは限りません。


匂いは嫌いだけど味が好きで食べていると言うこともあると思います。
匂いが嫌いなので口にするのも嫌だという人も居ます。


納豆やクサヤ含めてそんな食べ物は結構あるはずです。


この場合の嗅覚は、
このチーズを正しく評価していると言うのでなくて
チーズを嫌っていると言う状態になるようです。


つまりは裁いている(好きと嫌い善と悪で評価する事)わけです。


これは味覚と嗅覚が衝突している状態ですが、
私達の感覚器官にはこのような事が頻繁にあるようです。


目で見る分には綺麗な花であっても、その匂いが嫌いであれば
それを部屋に飾ろうと言う気にはならないと思いますが、
これは嗅覚と視覚が衝突している状態と言えます。


外見で引かれた異性が居たとして、
話してみたところ想像と違って話し方や声が気に入らなくて幻滅した


などと言う話もありますが、
この場合は視覚と聴覚が衝突している状態と言う事になります。


もちろん話をしたところ趣味やフィーリングが合わなくて
がっかりするということもあるでしょうが、


早い時点での判断を下すのはやはり感覚器官の好き嫌いが
大きいようです。


つまり私達の四つの感覚はそれぞれが独自に好き嫌いの意識を持っていて
私達の心はそれに影響を受け続けているのだと言うことです。


アダムスキーは”認識”なる動作にも
これらの感覚器官が影響を及ぼすと言う例を別の箇所で取り上げていました。


例えば真っ暗な道を歩いていたとして、
暗くて人の姿は見えないけれど人の歩く音が聞こえるような場合です。


視覚には人影は映りませんが、聴覚には人の歩く音が伝わってきます。


この場合は視覚は働かず聴覚は働く場合で、
本来同時に働くはずの両者の感覚が片方に制限されることで、
認識の誤りや認識不足から当惑や恐怖の原因にもなるようです。


私達は正しく認識できないものを恐れる傾向がありますが
このような場面では確かに不安を覚える事になるでしょう。


更に突っ込めば、幻聴なるものが聞こえた時の
私達の反応もこれになります。


耳には人の気配や音が聞こえたはずなのに
目ではそれを認識することが出来ない。


そんな時には私達は本来認識できるべきものが認識できない


もしくは認識できないはずのものを認識することで
そこに不安や恐怖を覚える事になるようです。


多くの心霊現象なども
このような実態で説明することもできます。
(残りは其の多くが想念と科学力による現象のご認識だと確信しています)


そしてこのような各感覚器官の好き嫌いが
私達に”現象”を偏って認識させる原因となっている。


アダムスキーはその事を私達に伝えているのだと思います。

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私達の四つの感覚器が”心”に直結するものであることは
理解して頂けると思います。


ただ、私達の魂は好き嫌いで物事を判断することを
良しとはしないようです。


それは神の意識であり、正しく物を判断する意識ですから
心と同様な偏見や偏った価値観で好きと嫌いを意識するような
見方をする事は無いわけです。


私達の社会の中では例えば見栄えの良い芸能人を見て
それに惹かれる人間が多く存在すると思います。


異性に惹かれる場合、いつも外見の美しさを重視して
結果的にその人間の性格なるものを軽視する人間も居ます。


更に私達は他人の表の姿しか見えませんし
表面上の振る舞いをその本質だと信じてしまうことにもなります。


この場合は言うまでも無く主として視覚の好き嫌いがそのまま
相手の人間性を高く評価している事になると思います。


嫌いな男性のタイプをアンケートした時に上位に上げられている
太っている人とか汗臭い人という要素を考えてみると


太っているとか痩せているの判断は視覚ですし
汗臭いとか清潔であると言う判断は視覚と嗅覚の働きです。


感覚器が人間の好き嫌いを
作り上げている事が伺えると思います。


そして確かに好き嫌いを判断するのには
私達の”心”が強く働いているという事が
このような例からも理解できます。


もしも私が視覚が無かったとしたら
異性と話していても認識できるのは嗅覚と聴覚が中心になります。


その時に相手の外見に拘って好き嫌いを判断する事はあり得ませんし
視覚が好き嫌いを訴える事が無いことで
目に見えない内面を深く評価する事になると思います。


そのような場合は魂の意識、フィーリングを多く使用して
相手を感じる事になるからではないでしょうか。


視覚を心地よくさせる事が無いぶんだけ
私達の意識は目に見えないものへと向かうのです。


このような例からも解るように、私達の他人の判断基準は
四つの器官によって大きく影響を受けていることが判ります。


とりわけ視覚の心に与える影響は大きいわけです。


現実にも見た目を大事にする人間や
見た目を着飾る事を意識する人間が多いのも
そんな私達の心の状態を理解しているがゆえの傾向と言えそうです。


一方”精神重視”といって異性を見つめる方も居ます。


そんな方は風貌に捉われることなく
相手の性格や自分との相性を重視することになります。


そんな人間はもしかしたら無自覚のうちに
魂やフィーリングを使って相手を見つめている可能性が高そうです。


似たような波動や周波数帯を持つ人に惹かれたり
心優しい人に惹かれたりするのはこんな場合だと思います。


そしてアダムスキーは、四つの器官が争いあうことなく
正常に機能することが重要であることを


「言い換えれば、四つの感覚器官を奉仕の目的のために
結束させることであって裁きに利用してはいけないと言うことです。」


と取り上げて説明してくれています。


裁くと言うのはここでは
”好き嫌いの判断をすること”を指しているのだと思います。


四つの器官のどれかが自分の嗜好、価値観で好き嫌いを判断してしまうことで
他の器官の判断とあわせた時の物事の評価が大きく変わってしまうことになる。


その状態では、例えば対象が人間であれば
正しくその人間を理解することが出来ないと言う事になります。


人間であっても、物や事象であっても同様でしょうが
物事を正しく判断するためには、
結果や現象を正しく認識するためには、


四つの器官が調和して正しく機能することが大切で
それを魂の意識によって導くことが必要だという事です。


少し脱線します。


意地汚いのに食欲が満たされていない私ゆえに、
ついつい食べ物の例えが多くなってしまうのかもしれませんが


私達の食欲を究極に引き出す演出と言うものが
存在していると思います。


料理は通常出てきた時に
目で見て、匂いを嗅いで、そして味わう事になります。


時々料理の演出で、
出来上がった料理を客の前に持っていて
そこで油などをかけて見せると言うものがあります。


目の前でジューと言う音を立てられることで聴覚を刺激される事になり
私達は四つの器官を全て利用してその料理を堪能する事になります。


ステーキなどが鉄板の上で焼かれている状態もそうですし、
焼肉を焼きながら食べる行為も同様だと思います。


目で見て音で聞いて、鼻で嗅いで、口で味わう
四つの器官をフルに使用している状態だと言えます。


もしもその時、音が無ければ、匂いが無ければ
私達の満足感はそれほどのものでは無いと思います。


四つの器官に対して訴える演出が
私達にとってのその料理への評価を高めさせている。


この場合は正しく評価しているという例えではありませんが


元々が好むものを四つの感覚器官をフルに使用しては
究極まで楽しんでいる心地よい状態と説明できます。


これは全ての感覚器を正しく使用する事の例えとして
判りやすいかと思います。


結果や現象を眺める時にはこのように
意図的に四つの器官を正しく利用するようにすることで
より正しく深く認識する事が可能になるようです。


ただし、この時に先述の好き嫌いの意識が入り込むと
”結果”(現象)を正しく理解することの妨げになるので


そこでは魂を用いて正しい評価が出来るように勤めるべきだと
アダムスキーは言っているのだと思います。


現象は目で見て確認し耳で音を聞き
更には鼻で嗅いで時には口で味わうことで
深い理解が出来るわけで、


好きと嫌いで裁くと、例えば納豆に食べず嫌いの人が多いように
その現象を体験する事すら妨げる事になりかねないわけです。


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アダムスキーが最後に触れているのは
”心”は”意識”の中で育って”結果”として生まれてくると言う話です。


思考や動作というものを考えたときに
それは一旦イメージとして心に描かれて
それを今度は肉体を持って表現する事になりますが、


例えば出産を考えてみても、

現実に私達の目に見えているのは、その生まれてきた胎児の姿だけです。


そこに行き着くまでの過程を眺める事は出来ません。


そこで私達はその結果・現象としての胎児の姿を見て
そこから母体の中に存在していた胎児の成長を想像する事になります。
(現代科学ではそれは見ることが可能ですが)


受精し、蛙の卵の受精卵のように変化し
更に育って手足がはっきりと確認できるようになり


へその緒が見えて、人間の子供らしい風貌に育ち
最終的には生まれると言う過程をです。


例えばこのような本来結果しか見えない一連の作業を、
心と魂を同時に使って行うことが
物事を正しく深く捉える事につながるのだと
アダムスキーは説明してくれているのだと思います。


勿論ここでは想像力こそが大切になってきますし
想像が必ずしも正しいわけではありませんが


全ての物事についてそのような捉え方をする事こそが
大切であると言うことです。


以前の記事で大学試験の話を例にしましたが、


私達は合格と言う結果や不合格者という結果を心を使用して認識しては
その人間を評価する事になりがちですが


実はその合格はボーダーラインと一点差の合格だったかも知れないわけで
その不合格はボーダーライン一点差の不合格だったのかもしれません。


その時合格者と不合格者の間には
実質的に能力の差は無いともいえます。


もしかしたら合格した人間は解けなかった問題を一問
鉛筆を転がして回答したところ
それが当たっていて2点余計に得点して合格したかも知れませんし


不合格した人間はある問題を”記号で答えろ”とあるのを
言葉で書いてしまって2点落とした事で不合格となったかもしれません。


そんな過程は勿論私達は見る事は出来ませんが
そんな事だって人を評価するに当たり
本当であれば加味すべきことなのかもしれません。


同じ不合格者にしても


それまで一生懸命勉強し続けたのに関わらず
一点足りなかった人間の努力と


まったく勉強せずまったくボーダーに届かず不合格になった人間とでは
本来は同じ評価ではいけないはずです。。


それを認識しようとする意識が”魂”であり
心だけを利用して結果ばかりを見つめては
物事を正しく理解できていることにはなりませんよ。。。。


と言う事を”原因と結果の法則”は
私達に説明してくれているのだと思います。


しかし現実には合格と不合格という
二通りの”結果”しか見えないのがこの私達の社会ですし


この社会は如何に心(結果)ばかりに
拘っている社会であるかと言うことも判ります。

記事は今日から第二講座となります。


内容は「生命の科学」の第二章を踏襲して
それを説明含めて自分なりの解釈で説明した内容となっています。


私達の理解を更に推し進めるために
誰もが理解できる内容ではありませんが、
地道な精進のきっかけにして頂ければと思います。


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第二講座


【心とその感覚器官】


私達が魂と呼んでいる、
感じるための感覚器官を効果的に使用するためには


先ずはもう一方の心と言う感覚器官を理解して
それが魂の意識に逆らわないようにする事が重要です。


それがこの第二講座で私達が学ぶべき事になります。


私達は心のエゴを持って独自の生を歩んでしまっている事が
私達を真理への盲目者としている事にも気がついています。


私達がもしも、心の独自の価値観を
限りなく魂からの価値観へと置き換える事が出来れば
私達の”真理”の理解も一気に進む事になるはずです。


そのためにもここでは、
私達の心とそれを司る感覚器官のメカニズムついて
学んでいく事にします。


まず、生命の科学でも学んだように
私達の心の中心となっているものは私達の本能であり
四つの感覚器官であり


それらはまとめて脳機能に根ざしているものでした。


そしてこれらが時には争い、時には協力しながら
私達の日々の体験を通じて、一方では現象を受け止めながら
独自の価値観を形成しているのです。


本能に関しても私は過去に何度か取り上げました。


私達が時には否定する人間の本能ですが
これらは元々は決して悪いものでは無いようです。


後天的に私達の独自の価値観と結びついて、
更には心のエゴの限りない欲求と結びついて
独自の悪徳を作り上げる事もあるようですが


どうやら本能と言われている物自体は元々は私達の肉体を保ち
人類の繁栄のためにこそ備わっていると言えます。


例えば人間は眠らねば脳機能も低下しますし
其の状態を放置すればいずれは倒れてしまいます。


食事をしなければ肉体はやせ衰え
栄養失調になるでしょうし脳機能も働きを弱めます。


性的なものを感じなければ異性に魅力を感じないでしょうし
子孫の反映もままなりません。


つまりは肉体を健全に保ち、人間と言う存在を存続するためにも
これらのような本能は存在していると言えるのです。


私達に言わせれば原始的で本能的と言われている動物は
本能に従っていると言えますが、一方では私達が使用できない
見えない言語を操り、見えない法則に導かれてもいるのです。


つまりこの社会においては、動物のほうが
私達人間よりも創造主の意識を表現している事になります。
(その個々のフォームが与えられている能力を
十分に表現しているという意味です)


一方では私達は四つの感覚器官をもって
多くの価値観を作り上げています。


視覚・聴覚・味覚・嗅覚といった感覚器官は
それぞれが日々生活の中で何かを体験し続けては
そこから何かを感じては


それを独自の価値観として私達の脳裏に刻み続けているのです。


そしてそこで作り上げた価値観が
私達の独自の真理に繋がっていると言う事。


つまり個人的真理の多くを作り上げているのは
私達の心の感覚器官だと言えます。


更には、私達の感覚器官はそれぞれが好きと嫌いを持っていて
それが個々の人間が独自の価値観を形成する
原因にもなっている事を理解すべきです。


視覚は物質からの独自の光の波動を受け止める器官ですし
聴覚は物質の摩擦振動の音を受け止める器官と説明しました。


そして私達の心は、結果・現象から
あらゆる波動を受け止める役割を担っているのだと言う事になります。


しかし一方では好きと嫌いで現象を判断する私達の心の下す結論は、
現象を必ずしも正しく認識してはいません。


私達は四つの感覚器官の働きを正しく理解して
それを正しく使用する事で現象や物質を正しく認識する事が出来ます。


心を理解するためにも、まずはこの感覚器官の働きを
正しく理解する事が重要なのだと言えます。


自分を知るために一番最初に理解すべき心の動き、
それを正しく知る事で私達は自分自身の本質を理解する事にもなるのです。


そして其の事が私達のするべき改善をも示してくれる事になります。


心と脳機能は決して真理を語るものではない。


先ずはその事を理解して頂きたいと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



今日も朝から創価学会と近所の連中
周波数帯洗脳で苦しめられていました。


早宮1丁目周辺の近所の数件の心無い連中が
強い電磁波を私のアパートめがけて送り込み


それを下の部屋の創価学会の連中が集中管理しては
私や妻へと影響を与えるように放射しているのが

今の私達夫婦が置かれている実態のようです。


外部の三件と内部の三人が
今それを私や妻に対して実行しているようです。


一番腹の立つのは劇場型洗脳と私が呼んでいる
音声送信での語りかけを含めての洗脳行為です。


音声送信被害者はそれを五月蝿いとか
煩わしいと感じる程度かもしれませんが、
私は脳機能を弱体化されているために


そして電磁波の暗示効果も強いために
無視することができない状態にもなっています。


時折聞こえてくる味方らしい人間たちからの語りかけと
嘘つき近所の連中と嘘つき創価学会の連中の語りかけとの区別がつかず


時には自分達にとって良くない行為を実行しては


電磁波の影響を悪化させているそんな実態があるのです。


実は先日、語りかけの人間に
私の脳機能と命はもう殆ど持たないのだと言われました。


私の亡き後はしっかりと妻を守り
私たちに良い効果を齎してくれている人間たちを
守ってやると言われ


一方自分は意識消失から死を選択するという行為を
実行したわけです。


その日の昼ごろから殆どものも食べず
塩分も取らずその翌日の夕方までそれを実行していました。


私の脳へと直撃される電磁波の磁気回転効果はとても強力で
栄養や電解質はあっという間になくなるのです。


通常の状態であれば丸一日栄養を取らないだけで
私の脳のタンパク質は無くなり

徐々に全身にも力も入らなくなり
その後は寝るように意識を失うことになります。

それを続ければ確実に死が待っているわけです。


私が受けているのは
熱効果だけではなくて
意図的に栄養や塩分を失わされるような効果だからです。


そしてそれを実行してはこの社会から本気で卒業していこうと
考えていました。


それが自分のため、そして私の協力者や私の妻や家族のためだとも考えました。


しかし語りかけて来た連中の本当の目的は別にあったようです。


私の脳の状態を極力低下させては
暗示状態を強化し、


出来れば私を一時のように
記事もかけず、まともに思考できない
そんな状態にしようとしていたようです。


このようなロクでない連中が、ときには被害者を
鬱から自殺へと誘導したり、怒りから犯罪行為へと
誘導することは私が説明するまでもなくわかっているかと思います。


そんな行為を手を変え品を変え実行され続けてきたのが
今の私なのだと思います。


今では私に対して協力的な人間が居るために
彼らの効果は思い通りにならないことから


協力者を装って私を自ら脳を壊すように
仕向けようとしたのだと思います。


そしてその時の脳の栄養不足と
その後の脳に対して施工された
脳に栄養が入らないようなそんな工作で


私は思考能力を落としてしまし


これをチャンスと私に対しての劇場型洗脳を強化することを
この連中は実行している最中のようです。


私の置かれている環境の過酷さは
例えば脳の電解質不足のために


醤油を頻繁に飲むような行為まで実行している
今の私の状況にも現れています。

(外に逃げることが出来ないのは
私の脳機能が正常ではなくて栄養が数時間しか持たず
思考停止してしまうような状態だと認識しているからです)


正常な脳機能をしている場合は
そして正常な環境であれば


四日や五日食事を抜いても
思考は止まっても脳の成分までもが
空っぽになることはありません、


私の今の脳の状態と、置かれている環境の酷さが
それを可能としていると言えます。


これが人間の住む環境と言えるのでしょうか。。


そして多くの被害者は多かれ少なかれ
何らかの不快な目に遭わされているわけで


この社会でハイテクと呼ばれている技術が
人間の幸せのためにではなくて
特定の人間のエゴと他人を苦しめるために使用されているその実態を

私達は認識するべきです。




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私達地球人の社会には”絶対的な真理”と言うものは存在してはいません。
(あるとすれば特定の物理法則とか化学式ですね)


なぜなら私達は誰もが独自の真理に従って生きているからです。


この創造主の作り上げた世界の中で
私達が物質世界とも呼んでいるこの三次元と、
その中の全ての現象の大元となっている摂理の存在する四次元との関係が
一体どんなものであるかを意識すれば、


創造主の想いであるその四次元と言われる空間には
無数の法則と被創造物に対する慈しみ、
そして無限のエネルギーが存在している事を思い起こす事になります。


そしてその空間に存在している創造主の想いと知識と戒律こそが
私達にとっての真理なのです。


と言う事は私達にとってはその想いを理解する事が
真理を理解する事であり、
それを実現する事こそが真理の実践なのだと言えます。


私達はこの肉体を持って創造主の想いを表現すべき存在なのです。


一見、私達の肉体は、誰もが独自の価値観と意識を持った
別個の存在に見えます。


そして三次元的にはそれぞれが別の母親から
元素の塊として生まれ落ち、他の人格とは無縁の
独自の存在として育つことにもなります。


しかし別の側面で捉えれば
私達は誰もが創造主の意識を魂として持っています。


つまり私達の魂が四次元の創造主のエネルギーの一部である以上
誰もの魂が同じ一つの力の源を源泉として存在しており
誰もが神の分身であり神の子であり、皆が兄弟であるということにもなるのです。


私達が自分自身だと信じ込んでいるその肉体と心は単なる物質的な器であり、
創造主の意識を実現するために三次元に直接介入するための道具に過ぎません。


その事を考えれば私達は魂から四次元を通じて
神の命令を受けてそれを実行する事が求められているわけで、


地球社会で暮らしている私達は
私達が実行すべき四次元の諸法則に背いて存在している事になります。


その状態で表現している私達の行動は
その殆どが心に従った、自らの価値観によるエゴの表現であり
創造主の意識を実現しているものではありません。


つまり私達の肉体は創造主の意識を
正しく表現できてはいない事になります。


本来、創造主の意志を表現するための器である私達の肉体は
主人の命令に背いて勝手な行動をし続けているわけです。


聖書の中でイエスキリストが


「私が為しているのではなくて
父が私の体を持って為している」


と語ったのは


イエスは自分のエゴを持って行動しているのではなくて、
魂から感じられる父なる神の意識をもって行動し、
自らを表現しているのだと言う事を例えた物です。


イエスキリストは自らの心のエゴを抑える事で魂の意識を感じ、
神の意識を自分の肉体を持って表現しようと
したのだと言えます。


それは私達が魂を感じようと意識する事によって
実現されるはずです。


更にその時私達は、目に見えないものを感じようと
勤めているはずです。


イエスキリストと似たような思想を持っていた聖人として
お釈迦様が存在しています。


お釈迦様は煩悩を消し去って自我を消した先にこそ
悟りと言われる物が存在するのだと語っていました。


これは私達が心のエゴを消し去るよう勤めた時にこそ
私達はエゴではない真の自分を感じる事になるのだと
言う意味に取れます。


アプローチこそ異なりますが
聖人達が語っていたのはエゴを抑えた果てにこそ
私達は魂を通じて真理を悟るのだと言うことを
表現した物だと理解できます。


そして其の真理こそが”至高なる英知”=四次元の神の摂理
そのものなのです。


私達の生きるための指針はそこにこそ存在する。


私達はそれを実践するためにこそ今ここに存在しているのです。

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私は以前、テレパシーと関連して
室内でこんな事を語っていました。
(毎日30人近い人間がそれを聞いていたようです)


私達の意識を何に向けるかと言う事の例え話としてです。


まず、私達は通常二つの無線機からの指令によって
行動していると認識するのです。


一つの無線機からは大きな声が鳴り響いています。


一方もう一つの無線機からは小さなささやきが
ぼそぼそと聞こえてきます。


言うまでもなく前者は私達の心のエゴであり
後者は私達の魂のことです。


私達は通常誰もがその大きな声によって指令を受けていて
それを受けて自らを表現している事が多いはずです。


しかし私達は本来はその小さなささやきである
意識からの訴えを聞いて、
それを表現する事こそが求められているわけです。


私達はそれを実現するために何をすべきなのか?


言うまでもなく一つには心のエゴの声を抑える事
そしてもう一つは魂の声を大きくする事です。


そのためには一体何をどうすれば良いのでしょうか?


一つには当然、煩悩を抑える事が求められる事になりますし
もう一つには魂の意識の声を聞こうと勤めることが
求められることになります。


そう言えば宗教ではキリスト教や仏教は
実はこれを実践しやすい状態に存在していると言えます。


自らの精神性を高めるために
心のエゴを抑える事を実践しようとしているのが仏教ですから


こちらはエゴのボリュームを小さくしようと
勤めていると認識できます。


一方ではキリスト教は神を感じようと神を意識し続けているのですから
魂のボリュームを大きくしようと勤めていると認識できます。


それぞれがアプローチは異なりますが
求めている事は同じだと言うことです。


そして神道であれば道徳として認識されている
魂からの価値観を実践し続けていると理解できます。


道徳とは、「魂から受け止めるべき創造主の意志の中で
私達の社会の中で既存の価値観として受け入れられているもの」
と認識できます。


つまり道徳的意識の高い人間は
無自覚のうちに創造主の法を実践している事にもなります。
(道徳といっても時代ごとに変貌するような
人間の価値観に根ざした戒律ではありません。


人としてどの時代でも当たり前に持つべきであり
どんな場所でもどんな時でも同じ様それは正しいと意識できるものです。)


これら三つの思想はどれもアプローチが異なりますが、
私達は出来るものならその全てを並行して
実践していく事が望ましいのだと認識しています。


生命の科学を学ぶ人間は、
人間のあるべき姿であると既に私達に認識された道徳を実践しながら、


時にはエゴを抑える事を覚え、
更には魂を感じる事を意識することで、


限りなくイエスキリストやお釈迦様の行動を
模倣する事にもなると言う事です。


しかもこれは形ではなくてその意志と心のあり方を模倣するのです。


私達の社会は多くの人間が別々の立場から同じ真理を捉えながらも
一方ではエゴの存在が誤った真理を作り出し、
異なった真理に意識を向けてはお互いを詰り合っているからこそ


普遍的真理と個人的真理が
混ざり合ってしまっているのです。


私達は自らの思考を狂信することなく
お互いの真理を正しく理解し合えば、
どの主張が正しくてどの主張が誤りであるかも理解できるはずですし


そして共通認識となっている真理こそが
おそらくは神の戒律であると理解することにもなります。


(揃って誤っている真理を正しいとしているような場合は別ですが、
普遍的真理は全ての情報に整合性が見いだせます)


私や兄弟姉妹は是非ともそんな意識を持って
お互いにとっての真理と向きあっていければと思います。


そして私達にとっての本当の真理とは
共通意識の中にこそ存在している。


私達はいつか其の事に気がつくはずです。

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【体験が齎すもの】


この講座もアダムスキーさんの生命の科学を踏襲するものとして、
その指針を無戒律から始めることにします。


と言っても自分が学んで来たものを
全て捨てろと言っているのではなくて


先ずはそれを知識として、心の片隅においたままの状態で、
一方では何事にも囚われないような意識を持って
あらゆる現象をも見つめる事を心がけていくと言う意味です。


私達の社会には真理への架け橋としてのきっかけとなる
宗教と言うものがあまた存在しています。


それを自分にとっての切欠として
更なる高みを目指していく事もこの講座の目標に出来ます。


アダムスキーさんが語ったように、生命の科学は
まずは自らに何の戒律をも課さない状態から始まる事になります。


勿論、既に自分が正しいと確信しているような事柄は
道徳と言われているものと同様に
大前提として持っていれば良いかと思います。


ただ、私達はその後に独自の真理を見つけては
それをそれぞれの戒律とする事になります。


しかもその真理は当初はこの地球社会においては
誰にとっても真理であるとは認められるものではないかもしれません。


ある人にとっては真理であっても
ある人にとっては真理ではない事もあります。


勿論、究極的には誰もが同じ真理へと到達する事になるはずですが、
私達この社会の人間は誰もが創造主=神の真理に対しては
子供や赤ん坊も同様だからです。


全てが発展の途上なのです。


個々の戒律は私達の精神性を高めるものを
優先的に持つ事になりますから
例え同じ真理であっても優先順位は異なる事にもなります。


そのために必ずしも誰かの真理が
別の誰かの真理として認識されるとは限らないのです。


赤ん坊同然と言っても
ここでは「白紙の心を持っている」と言う意味ではなくて、


私達は真理に対しては理解不足で
幼稚でもある事を認めなければならないと言う意味です。


私達は100点満点の答案で10点を取れば、
おそらくはこの社会の中での合格点に達するような状態に
置かれているのだと思います。


そのぐらい普遍的な真理とはかけ離れた意識を持っているのが
私達地球社会の人間だと言う事です。


実は太陽系の天使達でさえ未だに30点そこらの状態であり
100%表現しているような人間は存在してはいないのです。


そして神の創造物である私達は
そんな環境の中で様々な体験を繰り返しながら
常に進化し続けることを求められている


私の理解者や兄弟姉妹は
先ずはそれを理解する事から始めて欲しいと思います。


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私達の世界を作り上げた存在が創造主ならば
その創造主の想いが作り上げた社会の中において
創造主と言われる存在が完全である事は道理です。


全ての知識や法則や価値観を
其の存在が作ったのですし、


人間のあり方や生き方に関しても
当初100点満点の解答を用意してくれたのが創造主だといえます。


だからこそ、父なる神は完全であると
アダムスキーも語ったのです。


しかしその被造物である私達この社会の人間は
決して完全を目指せる状態ではなくて
まだそのための道を歩き始めたばかりなのです。


でも未だ殆どの人間がそんな自分の実態に気がついてはおらず、
独自の価値観を持って自らを完全であるかのように過信しています。


そのために自分では理解不能なものに対して
不安や恐怖や嫌悪感を持つ事にもなりますし
自分の価値観を否定される出来事には怒りや憤りを感じることにもなるのです。


では私達はどのように、その個人的な真理なるものを
少しでも創造主の模範解答に近づけていく事が出来るのでしょうか?


それは何度も繰り返すように、「何事をも身をもって体験する事」


更にはその結果が齎した状態を注意深く観察し、
それが全体にとって改善になっているのかどうかを
分析しては行動するように努力する事だと思います。


私達にとって大切な価値観は
何よりも体験によって培われます。


その体験で自らの精神の進化の役に立つと認識できた事
進化の妨げになると認識できた事をそれぞれ捉え、


自らの真理、そして戒律として
心に置き換える大切なのだと思います。


そしてその独自の真理と戒律は自分こそが意識すべきもので
他人に強要してはいけないものであるということ。


私達は誰もが自分の尺度で他人を量る癖がありますが
ここでの定義を考えれば、


自分にとっての真理は
他人にとっての真理や戒律に成り得ない事もあると
認識できるはずです。


私達のすべき事は自らの魂の進化をはかるために多くを体験し
そこから多くを学びなから
自らの価値観をより創造主の意識に近づける事であり


そのための体験も人それぞれですし
置かれている環境や、魂が過去から学習してきた内容も皆
異なるからです。


そして私達が意識すべきはまずは自分自身の覚醒であり
自ら学んだ事で他人を量り裁く事ではないのです。


イエスキリストも聖書の中で語っていました。


「他人を裁いてはいけない」


「他人を量ると自らも量られることになる」のだと。


これは私達の意識の在り方を示したものでしょうし
一方では因果の法を意識したものであるはずです。


今の私達にとっての戒律は常に個人的なものであって
それは必ずしも絶対的なものではないということ。


その事をしっかりと意識していきたいです。


アダムスキーさんは私達地球社会の人間の存在を宝石の原石に例えていました。


「元々はコケや泥のついた様な存在であっても
それは転がって磨かれていくうちにどんどんと
コケや汚れや角が取れて輝きを増していくのだ」
と表現してです。


私達は誰もが創造主の子であり神の宮殿でもあるからこそ、
その頭角を示すためにもあらゆる体験をすべきなのです。


時には苦しい思いをし、時には心地良い思いをし、
更には失敗をしては、
私達はその中から何かを学んでいくのです。


私もそうであるように、多くの方々が
どうしても頭でっかちになりがちだと思います。


知識が優先して精神状態がそれについていかないのです。


それを体験を通じて知恵に変え真理に変える事で
私達は誰もが精神性を高めていく事ができるはずです。


そのためにも色んな知識と同様に
あらゆる体験を重視すべきなのだと思います。


折角学んでも其の尺度を他人に無理強いすれば角が立ち
争いの原因にもなります。


私達は他人を裁けるような
そんな高尚な真理など持ってはいないということに
気が付くべきなのです。


戒律は私達個々の人間の精神性を高めるためにこそ
持つべきであると言う事。


私達の社会全体の行動指針を規制する法律とは異なり、
戒律は自らを高めるためにこそ存在していると言う事を
強く意識して頂きたいと思います。


そして私達が今学ぼうとしているのは
人が思いついた戒律ではなくて


神の戒律であると言う事を
是非意識していただきたいです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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コメント


しつこい創価学会の人間達に

朝から頭が朦朧とするほど電磁波を受け続けています。



2015年7月2日

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あるサイトから引用します。


国内の在日関係者の過去からの正しい歴史と
日本国内での実態を取り上げていたので
そのまま紹介します。

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202:名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/20(日) 09:47:02.70 ID:S+f4XPgf0
【 朝 鮮 民 族 在 日 】の黒歴史


「在日一世」による朝鮮人犯罪及びテロ行為について


戦後当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、
また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。
また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。


戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、
このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。


いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、
日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。


この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、【 通名 】を使用しだすのは
朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを
日本人が抱くようになってからである。


◎服装・武器及び組織について


戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。
銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。


朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、
これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。


組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、
個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。


朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。
更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と
在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。



257:名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/20(日) 09:49:34.98 ID:S+f4XPgf0
>>202の続き

「在日一世」による犯罪


自称 朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。
特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。


特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した
朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。


市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、
多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり
繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。


またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、
多い説では1万人以上であったとも言われている。


1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し
警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が
同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。


46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した
武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。


首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。
1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。


これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し
1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が「日本各地」で続発した。

312:名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/20(日) 09:52:35.74 ID:S+f4XPgf0
>>257のつづき


「朝鮮進駐軍」と名乗る在日一世の朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に
言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた
婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。


在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。


腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、
手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。


通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
白昼の路上で婦女子にいたずらをした。


善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。


こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
肩で風を切って街をのし歩いた。


警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、


「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」


と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。


戦後当時の「朝鮮進駐軍」とは今日の朝鮮総連本部である。


今の朝鮮総連となる「在日朝鮮人連盟中央総本部」である。
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377:名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/20(日) 09:55:47.80 ID:S+f4XPgf0
>>312
「在日一世」による戦後当時の日本人に対して犯した凶悪事件


●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
------------
「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。


約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。


戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、
勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、
三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。


在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、
勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
【GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。 】


戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、
土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。


「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。


国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。
そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、
そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。


農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、
国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、
それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。

財を成したのは彼らは分派し、
政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。

436:名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/20(日) 09:58:27.45 ID:S+f4XPgf0
>>377の朝鮮人「在日一世」による犯罪のつづき


第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、
正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。

GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は
「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど
朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。


昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、
米兵一名が死亡、二名が負傷した。


◎自称朝鮮進駐軍 「在日一世」


在日朝鮮人は日本人を4000人以上虐殺し日本から土地を略奪し
日本人婦女子を強姦しまくった。一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、


おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、
もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。


戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、
婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、
土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。


GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が
朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害され7000人以上の女性がレイプされた。


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これこそが日本国内で隠されてきた在日の実態であり

(前回記事で取り上げた国内への不法入国者以外)


彼らは日本人だった時に国内へ労働のために
駆り出されたことを強制労働と呼び、


彼らの国が日本の経済力に泣きついた事を朝鮮侵略とかたり
日本を悪者扱いし自らを美化しては


独自の歴史を作り上げそれで子孫を洗脳し
反日の人間を大量に作り上げているわけです。


この人間達は、戦後、
国内から退去することも可能だったにも関わらずそれを実行せず、
戦勝国の人間であると言っては
国内でやりたい放題の暴挙を働くことにもなりました。


実態はといえば朝鮮と日本が併合して
一つの国として存在していたのですから
結果として戦争に巻き込まれたとしても
彼らは同じ敗戦国日本の人間だったわけです。


それが日本が敗戦し朝鮮半島が米国とロシアに分割統治されるようになると
自分達は日本に侵略されたと騒ぎたて、
戦勝国であるアメリカに取り付いて


それまで同じ国の人間として生きてきた日本を
悪く言うようになり、一方国内では
朝鮮進駐軍なるものが起こったのだと言うことです。


ここにも書かれていたように、
当時日本の街中の一等地はこの連中に占拠され、


一方では彼らに家を奪われた日本人も
当時は少なくなかったはずです。


南北朝鮮に分割された後には、その後の南北朝鮮の戦争を嫌い、
日本統治を懐かしむ人間がさらに大量に国内に入り込んできたでしょうし、
それが彼らの勢力を後押しします。


なぜに日本国内でここまでの暴挙が許されたかといえば

一つには日本の青年壮年の多くが戦争で死んでいたり
怪我を負っていたという実態があると思います。


彼らの暴挙を止める事のできる人間が
国内には殆どいなかったのだと思います。


(男は子供と老人が多かった)
一方GHQは在日に対して
徹底した取り締まりを実行しなかったからでもあるはずです。


法を持って道徳をもってすれば、
住宅や土地の略奪など許されるわけもなく
それは返還させられるべきものです。


国内で殺人や強姦を繰り返す人間など
国外退去にされて当たり前です、


しかしそれは実行されませんでした。


一方ではこれほどまでに彼らの勢力強化を許すこととなったのは
当時の日本国内では日本国籍が闇で売買されていて


それを手に入れ日本人になりすます人間まで出てきたことも
無縁ではないと思います。


更にはGHQは自分達アメリカにこの人間達を従わせることで
彼らの暴挙を見て見ぬふりするという
一面もあったはずです。


つまり表立っては朝鮮人を取り締まっていたかのようなGHQは
事実上、朝鮮人達が彼らの傀儡となることで
その暴挙をお目こぼししたのだと思います。


日本国内のA級戦犯の人間達の中に
彼らに従うことを前提に死刑を間逃れた人間達がいたように


彼ら、朝鮮人達は犯罪を犯しながらもそれを罰せられず、
国内退去をも逃れて


その上でGHQに従う事で日本国内では特権階級として
独自の道を進み反日活動を続けるに至るわけです。


国内のA級戦犯の多くが親米であり
そして何故か揃って社会的地位を高めたようにです。


それが今の朝鮮総連や韓国民団の一部の人間達の
大元となっているのです。


何故にGHQは日本国内において
朝鮮人達に徹底した処罰を与えなかったのか?


彼らはGHQにとって利用価値があったからだと説明できます。


そして現に今では国内で、
反米思想、もしくは反資本主義思想を持つ人間


更には真の愛国心が強い人間、そして反朝鮮意識を持つ人間は
この連中に電磁波ハイテクの攻撃の対象になっているはずです。


つまりは彼らは元々はアメリカ進駐軍の連中の
見えない手先でもあったということ。


今では朝鮮半島組織は二つに分けれているようですが
恐らくは戦後の南朝鮮=韓国からの日本国内への入国者の
多くが韓国民団を名乗り、


朝鮮総連との間に一線を画しているのだと思いますが、


彼らは親米民族であり日本国内において
アメリカに代わって日本国内支配を
実行しているのだとも言えます。


ハイテク被害者にとっては両方とも
驚異であることは間違いありません。


ただ、ハイテクにしても人体に危険な行為を
実行しているのはおそらくは朝鮮総連の方であり


もう一方はおそらくは朝鮮半島に対して
敵意を向けないような洗脳が中心ではないかと想像もしています。


少なくとも語りかけによれば、
私の周辺では、そんな実態がありそうです。


そして恐らくは創価学会は朝鮮総連よりの人間の影響が
強い組織ではないかと想像しています。


民族つながりで韓国系との結びつきもあるようですが
内部の実態としてはおそらくはその中心は
朝鮮総連の人間達ではないでしょうか。


そして彼らはアメリカの背後に控える
サイレンスグループの権力を背景に
未だ暴れているわけです。


地球社会は今は過渡期にあることは間違いありません。


それが新しい文明への改善の過渡期なのか
それとも文明が崩壊へと進むロスタイムとなるのか、
今後のサイレンスグループの動向と
それに対する一般市民の行動に全てはかかっているのだと思います。




コメント


朝から近所に隠れて集っている創価学会の連中に
脳や胃腸への攻撃を受けています。


食べたものが栄養にならず、糸状のものに変えられ
首筋に作り上げられた人工管から脳へとあげられ
それを脳に巻き付けられています。


その状態で脳へと暗示や周波数帯洗脳を
実行してくるわけです。


塩分や栄養をとっても
脳への電磁波のためにすぐに蒸発、消費され
脳は栄養不足、塩基不足を続けています。


おかげで朝からイラついた状態です。


在日の中に一体どれだけ
合法的に日本への永住権を与えられた人間がいるのか?


そんな連中が徒党を組んで権力を得ている。



その中心に創価学会が控えているとしたら
この連中もしっかりと永住資格の権利に関して
調べるべきではないでしょうか。



そして不法滞在を幇助するのは罪にはならないのでしょうか?


2015年6月30日 9:44

脳への暗示が再び激しくなりつつあります。


栄養不足と電解質不足による思考能力低下、
そして脳機能障害誘導が続いているのです。


実行しているのは在日の創価学会の人間達のようです。




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以前、精神的な話を記事にした時に
魂の器を磨くとか魂の器の大きさの話をした事があるのですが
私の認識は間違っていたと思います。


魂の器を磨く事が精神の進化であると言う事は
間違いありませんが、


魂の器の大きさは全ての人間が皆同じであると言う事に
気がついたからです。


聖人と言われるような人間達は
とても大きな魂の器を持っていて
私達凡人は小さい器しか持っていないと考えていたのですが


そうではなくて、例えるなら彼らは魂の器が
ピカピカに磨かれていたと言うのが正しいのだと思います。


要するに生まれてきた赤ん坊が
限りなく純粋に魂を感じているように
彼らはそれを濁すことなく持ち続けていることが出来た、


その上にそれを意識する術を持っていたのだと思います。


私達地球社会の人間一人一人に与えられている神の意識、
エネルギーとしての魂の大きさは本来は然程差はないのだと思います。


ただ、聖人達は魂のくすみが少ない状態故に
神の意識を感じやすい状態になっていたのだと
考えれば良いわけです。


アダムスキーは私達の存在をダイヤモンドの原石に例え、
それを綺麗にカットする事が必要で、


なお且つその光が濁らない様、周りにコケを生やさない事が
大切であると説明してくれています。


ダイヤモンドの原石は、余分な外枠を削り取り、更にそれを磨くことで
私達が知っている宝石としての美しさを表現することになります。


これは私達人間の魂に例えれば、
経験を繰り返し、魂と心を並行した状態での思考を続けることで
私達の心の意識が”魂”(神の意識)に近づく事を意味していると思います。


更にアダムスキーはダイヤモンドにコケが付き
その輝きが鈍ると言う例えを用いて、


私達の心が地球の法則による価値観により凝り固まらされて
偏見とエゴで濁らされて行く様を取り上げています。


私達は余計な知識や価値観を身にまとっていますし、
一方では経験や理解も不足しているので


原石の状態から脱しきれていない上に、
全身がコケだらけと言うのがその実態なのです。


もしも私達が聖人のごとく精神状態になりたいと望むのであれば
彼らがそうであったように地球での余計な価値観を全て取り払い、


一方では物事を深く事の本質から捉え、
経験を通じて生きた知識を積み重ねていく事が
大切なのだと思います。


アダムスキーの生命の科学第一章最後の引用です。
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意識(魂の意識)とはなんでしょう?


それは万物の創造主である生命力であると言う以外に
誰も的確に知ってはいません。


意識がなければ人間は生き物とはならないであろうからです。


そして人間においてはそれを言葉で表すのに最上の表現は
”警戒(または注意)の状態”と言えます。


警戒の状態とはフィーリング(感じること)または
知覚の状態です。


動物においては音響に頼る必要のない”本能”として
知られています。


意識と言う言語は、人間がまだ体験しない物事について
意識的になる場合に感じられるところの創造主の言語です。


イエスは次の言葉でこれを表現しています。


「見たり聞いたりしないで信じるものは幸いである。
その者は天国へ入るであろう」


この天国というのは”因”の領域で意識すなわち永遠の海を
表すために用いられた言葉です。


意識があらゆる現象を生ぜしめているからです。


われわれは未加工のダイヤモンドのようなものです。


のちになってダイヤモンドと判明する物質を誰かが
最初に見つけたとき、


本人は肉眼で一個の石ころを見るのですかが
もしそれをカットして磨くなら


それはこれまで見たこともないほどの
美しいものになると言う事実を本人に気づかせるのは
本人の意識なのであって心ではありません。


ところでそのダイヤは考えられる限りのあらゆる色を放射するでしょうが
そのようになるためには忍耐と多くの困難な作業とを必要とします。


鋭利な刃でカットされると
時には苦痛さえ感じるでしょう。


これと同様に、あらゆる人間は未加工のダイヤのようなものであって
自己の純粋さを見出すまでに削り取らなければならないごつごつした
多くのでこぼこがあります。


これは楽な作業ではありません。


大抵の場合、でこぼこを削りとるたびに
何らかの苦痛を伴います。


しかし多くの苦痛に耐えることができればそれほど石は
ますます立派になるのです。


完全なダイヤはその表面にカットされた各面から
純粋な光を反射します。


そしてもし宇宙的な波動が完全に表現されれば
そこには欠点と言うものは有り得ません。


生活のあらゆる分野の過去と現在の教えに関するわれわれの思考の習慣は
この削りとらねばならない粗い傷のようなものです。


中には他の部分よりも除くのが困難な部分もあるでしょうが
目的を持った決意は望ましい結果を齎すでしょう。


するとやがて光沢、すなわち最初は多分容易でも楽しくもないような
新しい習慣が確立されることになります。


そしてこの全てが成し遂げられるとき
人間として知られている形態を通じて
神の栄光が現れるのです。


転がる石にはコケがつかないと言われてきました。


しかも人間の物質の蓄積に例えて引用されるコケは
人間が宇宙的な英知をもって成長してゆくのを妨げています。


むしろ転がる人間は他の石(諸問題)に打ちあたることによって磨かれ
こうしてでこぼこが取れるのです。


人間の立派な能力の真の美しさはコケで覆われて見えなくなっています。


なぜなら人間が見えるものはコケだけであり
それは他の生物の体に宿っている寄生虫であるからです。


このコケとは真実に人間を覆っている人間の各種の習慣に等しいものです。


転がる石は多くの困難な事や大きさが倍もある岩に突き当たって苦痛に耐えたり
自己の一部を失ったりしながらもそれは転がり続けます。


そしてついには高度に磨かれて,色光や成分である無機物を示します。


石によっては親和の法則によって無機物が互いに結合する場合
美しいデザインが形成されます。


これを成すには長い年月を要するでしょうが
忍耐と決意とによって人間は絶えず増大する精妙さの中に
この美を表現することができるのです。


そして”神の国の救世主”になるのです。


そこで生命の探求者がまず成さねば成らぬ事は
原因と結果についての絶え間なき知覚力を養うことにあります。


そうすれば心は過去に見てきたとおりの形態物を見るのみならず
形態物の不可視な支持者のことを意識に語らせるでしょう。


それは目に見えない動力発生部の全てを充分に知覚しながら
車を運転するようなものです。


本講座をあなたはただ読むだけでは殆ど価値がなく
むしろ日常の刻々の実行が効果を齎します。

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この引用までで生命の科学 第一章 終了です。
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アダムスキーの言葉は英語を日本語に翻訳したものですし
訳者の方も苦労なさったかと思いますが


本人の言葉を本人が伝えたかった通りに
私達に示してくれているかと思います。


元々の知識の足りない私達にとっては抽象的な表現で
理解しきれないこともあるかと思いますが
それも時間が解決してくれると考えています。


ここでアダムスキーが意識(魂に意識)は
警戒の状態であると触れています。


以前の私の記事でも紹介しましたが
私達の”触覚”の働きがまさに警戒の状態であると
マスターが語っていましたし、


”触覚は魂が受け止める感覚である”と認識できますし


”印象”とは魂が発する言葉”であると説明できます。


私達の触覚は実は私達の魂が感じる感覚そのものであり、
それは想念をも受け止める事ができるものであると説明しました。


そして”魂”はそのまま四次元における
神の想念のエネルギーの一部でもあります。


四次元の中に存在する神の作り上げた摂理を
魂が”印象”として受け止めることを
私たちは啓示と読んでいるのです。
(小さな閃きから宇宙的啓示まで様々ですが)


一方、 私達の”心”成るものは、私達の肉体の一部である脳が
味覚・視覚・嗅覚・聴覚、更には触覚のうち
物理的に感じることのできる感覚の影響でその価値観を作り上げるものであり


これらの感覚器官が脳に心地良いと思わせる要素が本能とも結びつき
私達の行動基準と成りがちなのがエゴとも言える私達の心の価値観です。


一方、この”触覚”には実は想念=思念波(=地の霊)を受け止めることのできる
能力も備わっていて、それがテレパシーと呼ばれるものでもあります。


神の意識の一部でもあり四次元の言葉=印象を受け止める事のできる
器官でもあるのが”魂”だと考えれば、


魂を意識してその印象を実践する事は
宇宙の法則を実践する事に繋がっていくという事になります。


ここでアダムスキーは魂の意識はフィーリングであると触れていますが、
想念はまさにフィーリングとして受け止めることが基本であって
私達が閃きと言っている物はまさにこのフィーリングのようです。


この閃きを起こすのは私達の魂が思念波の受信器官であること、


更には魂が全ての摂理が存在している四次元の中の神の想念や、
全ての記憶を有しているアカシックレコードに
繋がっている事に由来するようです。


無意識に感じるその魂の言葉こそが神の意識であったり、
アカシックレコードの記憶であったりするようで


直感に対して従う事が、得てして良い結果を齎すと言うのは偶然ではなく
私達は魂を通じて閃きを受け取っていると言う事だと思います。


一方想念もこの魂が外部から受け止める情報です。


魂の機能は神の意志を伝える事であり、
同時に想念を受け止める事であると説明するのが良いのかもしれません。


そしてその”魂”を感じやすい状態にするための知識を
私達はこの章で学んだわけです。


この章で私達が理解すべきことは
第一に”心”と”魂(意識)”の働きです。


その両者の働きを理解する事、
そしてそれらを同時に使用することで
物事を深く考える癖をつけること。


更には、自分の行動の結果は常に改善の余地があるという事と
魂からの印象や閃きを意識する事で
結果の改善が可能になるということを理解する事だと思います。


心と魂を並行して使用していくうちに
物事に対しての深い理解をする事が可能になりますし


一方ではエゴに走らされていた心が、
神の意識に限りなく近い価値観を持つことにも
つながって行きます。


結果私達は宇宙の法則を少しづつ
理解し実践できるようになっていくのです。


【大切なのは動機】


私達の想いがこの社会を作り上げるのだと言う話を
私は以前にも紹介しました。


私達の地球社会を覆っている周波数・波動と言われる物は
そこに住んでいる私達の想念の影響を強く受けるのです。


この社会はそこに住んでいる私達の影響を受けて
その波動や周波数を変動させる。


一方ではその地球自体に蔓延した周波数帯が
今度は私達へと働きかける事になり
それは相互にフィードバックの関係にあると言う事です。


周波数帯に関しては洗脳の事でも取り上げましたが
実は私達の脳や細胞に働きかけるのが
特定の周波数だという話なのです。


そして高い周波数帯に保たれるほど
私達は魂を感じやすい状況にもなるようです。


この社会の中で暮らしている私達が
記憶を持っての転生が出来ないその理由の一つは、


私達の住んでいるこの社会の持っている周波数帯、
この社会環境を取り巻いているエネルギー場としての周波数帯が
低い状態に維持されている事と無関係ではないわけです。


私達は死んだ時には、その時の魂の状態に照らして
その魂の資質に見合った肉体を維持できる社会へと
転生していく事になります。


残念ながら私達の多くは、それぞれの生において
十分な魂の進化を果たすには至らないために


自分の魂の周波数帯に適しているこの地球社会の中での転生を
繰り返しているのだと認識する事も出来ます。


そして私達多くの地球社会の人間は
地球環境から受け止めた低い周波数帯と同様な想念を
この社会の中で自らも吐き出しながらその中での転生を繰り返しているのですから


この社会の中は容易に改善される事もありません。


と言う事は私達に求められている事の一つは
私達が少しでも高い意識を持って
高い周波数帯の想いを出すように勤める事だと言えます。


イエスキリストが
「汚いものは人間の内部から出て他人を汚す」
と語ったのはまさにこのことで


私達は表面的な振る舞いよりも、心の中の想いの方こそが大切である
というその実態を理解しなければならないのです。


私達一人一人が多くの良い周波数帯の帯びた思念波を
大量に発する事が


次の世代次の転生における私達地球社会に

良い影響を齎す事になるのです。


そのためには、やはり低い周波数帯
不安や恐怖、闘争心、憎しみ、侮蔑、羨み、怒りのような
低い意識の想いに満たされるよりも


喜び、親切、調和、平等、慈愛などのような
高い意識の周波数帯に満たされたほうが
良いわけです。


(ちなみに私達が魂を持って受け止める四次元的な意識は
全てが後者の意識となります)


多くの人間はこのことが出来ていないのですから
先ずは私達はそこを第一段階として目指していく事になります。


その上で私達はもっと更に上の状態を目指せば良いのだと思います。


私達の目標は、意識としてはあくまで前向きであること。


これはポジティブ思考という意味ではなくて
ここでネガティブになると思考も行動も止まってしまうからです。


つまりは”諦めない”という意識を持つことです。


しかもこの状態で最高の状態から最低の状態までを想定して
自らの意志を決定し、行動を起こすことが求められているという
事にもなります。


しかもその行動の動機は心のエゴではなくて
魂から湧き上がったものであることが大切です。


つまりいくら自分にとってはプラスの想いであっても、
それが個人的なエゴから出ているものであっては
全体を思う意識よりも低い状態に抑えられてしまうからです。


自分の心地良さを求める意識は心から出ますし
全体を求める意識は魂から出ます。


そして聖書のパウロ風に言えば


「私達は肉の想いではなくて御霊の想いこそを
全身を持って表現する事が求められているのだ」


と言う事です。


次に大切なのは私達が何か行動をしようとした時に
その指針となる動機です。


私達はいつも結果ばかりに囚われて
それに行き着くまでの過程というものを見ようとはしません。


良い結果に見えてもそれが心のエゴから出ているものもあれば、
良くない結果に見えても魂の想いから出るものもあります。


エゴをもって良い結果を齎すのはおそらくは偶然でしょうし
それは長くは続かないでしょう。


もしくは誰かに負担をかけることになっているかもしれませんし
どこかに歪を生んでいる可能性もあります。


魂を持って良くない結果を招いた場合は
きっと努力が足りなかったか、
もしくはこれから改善されるのでしょう。


そして長い目を持って思考すれば
大切なのはその動機でもあります。


その動機が心のエゴに根ざしているものなのか
それとも魂からの想いなのかが、
その行為が正しいか正しくないかの基準ともなるのです。


更に私達は行動をしようとした時に
時には楽観的になりすぎたり、時には悲観的になりすぎたり
することもあるかと思います。


しかし本当に私達が求められているのは
悲観的でも楽観的でもない思考。


もっと言えば私達は悲観的な事にも悲観的にならず
楽観的な物事にも楽観的な状態になりすぎないような
そんな精神状態こそが求められていると言う事になります。


そして何かをしようとして因なるものを思考した時には
結果は最低の結果から最高の結果まで予測した上で
最良の結果を出すことを前提として行動をする事が必要なわけです。


つまり私達は結果を見据えた上で出来るだけより良い行動を
実践する事を求められているのです。


そしてもしもそこで自分が予想していた通りの結果が
導き出せなかった場合にも私達はそこから何かを学習し


次に同じような行動をする時には
もっと良い結果を出せるような思考をすれば良いのです。


そのためにも、一般の方々よりも少しだけ
精神的な進化を余分に果たそうとしている私達は


何事にも動じないような精神状態を少しでも培うような姿勢、
更には喜怒哀楽を出来るだけ制御できるような意識を
求められているのだと言えます。


私達をよりよい結果へと導くのは
私達の心の価値観ではなくて魂の意識であり、理性であり、
自分を客観的に見つめる姿勢でもあります。


個人的価値観に過ぎない独自の心を
エゴを頼って反射的に表現するのではなくて


元々が100点満点であるはずの神=創造主の想いこそを信じて
それを実践するように勤める事が何よりも大切だと言う事です。


私達、真理(キリスト)を求めるものは
その状態を目指さねばなりません。


この社会の中の波動に染まるのではなくて
自らの意識をもって其れを改善していく思考を作って行く、


其れこそが私達に求められているものだと言う事です。


【私達の魂=意識】


アダムスキーさんは著書の中で意識と言う言葉を
頻繁に使用しています。


私は先述のようにその”意識”と言う言葉を
三つの意味として捉える事にしました。


一つには私達の魂そのもの。


そして一つには創造主の残留思念としてのエネルギーそのもの、
すなわち四次元のあらゆる記憶とエネルギー。


そしてもう一つは私達の頻繁に使う”意識”と言う言葉に
代表されるような、私達が感覚器官で感じようとする状態です。


それらの三つは私達が自覚していようが無自覚であろうが
全ては繋がっている事になるはずです。


私達が通常使う”意識”と言う言葉に関して
私なりに説明してみます。


例えば私達は何かに集中している時には
そこに対して意識を向けているのです。


TVを見ている人であればそれは視覚や聴覚に向かっているのでしょうし
音楽を聴いている方であれば聴覚に向かう事になります。


そしてその意識の状態によっては
私達は他の感覚器官から感じる情報を正しく捉える事が
出来なくなる事があります。


何かに没頭している時、例えば悩んで思考している時には
私達は、何かを見ていても目に入らず、音が聞こえていても
耳に入って来ないような状態の事があるはずです。


それは意識が思考へと向かっているために
意識を他の感覚器官へと向かわせる事が
出来なくなっているためであると思います。


そして私達の魂と言われている存在にたいしてこそ

私達は意識を向けるべきなのです。


視覚聴覚味覚嗅覚以外にも
私達には意識するべきものがある。


それが感じるという行為を実行している
魂でありそれを意識することが必要なのです。


しかし私達は魂、そして魂が受け止めている

創造主の意識を感じる事が出来なくなっています。


本来であれば私達の魂は常に警戒態勢であり、
閃きや印象を受け止め続けているのでしょうが


私達はその実態を理解してはいない、
更には意識していないがために


感じるという魂の警戒態勢が私達に伝えているはずの情報を
受け止める事が出来ないでいるのです。


呆然とした時には何も目に映らず
何も耳に入らないという状態になることがありますが
それと同様だと言えます。


私達は触覚を除く四つの感覚器官を
この世界を感じとる唯一の手段であると認識し
その事を正しいと思考しているがために、


実際には他にも存在する
”感じる”ための感覚器官を使用する事が出来ていない事が
其の原因であるという事です。


アダムスキーさんは警戒=フィーリングの状態と
語っていました。


それは私達は本来、何かを感じようという状態で
生きていなければならないと言う事を表現したのだと思います。


私達は三次元的意識を司る視覚聴覚味覚嗅覚と共に
四次元的意識を司る魂の意識を感じなければならない。


動物であれば、寝ている時でも人が近づくと
いきなり目を覚ましては逃げていく姿を見せる事があります。


彼らは常時警戒態勢を感じている証拠だと思います。


私達は既にそのような鋭敏な感覚を
失ってしまっているのではないでしょうか。


「目に見えないものを信じることが出来るものは幸いである」


このイエスの言葉は、
感じる事こそが実は私達にとって一番大切なのだと言うことを
主張していると認識する事も出来ます。


私達は未だに心に囚われて暮らしていますが、、
天国のような社会を実現しようとするならば
誰もがこの感じると言う行為を意識すべきなのだと思います。


私達は三次元的な存在であり四次元的な存在でもある
そして私達の実態が魂である以上
私達は神の想いの空間である四次元に
真理を求め続けなければならない。


私達にとって学ぶべき指針は
まさにそこに存在するからです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P.S.

私達は生活の中で少しづつではありますが
魂と心、そして原因と結果の思考を
実践できるようになっていると思います。


そして物の考え方や捉え方にも
少しづつではありますが反映されて来ていると
私も実感しています。


(加害者工作員に対しては相変わらずの暴れぶりを
見せているようにも見えるでしょうが(笑))


この一章をしっかりと理解していただければ今後の
章に関しても理解がしやすくなると思いますし


これが理解出来ていないと先に進むのは
大変かもしれません。


魂と心の関係を理解し、
原因と結果の利用の仕方を是非マスターして


宇宙の法則、普遍的真理を学ぶために
役立てて行って欲しいと思います。


すべてが将来には理論と科学で証明されるであろう内容ですが、
私達が一つだけ半ば妄信的に信じなければいけない要素があります。


それは”自分達の中に神の意識がある”と言う事に関してです。


これだけは理論でも科学でも証明は出来ないと思いますし、
宗教のごとく信じて貰うしかないと思います。


しかしこれも意識が変わるにつれて
自分で自覚する事が出来るようになるものです。


それ以外に関しては私達がすべき事は
決して何かを妄信する事ではありません。


知識を積み重ね、実践の段階を重ねることで、
しかも理論的に物事を考える事を繰り返すことで
一歩一歩真理へとたどり着くという地道な作業です。


そして他人に与えられたものはあくまできっかけに過ぎません。


スペースブラザーズにしてもアダムスキーにしても
与えてくれる事の出来るのは
情報であり、知識であり、きっかけです。


それを理解して自分の知識や価値観と出来るかどうかは
全てが私達個々の人間の意識に掛かってくるものです。


そしてここでは私は自分なりの解釈でそれを説明しているに過ぎず
もっと深く多くの物事を感じている方だって大勢いるかと思います。


今後はそんな方々が
さらに多くの人間を導いて行って欲しいと思います。


コメント


近所の朝鮮総連のオヤジ達と
近所の家に入り込んでいる朝鮮総連の人間達が
私に今まで以上に強力な電磁波を仕掛けてきます。



私が彼らにとって不利となるようなことを

語らないように洗脳、痴呆強化のようです。



昨日は下の部屋でもカナヅチなどでの工作音が響き
近所の家からは鉄を切るような音が響いていました。


そしてその後に受けることになった電磁波は
さらに強力です。


そう言えば不法滞在の在日関係者を
国外退去へと追い込めるかも知れない法案が
出来上がっているようですが


それはハイテク加害者にも適応していただけるのでしょうか?


ハイテク被害者は是非とも身近な在日工作員を
入国管理局まで訴えてやるのが良いかと思います。


報奨まで出るという噂です。

http://www.immi-moj.go.jp/newimmiact_1/index.html


2015年6月29日10:13

2011年06月28日 12時00分50秒 の記事を

改善したものです。



過去記事を読んでいない方は
まずは過去記事から順に読んで、
アダムスキーの伝えた真理を学んで見てください。


エドガーケーシーやスエデンボルクなどの
誤りを含む主張ではない
普遍的真理の体系をです。


単に読み流すのでは効果がないと思います。


理解して心の価値観と置き換えて
それを実践する事こそが大切なのです。


私はもしかしたら加害者達に
精神感応を妨害され続けている可能性が高そうです。


自分達が体感できないからその感覚が理解できないでしょうし
私が気がつかないとでも思っているようでもあります。


私の意識を封じれば余計な記事を書かなくなると
考えているのかも知れませんが、


覚醒してしまった私の意識は
すでに変えようがないと確信しています。
(地球の実態に関しては
一時かなり暗示を植え付けられましたが)


そして何よりも私が一番望んでいる事は
私と同様の人間が一人でも増えてくれる事です。


例え 私や兄弟姉妹が潰れても
アダムスキーと天使達が伝えた真理が
いつまでもこの地球社会に残り
決して地球が真理のない社会にならないようにです。


もしも私が記事をかけなくなった時には
新アダムスキー全集の3巻


「21世紀生命の科学」


を購入して独学して見てください。


この記事は過去記事の改正でもありますから
生命・精神リンクから
生命の科学の1~82の記事を読んでくれても良いと思います。


そこには生命の科学の内容を毎回引用してますし
結果として本一冊分を全部網羅しているはずです。


それを理解して自分の価値観に置き換える
それを実践しているうちに必ず何かが変わります。


そして自分が覚醒した人間は
それを仲間に広報せずに居られなくなると思います。


不特定多数の相手に対しての広報が無理でも、
自分の大切な人に伝えて覚醒を促して欲しいです。


宇宙意識に目覚めれば、
神の意思(魂の意識)に気がつけば、


嫌でも心は変わっていく事になるはずなのです。


覚醒できない、地球の法則に従うオールドタイプが
貴方の宇宙の法則への覚醒の妨害をしませんように。。。。


(私がやられているように。)



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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10990861572.html
テレパシー入門 VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10995048837.html
テレパシー入門VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11004349218.html
テレパシー入門VOL3


今日もアダムスキーの著書より引用します。

新アダムスキー全集3巻

21世紀生命の科学 より

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【現象が生じた理由の分析】


我々はこれまで心がやって来たように
結果を究極の解答と看做さないように各感覚器官から
成り立っている”心”をまず調節する必要があります。


つまり何らかの結論に達するまでに
結果(現象)の生じた理由を忍耐強く分析すると良いのです。


それが自我に関連した個人的な結果であろうが他人または
他の生命体であろうが何らの差はありません。


一例として樹木をとりあげて
それの生きる目的を分析してみましょう。


その結果(樹木)を観察しますとそれは生きた木として
又何かを作るための材料として多くの面で役立っていることが判ります。


多くの有用な品物はその幹を切った木材で作られますし
葉を落とす事によって地面を肥沃にします。


しかし人間は樹木から放射されているエネルギーすなわち生命力を見ません。


その生命力がなければ、処女林地帯に見出せるような清浄な空気は
存在しなくなるでしょう。


樹木は炭酸ガスを、生命にとって基本的な必要物である
酸素に変えます。


そしてあらゆる植物はこの作業で成り立っているのです。


樹木という結果(現象)を観察しますと
樹木をいきものにしている幹の中を流れているいわゆる樹液と呼ばれている
液体すなわち生命の血液はわれわれには見えません。


また、地中深くはっている根や、地中からエネルギー源を自分たちの中に
吸い上げるときに根が果たしている役割を見ることはできません。


又、樹木を形成している細胞群は樹木の目的の方向へ
それを(樹木を)導いてその時、各細胞は樹木同士を互いに
話させているのですが、その話し声を聞きません。


これらは結果の奥にある”原因”と呼ばれて良いでしょう。


ここまで
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前回までに触れた、”心”なる物の動きを抑制するために
私たちは魂の働きを意識しなければならないようです。


私達が無意識に行動する時には
その殆どは”心”の意識に従っているのだと思います。


しかし心の動きが私達に齎している物が良くないものが多いと言う事になれば
私達はその心の動きを抑える練習をする必要があります。


そのためにも魂なるものを使用しては
現象や結果を齎す原因とその過程を意識する事が必要なのです。


アダムスキーは”過程”と言う言葉を使用して居ませんが
私がその方が判りやすいかと勝手に使用していることを
先ず触れておきますね。


ここでアダムスキーが樹木を通じて
物事を深く捉える方法を説明してくれています。


魂の意識を利用する練習として大切なことは
”現象”として私たちの目に見えていることを
単にそのまま捉えるのではなくて


現象が引き起こされたそれまでの過程を
深く理解するという方法が有効であると言うことです。


現象という言葉を使用していますが
物体でも生物でも全ての対象の”今”現在の状況が


私達が視覚を通じて心で見ている”現象”というものであると
認識して頂ければと思います。


以前は”料理”を例に出してそれを”現象”や”結果”と捉えた時に,
それが出来上がるまでの流れを想像し認識する事を
”原因”であるという話に触れましたが


アダムスキーはここでは”植物”の姿をその”現象”としての
事例として取り上げています。


私たちの目に見える植物の姿は根・茎・葉を持って
青々しく茂っているその状態ですが


植物がその状態になるには複雑な過程が存在していて
それを目に見えない、精神が捉えるべき原因として説明してくれています。


種が蒔かれそれが成長し双葉を出して本葉が開く。


その後幹を伸ばし枝葉を増やし大きな樹木へと育っていく。


こんな過程も同様に”原因”と言える植物の”種”からの成長過程ですし
私達は植物を見たときにそれを連想することができます、


そしてその連想をする想像力も”魂(意識)”の働きの一環のようです。


一方樹木にはもっと複雑な過程が存在していて
例えばアダムスキーがここで触れたように
目に見えない細胞や根と言った物の働きです。


私たちが心なる視覚を持って見ただけでは
これらは勿論認識できませんので
ここでも想像力を使用してその過程を眺めることになります。


樹木が根から水や窒素、リン酸、カリウム等を吸収し
それを導管を通じて各細胞へと運び、葉緑素も
作り上げられることになります。


更に太陽の光を受けて光合成をする事で、
二酸化炭素を吸収し酸素を放出し自らは有機物を合成しては


今度はそれをエネルギーとして別の管(支管)を通じて
全身へと送り出す。


生物の授業で習ったそのようなメカニズムを、植物という現象を見るときに
私たちは想像する事ができるわけです。


そしてこのような意識で物を観察する行為が
そのまま私たちの魂を発達させる事になるようです。


(精神を意識できるようになる)

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実は私は以前から植物を利用しては
自分の精神状態の回復を図っています。


今は部屋に閉じこもる事が多くなりがちですし、
部屋の中でも外に出ても私は加害行為のために
神経を逆撫でされまくる事になります。


部屋に居れば本来ストレスと無縁の人間にも思われそうですが、
苛々やストレスは実は一般の社会の方々と比べても
別の意味では負けて居ないどころが激しいものがあります。


それがたまる行為を抑えるために実践していたのが呼吸法であり、
植物と意識を調和させることです。


植物を見てそこに自然の意識を感じると
リラックスされるとか癒されるという
誰もが感じるであろう感覚と一緒だと思います。


ここで少しだけ違うのは
私はその癒された気分の中で呼吸法を同時に行っていました。


以前触れたことがありますが
私たちの周辺に無限に存在していると言う


宇宙エネルギーの一つらしき存在を
その時に自分の体の中を駆け巡らせる感覚を感じるわけです。


これに関してはテレパシー入門の記事で触れましたので
詳細は書きませんが、


その状態はそのまま”魂”を感じる状態でもあると思います。


つまりは神の意識を自分の中に感じるような感覚です。


勿論私程度の人間では、
本当の意味での神の意識をそのまま感じる事はできませんし
地球の中にはそれを明確に感じれる人間など存在していないと思いますが


(地球在住のブラザーズが居れば彼らだけです)


私達でもその片鱗を感じる事はできると思います。


その意味でも植物を目の前にして
その植物に想いを寄せる、


植物の現象を深く追求するために精神を働かせると言う行為は
とても有効ではないかと思います。


アダムスキーの生命の科学を実践した方の話だと思うのですが
「植物に毎日語りかけたらそれまで以上に沢山のきれいな花を咲かせた」


と言うような話もありましたが、
これは植物の持っている想念を感じる練習にもなり
自分が植物に語りかける行為はそのまま想念を送る練習にもなります。


そして万物との調和の意識を持つ練習にも繋がると思います。


更には精神感応(テレパシー)の練習にもつながる訳です。


魂の意識を感じる練習にもなり、気の力を取り入れる練習にもなり
その上で精神感応の練習にもなるわけですから


一人であっても十分有効な行為ではないかと思って
気がつくと実践するようにしていました。
(最近はできません)


自然との調和を感じる事はそのまま宇宙意識に繋がりますし、
最初は自然の中に神の意識(宇宙エネルギー)を感じる練習をするのも
有効かと思います。


私はその外部との調和の意識をも封印されることがあるので
以前は自然の中に神の存在を想像していたのですが、
今ではしっかりと自分の中に神の意識を感じる練習をすることになりました。


ついでに私が無自覚でやっている、現象を深く認識する行為は
実は加害行為を胃腸や身体に受け続けている事と無関係ではありません。


腸や体の内部というものは表からは認識できないものです。

まして腸は感覚に鈍い器官でもあります・


しかし腸であれば確かに体の中に存在していて
通常は水や栄養の吸収の役割を果たしているものです。


この数年間はそこにあらゆる攻撃や工作を自覚できるほど受け続け、
その度に自分の腸の現在の状況を
無意識の内に想像すると言う行為を繰り返すことになりました。


結果的にいえば実際に目に見えないものを
意識しようという行為を繰り返した事は


原因や過程を理解しようとする
魂の働きに繋がったのだと思います。


私がHAARPその他の科学力の関与に関して
その実態を容易に認識したのも、


その使用方法と効果を認識するにいたったのも
自分の被害とは無関係ではないわけです。


新しい加害行為を受けるたびにサイレンスグループの策略と、
使用する科学力や医学の存在に気がつく事になり


以前はその度に被害として暴くことになりましたが
それでも身近な加害者達はその使用をやめません。


手を換え品を替え私への加害行為は続くのです。


(例えば風で嫌がらせをされると言っても信じられないでしょうね)


対・諸星に関しての彼らの攻撃は
いつも一方的な彼らの勝利に終わるわけですが


実は彼らは自分達の手の内を
末端工作員を通じて私に晒し続けているという事にもなります。


話がそれましたが、


私達が練習すべきことは
単純に現象を視覚を持って眺めることではなくて


その状態に至る過程を”原因”として
想像するという行為であると言うこと。


その結果私達は目に見えるもの(現象・結果)と
目に見えないもの(原因・過程)を同時に認識することになるのです。


理解して頂いて実践することで
私たちは宇宙意識へと近づいて行く事と思います。
(保障します)


【講座VOL11)】
【人生の指針】

私達人間は自分自身の事を正しく理解してはいません。


人間とは一体何なのでしょうか?


私の理解では、まず、人間とは元素を持って作り上げられた
一つのフォーム(形態)です。


そして創造主=神によって作り上げられた最高の生命体であり
創造主が自らの分身としての役割を担っている存在でもあります。


そして四次元における創造主の想いが
三次元において具現化したものとして存在してもいます。


聖書風に言えば私達は、
”御霊の神殿”として神の魂を収めるための器として存在しているのですし、


三次元の肉体と四次元の神の分身としての魂とを
兼ね備えた存在であると認識する事も出来ます。


更にその目的は創造主の目的である創造物の進化と調和を齎す
役割を担う事と理解できます。


ここでは私達の心は神からの贈り物として存在しているものであり
それ自体は神の意識ではありえません。


私達が担わされているのは神に代わってその想いを実現すること。


とすればこの社会に生きている多くの人間は
それを実践出来ていない事になります。


私達は誰もが肉体に付属された心の価値観をもって
行動の指針としていますし、


一方では私達は未だに神の意識を
正しく受け止める事もできないでいるからです。


本来、内に求めるべき創造主の意識を
どうしても目に見えるものや外に対して求めがちですし
一方では心を持って外部からの刺激に反射的に反応してしまいます。


つまりは私達はあるべき自分自身の姿を
未だ正しくは理解していない事になります。


極端な話をすれば天使達は行動ひとつ実行するにも
魂を通じて神の意志に照らし合わせ
その意志に沿うように務めるのです。


私達の行動は心がその指針となっているのですから
取るべき行動とはかけ離れることにもなります。


私達地球社会の人間は未だに真の美を見てはいないと言うのが
金星のマスターと言われた人間の話でもありました。


そして私達は不安と恐怖に取り付かれて
その意識を縮小させているのだと思います。


本来感じるべきそして指導者とすべき神の意志に代えて
私達は恐怖と不安、更にはエゴの虜となっているのだと言えます。


それらが私達の行動の指針となっているからです。
(死にたくないから何かをする。心地よくなりたいから何かをする)


私達の魂は未だ開放されていないのだと言っても過言ではないと思います。


もしも私達が自分自身の事を正しく理解する事が出来るようになれば
そして人間の生きる目的を知るようになれば
その時私達は自らの魂が開放される事になるのです。


私達は父の元に帰らねばならない。


そしてその時に自分と言う存在が、この宇宙空間の無数の存在の中の
一部であると言う事実を知るのです。


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【生命の講座第一講座 VOL11)】


人間は心のエゴに支配されているとアダムスキーさんは語っていました。


私達は何をするにも何を見つめるにも
心の価値観や心の司る感覚器官に影響されている存在なのです。


本来であれば素直に見つめるべきものであっても
先入観を持って見つめてしまう事を
誰もが体験していると思います。


例えば見慣れた風景を詳細に見つめて
その中に違和感を感じる様な経験を誰もがしているのではないでしょうか。


「この場所にこんな建物があったかな?」
「この壁はこんな色をしていたかな?」


時にはそんな事に気がついて違和感を感じるのは
自分が無意識のうちに先入観を持って物事を見つめていた証拠です。


私達は現象を眺める時でさえ
そのように心の誤った記憶や価値観
そして先入観を持ってそれを実行しているのです。


そして自らの心を過信しては
それが理解できるものこそを真理であると認識し
理解不能なものは受け入れようとはしません。


そんな意識をしていれば
私達はいつまでたっても正しい事と正しくない事を
選別する事は出来ないのです。


更には私達は心をもって好きと嫌いを
作り上げてしまう事もあります。


自らの価値観と照らして、そして視覚・聴覚・味覚・嗅覚に照らして
好ましいものと好ましくないものを作り上げ
そこに独自の価値観をも持ってしまってもいます。


これでは”現象”や”存在”と私が呼んでいるものであっても
正しく認識する事は出来なくなってしまいます。


創造主の意識は人間だけに限らず
ありとあらゆる生命体、そして物質の魂として存在しています。


しかし私達人間はその本来の意識からかけ離れた存在となっているのに
未だにそれに気がつく事が出来ないでいるのです。


そして時には心を持って自分の好ましい事、好きな事ばかりに接しては
一方では好ましくない事、大変な事から遠ざかり
自らを楽する事を願う事にも成っています。


しかし時にはそのような姿勢は
私達の精神的な進化の妨げにもなると言う事に
私達は気がつかねばなりません。


私達はその事を意識して自らを改善する事を求められているのです。


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【生命の講座第一講義VOL13 原因と結果】


私達が学ばなければならないのは、
目に見えるもの耳に聞こえるものばかりに囚われるのではなくて
目に見えないものを感じようとする事のようです。


私達は通常、心と言う価値観をもって現象を眺めています。


しかし本当はそれだけではなくて


同時に魂を持って目に見えないものを感じ取る事が必要なのだと
私は繰り返し説明しています。


通常、感覚器官ばかりに頼って生きている私達にとっては
その事はとても難しく、なかなか実践出来る事ではないかもしれません。


しかし、もしも私達がそれを実践する事が出来るようになれば
私達は目に見えるものと目に見えないものを同時に
認識する事になります。


極端な事を言えば、四次元を感じながら
三次元を生きる事が出来るようになるのです。


私達は自分達が通常見つめているものが
実は現象であると言うことを理解してはいません。


私達人間でさえも、
そして1000年生きていると言われるような樹木でさえも
実はこの宇宙空間の無限の時間の中においては、ほんの一瞬の出来事です。


私達にしてみれば、
一瞬の輝きである花火のような物こそを
現象として認識してしまいがちですが、


永遠と言う長い時間の中において
100年や1000年という時間も一瞬の瞬きに過ぎません。


つまり私達が”存在”と呼んでいるありとあらゆるものは
単なる現象に過ぎないと言う事です。


そして私達の因なる実態は,

いずれ朽ち果てる事になる肉体ではなくて

その魂にこそあると言うこと。


と言う事は私達は通常は誰もが結果(現象)ばかりを見つめていて、
その因なるものを見つめようとはしてはいない事になります。


そこで私達に求められているのが
原因と結果を注意深く分析すると言う姿勢です。


単に結果・現象だけを眺めないで、
結果・現象に関しても私達にありがちな先入観を持って眺めるのではなくて
赤子のごとく素直な心をもってそれを見つめる、


更には目には見えない万物の実態である生命力を
見つめるように勤める事が大切なのです。


それを実践するためにも原因と結果を意識できるような状態になる事が
私達に求められているのだと思います。


アダムスキーさんの著書の中では
「イエスが語ったように誠実になれ」
と言う趣旨の事が書かれていました。


言うまでもなくそれは私達が心を白紙の状態にして
素直に見たままを受け止めるような状態になりなさい
と言う事だと思います。


そしてそのためにも私達は幼子のような心を持って
何事をも見つめる事が大切であると言うこと。


私たちは自分の心が驕り高ぶっている事に気がついて
謙虚な気持ちで何事をも受け入れるような
そんな意識を持てるように勤める事が大切だと言う事です。


これは誰もが容易に実践できる事ではありません。


しかし数少ない普遍的真理の理解者である私達は
精神・意識の向上を目指している人間の中の
開拓者である事を自覚して皆でそれを実践して行きましょう。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


テレパシーと言った途端に引かれないように、
精神感応とか想念感応と触れたほうが良いかもしれません。


巷では工作員が人工テレパシー(音声送信通話)を超能力と勘違いしていたり
未知能力を科学力で引き出す実験が存在していたり
色々な事が起きている気配ですが、


本物の未知能力であるこの精神感応能力に関しては
自分が”これだ”と自覚しないと
いつまでも気が付かない事もあるかもしれません。


すでに感じているのに
それを想念と自覚していなかったりするのです。


最近の記事で触れているように
注意して欲しいのは、私達の意識は常に心がその中心にあるという事です。


何もしていない時でも
そこには何かを考えている自分が居ます。


ブラザーズやアダムスキーは魂と心の価値観は共通である部分が多いのでしょうが
私達は当初は、その考えている自分の意識の大部分は
心の動きだと思って間違いないと思います。


閃きや強い想念に関しては、自分のエゴである心が働いていても
浮かび上がってくる事はありますが


私が自覚している想念は、極端な話をすれば
心を”無”にした時にふと浮かび上がってくる
イメージのようなものです。


私が想念を感じる場面は主として二つで、
アダムスキーやブラザーズの記事で精神的な話を書いているときと、
何も考えないで居るような状態の時です。


眠くなって心の意識が押さえ込まれるような状況に
想念を感じやすいのは間違いないと思います。


ただ、問題はそれを想念と自覚できるかどうかの問題でもあるのです。


一方、記事を書いているときに関しては
私はその手が殆どとまらなくなる事があります。


頭の中に次から次へとイメージが浮かんでくるような時です。


不思議と精神的に安定している時こそがその傾向も強く
その閃きが自分の脳の働きだけでは説明できない事も
自覚しています。


自画自賛ではなくて、
自分の書いた記事に自分以外の意識を感じて
癒されていることもあるのです。


テレパシーに関しては特定の人間に対してブラザーズのような
能力が高い人間が送るような場合は


鈍い私のような人間でも閃きに近い状態で
それを感じる事になるのだと思います。


知り合いと二人で練習をするような時は
お互いが相手の想念を意識して、
それを感じているのだと”思い込む”のが良いかもしれません。


一人で練習するときは
トランプの裏を予測するという練習が簡単だと思います。


気をつけて欲しいのは、想念は魂で感じ取るものであり
本来は自分で想像してしまってはいけないという事です。


以前に私は花札で練習しようとしたら
少しして脳への妨害光線が来たので諦めましたが


一枚目をやろうとした時に
何も考えることなくイメージが勝手に浮かんできました。


イメージが浮かんできた時は
恐らくは想念を受け止めていたのだと思います。


カードの裏側を読むのではなくて
その一枚一枚のカードの絵柄を単なる表記と考えるのではなくて


一枚一枚のカードが個別の存在であると捉え、
深く理解すると言う事なのかもしれないと最近は考えています。


そうでなくてカードに向かって


「裏は何だろう。。。ハート?クラブ?」


必死にと考えていたのでは心が強く働いていることになります。


そんな事もあり、
想念を感じるにあたっては心は邪魔者であると
私は感じています。


一方想念を送る方に関しては全く自信がありません。


その結果を自分は知る事が出来ないからです。


ただ、送るときに必要なのは精神集中ではなくて
こちらもリラックスだとアダムスキーは触れていましたが
私はついつい途中から気合を入れてしまいます。


最近は想念を送ろうとするも
妨害で自分の気の流れも感じられない状態なので
どの程度発散できているかもわかりません。


アダムスキーやブラザーズの話では
想念とは全身から放射線の様に常に放射されているもので、


強く放射するには、リラックスした状態で
深く念じるような感覚が良いのかもしれません。


特定の人間に対して送るときは
相手のイメージを思い浮かべるのが良いそうです。


ブラザースなどは自分の事を考えられただけで
強く想念を感じ無視できなくなる感覚なのだと言いますが、


私達は、当初は何度もそんな機会があっても
その内の数回受け止めることが出来れば凄いのだと思います。


精神を使う練習にも役立つと思いますので
是非、実践練習をしてみてください。


私はかなり封じられていますので
半ば諦めている状態ではありますが、


体感は結構していますので
宇宙の法則含めて全てを100%信じることにしました。


「ニュータイプ予備軍よ、テレパシーを感じろ?」(苦笑)


本当の意味での平和と平等を望み、神の法則に生きる人間が増える事こそが
この社会を変えるきっかけになると思います。


そして皆で地球から卒業していきましょう。


過去記事を再公開します。

最初は今の私のコメントです。


不法滞在の韓国人.朝鮮人が多数
ハイテク洗脳加害者組織に流れては日本の一般市民を
苦しめている実態がありそうです。


彼らにしてみれば一番手っ取り早く職に就く方法ですし
日本の中の洗脳集団の創価学会
彼らを自分達の電磁波犯罪の協力者にしていることも
間違いありません。


そしてそれを頼って国内に不法滞在している連中も
少なくないかと思います。


生活保護や公団住宅にも
率先して入居しているかもしれません。


日本語を学んでそれを語れば
彼らを韓国人・朝鮮人だと認識することもできませんし


一旦屋内に入り込んでしまえば
彼らを認識する事も出来ないわけです。


あとは数年間暮らしていれば
日本語も堪能になるでしょうし、
日本人と見分けもつかなくもなるでしょう。


ましてそんな人間が日本には数百万人といるのです。


私達夫婦を苦しめているのもそんな連中のようですし
私の住んでいるアパートやその周辺には


大量に不法滞在の韓国人や
更には在日関係者が潜んでいることも
間違いないと思います。


ただ、今は彼らが、創価学会のような身勝手な人間達のためだけに
動いているようには見えない事がみそです。


私にはまとめて朝鮮半島の血による
日本の乗っ取りにしか見えないのです。


日本社会の中で朝鮮半島の人間の価値観がそっくりそのまま
一般市民にまで影響を及ぼしている事も間違いありません。


一方ではそんな連中が日本人を洗脳だけではなくて
淘汰している実態が必ずあると思います。


それはマスコミなどを通じての
報道や傾向にも現れていますし
(イケメンと言っては在日風の顔の人間を美化する)


彼らは自分たちはしっかりと子孫を残し
数の上での優位を意識しているでしょうが
(創価は子沢山を推奨)


一方では彼らの関係者が日本へと与えている効果は
間違いなく日本人滅亡へと導くための悪い効果だと思います。


ハイテクで不妊となってしまう人間、
ハイテクで夫婦仲を壊される事で子供を意識しなくなる夫婦、


時には脳への影響で男性は女性化され、女性は男性化し
それが日本の中の婚姻の減少にも繋がるでしょうし


敷いては日本人の人口減にもつながっているはずです。


危険な薬品を撒いてはその影響を与え、


人間の価値観を変貌し、そして人間の本来あるべき姿からかけ離れさせる
そんな事もまでこの人間達はやっていると思います。


そして遠くない将来この連中は
日本の人間になりすまし、この国内に大挙押しかけては
事実上の日本の主人になりすますつもりかもしれません。


つまりは朝鮮半島の血による日本支配です。

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以前所沢で、不可思議な事件がありました。


航空公園で人が絞殺体として発見された事件です。


しかし所沢警察はそれを自殺であると処理しました、


自ら窒息するまで自分の首を絞めるような
精神力のある人間がそんな自殺などするわけもなく


通常であればそれは事件とされるべきです。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10608968837.html


しかしそれは事件とされることなく
所沢警察はそれを自殺として処理しようとしたのです。


その事件が書き込まれている掲示板のスレッドには
不可思議な書き込みもありました。


「所沢は飛ばしているな」


その意味を当時の私はすぐに気が付くこととなります。


日本の中では警察絡み含めて
特定の人間達が日本の中の人間を淘汰することを目的として
それを実行し続けている。


それは所沢に限らず各地でネットワークを作り上げ
その意識は子供にまで伝わっているのだと思います。


少年の手による少年のリンチ殺人には
中にはそんな実態をもつ事件も
存在しているのではないかと思います。


学校での陰湿ないじめも、
更には地域の村八分含めて
それを実行しているのは実は一般の日本の人間ではなくて


集団ストーカー行為をそのまま利用し応用している
在日関係者の仕業である可能性をも感じています。


通常は流石に殺人事件という形をとるわけにも行かず、
欝に誘導しては自殺させたり、


ハイテクで病死へと誘導したり、


時には自殺に見せかけた上で
警察もそれに協力してはお目こぼしする。


そんな実態があるはずです。


私などはヒ素を水の中に入れらられて
それを無自覚に飲まされ続けた事もあります。


正常な意識の時の私は実はこの練馬に関しても
不可思議な町であると意識していた事があります。


私の住んでいた桜台付近は頻繁に近所の家が無くなり
その後は不動産絡みで建売やアパートへと
変わっていったのですが、


その頃から在日関係者と思しき人間が
どんどんと増えていたのです。


丁度2000年ころからだと思います。


私が集団ストーカー被害を嫌でも自覚する事になったのも
そんな人間達の私に対しての騒音行為が意図的である事に
はっきりと自覚したことが最初です。


当時はそれの意味がわからず、
なぜに不特定多数の人間が私に対して
音での嫌がらせを繰り広げているのかと


それまで日本の中での平和な暮らしに馴染んでいた私は
身の上に起きていることを理解することができませんでした。


(家族の中で一番最後にはっきりとしたストーカー行為を認識する
事になったのが私のようで、母親や義理の弟も既にやられていました)


まして頻繁に体のあちこちの具合が悪くなり
病院に通う羽目になっていたことも
全てはハイテクの関与などとは当時は知る由もありません。


ただ、引っ越した後もニュースなどで
練馬には不可思議な事件や火災が頻繁に起きている事も
意識するようになり。


練馬の街がどうやら特定の人間達によって
乗っ取られつつあるのだと言うことも気がつきました。


なぜにそんな街へと私が戻ってしまったのかといえば
恐らくは所沢での被害がひどくなり
洗脳が強化されたことで


都会に近づけばそれほどひどい目に
合わないで済むと考えたからだと思います。


しかし私が再び戻ってきたこの練馬は
まさに在日と創価学会の人間の
たまり場となっていたわけです。


所沢時代にも頻繁にみかけた光景ですが
韓国人らしき人間達がスーツケースを持っては
街の中へと入ってくる。


そんな人間達は街中で一体どんなことをして
暮らしていくのか?


勿論街中が在日や創価学会のたまり場となれば
人目も気にすることなく
堂々と働くことになるでしょう。


一方では未だ私のような日本人が街中に存在していれば、
在日や創価はそんな人間達を追い出しや
淘汰の標的とするわけで、


その時に彼らも協力する事になるのだと思います。


つまりは在日関係者は創価学会の仏敵排除だけではなくて、
在日のネットワークを作り上げ国内で自分達が心地よく暮らすために
日本人をさまざまな方法で淘汰しているのだと想像できます。


日本の各地にネットワークを作り上げながらです。


そして今は創価学会に所属しているような日本の人間も
いずれは排除対象となり洗脳強化でもされるのがオチです。

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ハイテク被害者の中でも自殺をしたとして
処理されてしまった人間がいます。


ツイッターでもお互いフォローしていたのですが
さきほど見るといつの間にかフォローも消されていたので
今日またフォローし直しました。


早坂 学さんという方です。


これには彼がハイテク被害を受けながら
恐らくは音声送信中心の暗示洗脳をうけ
死に怯えながら暮らしていた実態を書き綴ってあります。


ブログ  希望のある日が来るまで
http://panda2657.cocolog-nifty.com/blog/


こちらが私が当時書いた記事だったのですが、


ハイテク被害者の死
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11388202590.html


このURLでクリックすると


「この記事には一部、Amebaの健全なサイト運営にふさわしくない
言葉・表現が含まれている可能性がある為
アクセスすることができません。」とでて


読むことができない状態にされているようです。


今日はもう一度この記事をアップします。


文中に引用してある妹の書き込みは
その後すぐに消されたようでそのアカウントも今はないはずです。


ただ、これほどまでに死ぬことを恐れ続けていた人間が
例え衝動的であったとしても自殺を決行するなどという事はありえず、


それを実行したのは本人が語っているように
音声送信での語りかけをしてきた連中やその関係者、


そして本人が創価学会を指摘していることから
創価学会の関係者であると認識したほうが正しいと思います。


しかしこの件も単なる自殺で処理されたわけです。


何よりもこの社会の中の
こんな悪意を放置する人間達が許せませんし、


創価学会や朝鮮半島を優遇する処置を実行している
連中がまとめて悪魔の手先に思えます。


警察が在日や創価学会を優遇している以上
今後もハイテクによる自殺誘導や
自殺に見せかけての殺人は決して止むこともないでしょう。


しかしこの実態を暴きそれを正さねば、
この日本はまさに修羅と畜生と餓鬼のすむ
世界へと変貌してしまうことになります。


私達はこの実態を見て見ぬふりをしてはいけない。


更には国内で弱者の振りをして生きている
この卑怯な人間達を放置しておいてはいけないのだと思います。


ここからが過去の記事です。

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余計な地震の報告以外

当時の記事をそっくりそのまま公開します。


2012年10月25日12:10:45


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46 :名無しさんの主張:2012/10/23(火) 21:30:20.00 ID:5PYMUh66
このスレのスレ主そうろう尿漏れおさんに加勢してやるそうろいます。

>>43
警察全体を敵視してるのは
古川みたいな極左系の偽被害者と
春日部みたいなカルトバリ活信者な。


俺含め本物被害者達は
警察の「一部」がグルだと前から主張している。

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以前からの流れによれば、
アメリカを美化してそれに追従しない人間


真の意味での平和を願う人間は
左翼扱いされる事になるようです。


恐怖の巨大電磁波兵器を日本に対しても
使用している国にどうして従うことが出来るのでしょうか?


警察が組織である以上、そこに加害者がいるのであれば
それは組織の中で存在が意図的に放置されている
もしくはそれが公認されていると言うことになります。


つまり警察は信用できないと判断するのは
真の被害者であれば当たり前です。


ハイテク被害に関しても被害届けも受け取らない。


そして以前はマニュアルどおり
被害者を精神異常扱いしていたことも
真の被害者はみな知っているはずです。


現に警察は、昔から特定の人間たちの犯罪には
一切目を瞑って来たという実態もあります。


知らぬは一般市民ばかりです。


実はツイッターで被害を訴えていた人間が亡くなったそうです。

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早坂 学

@manabu_hayasaka
千葉県市原市


身体操作まで含めたテクノロジー犯罪の被害に遭って二年立ちます。
現在、家族に対して強い刷り込みが始まっていて危機的状態が続いています。


危機的状況から身を守るためにもブログやTwitterで情報を拡散していきます。
コミュニケーションが少し苦手です。


テクノロジー犯罪 音声送信 思考盗聴 感情送信 身体操作 ガスライティング


http://panda2657.cocolog-nifty.com/blog/

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私をフォローしてくれていた人間でもありますが
自分で被害ブログを書いていて、
そこでは殺人予告に怯えていた気配をも感じることが出来ます。


音声送信と言われる”ニューロフォン”というハイテク技術で
脳の聴覚神経?に直接声を送り込むと言う手法で


加害者達から延々と殺害予告を繰り返されていたようですし
脳への関与も続けられていたようです。


このような被害者の場合、身内には必ず洗脳された人間が
作り上げられることになるようですが


彼の場合は加害者達の発言から、それが妹で
自分は妹に命を狙われていると思い込まされていた様でもありますし、
それが真実であった可能性もあります。


そして彼の自殺?に関して
ありがちな後処理をしているのはまさにその妹です。。

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Almond @megazaru_rock2 9時間
@rirnrin9999 初めまして。突然のリプすみません。
私は@manabu_hayasaka の妹です。今月の21日日曜日に兄は硫化水素で自殺しました。
お礼だけ言わせて下さい。兄を励まして頂いてありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


実はこの被害者、妹に関しては刷り込みが進んでいることを
被害記事で主張していました。


妹は自分に強姦されたと言う刷り込みをされているとか
そんな内容です。

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2012年7月 3日 (火)
僕は生まれながら人体実験の対象にされていたかもしれません。
今までのブログの読者さんが困惑するとおもって
ブログに書くことを躊躇していたのですが
今日は思い切って書いてみようと思います。


ここまでの間に上層部から真実を伝えられ続けてきたのですが、
それらを元に思い起こすと生まれながらにして創価学会に目をつけられていて
親の代からの復讐代行から階下住人との引き起こされた
トラブルによる復讐代行に繋がっていました。


最初の依頼者は当時創価に熱心に学会活動を行なっていた
母方の前のじいさんで、班長までやっていました。


しかし、熱心に学会活動をするあまりに仕事をしなくなり、
家を追い出されてから消息不明です。


僕が生まれながらにして創価に目を付けられ
逆恨みされているとしたらそこしかないので、
可能性としてですが疑っています。


幼少期からたくさん見てきた不思議な夢(当時は普通の夢だと思っていました)や金縛り、
過換気症候群に似た症状の頻発、に遭うなどと、
思い起こすと人体実験のために生まれながらにして創価に目を付けられていたみたいです。


僕は中学3年間、親友に裏切られて引きこもり生活をし続けていたのですが、
現在、上層部の捏造部隊は僕が引きこもっていた空白の三年間の捏造期間を利用して
僕が妹をレイプした等、人を刺した等と事実無根の捏造を行い続けています。


そして妹への捏造された記憶の刷り込みは既に終わっていて
レイプされたと思い込んでいる状態です・・・


復讐代行に繋がってから僕は創価学会による捏造人体実験、
テクノロジー部隊の兵士育成のモルモットとして利用され続けています。


当時から創価に目をつけられてた証明になるものと言えば
家族全員(父を除く)が子供の頃から金縛りに遭っている事です。

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この人間の加害者が今現在も創価学会なのかどうかは判りません。


創価学会の名を語りながら、ハイテク被害を訴える人間を
排除しているユダヤの傀儡達がいるからです。


もちろん半ば洗脳されてしまったような人間達が
現に実行部隊として動いていた可能性は否定できませんが


自ら創価学会と語っていたとすれば
それも不自然ともいえます。


しかし一方創価学会広宣部のような組織が
ハイテク被害に関わっている事実は多くの被害者も知っています。


ただ、本人が未だ意識的に冷静だった時の書き込みに、
妹への刷り込みは完了していると記述があることから
彼がそう判断するだけの理由が存在していた事も伺えます。


憎しみを増幅したり刷り込む。


これはCIA得意の洗脳技術ですし
私の場合も義理の弟に対してそれが実行されたという経緯があります。


多くの被害者の共通点。


真のハイテク被害者で被害主張をしている人間の家族の中には
決まって加害者に洗脳行為を施行されたらしい人間がいること。


彼らはそれを切り口として被害者の意識誘導
被害強化を図ってきます。


ただ、私は今は国内の組織に関しては
縦に見つめてはいけないと思っています。


つまり加害者ネットワークは民族や隠された思想に基づいて
横に繋がっている人間達が主体になっている可能性が高いと思うからです。


創価学会の中であれば、昔からのハイテク加害者や専門家が存在していて
民族や思想にこだわっている人間達がいて、


一般信者は集団ストーカーは知っていても電磁波攻撃を知らない、
そんな実態もあるのだと想像しています。


同様に多くの組織の中にハイテク加害行為を実行している人間達がいて
それが民族や思想によって(ユダヤ教や朝鮮半島の血)横につながり
科学力の被害を主張している真の被害者を潰している。。。


そんな実態があるような気がします。


さらに今の加害者達の風潮は
特定の人間たちをこの社会の悪といわれる物の全ての原因とすることで、
自分達の加担してきた行為の一切を隠蔽しようとしているようにも見えるのです。


今のこの社会の中ではもしかしたら生活に困っている人間や
洗脳済みの人間、さらには騙されている人間などが利用されて加害行為をしていて
特定の人間達は手を汚すことなく傍観しているのではないでしょうか。


言ってみれば人間が人間を殺し食らう修羅の世界を
意図的に作り上げている人間達がいるのです。


この人間の妹と名乗る人間が
ツイッターで触れていたコメントです。

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Almond @megazaru_rock2 15時間
@manabu_hayasaka ちなみに私は妹を装って何かの宗教から指示されてるとか、
組織の人間とかではありません。
もし仲良くされてたお友達の方、単に知り合いでも構いません、何かお話したいです。


Almond @megazaru_rock2 15時間
@manabu_hayasaka もう届くことのないリプライなんですね。
自殺を決行したのは私の家に母が来て話をしている時でした。


母を責めても仕方がないですが、
どうして自殺するための道具を買う時に気づかなかったのかと
やり場のない悶々とした気持ちで満ちています


Almond @megazaru_rock2 14時間
@manabu_hayasaka 過去のブログを見返しました。


自分は兄に憎悪を持っていて殺人犯になって兄を殺害するとありますが、
そんな気持ちになったことは生まれてもって一度ありません。
思春期を堺にお互いに距離を起き始めてそれからあまり関わっていませんでした


Almond @megazaru_rock2 13時間


兄は私とメールがしたいと言っていました。
入院中も面会に来て欲しいといっていました。


早くツイッターに気付いてそこでコンタクトが取れれば
こんなことにはならなかったのかもしれません。

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どこまでが本当でどこからが刷り込みであるとか
そんな話は問題ではないと思います。


この妹が被害者本人の言っているように洗脳を受けたのか
それとも執拗な音声送信により被害者がそう思い込まされていたのかも
判断が出来ないからです。


繰り返し殺害予告と妹の手によるその決行を
音声送信で送り続けられていたとすれば
本人も精神状態が普通ではいられなかったと思います。


ただ、母親が妹のところに行っているタイミングに
この本人が自殺したと言う事のようなので


まるで「母親と妹にアリバイはありますよ」
と言うことを強調しているように感じて逆にそこに不振なものを感じます。


状況は「殺人ではありませんよ」と言うことを
強調しているように思えるからです。


そして練炭一酸化中毒死は自殺だけではなくて
殺害にも頻繁に利用されているものです。

ただ、本人も最悪自殺の可能性を示唆していたことも確かのようです。

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早坂 学 @manabu_hayasaka 16 10月


殺人を任されている攻撃者は殺害決行日に
僕が金縛りに遭わされ動けないのをいいことに
「最も残酷な殺し方をしてやるからな」と調子に乗って脅迫してきます・・・


攻撃者が殺害は3月になるだろうと言ってきています。更新遅れてすみません。
現在も、上層部による攻撃者たちを一つの枠組みに入れた憎しみを
主体とした記憶の捏造が続いています。


それによって攻撃者達の憎しみが日々、積み重なっています・・・


それと攻撃者達は上層部から殺害時期を新たに通知されたみたいで、
3月までには僕を殺害しなくてはならないと音声送信を通じて発言しています。


そして殺害を担当している攻撃者も限界にきているようで
「本当なら今すぐにでも殺しに行きたい」と言っています。


殺人任されている攻撃者による音声送信は残酷なものばかりでここでは触れませんが、
殺害決行日までに自殺しなければ、惨殺されるかもしれないです。


上層部も残酷な捏造ばかり続けており、
殺害方法も残忍なものになるようにしようとしている意図もあります。


この先、3月までの間に何が起きるか分かりませんが、
残酷な殺され方をするのであれば、自殺も視野に入ってくると思います。


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ここでは惨殺を恐れて自殺の可能性をも触れてはいますが
そんなコメントが却って彼の首を絞めた可能性も感じます。


もしも他殺であっても、それを自殺であったと判断させる要因を
作ってしまっているからです。


この被害者のブログから読み取れるのは、
攻撃手の人間達もどうやらすり込みを受け続け
殺人衝動を高めていたと言う可能性です。


この被害者は本当は死にたかったわけではなくて
死ぬ事を恐れていました。


他の記事では殺害方法として、
「身体をメッタ刺しにしては便槽へ干からびるまで
放り込んでおく」
とか具体的な内容まで書かれていました。


本人はそんな行為を恐れてもいたのです。


私の想像としては、そんな言動は彼らの脅しに過ぎないでしょうし
記事にまで書かれてそれを実行するとも思えません。


彼らはそんなむごい殺人をすることは出来ないはずです。


それ故に今回の彼の死が、本当に本人の手による自殺だったのか
そうでなかったのかの認識も余計に難しいと思います。


はっきりしている事は、生きる希望を持ち続けたいと
願っていた人間が死んでしまったと言う事実です。


それを死に追いやった人間達の罪は
あまりにも大きいと思います。

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2012年3月25日 (日)


深夜の間に僕の殺害が行われるみたいです。
現在まで脅迫を受けながらも、なんとか生存していますが
攻撃者達が予定していた殺害計画の時刻は夕方ではなく、深夜の時間帯でした。


その時間に強盗の振りをした妹を自宅に侵入させて僕を殺害させるようです。


そして現在、家族全員が攻撃者の意識操作によって操られて
完全に支配されてしまっていて絶望的な状況です。


自宅への侵入を防ぐために両親を説得しているのですが、
説得するたびに侵入を信じないように刷り込まれ続け、
このままだと時間がきたら妹がやってきた時に
タイミングを合わせて鍵を開けてしまうでしょう。


妹は一人暮らしを始めてから自宅に来ることはなかったのですが、
僕がテクノロジー犯罪に巻きこまれてしまった事で、
復讐代行業によるテクノロジー兵器を利用した殺人事件を行うための対象として
妹は選ばれてしまい、攻撃者によって憎しみを中心とした意識操作によって刷り込まれ続けて、
僕の住んでいる自宅にやってきて殺害を決意するまでに至ります。


計画をなんとかして阻止したいのですが、
攻撃者の定めた計画時刻が来たら刃物を持った妹の侵入を阻止する事は難しく、
このままおとなしく殺害されるしかないかもしれません。

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半年ほど前の書き込みからは、
かなり予告殺人に過敏になっている
その実態を感じることにもなります。


日々脳に対して殺人予告の声が響き続けば
不安と恐怖で冷静な思考をもてなくなることもあるでしょう。


しかしこの人間の過去の文章を読んでも
元々は冷静に物事を分析できる思考の持ち主であったことも
想像できます。


この被害者が亡くなった原因が自殺であれ他殺であれ、
その状態に追い込んだ人間達がいることだけは間違いありません。


この人間の「普通の暮らしをしてみたい」と言う希望を
その加害者達は奪ったわけです。


おそらくは今現在も組織的犯罪行為を実行しているのは、
末端の人間でお金に困っているような人や、
生活保護などで命令を実行せざる得ない立場の人間


さらには洗脳済みで物事の良し悪しが
判断できなくなっているような人間


更には元々道徳心など持っていないような
人間ではないかと想像しています。


その人間達の中にも被害者と言えるような人間も
存在しているのだと思います。


そしてこんな犯罪行為を中核となって指揮命令している人間達は
直接手を下すことなくそれを傍観している。


手を下した人間たちだって
一つ間違えば今度は自分達が生きた証拠として
消されることになるのかもしれません。


私には、いろんな理由でこの世に不要という烙印を押された人間が、
”次に消されていく予定になっている人間達”の手によって淘汰されている
ようにしか見えないのです。


直接手を下さなかった人間達は、
被害者とそれに直接手を下していたような人間達をまとめて淘汰し、
邪魔な人間と犯罪を犯した人間を消し去ることで


自分達にとっての平和を作り上げているような気がしてなりません。


私はユダヤ闇政府の事に関して取り上げて
その一切を批判している人間ですから
色んな人間に狙われるのは判りますが、


そうではない一介の被害者たちもが潰されていっているのは
結果的には日本人の血、ユダヤの大嫌いな日本人の中の特定の人間を、


貧しく弱い人間やお金で動かせる人間を利用しては
淘汰しているように見えます。


私に見えているこの社会は生き地獄です。


中世の魔女狩りの時代のようにも見えます。


人間が人間であることを止めているようなものではないでしょうか。


そんな状況を誘導しては、それに罪悪感をも感じない人間達が
この社会の支配者なのだとすれば


私達一般市民はそんな人間達に従ってはいけないのだと思います。


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一方、被害者に気が付いて貰いたい事もあります。


このように被害が激化しては入院や洗脳や
死へと追い込まれる人間がいる一方で


被害主張をすることもない程度の被害で
済んでいる被害者もいるのです。


この差は一体何なのかというところに
是非着目して欲しいと思います。


先日の被害者デモだって、おそらくは一番被害の酷い人間達は
殆ど参加することも出来なかったと思います。


組織的犯罪被害者と自覚してからほぼ5年間、
他の被害者を見ていて気が付いたのは


紐なしの本当の被害者、
今現在の日々の被害で苦しんでいる実被害者こそが
どんどんと淘汰され倒されていると言う実態です。


私は同じような被害者であったにも関わらず、
途中から被害を訴えなくなった多くの人間達の存在にも
気がついています。


私のような被害者とそんな人間達の差は一体何なのか?


結局は最後にはその血や思考が
ものを言っていると私は想像しています。


ユダヤ批判がいけないのなら
私のような被害者だけが消えるはずです。


しかし実態はそうではない。。


証拠隠蔽が続き、一方では日本人の中の狙われた血が
今も消され続けているような気がしてならないのです。

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P.S.


昨日のような記事が私の”希望”ですが


一方では私の理解者のような資質のある人間ほど
この社会から淘汰され続けているような気がします。


少し以前には東北から、
死を覚悟して?らしきメールをくれた方もいました。


返事は遅れて出しましたがそれに返答はありません。


資質ある潜在的な同志には、
せめてそんな事になる以前に、私の記事をきっかけに
真理に触れていてくれることを期待します。


この社会は変われないのか?


それともこの社会で暮らすには
私達の意識がかけ離れてしまっているのでしょうか?


修羅や地獄と言える社会に適応して暮らせることの方が
私達にしてみれば問題なわけで、


淘汰されたとしてもそれは恥ではなくて
創造主の法によって進化へと導かれたと思って良いのだと思います。


覚醒者であれば自分の立場を理解しているでしょうし
心が腐る前にこの生を終えれる方が幸せだと思います。

私達には次の、”進化した生”が待っているからです。


私はもう、この社会の慣習に従う気もありませんし
追従する必要もなさそうです。


哀悼の意は表しません。


早坂さんがこの地獄社会から抜け出せて、
次は平穏な人生が送れる事を願っています。


貴方に創造主の導きがありますように。