穏やかな正月

※注 今宵は とりとめなく 纏まりなく ( 気分が悪くなったら 画面から離れましょう )
街の暮らしでは
近所と言えば 近所と言える 距離も
人の気は 薄く 路地 ひとつ入れば み知らぬ街
寝込むほどでは 無いけれど
年越しの 風邪に 遠出は控えた
退屈を ポケットに詰めて 厚着をして
み知らぬ 石塀や 表札など 眺めつつ さまよった
地元で産する 石材を用いた垣
表面は 剥離し易く 柔らかく 壁は白い
石積みの隙間に 根を下ろした ヒメツルソバが
淡い花の色で 冬らしく 枯れた 風情を 漂わす
なんとなく
クリスマスのオーナメント もしくは 正月飾り
そんな風に 見えなくもなくないようにも 思われる
( ここは なくなくない と 言えばよいのだろうか )
ヘンな日本語に リアリティを感じた これが 時代の気分 要請だろうか
そんな とりとめの無いことを 思いつつ 角を曲がった
穏やかな 三が日
遠くを走る 車の音や 工場や 工事現場
世の中を回してる音 低く間断なく 響いた基調音 人工的な音
いつもなら 一日中 途切れることの無い
意識下に 鳴り響く バックグラウンドのノイズが
幾分 ボリュームを 絞ったようで・・・
人工的な音の無い街
人工的な光の無い夜
そんなことを ぼんやり 考えながら 歩いていると
一閃 けたたましく 目の前を横切った ヒヨドリの鳴き声

飛び来たる方向に 眼を遣ると
啄ばみかけた 金柑の実
彼らにしてみれば 近付く私は 自然か それとも 既に 人工的な・・・
人工的?
・・・?
いきなり・・・ですが
ここまで 書いて 「人工的」の語に 妙に 引っ掛かってしまって
そこで 一旦 中断
改めて その意を 整理してみることに
~ 人工的 ~
「自然と類似の事物・現象を、人間がつくったり起こさせたりするさま」
ひとつは 人間による 自然の模倣 という意味
そして もう一つは 自然・天然の 「対義語」としての 人工
自然・天然に 反するものとしての 人工
自然に非ず という意味では どちらも 同じことでも
自然へと 向かうベクトル 反撥するベクトル まったく逆方向で
自身 このところ 後者の意味合いで
自然・天然と 対立・敵対する概念としての 人工
この意味合いで 人工 という言葉を 捉えることが 多いような気がする
人工 の語に 否定的な意味を 与えている自分
でも 単純に いい わるいとも 思っている訳でもない自分
そして それ以上に 現実の 深く複雑な関わりを 感じもする自分
もう少し わかりそうで 何か言えそうなんだけど・・・ 更に 角を曲がると 知らない道
構わず そのまま 歩いてみる
じゃあ 関係ないかも知れないけど 手づくり なんて言ったら それってどうなんだろう
ものづくり なんて言ってみると 時代は 肯定的な気もするし
人工? 天然? 自然? 手づくり? 問題はなに? 方法? 思想?
なんだか 余計まとまらなくなって
思考も 深まることもなく 更に どうでもいいことが 気になりだす
いきなり 細い 横道に 分け入ってみる
天然うなぎ 養殖うなぎ 輸入うなぎ これらは どうなるのか?
どれも にゅるっと してるよねえ
では 夜のお菓子 うなぎパイは 人工なのか? 手づくりなのか?
・・・ ここまで 書いて 〆も オチも 付けようが無いことを悟り
ここの文は 消して 金柑の話の 続きに戻ろうか
啄ばみかけた 金柑の実・・・
いや もう それも やめておこう
引き返すには 坂道 登んなきゃ
どうせ 行く先も定めぬ 散歩中の 取り留めの無い 思い付きならば 思い付きのままに
偶には 迷子になって 保護されてみるのも 悪くは無い気もする
言い切って キレイにまとめて
何かが こぼれてしまうことも また よくあることだし
こぼすだけじゃなく ウソになって しまうことだって まま あること
それならば まさに み知らぬ街を さまよい 歩くように 潔く
そうは言っても
これが
2012年 最初の記事でもあると思うと・・(笑)
本年も 温かい眼で 見守っていただけますよう お願い申し上げます

希望の新年を

今年も残すところ僅かとなりました
一年間 お付き合いいただき ありがとうございました
何はともあれ いま ここに こうしていること
白い雲 風にそよぐ木々 夕映えの海 沈む太陽 煌めく一番星 &旨い酒
そして
ここで 出会えた 全ての方に 感謝して・・・
・ ・ ・
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。
宮澤賢治 『注文の多い料理店』 「序」 (抜粋)
みなさま よい年をお迎え下さい
「 Lullaby of Birdland 」 Sarah Vaughan
市民科学者として生きる

店舗のシャッターに 休業の貼紙が
家々の軒先に 門松が
時間が ゆるりと 流れます
今日は このお休みに お読みいただきたい
一冊の本を ご紹介させていただきます
高木仁三郎 著 『 市民科学者として生きる 』
高木仁三郎(1938-2000)さんは、反原発・脱原発の科学者として、また、大学や企業といったものに所属しない「市民の科学」を目指した「市民科学者」としてその一生を捧げた。本書は、自身がガンに侵されたこと、残り少ない余命を知り、病床で纏めた半生記でもあります。
ここではあえて、高木さんとは、大きく立場を異にすると思われる「日経ビジネス」誌での書評をご紹介します(amazonより転載)
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反原発に立つ 原子力の専門家が 問う専門家の責任
著者の高木仁三郎氏については、かねて関心を持っていた。チェルノブイリの事故で原発の安全性について関心が高まったころ、氏はテレビの討論番組に反原発の立場でよく出ていた。肩書は原子力資料情報室代表(現理事)とあるだけで、原子力発電という巨大な国家プロジェクトに対して、どんな政党にも機関にも頼らず、在野の一科学者ということだった。
一体どういう人だろうと長らく疑問を抱いていた。氏は東大で核化学を専攻した後、日本の原子力開発の創成期に日本原子力事業(後に東芝に吸収された)で原子炉で生成される放射性物質の研究に取り組み、その後東大原子核研究所に転じて宇宙核化学の研究で成果を出し、1969年30歳で都立大の助教授にスカウトされた人物だった。俗な言い方をすれば、この時点で学会での将来は保証されていたと言っていいだろう。
だが、高木氏はドイツに留学してやりかけた研究の決着をつけると、慰留を振り切って73年に都立大を退職してしまう。なぜか。それが、本書に書いてあるわけだが、一口で言うと科学者の責任ということだろう。責任と言っても、家族に対する責任、給料をくれる会社や組織に対する責任、 社会人としての責任といろいろあるが、この場合は専門知識を持った者の責任と言ったらいいだろうか。
もし医者が、売り上げが上がるからと必要もない手術をし、必要もないクスリを投与したとすると、病院経営者としては責任を果たしているが、本来の医者としての責任を果たしているとは言えない。同じことが企業内で、研究機関でさまざまな研究開発、巨大プロジェクトを遂行している専門家たちにも言えるのではないか。会計士、法律家 、経営者、エコノミスト、ジャーナリストなどにも言えることだが、原子力や遺伝子などの地球規模でしかも何世代にもわたって深刻な影響を及ぼす分野の研究者の責任は、重さが違う。
本書には、高木氏が自分の道を突き進もうとして、壁にブチ当たっては煩悶したさまが赤裸々に語られている。暗澹たる気持ちにさせる組織的な嫌がらせや、昨年夏発病したガンとの闘い、そこから得た新たな心境についても語られている。しかし全編を通じて、群馬県の前橋で過ごした少年時代のちょっと反抗的でやんちゃな高木少年の面影がこだましている感じで、けっして暗い印象はない。こんな時代にこういう人物がいるのが、不思議である。いや、こんな時代だからこそ、出てきたのだろう。
(ジャーナリスト 野口 均)
(日経ビジネス1999/10/11号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)
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本書をご紹介したいと思ったのは、勿論、福島での原発事故発生を受けてのこともありますが、それ以上に、高木仁三郎さんという人の「生き方」こそが、いままた、改めて私の胸に迫ってくるからでもあります。
今回の事故発生当初、「安全だ、問題ない」と得々と語り、今では姿すら見せない御用学者のような、アタマの良さを、要領の良さとしか使えない類の者達と比較すれば、とても要領のいい人生とは言えないでしょう。
むしろ、挫折や苦難の連続と思われる人生。けれども、高木さんの生き様には、氏がよく使った言葉でもある「希望」が、そこかしこにきらめいて見えるように思われます。そして高木さんは何よりも行動する人であったこと。これこそが、今、とても大事なことでは無いでしょうか。
原発問題というとテクニカルな議論で難しいと敬遠される方もいらっしゃるかと思いますが、本書は読み物としても充実した内容です。このフクシマ後の時代を生きるものとして、一人の人間の生き方として、ぜひ、手にとっていただきたいと思います。
勇気と希望を持って迎える2012年のためにも。
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↓高木仁三郎氏を紹介した番組(タイトルのような持ち上げられ方は望まないでしょうけど)
