音楽と色彩と匂ひの記憶

深まりゆく秋の記憶の色は
飴色か 琥珀色か べっ甲色か
それは
駆け込む夕暮れの 余りに長き秋の夜が
ビールで留まるを良しとせず
ウヰスキーへと 我を いざなうがその理由
な~んてことは有りませんけどね・・・
* * *
「音楽と色彩と匂ひの記憶」
エミル・ヴオオケヱル
音楽と色彩と匂ひの記憶われに宿る。
逝きし日を呼び返さんとせば、
花をつみとれ。われに匂ひの記憶あり。
音楽の記憶われに宿れば、
怪しき律のうごきは、
ノスタルヂヤのわが胸に昔を覚(さま)す。
花をつみとれ、楽(がく)を奏でよ。
何人(なんぴと)か、何事か。忘れしものを思起すに、
われには色の記憶あり。
われ思出づ、紅の黄昏に、
わが恋人は打笑みわれは泣きけり……
われには色の記憶ぞ宿る。
( 永井荷風 訳 『珊瑚集』所収 )

louis poulsen 「MOSER PENDANT」
秋の夜長に 偶には寝転んで読書でも・・・
寝室の灯りを点けてみました
夏の間は
ベッドに滑り込むのは大抵明け方で
レースのカーテンの向こうが もう 透けて見える時刻
そんな訳で これまで出番の少なかった
お気に入りの 涙のしずくも
漸く その輪郭を 秋の色に浮かべて
吹きガラスのランプは 光が拡がりすぎて
本来 寝室には向かないものだろうけれど
調光で加減した灯りは
線香花火の最期のしずくのように
暗く あかく
ポトリ
と
落ちてしまいそうな
光 眺めつつ
更けてゆく
・・・秋の夜です
「 亡き王女のためのパヴァーヌ 」 モーリス・ラヴェル
十月の恋人に捧ぐ

「 風のなかに巣をくふ小鳥 」
――十月の恋人に捧ぐ――
大手 拓次
あなたをはじめてみたときに、
わたしはそよ風にふかれたやうになりました。
ふたたび みたび あなたをみたときに、
わたしは花のつぶてをなげられたやうに
たのしさにほほゑまずにはゐられませんでした。
あなたにあひ、あなたにわかれ、
おなじ日のいくにちもつづくとき、
わたしはかなしみにしづむやうになりました。
まことにはかなきものはゆくへさだめぬものおもひ、
風のなかに巣をくふ小鳥、
はてしなく鳴きつづけ、鳴きつづけ、
いづこともなくながれゆくこひごころ。
*

大手拓次(1887-1934)
彼の背景を知らず その詩に接するならば
紡がれる言葉のやわらかさとあたらしさに
百年前の詩人とは思いもよらないことでしょう

同時代のほかの詩人と比べてもひとり
詩壇から遠く離れて会社員生活を送り

生前には一冊の詩集を纏めることも無く

茅ヶ崎のサナトリウムで 亡くなる時も一人だったそうです
十月の恋人に別れをつげると
十一月三日は 四十八歳で亡くなった拓次の命日です
<訂正>
※勘違いしておりまして、十一月三日は「命日」ではなく「誕生日」でした。
個人的には昔から、生まれた日を「命日」と呼ぶ方がしっくりくると思ってます(言い訳)
「 Codex 」 Radiohead
※ The water's clear and innocent・・・
お答えします。

露西亜つながり・・・(本文とは関係ありません^^)
Q :「 ねえねえ。事実と真実の違いってなあに? 」
というご質問を頂きましたのでお答え致します
っていうか
こういう小学生のような質問はしない
というのがオトナのルールかと存じますが
私も大人 アダルトに解答させていただきます
*
「真実」はもとより 「事実」の足元すらも ぐらついている昨今ですが
「事実」と見做されているものならば いたる所 捨てるほどあります
今の季節に喩えて言うなら 山に生えるキノコのようなものです
しかし 「事実」ではあっても それが「真実」とは限りません
いや むしろ そうで無い場合が圧倒的に多いのです
キノコにも ツキヨタケ テングタケ・・・
食べられない毒キノコがあるように
役に立たない むしろ害になる そんな「事実」も多いのです
*
「真実」 はその辺りに生えていたりはしません
「秘められた」 とか 「暴かれた」
といった枕言葉が 必ず付く事からもお解りでしょう
「真実」とは 誠に希少な存在なのです
「事実婚」 というのは聞きますが
「真実婚」 というのは聞きませんね
愛し合う二人ですら 生み出すことが困難なもの
それが 「真実」
まさしく キノコの世界で言えば マツタケに相当する貴重なものなのです
*
残念ながら 乱獲 環境破壊等の影響もあり
国内産の 「真実」 いえ 「マツタケ」は 年々生産量が減少しています
そこで今では 「中国産」 「韓国産」 が幅を利かせています
そう
これが 「真実」 の厄介な所なのです
軸の丸く太った立派なマツタケを イメージしてみましょう
これぞ 「事実」=「真実」 を体現した奇跡の存在
と思いきや
「真実」はひとつに非ず 中国産の「真実」もあれば 韓国産の「真実」もあるのです
それぞれが 我こそ唯一無二なり と声を荒げているのです
*
「やっぱり国内産! 香りが違う!」
とも申しますが
最近 「国内産」の文字に 自信が持てない私です
キノコ類が 放射性物質を濃縮して取り込みやすいというのは
チェルノブイリ後 よく知られたことです
現在も 国や東電は 「マツタケだ~ マツタケだ~」 (安全だ~ 安全だ~)
と言って食べさせようとしていますが
どう よく解釈しても あれはいいところ エリンギだと思います
*
ここまで来ると 「真実」の尊厳も無く
冒頭に述べた通り 「事実」 の存在すらも
怪しくなっていることがお分かりいただけると思います
「事実」を
「真実」を
問うことに疲れ果て
小学生はオトナになるのです
エリンギをマツタケに かにかまをタラバガニに!
「いや、アレはアレで、結構美味しいよ」
と 思ったアナタは やっぱり やさしい日本人かも知れません^^
「 蛹化の女 」 戸川純
※ ああ それはあなたを思い過ぎて変わり果てた私の姿・・・