一疋の青猫 -49ページ目

音楽と色彩と匂ひの記憶


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深まりゆく秋の記憶の色は

飴色か 琥珀色か べっ甲色か

それは

駆け込む夕暮れの 余りに長き秋の夜が

ビールで留まるを良しとせず

ウヰスキーへと 我を いざなうがその理由



な~んてことは有りませんけどね・・・



* * *



「音楽と色彩と匂ひの記憶」
エミル・ヴオオケヱル


音楽と色彩と匂ひの記憶われに宿る。

逝きし日を呼び返さんとせば、

花をつみとれ。われに匂ひの記憶あり。

音楽の記憶われに宿れば、

怪しき律のうごきは、

ノスタルヂヤのわが胸に昔を覚(さま)す。

花をつみとれ、楽(がく)を奏でよ。

何人(なんぴと)か、何事か。忘れしものを思起すに、

われには色の記憶あり。

われ思出づ、紅の黄昏に、

わが恋人は打笑みわれは泣きけり……

われには色の記憶ぞ宿る。


( 永井荷風 訳 『珊瑚集』所収 )





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louis poulsen 「MOSER PENDANT」





秋の夜長に 偶には寝転んで読書でも・・・

寝室の灯りを点けてみました

夏の間は

ベッドに滑り込むのは大抵明け方で

レースのカーテンの向こうが もう 透けて見える時刻

そんな訳で これまで出番の少なかった

お気に入りの 涙のしずくも

漸く その輪郭を 秋の色に浮かべて


吹きガラスのランプは 光が拡がりすぎて

本来 寝室には向かないものだろうけれど

調光で加減した灯りは

線香花火の最期のしずくのように

暗く あかく


ポトリ



落ちてしまいそうな

光 眺めつつ

更けてゆく




・・・秋の夜です






「 亡き王女のためのパヴァーヌ 」 モーリス・ラヴェル










十月の恋人に捧ぐ


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「 風のなかに巣をくふ小鳥 」
――十月の恋人に捧ぐ――

大手 拓次


 
あなたをはじめてみたときに、
 
わたしはそよ風にふかれたやうになりました。
 
ふたたび みたび あなたをみたときに、
 
わたしは花のつぶてをなげられたやうに
 
たのしさにほほゑまずにはゐられませんでした。
 
あなたにあひ、あなたにわかれ、
 
おなじ日のいくにちもつづくとき、
 
わたしはかなしみにしづむやうになりました。
 
まことにはかなきものはゆくへさだめぬものおもひ、
 
風のなかに巣をくふ小鳥、
 
はてしなく鳴きつづけ、鳴きつづけ、
 
いづこともなくながれゆくこひごころ。



*



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大手拓次(1887-1934)

彼の背景を知らず その詩に接するならば

紡がれる言葉のやわらかさとあたらしさに

百年前の詩人とは思いもよらないことでしょう





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同時代のほかの詩人と比べてもひとり

詩壇から遠く離れて会社員生活を送り





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生前には一冊の詩集を纏めることも無く





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茅ヶ崎のサナトリウムで 亡くなる時も一人だったそうです

十月の恋人に別れをつげると

十一月三日は 四十八歳で亡くなった拓次の命日です



<訂正>

※勘違いしておりまして、十一月三日は「命日」ではなく「誕生日」でした。
個人的には昔から、生まれた日を「命日」と呼ぶ方がしっくりくると思ってます(言い訳)









「 Codex 」   Radiohead

※ The water's clear and innocent・・・








お答えします。


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露西亜つながり・・・(本文とは関係ありません^^)






Q :「 ねえねえ。事実と真実の違いってなあに? 」




というご質問を頂きましたのでお答え致します

っていうか

こういう小学生のような質問はしない

というのがオトナのルールかと存じますが

私も大人 アダルトに解答させていただきます

*

「真実」はもとより 「事実」の足元すらも ぐらついている昨今ですが

「事実」と見做されているものならば いたる所 捨てるほどあります

今の季節に喩えて言うなら 山に生えるキノコのようなものです

しかし 「事実」ではあっても それが「真実」とは限りません

いや むしろ そうで無い場合が圧倒的に多いのです

キノコにも ツキヨタケ テングタケ・・・

食べられない毒キノコがあるように

役に立たない むしろ害になる そんな「事実」も多いのです

*

「真実」 はその辺りに生えていたりはしません

「秘められた」 とか 「暴かれた」

といった枕言葉が 必ず付く事からもお解りでしょう

「真実」とは 誠に希少な存在なのです

「事実婚」 というのは聞きますが

「真実婚」 というのは聞きませんね

愛し合う二人ですら 生み出すことが困難なもの

それが 「真実」

まさしく キノコの世界で言えば マツタケに相当する貴重なものなのです

*

残念ながら 乱獲 環境破壊等の影響もあり

国内産の 「真実」 いえ 「マツタケ」は 年々生産量が減少しています

そこで今では 「中国産」 「韓国産」 が幅を利かせています

そう

これが 「真実」 の厄介な所なのです

軸の丸く太った立派なマツタケを イメージしてみましょう

これぞ 「事実」=「真実」 を体現した奇跡の存在

と思いきや

「真実」はひとつに非ず 中国産の「真実」もあれば 韓国産の「真実」もあるのです

それぞれが 我こそ唯一無二なり と声を荒げているのです

*

「やっぱり国内産! 香りが違う!」

とも申しますが

最近 「国内産」の文字に 自信が持てない私です

キノコ類が 放射性物質を濃縮して取り込みやすいというのは

チェルノブイリ後 よく知られたことです

現在も 国や東電は 「マツタケだ~ マツタケだ~」 (安全だ~ 安全だ~)

と言って食べさせようとしていますが

どう よく解釈しても あれはいいところ エリンギだと思います

*

ここまで来ると 「真実」の尊厳も無く

冒頭に述べた通り 「事実」 の存在すらも

怪しくなっていることがお分かりいただけると思います

「事実」を

「真実」を

問うことに疲れ果て

小学生はオトナになるのです


エリンギをマツタケに かにかまをタラバガニに!



「いや、アレはアレで、結構美味しいよ」



と 思ったアナタは やっぱり やさしい日本人かも知れません^^








「 蛹化の女 」   戸川純

※ ああ それはあなたを思い過ぎて変わり果てた私の姿・・・