愛が・・・すべて

ここは、古い港街。漁業が盛んな街も温暖化の影響か、すっかり水揚げも減ってしまった。テコ入れの開発計画も、バブル崩壊後、続く景気の低迷により頓挫したままである。その影響は、ネコ社会にも暗い影を落としていた・・・。
◎登場ネコ・・・写真の上段より順に
毛づくろいの又吉
ネコ1(左) ネコ2(右)
音次郎(左) フランソワーズ(右)
<ネコ1>おい、アイツら、見掛けない顔だにゃー。特にあの女、ここらのモンじゃねえにゃー。
<ネコ2>確かににゃ。近頃は餌も減ってんだ。おとなしく通すわけにはいかねえにゃー。
古い慣習が残るこの港町のネコ社会では、よそ者への風当たりは強い。幼い頃に生き別れた外国ネコを親に持つフランソワーズは、これまで落ち着く場所も無い、厳しい半生を過ごしてきた。
<フランソワーズ>ねえ、みんなこっちを見てる。こわいにゃ。
<音次郎>大丈夫だにゃ。ボクがついてるにゃ。
<フランソワーズ>いいの?音次郎さま。私といるときっと迷惑を掛けちゃうにゃ。私はすこしもキレイじゃないし、しっぽも短いし・・・。
<音次郎>なに言ってるにゃー。その真っ白くてやわらかい毛は、まさにネコの憧れ、ネコっ毛だにゃ。きれいだにゃ。おっちょこちょいでも、なにがあっても、フランソワーズ、君が好きだにゃ。君を守ってみせるにゃ。
<フランソワーズ>ありがとう。うれしくて涙が出るにゃー・・・。
<毛づくろいの又吉>さ、おふたりさん。日が暮れるとこの辺りは物騒だにゃ。波止場から北行きの船が出る。さっさと行っちまいにゃ。
<毛づくろいの又吉>だけど、いいかい?一言いっておくが・・・どんな時だって、ふたりを結ぶのは愛。行く道を照らす光だにゃ。・・・愛がすべてだってこと、忘れちゃいけにゃーぜ。
<音次郎・フランソワーズ>にゃっ!(はい!)
こうしてふたりは船に乗り、生き別れた両親をさがす、波乱に満ちた北の旅に出たのでした・・・。
「二隻の舟」 中島みゆき
夏富士夕景

もう そろそろ 帰ろうかと
別れの ご挨拶を 西の空に 申し上げていると
太陽の沈んだ 海の背中から 扇のような 幾筋もの 光の束が
そして その 扇の要には 富士の姿が
以前の記事で →日出処の…
太陽の沈む位置を調べ 冬至の頃に最南 そして 夏至の頃 最北に 沈み
それは 角度にして 約60度の違いがあることなどを 書きましたが
実は その時に あわせて 知ったことがありました
私の住むエリアから 西を望んだ時 目に入る ちょっとうれしい 存在
そう 富士山
その 富士山と 海と 夕陽が 重なる 日時はいつなのか?
想像するだけでも わくわくさせる
ところが
調べてみると その条件を満たすのは ちょうど 真夏の時期
その時期に 富士が 姿を見せることは かなり難しい
自然の めぐり合わせに ちょっと 落胆したのを 覚えている
けれど
今日は 強い風が吹いていたせいもあるのか・・・

やや 波の高い 海の上に
ゆったりとした 稜線のシルエットを 浮かべていました
久し振りに 再会した 海越しの富士に
別れ際の 立ち話が 再び 始まる
いと をかし
いと 立ち去り難し

かなり 近くに 沈んでます
さて
夕陽鑑賞歴も長い わたくしから みなさまに その ポイントを ひとつ
それは・・・
「沈んでからが勝負!」
太陽が 海に沈むと 安心して 帰っちゃう方が いらっしゃいますが
それは もったいない!
そこからの時間が 光の饗宴
特に 雲が程好く 出ている日は 要注意 要観察
思いがけないところから 思いがけない 光が 色が
そして 刻々と 移りゆく グラデーション
沈んでから 一杯 注文しても 大丈夫ですよ
夏の 夕景に 乾杯です
※→こちらのサイト「日出没時間・方向」
お住まいの場所、旅先からでも、その日の、また任意の地点・日時の、
夕陽の沈む方向・時刻など(もちろん日の出も)が調べられます。
Google Map 上に表示されますし、写真など撮られる方は便利だと思いますよ。
十六夜

いざよいの 月影に 照らされて
白く 浮かぶ 休漁の 船
殺生を 禁じ 御魂を 迎える
命をもって 命をあがなう 日々の暮らし
めぐる 命に 思いを馳す
盆休み

ふだんは 魚が 水揚げされる 漁港の 突端に
櫓が組まれ 提灯が 飾られた
風に 流れて 太鼓の響きが 聞こえる
三々五々に 人が あつまる
浴衣姿の 親子づれ
夏まつり
・・・・・・・・・
十年はひと昔 暑い夏
おまつりはふた昔 セミの声・・・
小学校の頃 夏休みは 毎年 九州の 実家へ
お盆になると 本家ゆえ 大人達は あわただしく
子供は ほおって置かれる
仕切りのふすまを外した 大広間で
無数の 盆提灯の まわる光を ぼーっと 眺めていたり・・
隣県に住み やはり お盆になると やってきたのが 母方の祖母
小柄であったが 夏も変わらぬ 着物姿が 思い出される
他の大人が 立ち働く中 祖母は 私の 面倒を見ては 様々な話を 聞かせてくれた
祖母の父親は 明治期に ドイツ語の教師をしていたくらいで
祖母自身も かなりな教育を 施されていたよう
夫(祖父)が シベリア抑留となり 半生を 一人で暮らした
祖母は そんな悲しみを綴った詩を 読んでくれたりもした
そんな祖母が 八月生まれの私に よく言っていたことがある
「どうして、十九日なんて日に届けたんだろうね。九は苦だからね。苦労するけど、頑張るんだよ。」
子供心には けっこう ショック(笑)
いや ショックまでは いかないかな ショッキング(笑)
そう 言われても 目下の悩みは 夏休みの宿題 くらいで
「苦労」 なんて どんなことが 待ち受けているかも まだ 想像だに できない頃 だから
そんな おばあちゃん だったけど
一緒に 話すのは 好きだった
誕生日の話も含めて 大人扱いとは言わないけれど
子供扱いしなかった
最初の 大人だったからかも知れない
こんなことを 思い出すのも お盆
祖母の 魂が 還ってきているのだろう
「 おかえりなさい 」
