先日、90歳の母を連れて日帰り旅行に出かけた。

最近足腰も弱くなり、緑内障で視力も衰えてきた母。

もしかしてこれが最後の旅行かもしれないと、娘一家とみんなで色々計画したけれど、泊まりはみんなに迷惑をかけるからどうしても嫌だと言い張る。

それならせめて日帰り温泉で美味しいもの食べに行こう

母は一人で歩けるけれど、脊柱管狭窄症で長時間は無理。ちょっとの段差でも転びやすいので、事前に車椅子も借りて万全の準備をして出かけた


はずだった


旅先はお隣り県の近場、大津の雄琴温泉。
この大寒波の日を予約して 笑

強風吹き荒れる琵琶湖を見て、さーー早く温泉入って美味しい食事をとホテルに向かった。

ホテルについて、母はまずはトイレ。
車椅子を押していた長女に任せて私は ゆっくりお土産を見ていたら

長女が

おばあちゃんが転けた〜と飛んできた!

慌てて行ってみると、大量に血を流してトイレにうずくまる母親が


えぇーーーーガーン

血まみれの母は見る見るうちに鼻が腫れ歪んできて、これは絶対折れているなと素人目にも想像できた。

ホテルの人に近くの病院を教えてもらい、長女と車で20分ほどの大きな救急病院へ向かった。


私達以外の夫、二女、婿、孫の8人は温泉と食事を楽しんでもらうことにして。


病院には連絡をしておいたけれど、やはりの救急病院。

どこも本当に待たされる。

母はずっと血が止まらず、ティシュを抱えて鼻を押さえている。顔はどんどん腫れ上がり、見た目も結構事の重大さがわかるような状態なので、何人か看護師さんが声をかけてはくれるが、一向に診てもらえる気配はない。


やっとのことで診てもらったが、鼻は耳鼻科になるので専門医がいない。

鼻血だけでなく、鼻頭が切れていてそこからの出血もあったので、縫ってもらい応急処置はしてもらった。

CT撮ると鼻骨がぐちゃぐちゃに複雑骨折しているが、ここでは対応できないから耳鼻科を紹介すると言われた。


しかし、今後隣県まで治療に通う事は出来ないので、急遽帰って地元で病院を探すことに。


病院でかなり待たされたせいか、みんなお風呂に入り食事も終わっていた。

二女なんて、エステまで受けていた爆笑


近江牛と夜に予定していた京都のイルミネーションが飛んでいった笑い泣き


でもそんなことはどうでもいい。


一応指定なしの紹介状と画像診断のCTは用意してもらったけれど、どこが対応してくれるのか…


帰路の車中であちこちの耳鼻科に電話したが、専門的なことはできない。

大病院も診療時間を過ぎていたので、救急には耳鼻科の専門医がいないと断られ、やっとのことでとりあえず診てもらえる総合病院を探して駆け込んだ。


まだ出血していた母の顔はさらに腫れ上がり、人相もすっかり変わっていた。


かなり酷い複雑骨折でグチャグチャになっているけれど、やる事は整復するかどうか、それだけらしい。

見た目のことだけなら、もう90歳。

多少鼻が歪んだとしても、母は手術は嫌だと言い張る。

でも、見た目だけでなく、歪んだ鼻骨で片側の鼻口が狭くなり鼻詰まりになりやすいと言われた。


では、抜糸の年明けくらいに様子をみて考えると言うと、今なら簡単にできる手術も時間が経つと固まって大変な手術になってしまうと脅かされるショボーン


うーん、悩むところだが、本人がやりたくないというし…


とりあえずはまた翌日に様子を見てもらうことに。



時間が経つと顔の下半分が紫色に変化して、すごい青痣になってきた。

見るも無惨な顔は、とりあえずマスク時代で良かった爆笑

全然隠しきれてないけどあせる


翌日になると頭も痛いと言い始め、これはちょっと気になると、脳神経外科に回され脳のCTも撮ってもらった。


90歳と言う年齢なので、多少の機能障害はあるものの、行動テストも全て問題なし。


頭痛はムチウチのせいと言われた。


やれやれ、とりあえず大事に至らずよかった。


その後かかりつけの内科へ薬をもらいに行き

色々話すと、鼻の手術は必要ないんじゃないかと言われたので、じゃあそれはやらないとここで決めた。

専門外のところで爆笑



母は認知症もなく年齢的には元気でしっかりしている。

今までひとり暮らしをしていたけれど、この件ですっかり意気消沈し気弱になっていた。

ひとり歩きできるのに、もう私が支えてないと歩けない。

右も左もわからない、今の状況が飲み込めない。


こんな状態の母を一人ではおいていけない。

かといって私もまだ仕事も残っているし、バリアフリーでない我が家に急に連れてくるのも無理がある。


週3回通うデイサービスもこの顔では行きたくないだろう。

そうなると困るのはお風呂。

自宅の訪問介護も嫌がるし、残す選択肢はショートステイや施設。


ケアマネさんに相談して、急遽近くの施設を紹介してもらいしばらく預かってもらうことになった。


病院を駆け回り施設に入る準備をして、バタバタと走り回った年末。


いつも慌ただしいけれど、こんな年末になるなんて…


昨年は手術目指して抗がん剤治療してたなぁ。

やっぱりバタバタで大掃除どころじゃなかった。


今年もやはりそれどころではなない。


私には毎年大掃除をやらなくてもよい大義名分があるようだ爆笑爆笑爆笑






自分への記録だけの備忘録にお越しいただきありがとうございます。

いつも勝手きままに思いついたことだけ書いています。

今は抗がん剤治療をやめているので、病院も3ヶ月毎の検査のみ。

毎日全力で働いて遊んで忙しくしています。

でも、10月に亡くなったCちゃんのことは

「何故彼女は亡くなったのか」
「どうしてあんな最後だったのか」 


今も彼女の叫びが聞こえるようで


乳癌ステージⅣや転移の記事を調べたり、心の片隅にはCちゃんが今もずっといるのです。


もう四十九日も過ぎ、極楽浄土へ無事行ってもらえることを願うばかりなのに。


絶対に良くなると信じて頑張り続け

心残りをいっぱい残して逝った彼女のことを思うと

ちゃんと成仏できるのだろうかと心配になる。



先日、店に突然見覚えのない男性が見えました。



なんとCちゃんのご主人様でした。


私はご葬儀の時に初めてお会いしてお悔やみの挨拶と、少しお話を聞かせていただいただけで


香典返しのお礼も届いているのになぜ??


Cちゃん宅はお隣県のうちからは車で1時間くらいのおうちで、なんでもその日は、仕事で近くまで見えたから寄ってもらったようでした。


ご主人様は、今もCちゃんを失った悲しみの中にずっとみえるようで、泣きながらいろんなことを話してくださいました。


病状に関しては

あれほどみんなが気になっていた乳癌からの脳転移


やはり何度検査してもそれは認められず、視力聴力すべて失われたのは、脊髄に骨転移して神経をやられそのせいで目や耳に影響が出たと。


医師からは腫瘍マーカーが800?とかに跳ね上がり、骨転移が全身に悪さをしたと言われたようです。


たった1ヶ月で急激にそこまで悪くなる???

私には信じられない話でしたが、なんでもCちゃんのケースは特殊なようで、学会に報告させてほしいと言われたと、ご主人様はずっと泣きながら私に説明をしてくれました。


そうか、学会に報告するほど稀なケースだったのか…………


そんなことだったのなら、私達素人が納得できなくても不思議に思っても仕方ない


でも、あんなに良い人がどうして選ばれてしまったのか、それだけは今も納得できない。



そしてご主人様は


「ずっとCがこう言ってました。

どんなに苦しくて辛い治療でも、ママさん(私のこと)が頑張っているから、それに負けないようにって頑張れる!」

そしてもう目も見えなくなった、亡くなる何日か前に

「決意表明!!

私はママさんのようになる!

ママさんが頑張っているんだから、私も絶対負けない!」とご主人様を呼び出し(入院してたので)、うちの店のことを伝えたそうでした。


パン作りがプロ並みで、ドッグカフェをやりたいと言ってた彼女。

細やかな気配りができ、明るくて誰からも愛される人でした。


もしその夢が実現したら、2匹の愛犬を看板犬にそのお店は絶対繁盛しただろうな。

そう思うとやりきれません。


ご主人様は

「最後、あんな激痛に耐えて頑張れたのはママさんのおかげです。一言だけ直接お礼を言いたくて」

そう言って帰っていかれました。


突然のことだったので、私はまともな挨拶もお悔やみも言えず、ただただ一緒に涙するだけでした。


私のこの姿が誰かに力を与えているとは思えない。

私はただ、自分の好き勝手に毎日を過ごしているだけ。ほんとそれだけ。


でも、もしそう思ってCちゃんが頑張れたのなら、少しでもご家族との時間が長らえてほんの少しは役にたったのかもしれない。

でもその分激痛も長く伴ったのは複雑ではあるけれど。


こんな私が今ここにいて、若い彼女が先に召されて…

ずっとその思いがあって


なんかやりきれなくて、友人に話したら


「(私も)大手術をした激動の1年だったけど、最後に最高のご褒美もらえたね。

来年からはCちゃんの分まで生きよう!

もっと生きたかったであろうCちゃんの分もね。

きっと見ててくれるよ!」

そう言われました。


そうねぇ。

しっかりしないとCちゃんに笑われるね。


この日の夜は、いつもの中学時代のミニ忘年会でした。

クソコロナのおかげでずっと縮小飲み会から抜け出せません。


でも人数少なくてよかった。

少ない分みんなと喋りっぱなしで。

昼間のこと思い出す暇もなくずっと中学時代のままでした。


この仲間達ともまだまだ老後も楽しんで行かないとね〜


やっぱり生きる力は人からも与えられるものなんですね。



Cちゃんがお空に召されて一週間経ちました。

未だ信じられず、またあの笑顔に会える気がしてならない…

仕事をしていても、ふと最後の会話を思い出して、なんでこんなことになってしまったのかと心が沈む。

ここには、同じ癌で戦っている人もたくさん見えるので、Cちゃんの最後の様子を少し記しておきます。


Cちゃんは乳癌ステージ4でした。
罹患したのは私より後で2年程前。

全身骨転移で、原発は切っても意味がないと言われたそうで、切除せず抗がん剤治療をしていました。

肝臓や肺などの内臓には転移がなく、原発の胸も切除してないのに、腫瘍が確認できないとか、
全身骨転移なのに全く痛みがないとか、なんだか不思議な症状で、癌とは思えないほど元気でした。

そんな彼女に異変が現れたのは8月の終わり頃。

バーベキューをやろうと計画を立てていたら、目がかすんだり、二重に見えて車が運転できないと言う。
隣の県から1時間かけて来るのは無理だと。

それから、吐き気や頭痛、食欲不振など全身の状態も悪くなっていったので、実家に戻ったり、毎日病院に通って色々検査もしたけれど

脳とか、転移は認められなかった。

でも、9月になると、ふらつき、頭痛、嘔吐、視力もどんどん悪くなってきて

色々検査しても原因分からず、ストレスとか更年期とか言われていたらしい。

9月の半ばには、目の機能がうまく働かない、転んだり物にぶつかると言って、スマホもほとんど見れないと。

そしてその3日後、「頑張ります」のスタンプだけを送ってきて、それが最後のLINEとなりました。

病院に入院したと聞いていたけれど、コロナでお見舞いにも行けないし、その後の様子が全くわからないので、10月の初めに近くに住むお友達が彼女の自宅を訪ねて、ご主人に様子を聞いてきてくれました。


すると、もう目も見えず、耳も聞こえないとご主人が泣きながら話してくれたらしい。


それでも、やはり脳転移ではなく、ストレスからきているのかわからないと話してみえたそうで。


いったい彼女の身に何が起こっているのか…


また来週に訪ねてみると言う友人にお願いしますと託していたら、突然届いた訃報


誰もが絶句!

信じられませんでした。



癌と言う病気は、最後までに時間が与えられて、ゆっくりお別れができるものだと思っていたのに、

もちろん、発病してからは時間もあり、突然のお別れではなかったかもしれないかれど、ひと月前までは元気だった彼女が、急に容態が悪化して最後は見えない聞こえない世界で意識だけはっきりとしていて、不安と絶望の中で最後をすごしていたなんてあまりにも辛すぎます。


葬儀でご主人から聞いた話。


やはり脳転移はなかったが、骨転移が脊髄の方に現れ、激しい痛みがあり、もう起き上がることも出来なかったと。

そして最後は心臓が衰え、急変でそのまま亡くなったと。


お兄様からは、毎日先生が足のマッサージをしてくれていて、亡くなる前日の夜お兄様が足をマッサージすると、目が見えないから先生と間違えて

「先生ありがとうございます、今日も先生のおかげで1日過ごすことができました」と、言ったそうです。



そう、彼女はいつも周りに気を配り、本当にやさしい人でした。


私に会う時はいつも身体に良い食べ物を持ってきてくれて、口癖は「身体を冷やしちゃダメ!」


私が再発手術をした時には、なんと手術の時間大学病院の隣の公園でずっと祈り続けてくれました。

私もいっしょに戦うからと。


そんな彼女に私は何も返せていない。

BBQもお月見も、秋のお出かけも、いろんな約束をしていたのに何もできなかった。


一番楽しみにしていたうちのわんこ撮影会!

カメラマンのアシスタントとして、このスクールバスに乗ってわんことの撮影会をすることを誰よりも楽しみにしていたはず。




お父様からもそう伝えられました。


私は本当に彼女に何もしてあげられなかかったね…


LINEで、お互い脳転移の検査と、私の術後の画像検査で、どちらか良くなった方が引き上げよう!って交わした約束。


私が先に良くなるから、絶対引き上げるからね。

うん、引き上げて!お願い


今もLINEに残るその会話。

申し訳なく、悲しく、悔しい…


癌で亡くなるとしたら、彼女より私が先だと思っていた。

まさかこんな亡くなり方をするとは夢にも思ってなかった。

体力って本当に大切なんですね。

食べられることって幸せなんですね。


そんな当たり前のことを教えてくれた彼女。


私よりもずっと若いのに、私の立派な先生でした。


残された私がずっと悲しんでいたら、きっとカツ入れられるね。



秋のイベントラッシュが始まります。


彼女に笑われないよう頑張っていかないと。


急死した友人のお別れに行ってきた。

いつもの美しいお顔で穏やかに眠っていた。

笑っている遺影から今にも飛び出して話しかけてくれるようで


本当にお疲れ様


まだまだ若く、やりたい事も夢見てることもたくさんあっただろうに、残念で仕方ないけれど

痩せ細り、最後は骨転移の痛みと闘いながら、目も見えず、耳も聞こえず、真っ暗な世界の中で、意識だけははっきりして、不安で怖い思いをしながらも頑張ってきた彼女。

そんなあなたに、心残りがあるのは知っているけれど、やはり楽になれたねと労いたい


積極的に情報収集して、食事療法や、酵素浴や、癌に良いことをいろいろ取り入れて頑張ってきた。

決して病気に負けず、日々楽しんで周りの人を笑顔にし、常に周りを気遣っていた律儀な人。

神様はなんで、こんな素敵な立派な人を早く連れて行くんだろう。


なんで私じゃなかったのか、本当に悔しくて申し訳なくて仕方ない。


残されたわんこ達がどうなるのか、たくさん心配事を残して、急に旅だった彼女。

ご遺族の方々にかける言葉もみつからず

ただ、



本当に素敵な人でした。
彼女のことを自慢してください!!!と…


いろんなことをたくさん教えてくれて、いっぱい笑わせてくれてありがとう。


心より感謝しています。


さようなら

See you





昨晩、癌友さんの訃報が届いた!

癌フレンドって言葉嫌だけど、なんて書けばいい?

リアルで友達になってから、お互いの病気のことを知ったので、癌で繋がった友達ではない

でも、同じステージ4

いつもいっしょに良くなろうと励ましあってた

とてもアクティブで.私よりずっと若くて可愛くて優しい、本当に素敵な人!
大好きだった

急に容態悪化して、LINEも繋がらなくなって、あっという間にお空に召された

何の手助けも出来ず、代わってあげることも出来ず、残念で無念で仕方ない


本人は大切な大切なわんこを残していくことがどんなに無念だったかと思うと、胸が締め付けられる


いつも前向きだった彼女
病気なんか跳ね除けていっしょに笑っていたのに

本当に「死」が間近にあることを思い知らされた。


今日は前向きなブログを書くことなんてできない。


ただただご冥福を祈るばかり



明日会いに行くよーーーー