Cちゃんがお空に召されて一週間経ちました。
未だ信じられず、またあの笑顔に会える気がしてならない…
仕事をしていても、ふと最後の会話を思い出して、なんでこんなことになってしまったのかと心が沈む。
ここには、同じ癌で戦っている人もたくさん見えるので、Cちゃんの最後の様子を少し記しておきます。
Cちゃんは乳癌ステージ4でした。
罹患したのは私より後で2年程前。
全身骨転移で、原発は切っても意味がないと言われたそうで、切除せず抗がん剤治療をしていました。
肝臓や肺などの内臓には転移がなく、原発の胸も切除してないのに、腫瘍が確認できないとか、
全身骨転移なのに全く痛みがないとか、なんだか不思議な症状で、癌とは思えないほど元気でした。
そんな彼女に異変が現れたのは8月の終わり頃。
バーベキューをやろうと計画を立てていたら、目がかすんだり、二重に見えて車が運転できないと言う。
隣の県から1時間かけて来るのは無理だと。
それから、吐き気や頭痛、食欲不振など全身の状態も悪くなっていったので、実家に戻ったり、毎日病院に通って色々検査もしたけれど
脳とか、転移は認められなかった。
でも、9月になると、ふらつき、頭痛、嘔吐、視力もどんどん悪くなってきて
色々検査しても原因分からず、ストレスとか更年期とか言われていたらしい。
9月の半ばには、目の機能がうまく働かない、転んだり物にぶつかると言って、スマホもほとんど見れないと。
そしてその3日後、「頑張ります」のスタンプだけを送ってきて、それが最後のLINEとなりました。
病院に入院したと聞いていたけれど、コロナでお見舞いにも行けないし、その後の様子が全くわからないので、10月の初めに近くに住むお友達が彼女の自宅を訪ねて、ご主人に様子を聞いてきてくれました。
すると、もう目も見えず、耳も聞こえないとご主人が泣きながら話してくれたらしい。
それでも、やはり脳転移ではなく、ストレスからきているのかわからないと話してみえたそうで。
いったい彼女の身に何が起こっているのか…
また来週に訪ねてみると言う友人にお願いしますと託していたら、突然届いた訃報
誰もが絶句!
信じられませんでした。
癌と言う病気は、最後までに時間が与えられて、ゆっくりお別れができるものだと思っていたのに、
もちろん、発病してからは時間もあり、突然のお別れではなかったかもしれないかれど、ひと月前までは元気だった彼女が、急に容態が悪化して最後は見えない聞こえない世界で意識だけはっきりとしていて、不安と絶望の中で最後をすごしていたなんてあまりにも辛すぎます。
葬儀でご主人から聞いた話。
やはり脳転移はなかったが、骨転移が脊髄の方に現れ、激しい痛みがあり、もう起き上がることも出来なかったと。
そして最後は心臓が衰え、急変でそのまま亡くなったと。
お兄様からは、毎日先生が足のマッサージをしてくれていて、亡くなる前日の夜お兄様が足をマッサージすると、目が見えないから先生と間違えて
「先生ありがとうございます、今日も先生のおかげで1日過ごすことができました」と、言ったそうです。
そう、彼女はいつも周りに気を配り、本当にやさしい人でした。
私に会う時はいつも身体に良い食べ物を持ってきてくれて、口癖は「身体を冷やしちゃダメ!」
私が再発手術をした時には、なんと手術の時間大学病院の隣の公園でずっと祈り続けてくれました。
私もいっしょに戦うからと。
そんな彼女に私は何も返せていない。
BBQもお月見も、秋のお出かけも、いろんな約束をしていたのに何もできなかった。
一番楽しみにしていたうちのわんこ撮影会!
カメラマンのアシスタントとして、このスクールバスに乗ってわんことの撮影会をすることを誰よりも楽しみにしていたはず。
お父様からもそう伝えられました。
私は本当に彼女に何もしてあげられなかかったね…
LINEで、お互い脳転移の検査と、私の術後の画像検査で、どちらか良くなった方が引き上げよう!って交わした約束。
私が先に良くなるから、絶対引き上げるからね。
うん、引き上げて!お願い
今もLINEに残るその会話。
申し訳なく、悲しく、悔しい…
癌で亡くなるとしたら、彼女より私が先だと思っていた。
まさかこんな亡くなり方をするとは夢にも思ってなかった。
体力って本当に大切なんですね。
食べられることって幸せなんですね。
そんな当たり前のことを教えてくれた彼女。
私よりもずっと若いのに、私の立派な先生でした。
残された私がずっと悲しんでいたら、きっとカツ入れられるね。
秋のイベントラッシュが始まります。
彼女に笑われないよう頑張っていかないと。