自分への記録だけの備忘録にお越しいただきありがとうございます。

いつも勝手きままに思いついたことだけ書いています。

今は抗がん剤治療をやめているので、病院も3ヶ月毎の検査のみ。

毎日全力で働いて遊んで忙しくしています。

でも、10月に亡くなったCちゃんのことは

「何故彼女は亡くなったのか」
「どうしてあんな最後だったのか」 


今も彼女の叫びが聞こえるようで


乳癌ステージⅣや転移の記事を調べたり、心の片隅にはCちゃんが今もずっといるのです。


もう四十九日も過ぎ、極楽浄土へ無事行ってもらえることを願うばかりなのに。


絶対に良くなると信じて頑張り続け

心残りをいっぱい残して逝った彼女のことを思うと

ちゃんと成仏できるのだろうかと心配になる。



先日、店に突然見覚えのない男性が見えました。



なんとCちゃんのご主人様でした。


私はご葬儀の時に初めてお会いしてお悔やみの挨拶と、少しお話を聞かせていただいただけで


香典返しのお礼も届いているのになぜ??


Cちゃん宅はお隣県のうちからは車で1時間くらいのおうちで、なんでもその日は、仕事で近くまで見えたから寄ってもらったようでした。


ご主人様は、今もCちゃんを失った悲しみの中にずっとみえるようで、泣きながらいろんなことを話してくださいました。


病状に関しては

あれほどみんなが気になっていた乳癌からの脳転移


やはり何度検査してもそれは認められず、視力聴力すべて失われたのは、脊髄に骨転移して神経をやられそのせいで目や耳に影響が出たと。


医師からは腫瘍マーカーが800?とかに跳ね上がり、骨転移が全身に悪さをしたと言われたようです。


たった1ヶ月で急激にそこまで悪くなる???

私には信じられない話でしたが、なんでもCちゃんのケースは特殊なようで、学会に報告させてほしいと言われたと、ご主人様はずっと泣きながら私に説明をしてくれました。


そうか、学会に報告するほど稀なケースだったのか…………


そんなことだったのなら、私達素人が納得できなくても不思議に思っても仕方ない


でも、あんなに良い人がどうして選ばれてしまったのか、それだけは今も納得できない。



そしてご主人様は


「ずっとCがこう言ってました。

どんなに苦しくて辛い治療でも、ママさん(私のこと)が頑張っているから、それに負けないようにって頑張れる!」

そしてもう目も見えなくなった、亡くなる何日か前に

「決意表明!!

私はママさんのようになる!

ママさんが頑張っているんだから、私も絶対負けない!」とご主人様を呼び出し(入院してたので)、うちの店のことを伝えたそうでした。


パン作りがプロ並みで、ドッグカフェをやりたいと言ってた彼女。

細やかな気配りができ、明るくて誰からも愛される人でした。


もしその夢が実現したら、2匹の愛犬を看板犬にそのお店は絶対繁盛しただろうな。

そう思うとやりきれません。


ご主人様は

「最後、あんな激痛に耐えて頑張れたのはママさんのおかげです。一言だけ直接お礼を言いたくて」

そう言って帰っていかれました。


突然のことだったので、私はまともな挨拶もお悔やみも言えず、ただただ一緒に涙するだけでした。


私のこの姿が誰かに力を与えているとは思えない。

私はただ、自分の好き勝手に毎日を過ごしているだけ。ほんとそれだけ。


でも、もしそう思ってCちゃんが頑張れたのなら、少しでもご家族との時間が長らえてほんの少しは役にたったのかもしれない。

でもその分激痛も長く伴ったのは複雑ではあるけれど。


こんな私が今ここにいて、若い彼女が先に召されて…

ずっとその思いがあって


なんかやりきれなくて、友人に話したら


「(私も)大手術をした激動の1年だったけど、最後に最高のご褒美もらえたね。

来年からはCちゃんの分まで生きよう!

もっと生きたかったであろうCちゃんの分もね。

きっと見ててくれるよ!」

そう言われました。


そうねぇ。

しっかりしないとCちゃんに笑われるね。


この日の夜は、いつもの中学時代のミニ忘年会でした。

クソコロナのおかげでずっと縮小飲み会から抜け出せません。


でも人数少なくてよかった。

少ない分みんなと喋りっぱなしで。

昼間のこと思い出す暇もなくずっと中学時代のままでした。


この仲間達ともまだまだ老後も楽しんで行かないとね〜


やっぱり生きる力は人からも与えられるものなんですね。