去年の後半に引き続き、私はまだ自分や身近な人の出生図の要素を学んでいる。そして最近自分の内外の変化は一体どこに通じるのか、人生ますます模索中になってきてる。笑
人生の門出と言われるものは、シンプルに嬉しいものと思ってた。準備や手続きの大変さはあっても、新たな夢に希望を膨らませていれば、何でも乗り越えられてしまうはずだと。
でも現実はそうじゃない。結婚、離婚、就職、転勤などが、死別とともにストレスの引き金であることは知られている。乗り越えられない人が悪いのでも、弱いのでもない。現実世界では、光があれば必ず影がある。
最近の私は、嬉しい事があっても、喜ぶ前にその責任と行く末を案じて撃沈している感じ。
あまり試練がなかった時期に座右の銘にしてた「今を生きる」とは程遠い。そんなお気楽なこと言ってられるうちが花だった。とビターになる前に、目を覚ましたくてブログに向かっている。
占星術の出生図を見ると、「人生は誰にも平等」とは言えない。命が与えられ死が訪れること以外、一人ひとり全く異なる試練と開放の道筋が示されている。「なぜあの人が大変な目に遭うのか」と、この世の不平等に憤りを覚えたことさえ、その魂の選んだ学びかもしれないと受け入れざるをえない。そこでどう行動するか、ただ嘆くのか何かを変えるのかは選ぶことができるだろう。
物質世界を突き進む使命、物質世界を断ち切る道、執着を重ねる時期、エゴを強める時、成功や名声を収める人生、罪を犯す人生、人を率いる責任、結婚や離婚を繰り返す星、わが子との死別、学習障害が示されることもある。
これらは決して決定事項ではない。様々な星の動きとの兼ね合いがあり、あくまで「~の傾向がある」と言うだけ。実際に物事が起きる前に把握して、回避する努力は十分可能だということ。
誰が良いとか悪い、というのではないんだなぁと、改めて思う。誰もが自らのカルマを負い、カルマを作って生きている。あの人のようになりたい、というのもない。自分の道を知って行くだけ。出生図の多様性は、そのまま人間一人ひとりの多様性、みんな違ってみんな良いと言っているようなもの。
私がまだ分からないのは、酷似した出生図について。私は一卵性双生児として一緒に生まれた妹がいる。太陽も月もアセンダントも惑星も、僅かな度数の違いはあっても同じハウス。度数以外では、インド占星術だと「ナクシャトラ」という星座区分で、番号の違いがあるだけ。これまで得意不得意やライフイベントは似ていたけれど、全く違う人生になりつつある。ただ二人とも、「兄弟と疎遠になるだろう」という星を持ってる。残念で仕方ないのだけど。
インドでも長年、お布施や厄除けの宝石などのうさんくさい「商売」が問題視されていると言う。インド人が身に付けている、お洒落かどうかはよく分からないアクセサリーの数々を見ると、そういう根強い慣習の存在に気付く。いくらお金を積んでも身に積まされない場合もあるだろうし、見方を変えて行いを改めるだけで、今生での目標に近づくことは可能だと言う。お布施や「レメディー」(処方箋)と言われるこれらのお守り商法を推奨しない占星術師の方が、その人自身の解決方を導き出す力量があると思う。
(これって日本では当たり前だけど、こういうのが当たり前のインド人にはなかなか説明が難しい。うちの夫とか。何でも「シヴァ神にお祈りすれば大丈夫」と言う。宗教も、本来は「自らの気付き」で「魂の成長」を助けるものだったのが、ただの他力本願になってる。)
何も心配することなく、ただポジティブに、ただ向上して、誰よりも輝いてワクワク生きる、みたいなのは占星学で見ると不可能だと思う。誰にでも試練があり学びがある。ひょっとしたら、ものすごい悪いこともめっちゃ起きる。どんなに品行方正に生きても、どんな成功者も、もうこの世には転生しないお釈迦様みたいな人だって、闇がなければ光を作れない。
人は生まれて、死んで行く。転生を信じてたとしても、それでもこの人生は1度きりだ。刹那的に何でも手を出して生きるという意味ではなくて、自分を知って、身の丈を知って、できる事だけ精一杯やって、それでも絶対満足しないだろうけど、ちょっとだけ安心して往きたい。笑
インドで生きる覚悟はあるの?とよく聞かれるけれど、そんなものはない。結婚して幸せになれるの?と母に心配かけても、分からないとしか言えない。だって機会があったら、娘の出生図でも見てみてほしい。誰しもが試練の中でしか解脱なんてできない。次に進めない。そういうように出来ている。
去年は2度、流産を経験し、インド暮らしの難しさも思い知り、未だにかなりビビっている。意識を失ったり、もうダメかも、お手上げと思うことも、これからも、あるかもしれない。それでも、自分の道を信じる以外にはないということ、インドが、占星術が教えてくれている。人生は「幸せになるため」にあるんではないことも。
幸せは、ご褒美みたいなもの。もう生まれた意味を疑うことなく、この先の困難を恐れることなく、光に向かって歩めるように。そんな願いが、何千年も受け継がれた占星学には込められている。何を得て、何を失っても、光だけは失わないように。
昨日は、夕方から久々に「用事」以外のお出かけをしてきた。
夫のお店に来るお客さんでもあり、夫のメル友でもあるドイツ人のハイジのお宅にお呼ばれ。彼女は私の母と同年代、長年毛皮のデザイナーとしてインドでも仕事をしてきた人。今は引退し、写真やアートの普及活動をしている。
9月の新婚旅行でヒマチャル州東部を訪れた時、彼女の夏の別宅、長閑な山村を見下ろす可愛らしいロッジを訪ねたのが私たちの出会いだった。約4ヶ月ぶりの再会だった。
夫のバイクでチャンディガールを出て、お隣のパンチクーラ市へ。まずは雑多でカオスで活気(と排気)溢れるメインマーケットを抜ける。チャンディガールでもあまり見ない肉屋さんが並び、軒先にマトン(って言うけどヤギ)の半身が吊るされてる。店頭の目立つ所で生きたままの鶏に包丁が下ろされる。
探してた大きなミラーを売ってる店もある!調理用のガス・シリンダー(充填式)も!よく見ると意外と可愛いショールもいっぱい!。。。なぁんて、全部バイクから指をくわえて見るだけな感じ。地元感たっぷりの穴場マーケット、私は小心でとても行けない。ウチのある「三丁目の夕日」みたいなコロニーよりも、数段上を行く本格庶民派だった。でも、怖いもの見たさ。
その先のロータリーを抜けると、街の雰囲気がガラリと変わった。常にどこか建て増し中の人口過密エリアから、お洒落なヤシの街路樹に彩られた邸宅の立ち並ぶ住宅街へ。1つ1つの家が、デカい。ちゃんと「建築デザイン」されてる。庭木もリゾートホテルみたいにお手入れが行き届いてるし。インドで初めて見る高級住宅街。ドキドキするー。
夫は更に緊張してるのか変な所で曲がったりしてた。それでも何とか教えてもらったゲートまで辿り着き、ハイジのハウスナンバーを発見。ゆったりとしたバルコニーのある3階建てのクラシックなお宅だった。
私たちが到着するや、2階のバルコニーで彼女の愛犬がワンワンワン!してる。1件の邸宅風だけど中身は集合住宅になってて、2階部分が彼女のお城らしかった。階段を上がると入り口でハイジが笑顔で迎えてくれた。背が高く上品な白髪のおばさま。私たちを覚えてスリスリしてくる愛犬スイーティーをドイツ語でピシっとなだめながら、再会のハグ。
「いらっしゃい。待ってたわよ」って。そんな風に言われたの、いつぶりだろう?日本の母が送ってくれた手土産の新茶を渡すと、興味深そうに「日本と言えば緑茶よね。嬉しいわ」って。日本のもの、喜んでくれる人が近くにいたとは!そして「ビザ更新で忙しかったんでしょう?」とねぎらってくれた。さらにさらに「これね、あなたたちにお土産」って、のっけから大きな缶のクッキーまで頂いてしまった。それもデンマークの美味しいのっ。
促されて席に着くと、奥の部屋からもう一人「ハロー?あらあら、どなたかしら?」って、インド系のこれまた上品で小柄な女性が登場した。「はじめまして」とご挨拶をすると、可愛らしい彼女もビッグ・ハグで歓迎してくれた。
ハイジが紹介してくれて、彼女は往年の親友で、ルームメイトのリリーさん。「画家なのよ。この家の絵はみんな彼女の作品なの」と。見ると居間の壁には大きな油絵が何枚かかけられており、どれも印象派のスタイルを汲んだ優しい光に満ち溢れた作品。2人はドイツでの学生時代からの仲間なのだそうだ。
それからリリーさんは私たちをバルコニーに案内して、彼女が丹精込めて育てている沢山の花々を見せてくれた。「私はこの花を題材に絵を描くの」と。「この花はね、隣の株同士で花の色が入れ替わるの」と教えてくれたり、「レモンも育つのよ。でもサルが来てみんな持ってっちゃうの」と笑ったり。晴れた日には、ここからヒマラヤの山々も見えるとか。(そんな中、私はどうやったらこんなに床が完璧にキレイにできるのか、聞きたくても聞けずにいたという。。。笑)
すると、「今日は私たちの第2のおうちにご案内しようかと思って」とハイジ。(。。。?まだ、家があるの?)と、顔を見合わせる夫と私にリリーさん、「私たちのお気に入りのベーカリーよ」と説明。それで4人でハイジの車に乗って、近くのベーカリー&カフェへ行くことに。
チャンディガールではベーカリーと言うと、インドの甘いお団子系のスイーツ・ショップが多いけど、彼女たちのお気に入りのお店はピザやサンドイッチの軽食から、あらゆる焼き菓子、完成度の高いケーキまで、私たちが見たこともないほど豊富な種類と数を取り揃えた名店らしかった。夫と2人、気分は既にヘンゼルとグレーテル。
そして、賑やかなお店の真ん中でテーブルを囲み、4人で夕方のコーヒータイムとなりました。ブラックフォレスト、チョコ&トリュフのケーキとくるみパイ、パニーニにホットサンド。テーブルいっぱいに並んだお皿を皆で分け合って食べる幸せ。女子高生の放課後みたい!にテンションも上がる。
ふと見るとリリーさん、何故か夫の腕をガシっと組んで、仲良し親子のようにヒソヒソ声のヒンディー語で話してる。それを見てハイジが「そーやって私たちの分からない内緒話をして~」と少しヤキモチ気味。自由だなぁー、お母さんたち。そんなダブルデートは終始、取り留めのないお喋りをしながら笑い声が絶えなかった。
そんな中、彼女たちの歴史に思いを馳せる話題もあった。詳しくは聞けなかったけど、ハイジは終戦直後の幼少期、ドイツで困難な時代を過ごしたそう。「近所に7才上のお兄ちゃんがいて、配給の時にあまり分けてもらえない私たちに良くしてくれて、いつも何か分けてくれたの」と。「彼(私の夫)みたいに背が高くてね、その後パイロットになったのよー」と。ハイジの憧れの(初恋の?)人だったみたい。話す表情が、恋話中の乙女になってた。
リリーさんが夫に何を話してたのか、後で聞くと、「ラホールで生まれたの」と言っていたそう。ラホールと言えばインドから分断された国、パキスタンの国境の都市。イスラム教徒とヒンドゥー教徒が国境を分けられ、多くの紛争や家族の離散など大変な事があった場所だと聞いてる。夫もそれ以上は聞かなかったみたいだけど、リリーさんもハイジも、激動の時代をくぐり抜けてきたのかもしれない。
インドもドイツも日本も、その昔、戦争の渦中にあった。お互いの良さも何も知らないままに、普通に暮らしていた人たちが敵国を憎み合うようになり、命を焼き尽くして行った時代。こんな風にカフェでスイーツ分け合ってお喋りすることなんて、全く考えられなかったんだろうなぁと、ふと不思議な気持ちになった。
ヘンゼルとグレーテルの絵本から出て来たような2人の魔女たち。聞いてみたい事は色々あったけど、私たちが口にできる話題といっても、最近の婚姻証明やビザのすったもんだ位だった。あっと言う間に甘く楽しい2時間が過ぎ、帰路に着いてからも私はまだ夢心地だった。
取り留めのないお喋りの中でも、2人の女性の運命に数奇なものを感じるようだった。私たち夫婦を家族の様に受け入れてくれ、インドの片隅で4人で笑い合っていることも、どうしてだか、彼女たちの果てしない夢の大団円へといざなわれたようで、幸せな気持ちになった。
少しだけ、私も夫との未来に思いを馳せたくなった。彼女たちが願い叶えたような夢を、私たちも描いて歩めるだろうか。インドはどうだ日本はどうだと、毎日喧嘩したり仲直りしたり。今はそれだけの私たちの絆も、時代の流れと繋がっていって、いつかその意味が分かる日が来るんだろうか。
甘く、どこか切なく、懐かしくて愛おしい、お茶目な魔女たちとのひとときでした。
ハイジとリリー、また会いたいな。
この1年ほどブログを書いてきて、読み返してみると、「心の平和」を願う思いとはウラハラに、
予想外だったり、
大きく変化を伴う事象だったり、
教訓を得た心境になったり。
ドラマ好きな人?では決してなくて、本当に心は無邪気に平穏を求めてるので、読んでて「何矛盾したことしてるんだろう?」と、若干落ち込み。。。そしてとっても不思議に思った。
スピリチュアルなもの、インドとか、ヨガとか、ヴェーディック占星術とかに、どうにも強力に呼ばれ続けてきて、常識を脇に置いて、後先などは考えず日本を後にして、夫になる人と出会って、付き合ってから結婚に至るまでも障壁が色々とあり、どんなに無邪気に(無意識に)やりたい事を望もうと、必ずまたドラマが生まれてきそうな状況で。。。
これは何なんだ?と。笑
去年の最後の方では、「潜在意識」を明らかにするワークを始めてみたり、宇宙の仕組みについての新たな説や、占星術に勝手にのめり込んで行って、日常生活を忘れそうにさえなった。
でもそのまま星の影響を調べるうちに、どうして私がこうなっちゃってる(笑)のか、少なくとも出生チャートで意味が理解できて、色々とびっくり。
「人生の航海図」が、出生時の星星の配置によって描かれいて、年齢を重ねる毎の変化も追うことができるなんて、すごく神秘的だけど、しかもものすごく詳細に、ある意味正確にプランニングされているのを目の当たりにすると、恐ささえ覚えたし、それ以上に、これを人類の英知として研究し体系化した占星科学のスゴさ、頭の良さ?に驚愕だった。
インドの占星術ではアセンダントを第一ハウスに置いて、その人の生まれ持った素質を見る。西洋占星術の「毎日の占い」では太陽がどの星座にあるかでゾディアックを決めるので、ずーっと乙女座だった私。アセンダントが蠍座だった。
あぁ、だから神秘的なもの、オカルト、スピリチュアリティー、隠れた事実に魅かれるようになってるのね、と。
西洋占星術では「ノース・ノード」「サウス・ノード」と言われる「ラフ」と「ケートゥー」が、対で惑星のように扱われ、ときに(人格化)して表現され、その比重もヴェーディックの方が重くて重要視されてる。
アセンダント蠍座と、「ラフ」が重なっていた私。ラフは「求めても求めても渇望する」っていう性質を与える。でも「食」(日食・月食)を引き起こすラフの影響は、ある年齢を境に解けて行くと言われてる。人によって35歳とか42歳とか。これも、すっごく思い当たる所があった。若い頃は宗教とか、神頼みみたいで嫌悪感があったのが、ここ数年の歩みで突き抜けて来てしまったから。
アセンダントは第1ハウス(蠍座)で、ラフもいるので、これまでアイデンティティーの危機とか、何のために生きてるのか探す旅をして来たようなものだけど、ラフの「モヤがかかった」状態を抜け、ここに来て自分の道が見つかった、らしい。最後のあがき、最後の一押しで、去年の末の強烈な渇望があったのか。(トランジット惑星の蠍座への影響を受けたかな?)
アセンダントの反対側には7ハウス、私の場合は射手座になってて、恋愛とか結婚とか、愛情、他者との関係を表す場所。第1ハウスのラフの反対側でもあるから、当然対になってるケートゥーがいる。ラフが「今生で追い求めるもの」のハウスに居るのに対して、ケートゥーは「前世までに成し遂げてマスターしているもの」を現す。恋愛・結婚・他者との人間関係は「当然手に入るもの」「もう満足している」前提として、しばらく生きてきたってことになる。
ケートゥーも42歳とかで影響が薄れるから、私もようやくこの年齢で夫に出会って結婚したってことと重なる。第7ハウスには火星もいたので、絶対的な情熱を持てる関係、100%信頼し、開示し合える相手じゃないと全く満足できない人。夫も第7ハウスに火星を持つ。だから相手に取って不足なし、ってなったんだろうか。笑
運命的だとか、カルマだとか、過去生からの繋がりだとか思う出会いって、こういう仕組みかもしれない。じゃないとまさか、40も過ぎてインドに渡ってインド人の結婚相手に出会うなんて、常識では自分でも思ってもみない。笑
太陽乙女座的な常識よりも、潜在意識や感情を司る「月」が第5ハウスにあって、木星と並んでるので、自分の中の無邪気な気持ちを特に大事にしたくて、気持ちに忠実に生きたいと思うのかもしれない。でも太陽乙女座の「常識」とか「秩序」とか「献身」みたいなものを、行く行くは体現したいのだろう。
夫の出生図も読んで行くと、どんどん客観的に彼の「本来の性質」として受け入れられるようになり、私がたまにカチンと来ることなども、お互いの性質によって「そう感じる」ようになっているだけ、と分かった。彼が私に何を求めてるのかも、何となく分かってくると、夫に「引け目」とか「申し訳なさ」を感じた時に一番辛かったのが、そういう仕組みじゃないことが見えて、自然と楽になったかも。
出生図の他にも数十ものチャートがあり、ハウスだけじゃなくサインだったり、惑星同士のアスペクトだったり、更には12星座どころかその背後に27星座(ナクシャトラ)があり、更に108の「ヨガ」と言われる組み合わせがあったり、より細分化されピンポイントの読みが可能になることが、ヴェーディック占星術が正確だと言われる根拠だと思う。でも私はまだまだ、膨大な叡智への最初のページを開いたばかり。
それぞれの星座に神や女神、シンボル、マントラ、物語りが対応して5千年も存在し続けてきたのもスゴい。ヒンドゥー教の経典「ヴェーダ」を読み解くと、占星術が厚みと彩り、人間らしい物語りを持って生き生きと蘇り、有機的で生かすことのできるツールとして、活用できるようになるのではと思っている。
ジョーテシュとも言われるインドの占星術は、膨大な情報量、そして神聖なものとして扱われるため、習得に時間がかかるのは一目瞭然。「何となく」興味を持っていた時は、そういうものが気になって一歩踏み出せずにいた。でも、航海図は既に描かれていて、目の前でそれが紐解かれて行くのが見えると、その光の射す道を歩まずに、留まることの方が難しいかもしれない。
恐れるものも、行く手を阻むものも、私を満たすものも、私の気をそらすものも、みぃんな書いてある。そしてそこでどう考えて何を感じ、どう行動するのか、常に私自身に選択権がある。
27ある「ナクシャトラ」と呼ばれる星座で、最もスピリチュアルである星座と月が重なっていて、「解脱」とか「悟り」とか、私の今生で達する高みはどうも、魂の領域にあるらしい。なんて書くとものものしいけど、魂のこと、潜在意識のこと、過去生から脈々と続く魂のストーリーを紐解いて、光に変える役割があるんじゃないかと思う。
ヴェーディック占星術の道は、ヨガの技法や哲学の道と同質のものとされる。巡り合わせや偶然、思い込みや衝動など「根拠のないもの」と戒めてきたものも、魂の航海図にはっきりと刻まれている道標なのかもしれない。迷うことなく大海原を行く灯火が、この先ずっと灯り続けると思うと、深い深い安堵に包まれる。
ヨガも占星術もパートナーシップも、私にとっては長い旅の行く末にかすかに見えてるだけだった。20年来の深い霧が、ようやく晴れようとしてる。