「サトルボディヒーリング」シリーズ 第25回
「サトルボディヒーリング」シリーズ 第25回「ハートの空の錬金術」
今回のブログシリーズはユニティインスティチュートで開催されている「サトルボディヒーリング」のご案内として連載しています。
http://unityinstitute.jp/subtlebody.html
現在8月10日からはじまる第7期生を募集中です。
https://unityinstitute.jp/schedule/booking.cgi?code=120810-12Pr_Ac_f
今回は第三身体/チャクラをテーマに
「サトルボディ―ヒーリング」の本からの一部抜粋をご紹介します。(新装版近日発売)https://unityinstitute.jp/mail/order_book1.cgi
今回紹介するのは第四チャクラの領域、第四身体と関連したハートの空の錬金術についてです。
仏教には「空」の思想があります。
空というとそこれは空っぽなスペースを意味したり、何もないこと、我がないこと、無のようなものと考えられがちです。
般若心経では「色即是空 空即是色」という有名な言葉があります。
般若心経は英語ではハートスートラという風に訳され、そこで「空」のことが書かれてあります。
この場合の心経、ハートスートラというのはエッセンスという意味であって、いわゆるスピリチュアルハートのハートとは意味が異なりますが、面白い符号です。
それはともかく、空は無であって、数学では0で表されます。
しかし、最近の物理学では、この空は何もないスペースではなく、そこにはすべてが情報として含まれていることが証明されつつあります。
それは素粒子力学ではゼロポイントフィールドという言い方をされています。
そこからすべてが生まれ、そこですべてのものがつながっている場でもあります。
そこから、「宇宙は愛でできてる」というふうにも言われはじめています。
それでは、
今回は第四身体/チャクラをテーマに
「サトルボディ―ヒーリング」の本からの一部抜粋をご紹介します。
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サトルボディヒーリング 第六章より
「ハートの空の錬金術的」
空(くう)は、この等式のどこに当てはまるのでしょうか?
この本の最初で、内なる探求の旅をスピリチュアルハートを紹介することからはじめたのを憶えているでしょう。
というのも、受容はハートの質であり、錬金術的変容の扉でもあるからです。
受容は、何であれ体験しているものに、スペースを与えます。
受容することなしには、サトルボディのどのような側面も見ていくことができません。
それらはすべて隠されたままになってしまいます。
受容はスペースを与えます。
なぜでしょうか?
なぜなら受容こそがスペースに他ならないからです。
受容が空だからです。
これがその本質的な姿です。
この空、このスペースを通して、最初の三つのサトルボディに隠され抑圧されてきたエネルギーの刷り込みを開き、変容することができます。
これらの濃縮され凍結した刷り込みが、空に包まれると、錬金術的プロセスが起こりはじめます。
刷り込みは拡張し、ゆるみ、溶けはじめます。
エネルギーは動き流れはじめます。
歪みは解消され、サトルボディのエネルギー場は癒され、バランスを取り戻し、統合され活力を取り戻します。
このようにして変容できない刷り込みはありません。
それこそが4番目のサトルボディにある空の錬金術的な力です。
「サトルボディヒーリング」シリーズ 第24回
「サトルボディヒーリング」シリーズ 第24回「ハートのエネルギー」
今回のブログシリーズはユニティインスティチュートで開催されている「サトルボディヒーリング」のご案内として連載しています。
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今回は第四身体/チャクラをテーマに
「サトルボディ―ヒーリング」の本からの一部抜粋をご紹介します。(新装版近日発売)https://unityinstitute.jp/mail/order_book1.cgi
今回紹介するのは第四チャクラの領域、第四身体と関連したハートのエネルギーについてです。
人が恋に落ちるとハートがキュンとなります。
ハートといえば愛を思い浮かべますが、一口に愛といってもさまざまな愛があります。
「惜しみなく愛は奪う」という有島武郎の小説がありますが、この愛は所有欲や支配欲を愛と勘違いしているだけで、性的に引かれ合う性欲を愛と思われがちです。
これは第一チャクラのレベルでの愛といえるかもしれません。
また、情愛という言葉があるように、感情的に引かれ合い、解け合うような、官能的なフィーリングが一般的には愛と思われていますが、これは感情的なレベルでの愛、第二チャクラのレベルの愛、と言えるでしょう。
さらに仏陀の慈愛、無条件の愛、というレベルがあります。
それはあるがままの受容し、受け入れるという質です。
それがここでいう第四チャクラの愛、ハートの愛、ということができます。
それでは、
今回は第四身体/チャクラをテーマに
「サトルボディ―ヒーリング」の本からの一部抜粋をご紹介します。
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サトルボディヒーリング 第六章より
「ハートのエネルギー」
ハートのエネルギーとは何でしょうか?
詩人に聞けば、それは「愛」だと言うでしょう。
瞑想者に聞けば、それは「受容」だと言うでしょう。
メタフィジシャンに聞けば、それは「空(emptiness) 」だと言うでしょう。
三つともすべてが正しいのですが、3番目の定義がおそらく最も深遠で、また理解しにくいものでしょう。
詩人と同じように、たいていの人は、ハートを愛と結びつけ、熱く抱き合う二人が、その間に流れる快い舞いあがるようなフィーリングを楽しんでいるところを思い浮かべます。
しかしながら、こうしたフィーリングのほとんどは第2身体のものです。
二人がひとつのエネルギーのプールへと溶け込み融合していく体験は、第2身体の体験です。
つまり、一般的に愛と見なされているものは、スピリチュアルハートとはほとんど関係がないのです。
愛には、時に「無条件の愛」として知られる、別の次元があります。
歴史的にこの種の愛は恋人たちよりも、ゴータマ・ブッダやアッシジのフランチェスコのような精神的に進んだ存在に結びつけられてきました。
この愛には異なった質があります。
それは個人的というよりも普遍的です。
それは一個人に向けられたものと言うよりも、生けとし生けるものと、そして宇宙(コスモス)そのものとの交感(コミュニオン)のようなものです。
愛はスピリチュアルハートの質です。
そこにはすべてがあるべき姿にあるというフィーリング、深い受容の感覚が含まれています。
そこでは苦闘し、努力し、心配し、悩む必要もなければ、非難したり、賞賛したり、あるいはすでにある状態を裁いたり、改善したりする必要もありません。
「サトルボディヒーリング」シリーズ 第23回
「サトルボディヒーリング」シリーズ 第23回「キラメキ・イメージとシャドウサイド」
今回のブログシリーズはユニティインスティチュートで開催されている「サトルボディヒーリング」のご案内として連載しています。
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現在8月10日からはじまる第7期生を募集中です。
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今回は第三身体/チャクラをテーマに
「サトルボディ―ヒーリング」の本からの一部抜粋をご紹介します。(新装版近日発売)https://unityinstitute.jp/mail/order_book1.cgi
今回紹介するのは第三チャクラの領域、第三身体と関連したキラメキ・イメージとシャドウサイドについてです。
私たちは自分をよく見せたいという側面と同時に人に見られたくない側面があり、人に見られたくない側面は人からも隠そうとしますし、自分でもそれを見ないように抑圧しています。
それが陰の側面、シャドウサイドを作り出します。
ジキル氏とハイド氏の出現です。
その原理をエネルギー的に見た場合にどうなるか、ということがここで解明されていきます。
子供は両親から愛されたいし認められたいがために、両親から愛され、認められるためにあらゆることをします。
子供にとっては両親に愛されないということは死活問題だからです。
でもそうすることで、子供は自分自身を分裂させてしまいます。
それは第三身体のエネルギーに深い分裂を生み出し、自然で健康的な状態のエネルギーを流出させてしまいます。
第3身体を調和がとれた状態で流れ、活力と力強さとパワーでその人を満たすはずだった内部電流は、キラメキ・イメージを維持し、シャドウサイドを抑圧することに流用されます。
このようにして、エネルギーは絶えず第3身体から漏れてしまうのです。
そうすると人は大人になるにつれ、本来の自然なエネルギーを生き生きと生きることができなくなってしまうのです。
それでは、
今回は第三身体/チャクラをテーマに
「サトルボディ―ヒーリング」の本からの一部抜粋をご紹介します。
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サトルボディヒーリング 第五章より
「キラメキ・イメージとシャドウサイド」
子供たちが両親や教師や他の権威者から受けるしつけと社会的条件づけは、二つに分類にすることができます。
それは「べき(should)」と「べからず(should not)」です。
この分割は第3身体に異なる二つのエネルギーパターンが生み出されたことを表しています。
ひとつのパターンでは「私は清潔で、きちんとして、礼儀正しく、賢く、正直で、言いつけをよく守り、たくましく、かっこよく、かわいく、あるべきだ」などといった「べき」を吸収します。
「キラメキ・イメージ」として描かれるこのパターンは、その「べき」が受け取られ、理解され、自分の人格に統合されたことを証明しようとして、子供によって人前で見せびらかされます。
もうひとつのパターンでは「私は反抗的で、だらしなく、粗暴で、恩知らずで、愚かで、醜く、弱く、あるべきではない」などといった「べからず」を吸収します。
キラメキ・イメージの「シャドウサイド――影の側面」として描かれるこのパターンは、子供が自分の人格の受け容れられない部分を隠す場所です。
キラメキ・イメージは、できるだけ最良のイメージを世界へ示そうとする子供なりの努力です――「見て!どんなに私が強くて、きれいで、知的で、礼儀正しく、機知と自信に満ちているか」
シャドウサイドは、「私がうすのろで、救いようがなく、魅力がなく、混乱しているのをみんなに見られたくない」という認識です。
第3身体におけるこの分割のプロセスは、あらゆる子供たちの愛されることへの必要に根ざしています。
多くの子供たちがごく幼い年齢で、親の愛は条件つきだということを知ります。
それは子供の行動に応じて与えられたり、取り上げられたりするものです。
それゆえに、子供は親が嫌う行動の側面を隠し、好かれる側面を誇張する戦略を発達させます。
そのためにキラメキ・イメージとそのシャドウ(影)が必要になるのです。