「ELC」シリーズ 第十九回:承認を求める気持ち(前半)
「エッセンシャルライフ・コンサルティング」シリーズ 第十九回:
コンセントのぶらぶらに気づく 、そして本質につながる
(ユニティインスティチュートのニューズレターのご登録は
https://unityinstitute.jp/mail/subscribe.cgi )
ユニティインスティチュートのスクールには3つの部門があります。
http://unityinstitute.jp/
サトルボディヒーリング、エッセンシャルライフプログラム、瞑想プログラムの3つの柱です。
今回は、エッセンシャルライフコンサルタントのVIJAY(辻本恒)さんが、人間の“承認を求める気持ち”についてレポートしてくださっています。(^^)/
ちょっといただいた原稿が長いので、次回と二回に分けてご紹介しますね。
では、VIJAYさん、よろしくお願いします。
………○…………○…………○………
コンセントのぶらぶらに気づく 、そして本質につながる
「承認を求めるのでなく、自分を承認しましょう。
自己承認がなければ、いくらひとから承認されても、穴の空いたバケツのように、漏れていく」そういうことについては、よく本に書かれていたりするけれど 、実際のところ、どうしたらいいのでしょうか?
承認を人から求めてしまうようなときの、処方箋はなんでしょうか?
「人から承認されたかったら、まず人に承認を与えましょう」と教える人もいます。
だけど、それでは承認というものが何かの取引みたいな気がします。
「承認(栄養)を求めていることに気づいたら、その自分を承認する」それがまず癒しの第一歩になると思います。
気づくことは、どんなことにでも薬になります。
瞑想は「気づき」を拡大するための方法です。
承認を求めている自分を瞑想するとは、具体的には「くちばしを開けて求めている、あるいは乞食のようにお椀を差し出しているような、あるいは、コンセントの差し口を探しているような」自分のエネルギーに気づくことです。
しかも、そのコンセントが空中をぶらぶらしている、、、そんな居心地の悪さに耐える。
それはまるで、穴を感じるような作業です。
空虚な穴が空いていて、外から、その穴を埋めようとしている自分、、、それに気づくのは、つらいことです。
良薬口に苦し・・ただしハートをともなった気づきでないと、こういうことに気づくのは、つらく惨めな自分自身に気づくわけだから、気づいても、それにジャッジしたくなる。
自己承認どころか、ますます自己批難したくなります。
だからまずハート瞑想して、自分のパターンを見れるくらいハートが強くないと、こういったことに取り組むのはつらいことです。
ハート瞑想が進んでいれば、「気づき」にハートの愛が伴っているので、自分のこういったパターンを観ても、観たものをスペースを持って受け容れられる。
差し込み先を探してブラブラしてるコンセントを抱きしめられる。
たぶん第二チャクラのお腹の辺りの収縮したりしているエネルギーを、愛を持って見守ることができます。
ただし人生というのは難儀なもので、ハートのキャパシティを超えて、時々 愛する人を突然失ったり、承認されるような地位や職業を失ったりして、ふだん無意識でコンセントを差し込んで栄養を得ていた対象を喪失する出来事も起きます。
そんな時は新しいコンセントの差し込み先を探すより、お酒を飲んたり、食べたりして、虚しい穴を埋めたくなったり、テレビやパソコンにコンセントを指したくもなりますが、栄養はやってこない。
本当は、ずっと昔にお母さんのへその緒から届いていた栄養はもう永久に来ないことを理解して、赤ちゃんの時から始まった「外から栄養がやって来る」という条件づけが、幻想だということを理解して、コンセントを自分に差し込まない限り、真の満足はありません。
内側に入れば、そこに満足はあります。
エッセンシャル ライフ コンサルティングは、内側に目を向けて、真の満足の源である「本質」につながることをサポートします。
例えば、「承認を求めていたとして、それが得られたら何が手に入るのだろうか?
承認を得ることで、どんな本質的で大切なものが手に入るのだろうか?」といったシンプルな質問をすることで、真の満足の源につながります。
………○…………○…………○………
エッセンシャルライフコンサルティング(ELC) コンサルタント養成コース 3期生募集
開催日時:平成26年8月1日(金)~3日(日)
お申し込み:お申込用紙に記載して、和尚アートユニティにお申し込みください。
電話受付:0467-23-5683 (和尚アートユニティ内:ユニティインスティチュート事務局
ELCコンサルタント養成コースレベル1
パート2は12月5日(金)~7日(日)を予定しています。
パート3は2015年3月に予定しています。
『悟りのシンクロニシテイー』はhttp://tinyurl.com/cf4awhlで入手できます。
ハートの次元
ユニティインスティチュートでは、「ハート」ということをよく言います。
しかし、そのハートは体験することはできても頭で理解することはとても難しいのです。
ここでハートというときは、心臓のことではなく、いわゆるスピリチュアルハートといわれている部分で、ヨガのチャクラでいうところのハートチャクラの領域のことをいっています。
ハートが大切なのは、いわゆるマインドとは別の次元に開き、より大きな次元に開いてくれるからです。
もし、私たちがマインドの次元だけにかぎられていると、人生は非常に限られたものになってしまいます。
悲しみや苦しみに打ちひしがれたときに、そこからの出口を見いだせなくなってしまいます。
ここでいわゆるマインドの次元というのは、マインドで見る世界、この物質世界と外側の世界です。
分析し判断する科学的、論理的な世界です。
そして、ここでハートというのは愛の世界、あるがままに受け入れる受容的な世界、内側の世界への入り口を意味します。
今、ここにいて、気づきとともにあることです。
マインドとハートはそれぞれ相反するものではなく、この世に生きていくためにはマインドはなくてはならないものですし、ハートは人生をより豊かに意味のあるものにしていくために必要なものなので、それぞれの違いを認めあう必要があります。
でも、ハートはマインドの次元を超えてしまっているので、マインドにはハートのことは理解できないようです。
ハートにはマインドを越えて、ダイレクトに物事を知り、その本質を認識する能力があるようです。
ですからマインドを通してハートを知ることはできず、私たちにできることは、ただそのハートの感覚を信頼することしかできません。
そのハートを信頼することを学ぶことからしかハートの次元を知ることはできないのです。
最近、私はとても悲しい出来事に遭遇しました。
長年、和尚アートユニティで日本に招待してオーラソーマを教えてもらっていたヌラが、突如としてこの世からいなくなってしまったのです。
マインドのなかにいるかぎり、そこには救いがない、絶望的な気分になってしまいます。
ヌラが倒れてからマインドは、ジェットコースターのように絶望感と希望との間をアップダウンしていました。
医師の話を聞き、ヌラの身体の様子を見ると絶望感と悲しみに落ち込みます。
そして同時に、さまざまな希望や奇跡を夢見ようとします。
しかし目を閉じて、ハートを感じてつながっていると、そこには静けさとやすらぎとあたたかさがあり、ヌラは肉体のなかにはいないこと、苦しんでもいないことがわかります。
ヌラの最愛の人であるラハシャも同じようで、さらに大きな悲しみ、そしてまた深いつながりや喜びを感じていたようです。
このような状況で喜びなんてあり得ないとマインドでは思われるのですが、ラハシャはまさにハートのなかにいて、肉体ではないヌラと出会っているということもよくわかりました。
私はOSHOからそういうことを教えられました。
私がOSHOに出会ったのは、父を亡くして、自分の死に直面し、生きるとはなにかということを真剣に考えていた時期でした。
今まで知っていた生と死の世界以上の多くの次元をOSHOは語っていて、その世界を体験していきたいと思ったのがOSHOの世界へと深く入っていくためのきっかけとなりました。
そのような世界を知らないかぎり、それまでの生き方のままで人生を終えてしまうのでは、自分の人生はあまりにむなしく思えたのです。人生にはもっと大きく、豊かな可能性があることをOSHOは示唆してくれていたからです。
OSHOに出会うことで、愛とはなにか、ブッダの慈悲とはどういうことかを体験として知ることができて、そのことが目に見えない生の次元へと目を開いてくれたのです。
それは瞑想を通してでした。
そして、それはマインドでは理解できないハートで感じることのできる世界でもありました。
OSHOは、ことあるたびに言っています。
「あなたは肉体ではない。マインドでもない」
「私の肉体にとらわれるかぎり、私に会うことはできない。
瞑想のなかで出会うことができる」
その言葉も半分は方便にすぎなかったとあとでわかったのですが、そのときはOSHOに会いたい一心で瞑想した時期もありました。
しかし、そのおかげで、OSHOが肉体を離れても、OSHOはどこにも行かずに私たちとともにいるということもわかりました。
そういうハートの次元でつながることができれば、肉体はそこになくとも、つながることのできる次元というのはあるのです。
マインドは表層の物事を知り、表層の世界、肉体や物質の世界を生きていくためには欠かせない道具です。
でも同時に、そのマインドの世界だけでは表層の世界、表面的な世界だけを生きてしまうことになってしまいます。
過去と未来のなかにのみ生きることになってしまいます。
その内側にある深み、本質や仏性、空の世界、今ここに生きる世界を見逃してしまいます。
マインドや感情に気づいていることのできる世界はハートの次元に気づくことでより容易になります。
ハートの次元に気づくまでは、ただマインドのジェットコースターに翻弄され、過去と未来、表面的な物質的な世界のみに生きることになり、そこには出口はありません。
肉体の死とともに、すべてが終わってしまう世界です。
ハートの次元に気づくことで、そのマインドで知ることのできる世界とは別の次元に開いていくことが可能になるようです。
ハートを通して、愛を通して、外側を知覚することができるようになることで、人生はより豊かになり、そうすることで自分のこれまでのマインドでの見方や在り方とはまた別の人生を、そこに見ていくことができるようになっていきます。
そういう世界に目を開いてくれたのが瞑想であり、ハートの次元なのです。
江谷信壽 記
(ユニティインスティチュートのニューズレターのご登録は
https://unityinstitute.jp/mail/subscribe.cgi )
しかし、そのハートは体験することはできても頭で理解することはとても難しいのです。
ここでハートというときは、心臓のことではなく、いわゆるスピリチュアルハートといわれている部分で、ヨガのチャクラでいうところのハートチャクラの領域のことをいっています。
ハートが大切なのは、いわゆるマインドとは別の次元に開き、より大きな次元に開いてくれるからです。
もし、私たちがマインドの次元だけにかぎられていると、人生は非常に限られたものになってしまいます。
悲しみや苦しみに打ちひしがれたときに、そこからの出口を見いだせなくなってしまいます。
ここでいわゆるマインドの次元というのは、マインドで見る世界、この物質世界と外側の世界です。
分析し判断する科学的、論理的な世界です。
そして、ここでハートというのは愛の世界、あるがままに受け入れる受容的な世界、内側の世界への入り口を意味します。
今、ここにいて、気づきとともにあることです。
マインドとハートはそれぞれ相反するものではなく、この世に生きていくためにはマインドはなくてはならないものですし、ハートは人生をより豊かに意味のあるものにしていくために必要なものなので、それぞれの違いを認めあう必要があります。
でも、ハートはマインドの次元を超えてしまっているので、マインドにはハートのことは理解できないようです。
ハートにはマインドを越えて、ダイレクトに物事を知り、その本質を認識する能力があるようです。
ですからマインドを通してハートを知ることはできず、私たちにできることは、ただそのハートの感覚を信頼することしかできません。
そのハートを信頼することを学ぶことからしかハートの次元を知ることはできないのです。
最近、私はとても悲しい出来事に遭遇しました。
長年、和尚アートユニティで日本に招待してオーラソーマを教えてもらっていたヌラが、突如としてこの世からいなくなってしまったのです。
マインドのなかにいるかぎり、そこには救いがない、絶望的な気分になってしまいます。
ヌラが倒れてからマインドは、ジェットコースターのように絶望感と希望との間をアップダウンしていました。
医師の話を聞き、ヌラの身体の様子を見ると絶望感と悲しみに落ち込みます。
そして同時に、さまざまな希望や奇跡を夢見ようとします。
しかし目を閉じて、ハートを感じてつながっていると、そこには静けさとやすらぎとあたたかさがあり、ヌラは肉体のなかにはいないこと、苦しんでもいないことがわかります。
ヌラの最愛の人であるラハシャも同じようで、さらに大きな悲しみ、そしてまた深いつながりや喜びを感じていたようです。
このような状況で喜びなんてあり得ないとマインドでは思われるのですが、ラハシャはまさにハートのなかにいて、肉体ではないヌラと出会っているということもよくわかりました。
私はOSHOからそういうことを教えられました。
私がOSHOに出会ったのは、父を亡くして、自分の死に直面し、生きるとはなにかということを真剣に考えていた時期でした。
今まで知っていた生と死の世界以上の多くの次元をOSHOは語っていて、その世界を体験していきたいと思ったのがOSHOの世界へと深く入っていくためのきっかけとなりました。
そのような世界を知らないかぎり、それまでの生き方のままで人生を終えてしまうのでは、自分の人生はあまりにむなしく思えたのです。人生にはもっと大きく、豊かな可能性があることをOSHOは示唆してくれていたからです。
OSHOに出会うことで、愛とはなにか、ブッダの慈悲とはどういうことかを体験として知ることができて、そのことが目に見えない生の次元へと目を開いてくれたのです。
それは瞑想を通してでした。
そして、それはマインドでは理解できないハートで感じることのできる世界でもありました。
OSHOは、ことあるたびに言っています。
「あなたは肉体ではない。マインドでもない」
「私の肉体にとらわれるかぎり、私に会うことはできない。
瞑想のなかで出会うことができる」
その言葉も半分は方便にすぎなかったとあとでわかったのですが、そのときはOSHOに会いたい一心で瞑想した時期もありました。
しかし、そのおかげで、OSHOが肉体を離れても、OSHOはどこにも行かずに私たちとともにいるということもわかりました。
そういうハートの次元でつながることができれば、肉体はそこになくとも、つながることのできる次元というのはあるのです。
マインドは表層の物事を知り、表層の世界、肉体や物質の世界を生きていくためには欠かせない道具です。
でも同時に、そのマインドの世界だけでは表層の世界、表面的な世界だけを生きてしまうことになってしまいます。
過去と未来のなかにのみ生きることになってしまいます。
その内側にある深み、本質や仏性、空の世界、今ここに生きる世界を見逃してしまいます。
マインドや感情に気づいていることのできる世界はハートの次元に気づくことでより容易になります。
ハートの次元に気づくまでは、ただマインドのジェットコースターに翻弄され、過去と未来、表面的な物質的な世界のみに生きることになり、そこには出口はありません。
肉体の死とともに、すべてが終わってしまう世界です。
ハートの次元に気づくことで、そのマインドで知ることのできる世界とは別の次元に開いていくことが可能になるようです。
ハートを通して、愛を通して、外側を知覚することができるようになることで、人生はより豊かになり、そうすることで自分のこれまでのマインドでの見方や在り方とはまた別の人生を、そこに見ていくことができるようになっていきます。
そういう世界に目を開いてくれたのが瞑想であり、ハートの次元なのです。
江谷信壽 記
(ユニティインスティチュートのニューズレターのご登録は
https://unityinstitute.jp/mail/subscribe.cgi )
「ELC」シリーズ 第十八回:「ハートから聴く」:シンギングボウルの迫力
「エッセンシャルライフ・コンサルティング」シリーズ 第十八回:
「ハートから聴く」:シンギングボウルの迫力
(ユニティインスティチュートのニューズレターのご登録は
https://unityinstitute.jp/mail/subscribe.cgi )
ユニティインスティチュートのスクールには3つの部門があります。
http://unityinstitute.jp/
サトルボディヒーリング、エッセンシャルライフプログラム、瞑想プログラムの3つの柱です。
今回は、トーショー(市場義人)さんが神奈川県川崎市で行った「ハートから聴く」ミニワークショップをレポートしてくださいます。
では、トーショーさん、よろしくお願いします。
………○…………○…………○………
チベットの僧から直接に購入したシンギングボウルをもって、参加者の一人が来てくれました。
先日行ったミニワークショップ:「ハートのスペースを探求する」- 第一回「ハートから聴く」でのことです。
シンギングボウルの音は圧倒的で、「ハートから聴く」瞑想がとても深いものになりました。
このミニワークショップは、今全国で行われているハート瞑想会の一環として、五感とハートを結び付ける経験を、参加されたみなさんとともに探求していくものです。
前回のブログでは、尾崎智子さんが「ハートから見る」瞑想会の経験をシェアーしてくださいました。
今回は、「ハートから聴く」をテーマに、神奈川県川崎市で行いました。
長く瞑想をしている人も、今まであまり経験していない人も、さまざまなバックグラウンドをもつ人たちが集まってくださいました。
最初は、ハートから人の話に耳を傾ける実験を行いました。
まず、ふつうにパートナーの話を聞きます。
パートナーは、自分についてどんなことでも相手に話します。
相手は初めて会った人である場合もあります。
どの程度気楽に、こころを開いて、自分のことを話すことができるでしょうか?
次にハートから耳を傾ける瞑想をいっしょに行います。
それから、再度、パートナーの話に耳を傾けます。
このとき、ハートから耳を傾けるようにしてみます。
その場合、話している人は、最初と比べて話しやすさに違いはあったでしょうか?
また聞いている人は、どのように話が聞こえたか、ということに違いがあったでしょうか?
この瞑想が終わったあと、ひとりの若い男性は、「最初に話を聞いたときと、次に聞いたときに、たったの2分しか間が空いていなかったのに、相手の話の聞こえ方が全然違ったのに、驚きました!」と言いました。
最初に普段の通り、相手に共感しながら、自然に聞いていたそうです。
ところが、ハート瞑想をした後で聴いてみると、相手の言葉が体全体に自然に入ってきて、その違いに驚いたそうです。
(ちなみに、ハート瞑想は2分よりも長かったです!)
ある女性は、ハート瞑想をした後、言葉の波動が、話をしている相手のハートから、自分のハートに直接飛び込んできたのに驚いたとおっしゃっていました。
この方は、普段からそれほど瞑想をされているわけではないそうです。
ハート瞑想の体験はひとりひとり違っているので、話を聞いた私にも、とても新鮮なお話しでした。
二つ目の瞑想は、ハートから音楽を聴き、次に音楽を止めて沈黙に耳を傾ける、という手順で行いました。
そのためにシンギングボウルや、ベルの音を録音した宇宙的な響きのする曲を用意してきていました。
ところが、休憩のときにシンギングボウルを持ってきた方が、その演奏してくださったのです。
シンギングボウルは、7つの金属を溶け合わせて作っているそうで、ひとつひとつが独自の響きをもち、その日持ってこられたみっつは、地のボウル、天のボウル、それに宇宙のボウルと名付けられていました。
一旦、演奏が始まると、部屋の中は、どこからともなく聞えてくる響きで、満ちわたりました。
音の中にすっぽりと包みこまれ、和風の部屋でしたが、そこが宇宙空間になったような荘厳な音色に圧倒されました。
こうして生の演奏を聴いてしまうと、自分が用意した曲をかけるというわけにはいかなくなりました。
そこで、瞑想の中でも演奏してもらうようにお願いして、二つ目の瞑想が始まりました。
本当に素晴らしい響きでした。(純子さん、ありがとうございました)
瞑想としては、しばらく演奏をした後、沈黙のフェイズを置き、また演奏し、という手順を三回繰り返します。
沈黙のフェイズに入ると、音楽を聴いていたその感覚のまま、沈黙に耳を傾けます。
沈黙に耳を傾けるためには、チューニングする練習が必要なんだよ、というプラサードの言葉を紹介し、聴覚を意識的に使って、沈黙に《耳を傾ける》ということをしてもらいました。
沈黙に耳を傾けることで、私たちは、ハートの中心へと運ばれます。
その日の演奏では、最初と最後の沈黙のフェイズでは、静かにフェイドアウトしていき、沈黙に入りました。
しかし、二回目は、ボウルに手を触れることで、響きから突然沈黙へと入るようにしました。
この2回目の沈黙のときに、とても興味深い現象が起こりました。
今まで乗っていた音の乗り物が突然なくなると、崖から足を踏み外したかのように、沈黙の中に落ちて行ったのです。
これは私だけでなく、経験をシェアーしたパートナーも同じ経験をしていて、お互いに驚きあいました。
このように書いていると少し深刻な感じに聞こえるかもしれませんね。
でもミニワークショップは、とても和気あいあいとした雰囲気の中で行われ、ワークショップが終わった後、シンギングボウルを頭にかぶり、音を鳴らしてみるというやり方に、みんな飛びついて、一番大きな宇宙のボウルを頭にかぶり、ばちでたたいてみるという体験をしました。
これは実際にチベットのお坊さんが行っている瞑想だそうです。
そして、それは頭の中に宇宙の音が鳴り響く、といえるような体験でした。
以上がミニワークショップのご報告ですが、「ハートから人の話に耳を傾ける」ことについては、「悟りのシンクロニシティ」の78ページに紹介してあります。ぜひ試してみてください!
………○…………○…………○………
トーショーさん、ありがとうございました。
エッセンシャルライフコンサルティング(ELC) コンサルタント養成コース 3期生募集
開催日時:平成26年8月1日(金)~3日(日)
お申し込み:お申込用紙に記載して、和尚アートユニティにお申し込みください。
電話受付:0467-23-5683 (和尚アートユニティ内:ユニティインスティチュート事務局
ELCコンサルタント養成コースレベル1
パート2は12月5日(金)~7日(日)を予定しています。
パート3は2015年3月に予定しています。
『悟りのシンクロニシテイー』はhttp://tinyurl.com/cf4awhlで入手できます。