夏休みの終わりに、

なんとか時間を作り、お目当ての美術館に行ってくることが出来ました。




木曜日、午前中はプール当番だったので学校へ。

かなり寒い日だったので、

子どもたちと震えながらプールに入り、


午後は林間学園引率のために超過した勤務時間の調整時間をいただき、

国立新美術館へ。




コローの絵をお目当てに行ったのですが、

実際行ってみると、それよりも心ひかれたのは、モネの絵でした。



unity-rootsさんのブログ-散歩、日傘の女

『散歩、日傘の女』(モネ)【ワシントンナショナルギャラリー所蔵】


モネの妻カミーユと、息子のジャンがモデルとなっています。

この絵で一番注目すべきは、女性の顔の部分です。

女性の表情が分かるように描かれています。




モネは似たようなテーマで、日傘の女を何枚か描きました。




unity-rootsさんのブログ-日傘の女

『日傘の女』(モネ)【オルセー美術館所蔵】



こちらは女性の表情が全く分かりません。




もともと、モネは風景画家で、

人物も風景の一部として描くため、あまり表情に固執しないのだろうという見解もあります。




また、それとは別に、

少しユニークな解釈もあります。



実は、この絵はテーマは似ていますが、

モデルとなった女性は全く別の女性なのです。



1枚目のモデルは、

妻カミーユなのですが、モネはこの妻を病気で失うことになります。



最愛の女性を失った悲しみ・・・。

それによって、同じモチーフであっても、顔を描くことができなくなってしまった。



私は、こちらの解釈の方が、

人間味があって素敵だなと思います。




帰宅後、

どうしてもこの絵が見たくなり、

再び土曜日の夕方に国立新美術館へ足を運びました。



この絵を描きながら、

妻に対してたくさんの愛情を注いでいたのでしょう。



そんなことを考えると、

本当に胸がいっぱいになります。






「俺たちはこれをしなきゃ生きていけないんだよっっ!

オマエたちみたいなよそ者に分かってたまるかっっっ!!!」




そう言われると、

僕たちは捕まえた腕を離すしかありませんでした。



中学生とも高校生とも分からない少年は、

振り返りもせずに走り去り、その姿は夜の闇の中に飲み込まれていきました。




僕と、

ペアを組んでいた青年の間には重い空気がただよい、

それは決して薄れることはありませんでした。







●●●県△△△市、

今回の震災で被災した場所の一つでのことです。


ペアを組んだ青年と出かけた夜の散歩で、

僕たちは偶然、空き巣に遭遇しました。



今でも、

あの少年を逃がしたことが正しいのか、

それとも過ちであったのか、分かりません。



ただ、数日しかそこにいない僕たちには、それがひどく判断の難しいことのように思えました。

倫理などという言葉は、何の役にも立ちませんでした。




僕は、東京へ戻るバスの中で、
「先生!」と呼ばれ、

教壇に立った日のことを振り返っていました。

場所は、新潟県中越でした。



中越沖地震の直後、

まだその爪痕が残る、そんな時でした。



まだ教員採用試験に合格することができず、

非正規の教員として、講師として2年生の担任になりました。



両親を震災で失ったり、そのPTSDに悩んだり・・・

そんな子どもたちが僕の初めての生徒でした。




もう随分長い間会っていませんが、

きっと、あの少年くらいの年齢になっているはずです。




切に願うのは、

あの時の子どもたちがまっすぐに生き、成長してくれることです。






来月末、

もう1度、●●●県△△△市に行こうと計画をしています。

そうしたら、あの時よりも、

少しはあの少年の気持ちが分かるような気がするのです。




最近、

ようやく夏の暑さにも陰りが見え始め、少し涼しくなってきた。



日課のラン・トレーニングも随分やりやすくなった。



結局、

去年の新潟シティマラソン・フルマラソンの部は失格という結果で終わった。


26キロ地点、第6関門の制限時間をクリアできず、

そこで失格になってしまった。



そんなふがいない自分が本当に情けない。

腹が立つし、本当に悔しい。


次に挑戦したら、

もっと悪い結果になり、もっとふがいない自分を凝視しなくてはいけないかもしれない。





そう思うと、たまらなく怖い。

俺は、今年30になる。大きな節目だと言っていい。

体力のピークはとうに過ぎた。



一昨年、

今まで一緒に走っていた友人が肺を患い、走ることが許されない状態になってしまった。

明るかった性格はなりを潜め、

俺とすら話をしなくなった。



今年、

俺は彼のために走ろうと思う。

例え、醜態をさらしたとしても、走れない彼がもっていないものが、

まだ俺の中には残っている。



両親からもらった身体は、頑丈そのものだ。

あとは、鍛え方次第なのだ。

レースまで、あと約1ヶ月半・・・・



俺は自分の可能性を過信するような無知な若者ではない。

けれど、1日でも1時間でも自分の可能性を保ち続けていたい。



今年もマラソンの季節がやってきた。