宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -54ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-松本ちえこ

資生堂バスボンシャンプーのCM、「ね、バスボン」で松本ちえこがブレークしたのが1976年。一気に、その年のNo.1アイドルになった。76年と言えばレコード大賞曲が「北の宿から」で、新人賞が内藤やす子の「想い出ぼろぼろ」。なんとなく暗いヒット曲が多く、華のなかった年だっただけに、チーコと呼ばれて松本ちえこは愛されたのだ。76年春に発表した「恋人試験」のヒットに続き、写真のレコジャケ「恋人願書」がリリースされたのが夏、その秋にも「ぼく」という曲が好調だったのだけれど、どういうワケが賞レースには縁がなかった。♪私どこにも願書は出しません、ただあなただけ この一度限り、そっとお願い申し上げます♪ と歌った「恋人願書」の歌詞に、胸がキュンときた男子学生はたくさんいただろう。このレコジャケの中でチーコが履いているサンダルは、当時ランランサンダルと呼ばれて、女子高生の間で大人気だった。たぶん1000円くらいだったこのプラスチックのサンダルを見ると、高校時代にタイムスリップしてしまう。ポケットにはいつも、数枚の100円玉しか無かったあの頃。壁に貼っていたバスボンのポスター。賞の記録は残っていなくても、まんまる顔の女の子は記憶の中で76年の一等賞。♪ あなたが 恋の第一志望~♪ だったのだ。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-にしきのあきら

どうだ、このカッコ良さ。嵐のメンバーよりもセクシーだろうが・・。と、力説してもしようがない。1972年の、スターにしきのあきらだ。写真はレコジャケの中面で、当時はシングルでも時々このような貴重な頁物のレコジャケがあったのだ。最近のにしきのあきらと言えば、とんねるずのTV番組で落とし穴に落とされる存在感が強いけれど、もともとは正統派の人気歌手で、70年のデビュー曲「もう恋なのか」では最優秀新人賞も獲得している。「スター大運動会」などで常勝することから硬派なイメージさえあったにもかかわらず、マンガ「ちびまるこちゃん」にスターとして登場したあたりからちょっと毛色が変わってきたようだ。90年代「生でダラダラいかせて」に出演した頃には、スターと呼ばれながらもとんねるずにおちょくられ始めていた。話を戻すと、写真のレコードは10曲目の「城ヶ島慕情」。ヒット曲として有名なのは、先程のデビュー曲や、「空に太陽がある限り」なのだけれど、私はこの曲が好きだった。♪あなたを訪ねて来た 想い出の城ヶ島に 白い波だけ寄せては返す どこに帰ろう これからひとり♪ という渋すぎる歌詞の、さて どこが当時の中学生を酔わせたのだろうか? 思い出せども、それは思い出せない。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-中学三年生

かつて、花の中三トリオと呼ばれたその一人。TV番組「スター誕生」から生まれた初代スターが森昌子だ。写真のレコジャケは3曲目の1973年のヒット曲、自身そのまんまの「中学三年生」。♪別れの季節の悲しみを生まれて初めて知りました・・・私も中学三年生♪ と歌い上げる歌唱力は、トリオの中だけではなく、当時の歌謡界でも群を抜いていた。追いかけてスターの座についた桜田淳子と山口百恵のオーラの、どこか陰に隠れてしまった感もあるけれど、森昌子がデビューした72年の熾烈な闘いを、私は忘れてはいない。最優秀新人賞は「せんせい」の森昌子と、「雨」の三善英史の一騎打ちと、もっぱらの前評判だった。ところがそこに人気の郷ひろみが加わり、決選へと発展する。三つ巴戦と固唾を飲んでいたその時、レコードセールスの上昇という数字の裏付けから急浮上したアイドルが現れ、結果「芽ばえ」の麻丘めぐみの大逆転勝利となったのである。予想に反したこのデッドヒートで、72年の「日本レコード大賞」は視聴率が46%を超えた。もちろん、史上初。この年から、黄金のレコード大賞時代が幕を開けたのだ。72年の大賞は「喝采」。他にも和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」や山本リンダの「どうにもとまらない」、天地真理の「ひとりじゃないの」等、話題曲に溢れた。歌謡曲が最も華やかだったこの頃を、森昌子を見るたび、ふと思い出す。

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