宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -55ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-フィンガー5
バレンタインデーから一夜明けて、ウキウキしている人も多いだろう。そこでふと思う。初めて、その日にチョコをもらったのはいつだったのか・・・記憶の旅に出てみると、こんな頃だったと気がついた。ひとつのチョコが心を熱くしたのは、フィンガー5が活躍していた1974年の2月14日。ちょうどその年の3月に、写真のレコジャケ「学園天国」はリリースされた。♪あいつもこいつもあの席を ただひとつ狙っているんだよ ♪ と、1番の歌詞で席替えのときめきを歌っていたけれど、席替えはおろか志望する高校に受かるかどうかの現実の方が、私にはドキドキだった。さかのぼる中2の夏、若い英語の産休教師に恋をした想い出は、「個人授業」の歌詞と重なり、高校受験のドキドキは「学園天国」でいっそう高鳴った。それもこれも、ボーカル晃のその音域が心に響きすぎたからかもしれない。それほどまでに、キレイなハイトーンボイス、歌声だった。♪ 運命の女神さまよ このボクにほほえんで 一度だけでも・・♪と晃を真似て歌った願いは、みごと受験合格でかなえられたけれど、もらったチョコの続きははかなく終わった。1974年のバレンタインデー頃のお話。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-旅の宿

解説の必要はないだろう。写真のレコジャケは1972年、吉田拓郎の大ヒット曲「旅の宿」だ。大人で、上質で、風雅で、メランコリックで、それでいてちょっとHで・・。まさにそんな感じだったけれど、この曲の登場で確実にフォークソングの世界は広がった。前曲の、やはり大ヒットシングル「結婚しようよ」とのメロディの違いに驚かされ、それまでギターはジャンジャカ弾くものと思い込んでいた指先に、アルペジオなるテクニックが現れた。そして、大人にも子供にも吉田拓郎は大きく支持されたのである。中学時代の合唱コンクールで、私のクラスが選んだ自由課題の曲目さえ、誰が推したか「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」で、あった。もちろん、合唱コンクールで入賞しなかったのは言うまでもない。拓郎と言えば、幾つもの時代があり、曲がある。「マークⅡ」、「青春の詩」、「人間なんて」、「落陽」、「襟裳岬」、「シンシア」、「流星」・・。名曲ばかりだけれど、私の中のいちばんは「Have a Nice Day」という、これまた72年に流れたフジカラーのCMソングなのだ。♪きままに写そうお主のハート、きままに写せる拙者のハート♪というフレーズに、「旅の宿」よりセンスを感じたのは何故だろう? 人間、何に影響されるかなんて、本当にわからないものである。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-マチャアキ

年齢によって歌や歌手の記憶は人それぞれだけれど、この人の記憶となるとどうか。さて、どの時代のマチャアキを頭に描くだろう? 1970年開始のTVドラマ「時間ですよ」の健ちゃん、或いは71年の「ハッチャキ!!マチャアキ」、それとも74年に歌ったNHKみんなのうたの「北風小僧の寒太郎」、はたまた75年からの「カックラキン大放送」、いやいや78年の「西遊記」、どっこい「新春スターかくし芸大会」、なんの「発掘!あるある大辞典」・・・もうキリがない。それほど、堺正章というタレントの幅は広く、イメージも限りないのである。もともとは人気GS ザ・スパイダースのボーカルで、その頃の記憶が強い人だって少なくはない。「夕陽が泣いている」等、数々のヒット曲で、あのタイガースに追随した時期もあったほど。なのに、私の記憶の中にはいつもこの曲が流れてくる。写真は堺正章ベストのCDジャケットだけれど、使用している写真は「街の灯り」のレコジャケ。そう、73年の「街の灯り」。 「時間ですよ」のドラマの中、屋根の上で天地真理ちゃんと一緒に歌っていた。♪街の灯りちらちら あれは何をささやく 愛が一つ芽ばえそうな 胸がはずむ時よ♪ 人それぞれ、想い出のそばにはいつも、希望の灯りがあるのかもしれない。

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