宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -56ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-新しい冒険。

今年は寒い。冬という季節に限らず、世の中がちょっと寒いからこそ、こんな歌が無性に恋しくなる。♪ 嵐 吹いてキミが消えても 晴れた時にきっと・・翼ひろげキミを探して ボクのすべてあげよう♪ 1972年、フォーリーブスの15曲目のシングル、「新しい冒険」だ。その当時はそんなにも思わなかったけれど、写真のレコジャケを見ると何故かすがすがしい。その後も「踊り子」や「ブルドッグ」等のヒット曲はあったものの、ロックやニューミュージックの台頭によって、いつしか4人の爽やかな歌と踊りは表舞台から消えて行った。80年代から90年代、そして21世紀へと次々と新しい音楽が生まれ、歌手が排出された。進化し続ける音楽、文化、詞、社会・・。果たして本当に進化し続けることが、新しいことなのだろうか? そんなことを、フォーリーブスの曲を聴いていると、ふと感じてしまう。そう言えば、71年にヒットした「地球はひとつ」の歌詞に込められた想いも、単純だけど明快だった。♪地球はひとつ、みんなの都♪なのである。シンプルな言葉や物の考え方をノスタルジーと片付けてしまわずに、もう一度確かめてみたい。それが、本当の「新しい冒険」のような気がするのは、私だけだろうか。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-朝の恋人

新春第2弾は、前回ブログの南沙織と同じ、1971年デビュー組の本郷直樹。「燃える恋人」という曲を引っさげて華々しく登場した。横顔が似ているところからか、和製プレスリーと呼ばれ、もみあげや白いパンタロン姿も印象的だった。写真は約1年後の72年、4曲目「朝の恋人」のレコジャケ。ご覧の通り、この頃からはブレスリーの印象がやや影をひそめている。♪ 雨降る朝 さみしい朝 ホームにたたずみ線路を見つめてた 君はどこの人 ? ♪という歌詞にも、どこかナイーヴな青年の香りさえする。これ以前の作詞が阿久悠だったのに対し、この曲は何故かなかにし礼が書いている。阿久悠の恋のプレスリー路線が成功していただけに、この大きな転換には何か理由があるはずだと推測したのは私だけだろうか。そして、本郷直樹はTVドラマ「アイちゃんが行く!」で、まだ少女だった坂口良子の相手役として出演。徐々に俳優へと転身していった。ブレスリー路線から脱したのはこういうことだったのか・・と納得したけれど、歌謡曲というジャンル(表現)しかなかったあの時代に、本格的なポップスシンガーが登場したと思えた喜びは、今でもよく憶えている。日本のポップス。もしかすると、それが阿久悠の狙いだったのかもしれない。

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$BOSSのブログ-南沙織

新春第一弾の昭和エッセイは、南の太陽とともに・・。今でこそ沖縄出身のアイドルは多いけれど、その先駆者と言えばすぐにその名が浮かんでくる。1971年、「17才」でデビューを飾った、南沙織だ。「潮風のメロディ」「ともだち」と続いて4曲目、写真のレコジャケは72年の「純潔」。♪変わるのよ 愛された時 その時がはじめての恋・・・女の子は 夢の中で 明日も生きてゆくのよ♪ という歌詞に、新しい女の子のイメージを胸に刻んだ。南沙織の功績は、もちろん南国沖縄からの道を拓いたということもあるけれど、その太陽のような存在感にあった。それまでのアイドルの条件を覆すような、陽に灼けた素肌と真っ白な歯。美人とは、色白でしとやかな、という定説を大きく大きく変えた所だろう。71年の新人賞レースではライバルの小柳ルミ子と争い、わずかに最優秀新人賞には手が届かなかった。だけど、その褐色の笑顔は、誰よりも最優秀の笑顔だった。時を経て引退し、「激写」の篠山紀信と結婚。TVに出演することはなくなったけれど、南沙織が登場した日の衝撃は、当時の若者たちの心のフイルムに激写されているに違いない。それは、太陽の功績とともに。

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