宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -57ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$BOSSのブログ-さぼてん

1971年、日テレで放送されたTVドラマ「さぼてんとマシュマロ」も、もともとはセブンティーンに連載されていた武田京子のマンガだった。ニックネーム「マシュマロ」役を吉沢京子、「さぼてん」役を沖雅也が演じた。沖雅也と言えば、183センチという長身に甘いマスク、それでいてどこか孤高の匂いがしたから、女性ファンも多かった。76年、「太陽にほえろ」に登場したスコッチ刑事は番組の高視聴率をキープし、79年の「俺たちは天使だ」で魅せた少しキザなキャプテン役も印象に強く残っている。写真は「さぼてんとマシュマロ」の提供スポンサーだった森永製菓の雑誌広告だ。けれど、チェッカーチョコレートというのはあまり記憶に残っていない。当時の森永で言うなら、チョコフレークとエンゼルパイ、それに「高原の小枝を大切に」の小枝チョコが印象的だった。明治なら、「痛快まるかじり」のチョコバー、グリコなら「青春シリーズ」のアーモンドチョコレートという風に、なんとなく人気のチョコは決まっていた。そんな中、チェッカーチョコレートが今イチ不発だったのは、「さぼてんとマシュマロ」のせいかもしれない。マシュマロなのに、なんでチョコ? もしも中にマシュマロが入っていれば、当時の視聴者にもウケただろうけど・・。

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$BOSSのブログ-ドリフ

あの時代、ドリフターズの人気は凄かった。TBS系「8時だヨ!全員集合」の最高視聴率が50.5%(73年)というから、国民の半数が観ていたということになる。写真左は、丁度そんなドリフ絶頂期のトンボ鉛筆の雑誌広告だ。トンボMONOの景品だったこの「首チョンパ」も、今ではかなりの高値で売買されているらしい?。写真右の学年誌の付録を見てもわかるように、まだ志村けんは参加していない。そのせいかどうかは別にして、この頃のドリフターズはコミックバンドのフンイキも残し、どことなく渋かった。♪ 今日もあの子から 真赤な封筒で 手紙が来ました きっと会ってちょうだい・・♪なんて曲がヒットしたのが72年。「真赤な封筒」というタイトルからしても、まだまだ歌謡界や賞レースなんかを意識していたような気がする。歌だけでなく、お笑いにしても、なんとなくみんなでまとまっているという感じだった。それがどうだろう、志村けんが加わってからのドリフは変わった。ひとりが突出したお笑いチームに変貌、よく言えば明るく、悪く言えば子供っぽくなったのかもしれない。私なんかは、74年に脱退した荒井注のギャグ、「なんだ、バカヤロー」がいちばん好きだったのだけど・・。

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$BOSSのブログ-ハイティーン

近藤真彦がまだマッチと呼ばれていた1982年に映画化され、その主題歌も大ヒット。♪ハイティーンブギ 未来をオレにくれ ! ♪ という歌で憶えている人も多いだろう。けれど、実は昭和マンガの名作。1977年から「プチセブン」という女性誌に連載されたのが、写真の「ハイティーン・ブギ」だ。77年という時代は、ロッキード事件の初公判や成田空港反対デモ等が勃発し、長く続いた高度経済成長に人々が疑問を抱き始めた頃だった。翳りを見せ始めた時代を描くように、マンガ家牧野和子は主人公に「元暴走族」という過去を背負わせた。リーゼントに革ジャン、レイバンのグラサン・・。かつても、ワルが主役だったマンガは数々あったけれど、惚れた女性のために更生していく主人公を私はあまり知らない。バイクを降り、リーゼントを止め、仕事に就こうするけれど失業・・そんな姿に自分自身を重ねた読者も多かったに違いない。不況の足音が近づいていた時勢だっただけに、経済成長の光と影がまぶしい作品だったように思える。82年の映画では、主役の藤丸翔をマッチが、親友でライバルの鳴海重を田原俊彦が演じていた。野村義男や三原順子も共演し、さながら金八同窓会のようでもあったけれど、アイドル映画としては迫力もあった。ただ、マンガの藤丸翔はもっと大人っぽかったけど・・ね。

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