宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -53ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-シモンズ
1971年だった、CMから清涼感たっぷりの歌声が聴こえてきたのは。♪あなたにも分けてあげたい ほらチェルシー もひとつチェルシー♪という、おなじみのCMソング。歌っていたのが、シモンズだった。写真のジャケットは73年、3枚目のアルバム「風のことづて」。タイトルからして爽やかだけれど、そこに写っている二人(田中ユミと玉井タエ)の表情がいつも涼しげで、曲を聴くたびに心がやわらいだ。このアルバムに収録されている「ふるさとを見せてあげたい」という曲を初めて聴いたのは、毎日放送系の全国ネット「ヤングおー!おー!」のエンディングだった。当時、大人気だったこの番組で聴いて、心が震えた。その理由は歌詞の最後。♪あの人にふるさとを見せてあげたいの あの人はふるさとのない人だから・・♪まさしく、私もずっとふるさとに憧れ続けていたからだ。季節は、もうすぐ春。この季節になると、♪春はかげろう麦畑 夏はひでりのせみしぐれ♪と、つい口ずさみたくなる。ちなみに、明治チェルシーの唄は歴代いろんな歌手が歌い継いでいる。79年にサーカス、82年にあみん、97年にPUFFY、2003年にケミストリー、2010年にはEvery Little Thing が・・。その始まりが、このシモンズだったのだ。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-GARO
写真のレコジャケは1972年のヒット曲、GAROの「学生街の喫茶店」。♪君とよくこの店にきたものさワケもなくお茶を飲み話したよ♪ というシンプルな歌詞だけれど、当時はそのフンイキが大人っぽかった。そもそも喫茶店に入るということが、大人な時代だった。ジャズ喫茶や音楽喫茶なんていう店もあったのだから、くゆらすタバコの紫煙とコーヒーと音楽は、それで大人の1セットという時代だったのかもしれない。この年、浅間山荘事件を観ながら周囲が呟く「学生運動も終わったな・・」のセリフに耳を傾け、コーヒーをすすりながらフォークソングを聴くのが大人への入り口だった。人生がどうとか、哲学的な歌詞の多いフォークソングの中で、「学生街の喫茶店」はわかりやすかったから、多くの人に支持されたのだろう。なんとなく崇高な音楽のように感じられた理由は、続きの歌詞にある。♪学生でにぎやかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン・・・♪ ボブ・ディランて、誰? どんな音楽? 何それ? という謎こそが、この曲の神秘性であり、そしてGAROの人気の秘密だったのだ。「君の誕生日」「ロマンス」とヒットは続き、73年にはNHK紅白歌合戦にも出場したけれど、だんだん神秘性は消えていき、単なるアイドルと化したGAROの人気の秘密も消えていった。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-アグネス
♪おっかの上、ひっなげしの花で・・♪と、いきなりハイキーから始まるこの歌がヒットしたのは1972年。群雄割拠の芸能界に、アグネスチャンはまるで妖精のように登場した。その素朴さと可憐な歌声の前に、もはや理性は通用しなかったのだろう。ファンと言わず、大人と言わず、誰もが一緒になって♪おっかの上・・♪と真似てしまったのである。可愛かった。それくらいの魅力が、あの頃のアグネスにはあったのだ。写真左は、そんな人気絶頂期に玩具のポピーから発売された「スター人形ポピーちゃん」の雑誌広告。真理ちゃんの人形とともに、アグネスの人形も大きく宣伝されている。確かにアグネスは人形に向いているアイドルだった。この「スター人形」は、今で言えばフィギュアの走り。当時はまだ男子は買わなかったけれど、もう少し似させていたら売れていたかもしれない。73年「妖精の詩」、「草原の輝き」、74年「ポケットいっぱいの秘密」と続いた、あの甘酸っぱいようなヒット曲の記憶。思うに、案外アグネスがアキバ系アイドルの最初だったと言えなくもないような・・。少なくとも、当時の芸能界で白いスクールソックスがいちばん似合う少女だった。

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