宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -31ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-根津甚八

1978年から5年間続いた「木曜座」という名のドラマシリーズがあった。TBS系の木曜夜10時。そのドラマ枠は、多感な季節を迎えていた私にとって、大人の愛というものを知る絶好の時間帯だった。78年「愛がわたしを」、79年「水中花」、そして80年放送の根津甚八主演「恋人たち」で、私の疑似恋愛はMAXを迎えたのだ。準相手役の田中裕子がTVに出始めた頃。どこか、けだるい雰囲気はその後の人気をしっかりと予感させた。原作である立原正秋の同名小説を読んでいた私は、あのナルシズムをどう魅せるのかと半信半疑だったけれど、主役の根津甚八は見事なまでに成りきっていて、あんな大人になりたいと思ったほど・・。写真のレコジャケは、そのドラマの挿入歌として発表された「ボヘミア・ロマン」。ドラマの熱を浴び過ぎたせいか、まともに聴いたこともない根津ソングを気がつけば買っていた。TV局とレコード会社のタイアップというのは、怖い。それにしても、赤テント劇団「状況劇場」を経て、売れに売れていた33歳の根津甚八は、渋かった。周りの女性たちが、あの寡黙さがいいとウットリするような口調で語っていたので、当時からおしゃべりだった私もなぜか小声でボソボソとしゃべるようになっていた。大人になりかけの頃。憧れの大人がいた、昭和である。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-野球カードゲーム

今どきのキラびやかなカードゲームとは多少? 違うものの、70年頃にもこんなカードゲームが流行った。エボック社の「ベースボールカードゲーム」である。遊び方はピッチャーとバッターに別れて、配られたカードで攻守を競う、いわゆる対戦型カードゲームだ。ボードゲーム離れの子供たちに向けて、当時のエポック社は次々と新しいゲームを考えたのだろう。このカードゲームもそのひとつで、表面には星飛雄馬が使用されている。「巨人の星」は1966年から少年マガジンに連載、68年にはよみうりテレビ(日テレ系)で放送された、梶原一騎原作のスポ根マンガの傑作。その主人公を使用していたということもあって、私も興奮しながら遊んだのを憶えている。なのに、中面の絵は誰が描いたのか、誰なのかもさっぱりわからない。使用料の関係だろうけれど、そういうテキトーな所があの時代の玩具の面白さでもある。ちなみに、巨人の星のアニメでも面白い現象はたくさんあった。たとえば、主題歌の歌い出し。♪思い込んだら 試練の道を♪の歌詞を、♪重いコンダラ・・♪と歌い、映像に登場した地ならしのローラーを「コンダラ」と憶えていた人たちが全国に同時発生した現象。なんと、のどかな・・。昭和のこの時代はゲームもアニメも、どこかテキトーで、だけどそれがなんとも心地よかった。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-ユニ坊主

10月1日は「uniの日」なのだそうだ。三菱鉛筆からuniが発売されたのが、1958年の10月1日。
つまり、今年で55周年ということになる。私が子供の頃、uniは高級鉛筆で確か1本50円。おこづかいで買えるような代物では、もちろんなかった。当時 私は勉強嫌いだったので、鉛筆なんてどうでも良かったのだけれど、そこに現れたのが写真の景品。uniを1ダース買うともらえた、おじゃまな消しごむ「ユニ坊主」なのである。今思うと、丁度その頃から文房具の玩具化が始まったのだろう。文房具なら親に買ってもらえるし、学校にも持って行ける。そういう、勉強嫌いの子供心を操るかのように、ユニ坊主は流行したのだ。1972年のこと。勉強するからという理由を並べて、1ダースのuniを手に入れた。正確に言うと、ユニ坊主を手に入れたのだ。ブルー、グリーン、キイロとピンクの4色があったけれど、全部揃える勇気もなく、私はなぜかピンクを選んだ。たぶん、その流行をキッカケにその後たくさんのおもしろ消しゴムが登場したはずだ。食べもの消しゴムにスーパーカー消しゴム、そしてキン肉マン消しゴムへと・・。穴に鉛筆を立てても転がるし、ホントに何の役にも立たない消しゴム。文字さえ消せないけれど、だからこそそんな想い出もまた、消えずにいるのかもしれない。

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