宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -32ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-東京オリンピック

7年後に東京でオリンピックが開催されることになった。賛否は別として、楽しみであるのは間違いない。1964年の東京オリンピックの記憶を辿ると、「東洋の魔女」や「重量挙げの三宅」等、金メダル16個を獲得したにもかかわらず、日本柔道がヘーシンクに敗れたとか、マラソンの円谷が銅メダルに終わったとか・・なぜか同時に悲壮感も漂っていた。写真は、その第18回大会記念メダルと64年に発行された100円硬貨。メダルの方は祖父にもらったものだけれど、記念硬貨の方は数枚持っていた友達に譲ってもらった。当時の子供たちは、みんなこの100円硬貨を大事にとっていたのだ。アジア初のオリンピック開催地、メダル獲得総29個、東京五輪音頭を歌い上げる三波春夫・・・。それらの栄光と繁栄は、もう遠い軌跡になってしまったけれど、それでいいのかもしれない。高度成長という右肩上がりの時代だっただけに、常勝を目指した日本も、今や国もろともシニア大国。2020年は常勝なんて心配なしに競技に挑んで欲しいし、私たちもゆったりと観ていたい。大人の国のオリンピック、それがいちばん楽しみなのである。ただ、気がかりがひとつある。新・東京五輪音頭は、誰が歌うのだろうか?

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-フィリックス

丸くて可愛い、黒猫。正式な名前をフィリックス・ザ・キャットと言うらしいが、私はずっとフィリックス君と呼んでいた。日本での活躍は、1963年にフジテレビ系で始まった「とびだせフィリックス」という5分番組から。それは「マイティハーキュリー」というアメリカンヒーローアニメ放送開始の5分前、たしか夜6時55分からのつなぎ番組だった。フィリックス君の持つ魔法の黄色いカバンを巡って事件が巻き起こり、いつも終了間際に「こりゃ、タイヘンだ!」のナレーションでつづく・・。のだけれど、フィリックス君が始まる頃、だいたいわが家は晩ご飯の時間だったので、実はストーリーまでは詳しく憶えていない。あの頃は毎日やっている番組が多かったせいか、いつでも観れるような気がしていたら、いつの間にか大人になっていた。写真は、当時(60年代)すでに発売されていたマルカワ製菓のマーブルガム。丸いボール型のガムが1箱に4コ入っている。TV番組は、結局67年まで続いて終了したけれど、このガムは2013年の今も健在。どこかの駄菓子屋で、黒猫のあの笑顔がニッコリと迎えてくれる。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-嗚呼、花の応援団。

1975年と言えば、佐藤栄作元総理が死去した年。ノーベル平和賞受賞者を亡くしたせいか、ヒット曲も「シクラメンのかほり」、「昭和枯れすすき」、「想い出まくら」、「心のこり」・・と、なぜか暗かった。そんな退廃ムードをぶち壊すかのように登場したのが、写真のマンガ「嗚呼、花の応援団」なのである。大阪の豪快な応援団員の日々を描いていると書けば、もっともらしいけれど、そんなもんじゃない。無敵の主役、青田赤道は後ろ向きな日本を「ちゃんわちょんわ」と一喝し、素っ裸にした。翌76年にはレコード化と映画化。「役者やのお」のセリフで、無名のなぎら健壱も一躍人気者になった。ブームは、関西にとどまらず全国へと。当時関西に住んでいた私は、大阪を舞台にしたマンガが全国区に躍り出るということが嬉しかった。と、同時に地方の方言や文化が表舞台に立つという意味でも、このマンガの存在は大きかっただろう。マンガにしろ、映画にしろ、地方発のメッセージが日本を揺らすということが、もっとたくさんあっていい。青田赤道のように、地方まるだしの凄みと強さが、今必要なのではないか。こんなにも滅茶苦茶でお下劣なマンガを読んで、こんなことを思う私もまた、ちょっと変人ではあるけれど・・。

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