宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -28ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

コインチョコ

昨日はバレンタインデー。もらった義理チョコで写真のような五輪マークを作っていたら、本当に男子フィギュアスケートで金メダルが誕生してしまった。人間の想像力とは、凄いもんだ。みごと五輪マークになったのは、コインチョコ。その上に、No.1の文字を飾っているのが、フィンガーチョコ。どちらも、おなじみの昭和チョコの代表選手である。まだまだチョコが高価なお菓子だった60年代には、メーカーも工夫を凝らしてチョコを子供たちの手の届くものにしたのだろう。他にも、フルタのセコイヤチョコやトーサンのライスチョコ、チョコをアメでくるんだサクマのチャオや味覚糖チョコハイディに、ミルクヌガーのご存知チロルチョコなど、安くて親しみやすいチョコがあの頃の駄菓子屋にはあふれていた。当時はチョコの原料が高かったので、ウエハースやアメに混ぜたのだろうけれど、かえってそれが楽しかったのかもしれない。もうすっかり消えてしまったと思っていたコインチョコも、義理チョコで復活。嬉しいような、懐かしいような。私の心にも、思い出という名のメダルが輝いた一日だった。

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前回のブログでツナギの話を書いていたら、ふと思い出した。白いツナギが日本一似合うのは、早川 光だと・・。1975年から週刊少年チャンピオンに連載されたマンガ「750ライダー」の主人公である。75年と言えば、バイクはまだまだやんちゃな乗り物だった。そんな時代に呼応してか、連載当初はストーリーも少しやさぐれた内容で、通う学校名も「竜堂学園」。その頃ツッパリで人気だった宇崎竜童をヒントにしたと思えなくもない。ただ、それが次第にさわやかな青春マンガに移行してゆくところが、石井いさみの上手さなのだ。その上手さの極みが、久美子という名の学級委員長の存在にある。美人で優等生の委員長、なのにいつもちょっとワルの主人公に味方する。それはほのかな恋心なのか。「花の高校2年生だもん・・」というセリフも自分自身と重なって、今でもページをめくるとあの頃の風がそよぐような気がする。委員長に苗字がなかったのは、読者ひとり一人が好きな誰かを想定すればいいと、きっと作者が思ったからに違いない。当時はまだ、原付の免許しか持ってなかった私は、ホンダのCB750 FOURにまたがる主人公に憧れた。そして、委員長に好かれる、早川 光のような男になりたいと、本気で思ったものだ。

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ダウンタウンブギウギ

「ダウンタウン」と言えば、今ならもちろん漫才の王者をすぐに思うけれど、70年代はこっちがダウンタウンだった。正式には、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドである。1974年に「スモーキンブギ」のヒットで注目されたと思うと、翌年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。作詞の阿木燿子とともに一躍スターの座についた。写真のレコジャケは、ちょうどその頃のアルバムで、タイトルも当時の心中そのままに「続 脱・どん底」という。私ごとで恐縮ではあるけれど、学園祭で一度ダウン・タウンの前座に出たことがある。前座を務めたのは私たちのバンドともう一人、それが所ジョージだった。当時はまだ、ダウン・タウンのボーヤ(バンドマン)をやっていた頃だと思うけれど、矢沢永吉そっくりのリーゼントで、ホントにカッコよかった。前座の楽屋が一緒で緊張していたら、優しい声で話しかけてくれたのをよく憶えている。本番では、E.YAZAWA風のタオルを首に巻き付け、ギターを抱えて颯爽と登場し、コミックソングを歌う。その頃から所ジョージはウケていた。ダウン・タウンが、メインで「裏切り者の旅」を歌っていた頃だから、76年頃だろうか。ツナギ姿にグラサンでキメキメの宇崎竜童には悪いけれど、このアルバムを見ると、所ジョージの方をつい思い出してしまう私、まさしく裏切り者の旅なのだ。

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