宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -26ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

平凡の歌本

まだレンタルCD店も、ましてやインターネットなんてなかった時代。TVで歌っているあの歌手のあの曲は、どんな歌詞なんだろう?? 一緒に歌ってみたい!! そんな素朴な疑問や衝動に答えてくれたのが、写真の「歌本」なのである。正確に言えば、月刊平凡や明星に付いていた「歌詞ガイド本」。これがなければ、アイドルの曲を憶えることも、新曲をいち早く知ることも難しかった。写真は1977年の月刊平凡10月号の歌本なので、その年に大人気だった、清水健太郎が表紙を飾っている。特集が「宇崎竜童ヒット曲」。76年に山口百恵の「横須賀ストーリー」を手がけてから、次々とアイドルにヒット曲を与え、歌謡界のフィクサーとして注目されつつあった頃なのだろう。そう言えば、大ヒットドラマ水曜劇場「ムー」でも、郷ひろみ&樹木希林に「おばけのロック」なる挿入曲を提供し、宇崎竜童の音楽センスが話題を集めたのもこの77年だった。現松ケ根親方(元大関 若島津)と結婚したアイドル高田みづえの「硝子坂」もこの年のヒット曲で、やっぱり作曲は宇崎竜童。たった一冊で、こんなにもたくさんの情報が辿れるなんて、歌本は偉大だ。それは単なる思い出ではなく、昭和という時代を象徴する、ある意味歴史的価値のある本ではないかと、私は思ったりするのだけれど・・・。

人気ブログランキングへ
君だけに愛を

昨年の12月に、ザ・タイガースが全員揃っての復活コンサートを開催したのは記憶に新しい。写真のレコジャケ「君だけに愛を」は1968年のリリース。タイガース4枚目のシングルで、♪君だけに!!!! ♪と、ジュリーが黄金の人差し指を向けると、失神する女性たちが続出した。ただ、歌手としてはソロの時代、つまり70年代の沢田研二の曲の方が私には鮮烈だった。72年の「許されない愛」に始まり、73年「危険なふたり」、74年「追憶」、75年「時の過ぎゆくままに」と名曲は続く。さらに77年「勝手にしやがれ」、78年「サムライ」、79年「カサブランカ・ダンディ」・・。よくもまあ、次々と奇抜な曲が完成したものだと思える程、全ての曲に迫力がある。そんな名曲に合わせたジュリーのコスチュームもまた魅力だった。歌謡曲時代に頂点があるとすれば、やはり70年代のこのあたりだと感じるのは、私だけではないだろう。80年に発表した「TOKIO」で、私の中でのジュリーは幕を閉じた。80年代の圧倒的な華やかさが、ジュリーを超えていったからだ。ひとつの時代を牽引し続けた「ジュリー」という歌手。その一曲一曲が錆びないのは、きっと時代の使命を背負っていたからに違いない。歌謡曲が、人の心を明るくさせた、そんな時代だったのだ。

人気ブログランキングへ
吉永小百合

「笑っていいとも!」がついに終了した。私はあまり観てなかったのでそこまでの感慨はないけれど、グランドフィナーレを飾るように吉永小百合が中継越しに登場したらしい。ハナモゲラ語とイグアナの物真似で芸能界に君臨した奇怪な芸人でさえ、心の中で憧れ続けた人。その永遠のマドンナが1962年に歌った名曲こそ、写真のレコジャケ「寒い朝」である。♪北風吹きぬく寒い朝も 心ひとつで暖かくなる・・・北風の中に聞こうよ春を、北風の中に聞こうよ春を♪ という歌詞を追うまでもなく、みごとに清純可憐な吉永小百合でしかあり得ない歌なのだ。昨年のNHK人気ドラマ「あまちゃん」でも、吉永小百合(橋幸夫とデュエット)の「いつでも夢を」はさわやかに流れ、その姿は今でも理想の女性像として衰えることがない。そう考えるとその存在は、時代を超えた日本人の良心なのかもしれないとさえ、思えてくる。奇怪ぶりながらも30数年もの間、昼の番組を支えてこれたのは実はタモリの中のそんな良心、常識的な感性だったに違いない。国民的番組は終わっても、日本人のそんな心はきっと終わらない。だからこそ、申し訳ないけれど吉永小百合には、ずっと清廉潔白でいて欲しいのだ。

人気ブログランキングへ