宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -23ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

同棲時代

読書の秋なので、昭和の漫画や本を紹介したい。写真は、1972年より「漫画アクション」に連載された大人の漫画「同棲時代」。ひたすら暗いストーリーで、同棲のどこが魅力なのかあの頃の私には理解できなかったけれど、上村一夫の描く世界観は繊細なまでに美しかった。73年にはTBS系でドラマ化、脚本を山田太一が手がけ、主役の次郎を沢田研二が、今日子を梶芽衣子が演じた。その後に映画化もされ、大信田礼子が歌った主題歌はなぜか大ヒット。当時から、聴けた歌じゃないとは思ったものの、不思議とその暗さと低音の微妙な音感がしっくりきたのだ。歌は上手さではない、と深く思い知った曲でもあった。♪ふたりはいつも傷つけあって暮らした それがふたりの愛のカタチだと信じた・・・♪ 作詞も上村一夫の世界。貧しいだけの若者のアパート生活を描いた漫画が、こんなにも色づいて見えたのは、きっとこの時代の社会背景のせいだろう。イラストレーターという明日を目指して都会に生きる若者が、輝いて見えた頃なのだ。この漫画の中で、私は初めて花粉症という病気を知った。花が好きなのに花粉に触れると涙とめまいが止まらない女性の話なのだが、その中にも上村イズムは潜んでいた。やがて、本当の花粉症がそんなに美しい病気ではなかったと知ったけれど、騙されたとは思わない。それが、上村一夫の美の哲学だったのだから。

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あしたのジョー

東京の練馬区立美術館で「あしたのジョー、の時代展」をやっていた。会場内には宿命のライバル、力石徹の葬儀までが再現されていて、私にとっては特に感涙ものだった。写真はその時の冊子とポストカードである。1968年、「あしたのジョー」は週刊少年マガジンに連載され、70年よりアニメがフジテレビ系で放送開始。少年マガジンを読み、テレビにかじりつき、そして「あしたのためのその1、その2」をこっそり真似ていた少年の日を思い出す。シロクロ放送だったテレビがカラーに変わり始めた頃、寺山修司作詞の主題歌を歌いながら、あしたへの希望に燃えていた。確かにあの頃は、あしたへの夢を見ることが美しかった。矢吹丈という名前を耳にしただけで、今でもなぜか武者震いのようなゾクゾク感を憶えるのは私だけではないだろう。ドヤ街の片隅から世界へと一歩ずつ駆け上がる・・そんな物語が単なる絵空ごとではないと思えた時代だったのだ。ドヤ街、そう言えばドヤはヤドの逆。宿とは呼べないくらいの所を「ドヤ」と呼ぶと、あの頃誰かに教わった。それはまさに、反逆の表現。あしたという日への輝かしいリベンジの象徴だったに違いない。あしたという日を、美しいと感じることのできる人は、今どれくらいいるのだろうか。

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栓抜き

今年の夏は短かった。猛暑続きの夏も辛いけれど、豪雨と竜巻ばかりですぐに逃げ去る夏はもっと憎らしい。きっとビールの売り上げにも影響しただろう。なんてビアジョッキを傾けていて、ふとあることに気づいた。お米屋にケースで注文していた時代は瓶ビールが主役だったのに、今や家庭でも缶ビール。定食屋か商店街の片隅にあるようなラーメン屋にでも行かない限り、瓶ビールを見ることはほとんどない。従って、写真のような栓抜きを必要とする機会もなくなったのだ。キリンビールと書かれた景品の栓抜き。かつては、どこの家庭にも1つや2つはあったこんな栓抜きを見ていると、昭和の夕食前の光景が浮かんでくる。父がいて、テーブルにはピーナッツとジョッキ。そこに瓶ビール1本と栓抜きが登場するのである。なぜか栓を抜きたくて、栓抜き役を買って出る子供たち。カンカンとビールの王冠をたたいてから、シュポンと栓を抜く。父親がうまそうにビールを飲む夏の光景に、あの時代の幸せな光景を見ていたのかもしれない。キリンビールの麒麟マークには、「キ」「リ」「ン」の文字が隠れていて、それを探し出せた夏、少年は日焼けした顔とともに少し逞しくなっていったのだ。

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