宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -24ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

闘牛士

その名前を初めて聞いた時、なんとヘンテコな名前かと首をかしげた。Char(チャー)という名前を、あまりカッコよく感じなかったのは私だけだろうか。エバとかシェリーとか、女性タレントには当時からそんな芸名があったけれど、ソロの男の、それもロックシンガーにその名前は似合わない。それが、Charに対する私の先入観だった。写真のレコジャケは1978年の「闘牛士」。前年にリリースした「気絶するほど悩ましい」のヒットで、その人気は女性を中心にグングン上昇していた頃だ。本名、竹中尚人(たけなかひさと)。「ひちゃと」と呼ばれていた子供時代の愛称が、ひちゃーと→ ちゃーと→ チャー、に変化したという説が有望だけれど、私は別の説を密かに抱いている。もともと家は東京品川区の戸越(とごし)で、その商店街にCharの実家(お店)がある。実家の稼業は、お茶屋さんなのだ。カンのいい人はもう気づいただろう。Char(チャー)という名前は、お茶から来たのかもしれない。あの頃、世良公則(ツイスト)、原田真二と並んでロック御三家とまで言われたCharの名前の由来が、お茶かもと気づいていたら、もっと親しみを込めた視線を送っていたのになあ・・。偉大なギタリストに向かって、気絶するほどくだらない、そんな思い出話なのである。

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お化けのロック

この時季、子供の頃はテレビでお化け映画をよく観た。「四谷怪談」に「番町皿屋敷」、「ろくろ首」なんかも観たような気がする。夏のお化けは、楽しみのひとつでもあり、同時に怖くもあった。いつからだろう、あまり放送しなくなったのは。日本のお化けは怖すぎたけれど、こんな「お化け」なら怖くない。写真のレコジャケは、郷ひろみと樹木希林のデュエットで1977年夏の「お化けのロック」。A面である「帰郷」のカップリング曲のはずが、ドラマ水曜劇場「ムー」の中で大々的に披露されたものだから、大ヒット! お化けのキャラクターを歌謡曲に登場させたのは、もしかするとこれが最初で最後かもしれない。当時 私が驚いたのは、キャラクターよりもその歌詞の方だ。♪オイラに何ができる取り憑く他に・・イヒッヒ ヒーヒヒ イヒ イヒ・・♪この「イヒ」、というカタカナを漢字で読むと化けるという字。つまり、イヒ、イヒという笑い声に「お化け」を重ねたのだろう。このアイディア、このセンスに脱帽。阿木燿子という作詞家はこういうとぼけたことも出来たのである。♪オット、足を踏むのは誰だ もっとも はなから足などなかったよ ヘイ! お化けのロックンロール♪ 人それぞれ、心の中の思い出をひもとく、そんなお盆である。

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狩人

「狩人」という名のデュオをTVで初めて観たのは、1977年の春まだ浅い頃だった。男同士でハモる歌手なんて、キモくて初めは歯牙にもかけなかったのだけれど、街に流れる「あずさ2号」を何度も耳にするうちに、なぜかはまっていったのを憶えている。世の中はピンクレディ旋風が吹き荒れた年。そのモーレツなピンクの熱風の中で、淡々とクールに歌い上げる二人の歌唱力が、どこかヒンヤリと心地よかったのかもしれない。写真のレコジャケは、その年の8月に出たセカンドシングル「コスモス街道」である。この曲を聴くと、いつも夏の終わりを思い出す。それは、私が初めて車で北海道を走った季節と重なっているからだけれど、コスモスという秋の花に、余計に夏の名残り惜しさを感じてしまったのだろう。♪コスモスの花は今でも咲いていますか ? あの日の二人をまだあなたは覚えてますか ?・・ ♪ そう言えば、まだ車にクーラーなんて付いてなかったあの8月の北海道で、車内に流れた「コスモス街道」だけが涼しさを感じさせてくれたような気がする。それがたとえ幻想であったとしても、私にとってこの曲は、宿題がまだ残っている夏休みの終わりのような、そんな懐かしい風景なのだ。

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