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緑のチェーンでつながってるんだね



運命の人と「赤い糸」でつながってるのは、みんな周知の事実。でも意外と知られていないのは、似たもの同士が「緑のチェーン」でつながっているということ。運命の人との「赤い糸」は、途中で絡まったり切れたりするからなかなかめぐり合わないものだけど、似たもの同士との「緑のチェーン」は一味違う。友情泥棒が縁を切ろうと画策しても頑丈なので大丈夫。お互いをとても身近に結びつけてくれるとっても素敵な「緑のチェーン」。ただ、問題もあって、一度完全に壊れちゃうと修復は難しい。その点、「赤い糸」はいったん切れてもまた結び直せばいいので、ここが運命の人と似たもの同士との絆の強さの違いになる。

天空にラピュタを求める



空を見て大きな雲の塊があると、あそこに天空の城ラピュタがあるんじゃないかと想像してしまう。
こういう思いに駆られるのも、すべてジブリの影響。
蝶の幼虫をみて「オーム」を思い出し、大木をみると「トトロ」を思い返す。カントリーロードを聴くたびに「耳をすませば」に思いをはせる。

溢れ出る礼節



伝わるだろうか?心得違いな1枚。ゴミ箱に入りきらないゴミが周囲にあふれている。ゴミはゴミ箱にいれようという礼節が感じられるだけに、その気持ちの行き先があまり心地良いものでないのは悲しい。ゴミ箱の空き容量さえあれば・・・。

Mホール



ManholeのMはどMのM。踏んで欲しくて仕方がない。だから、ほんとは目立たなくていーのに、やたらと凝った格好をするやつまであらわれだす始末。大雨のときに飛び跳ねるMホールがいるけど、あれは欲求不満な証拠。街で見かけたら踏みつけてやってください。

だけど、年をとったMホールには注意!向こうも怪我するけど、こっちも怪我する。

きゅうりとキャベツのコンビネーション



きゅうりとキャベツが捨ててあった。もったないなぁ~という気持ちになる一方で、緑が綺麗だなぁ~という気持ちにもなる。とりあえず見事な捨てられっぷりに感心。
そんなきゅうりとキャベツ。捨てられ具合は絶妙なんだけど、料理となるとどうだろう。きゅうりとキャベツが仲良く共存する料理がスラッと浮かんでこない・・・。料理知識に乏しい人間(レシピ貧乏)からの見方だから至らなぬ点が多いのかもしれないけど、それでも出てこないのはマイナス。
植物野菜学校ウリ科のきゅうりとアブラナ科のキャベツ、科は違うけど同じキ行の名前の持ち主として仲良しであると信じたいもの。
今後のきゅうりとキャベツのコンビネーションに期待したい。

矛盾逆説火事親父



「貼紙おことわり」という貼紙。これを矛盾だ逆説だと漢字でおさめようとすると、話が長くなっちゃうので、貼紙はられるの嫌なのに貼紙はってんじゃ~ん。でも、自分がされて嫌なことを自分から進んですることによって、その悲壮な訴えを見事に表現しているのだ~。っていう極めてお気楽な感じておさめる。

p.s.,

「貼紙おことわり」という貼紙をはられているという驚愕の可能性はゴミ箱に。ポイッ。

つぼみ美



花と写真といえば、花がプワァ~と満開に咲いたとこだけ撮ってるものが多い。もちろん、満開の花は美しい。でも、散ってゆく花も美しいし、つぼみの状態も美しい。満開の花を撮る人が多いので、それ以外の花の状態を撮ってみた。

特につぼみの状態は「つぼみ美」としたいところだけど、言いにくいのが難。

逆3兄弟(逆光という逆境を逆用する)



逆光ですが、見にくいですが、都合悪いですが、敢えて。

世が世なら・・・





タバコをこれだけもっていたなら、大罪。世が世なら終身刑だ。将来的には、「昔の人はよくタバコ吸っていたわよね、百害あって一利なしなのよ~!いや~ね~。」と主婦ロボットの井戸端会議のネタとなっている。現在においても、合法的なのにこれほど公然と批判してもよい品物も珍しい。

「世が世なら・・・」の後に続く言葉は、決まってお殿様。それ以外は聞いたことがない。この「世が世なら・・・」、「余が世なら・・・」と簡単な掛け算にもなっていることは、数学者の中でもあまり知られていない。

鳩が平和の象徴なら、猫は自由の象徴




鳩は平和の象徴なので、猫を自由の象徴にしてみた。なんとなく。
猫が鳩をくらう=自由が平和を侵す なんとなくの副産物としてはよろしいんじゃないのでしょうか?
写真は自由の女神ではなく、自由な猫。