看板は記念碑
看板が存在するにはそれなりの理由がある。
例えば、この看板の場合、石を投げて遊んでいた人がいたってこと。それは、1人か複数かはわからないけど、とにかく遊んでたいたわけだ。んで、そんな遊びが1度行われただけで看板が立つわけはないので、この場所では平成の石投げブームが起こっていたのだろう。かなり頻繁に石が投げられていたことが想像できる。
文字が全部ひらがなでかいてあることからみて、石投げ遊びしてたのは小学生の悪ガキ軍団と断定。
一方、看板を立てた側ももちろんいる。おそらくこの近辺に住んでる人。1度や2度なら我慢できるものの、頻繁に石投げ遊びをされるとかなりの迷惑。事故があってからでは遅い。注意はしたもののやめる気配がないのでたまらず役所に連絡。こうして看板が立てられた。
というように、看板に歴史あり。記念碑のようなものだ。
帽子先生
帽子はすごい力をもっている。ひとたび帽子をかぶるだけで人のイメージは一変する。例えば、街中を裸で歩いたら、確実に猥褻なイメージを与えてしまう。だけど、「裸にキャプ」という格好ならどうだろう。「新しいファッションなんじゃない?」とあたたかい目で見守ってくれる人も2割はいる。
他にもある。まったく全然少しも野球に興味がない人が野球帽をかぶる。すると、野球についてあれこれ持論を展開しそうなうっとうしさを醸し出すようになってくる。そして、いつしか周りから熱狂的な野球ファンだということにされている。
また、シルクハットはどうだろう。ランニングに短パン。どこにでもいるおっさんがシルクハットをかぶる。たちまち、足長おじさんに大変身。実際は胴長短足でも、足長おじさんと呼ばれるんだから悪い気がしない。
そんなさまざまな力を与えてくれる帽子。だから、敬意をこめて先生とよぶ。







