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君がいるから





君がいるから 生きている

君がいるから 学校に通えるし

君がいるから 仕事をする


君がいるから 明日が来るのが楽しい
君がいるから つらいことだって耐えられる

君がいるから ご飯をより美味しく感じられるし
君がいるから オシャレをする

君がいるから 笑顔になれて
君がいるから 涙がでる


君がいてくれて  「ありがとう」

1+1=2なんだけど、2=1+1だけとはかぎらない







なぜ数学を学ぶのか。

1と1を足すと2になる。いや、2にしかならない。だけど、2は、1と1とを足すのみで得られる数字ではない。3-1でも2になるし、-10+12でも2だ。


これは、人間は死ぬ、死ぬんだけど、死ぬまでの過程にコレだ!という決まりはな
い。って人生観を小学生から学ばせているのだ。


数学の授業って、実は「人生」ってよばれていて、ふりかかる問題は公式(決まりごと)を使うことで解きやすくなるのだけれど、それを使わなくてもでも解くことは可能だ。そのぶん苦労するかもしれないけど。

ってことを学んでいくのが数学だ。



デカルトという人は言った「我思う、ゆえに我あり」と
パスカルという人は言った「人間は考える葦である」と

やさしいという言葉の次にやさしい





「やさしい」という言葉の次にやさしくありたい。

「やさしい」という言葉は、やさしいというぐらいなのだから、この世のどのものよりも「やさしい」はずなので、そんな「やさしい」の次にやさしくなりたいものだ。

同じように、「強がり」という言葉の次に強がりでありたいし、「謙虚」という言葉の次に謙虚でありたい。

写真の鮮度




写真にも生もののような鮮度がある。
いや、鮮度がないと困る。鮮度があるということを前提にして話を進めるんだから、なきゃ困る。

写真にも撮ったその日には見てもらいたい、見たい、今、すぐ出すべきだというのがある。刺身みたいに。
期を逃すと腐るわけではないんだけど、そぐわなくなるものもある。

それとは反対に、何年も前のものでも、今撮れたかのような輝きを放つものもある。意図するしないにかかわらず 期をずらすことで、味が出てくるものもある。発酵食品みたいに。


二月に撮ったものは、二月のパワーがつまってるから二月に見たほうがより二月らしさを味わえるのだけれど、そこをあえて三月に。「二月の写真を三月に発表する大胆さ」とでも言ってみる。

興味のないものに興味をもつ



興味のあるものには鼻をほじっていても興味があるんだから、興味をもつ必要はないので、ぜひ興味のないものに興味をもちたいものだ。

興味のないものって、興味がないわけだから、自然に興味が湧いてくるものでもないので、自ら興味を湧きたてないといけない大変さがあるんだけど、興味がないものに興味がもてたとき、興味のあるものに接してた以上の自己の広がりを得られる。はずだ。

温泉の源泉のある場所を深く掘リ下げるとお湯が湧き出て、温泉旅館を経営できるのとは違って、源泉のないところに、温泉旅館を建てることは、水からお湯を沸きたてないといけない大変さがあるんだけど、源泉がないところに温泉をつくれたとき、湯どころで経営している以上の自信を得られる。はずだ。


そんなこんなで、興味のないものも写真に撮ってみる。

怪我の功名を願えば




歩いていて、こける。
怪我をする。
痛い。


痛いっだけでは嫌なので、そんな痛みもどうにかこうにか功名につながっていてほしい
ものだ。


歩いていて、こける。
怪我をする。
痛い。
血が出る。
傷口見たくないけど、よく見る。
緑だ。
血が緑。
驚く。
どうしよう。人に言うべきか言わざるべきか。
悩む。
悩んだ挙句、とりあえず両親に告げる。
両親驚く。
わかっていたことだけど、悲しい。
だが、何と。
両親の血も緑。
驚く。
少し嬉しい。
さらに。
衝撃の事実を知る。
人類の8割は、血は緑。
でも、みんな言えないだけ。
らしい。
血が赤。
それは、実はマイノリティー。
思い込み。
作られたもの。 
僕の血は緑だ。
声高に訴える。
世間も同調。
気がつけば、大統領に。
よっ、大統領。
そして。

世間に知らされてない事実を知る。
実は人間。
ころんでも、痛くない。
らしい。
痛い。
それは、勘違い。
だから。
血すら出るはずないのだと。
もっといえば。
ころぶこともない。
らしい。
人体ってよくできている。
なんだ。
血が出たのは、勘違いだったのか。
痛いのは、勘違いだったのか。
ころんだのも、勘違いだったのか。

世界は接続詞でつながっている




ですから、
環境問題の一つ、恒常的な温暖化を解決するためには、高機能二酸化炭素処理施設「二酸化炭素を削減シーオーツー」を用いて、二酸化炭素の濃度を低下させるだけではいけないのだ。

さらに、
1日で2度カラスの糞に直撃。不運だ。

あるいは、
「ちゃんと塩いれた?」

それから、
私の視界にアナタがはいることが多くなってきた。その回数は日に日に増えていって、気がつけば休み時間の間、ずっとアナタのことをみていた。
私の目の先には、いつもアナタがいた。この前までは。
なんでだろう。あの時を境にアナタをみることがきゅうに恥ずかしくなった。

しかしながら、
この理論からすると、1+1=2 ではなく、1+1=10となるのです。この発見により、彼は世界的な注目をあびることになるだろう。

だから、
まさに布団が吹っ飛ぶ勢い。

したがって、
世界は接続詞でつながっている

強いられる記憶



記憶には、「強いられる記憶」ってのがある。

覚えたくもないのに、意識しないのに、記憶してしまっている。もしくは、そこまでそうされたんじゃ・・・・・・・記憶せざるえないじゃなかって脳みそが勝手に反応してしまってるやつだ。
CMなんかそう。同じものを繰り返しなんとな~く見続けた結果、意図せずCMのキャッチフレーズや企業の名前なんかを鼻歌交じりに歌っちゃったりしてしまう。

この写真に写ってる黄色いやつもそうで。こいつのことなんて覚える気なんかさらさらないんだけど、外を歩くたびに毎回みかけるので、今では「あの電柱の横の黄色いやつ」ってだけで、「あぁ、アレね」と日本国民同士、意思の疎通がはかれちゃうほどだ。
今じゃ、黙して語らず、電柱を支え続けてる健気さが、日本国民が学ぶべき規範となっているとか。

かささかさまさかさまかさ



傘のどちらが上でどちらが下なのかは、傘が発明されてから3ヵ月経ったころから今日まで、ず~っと考え続けられている疑問。



ある人は、「傘は、柄を上にして常時待機しているのだから、柄の側が上で決まっているじゃないか!」と言った。

またある人は、「傘が最もその能力を発揮している時こそ、傘の上下確定にふさわしいざます。ですから、石突の付いている方が上ですのよ。」と言ったりもした。

またまたある人は、「何を言ってやがる。傘はオレが所有しているものであって、オレは傘に所有されていねぇ。つまりだ、オレの気分しだいで決めていいってこと。だから、その時によって上下は変わってくるんだよ。」って言ったし、

またまたまたある人は、「我思う。天は常に傘の上にあり、人は常に傘の下にある。傘とは、天と人とをつなぐ神聖なものであって、上下など存在しないのである。」と言った。

またまたまたまたある人は、「最初に作った人に聞けば」と言ったのだ。


答えは、いまだ出ず。

自慢話の乗り切り方



自慢がこ一時間続けば、それは立派な自慢話。自慢話を聞いている間、できるものなら嫌々ではなく楽しく過ごしたいものだ。

そこで、自慢話を心地よく乗り切る四つの言葉を紹介。

1 「へ~」:関心
2 「本当ですか?」:仰天
3 「すごいですね」:賞賛
4 「それから」:展開

この四つの言葉をうまくローテーションさせ、迫り来る荒波を乗り切ろう。


「僕、何を隠そう、あの柿なんだよね」
「へ~」
「すごく甘いんだよ」
「本当ですか?」
「本当だよ。果物としてね、秋を代表してるんだから」
「すごいですね」

「だろ。葡萄なんか僕の下にも及ばないさ」
「それから、他には?」
「ん~、あとね、梨も僕の相手ではないね」
「すごいですね」
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺って知ってる?あまり大きい声じゃ言えないけどさ、あの柿、僕のことなんだよ」
「本当ですか?」
「うん、そう。でも、秘密だよ」
「・・・すごいですね」
「昔の偉い人も、僕を食べて育ったよね、たぶん」


自慢話で盛り上がれるかどうかは、聞き手しだい。
うまくいなして、「聞き上手」目指し、頑張ろう。