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与えられたもの 私



私をあらわすのは、与えられたもの。与えられたものであり、記号である。


名が与えられたものならば、姓も与えられたもの。あだ名も与えられたものだ。
名が記号にすぎないのならば、姓も記号。あだ名も記号。


与えられた記号で、私を私と認識する。


私は太郎であり、山田であり、ドカベンであるが、私はドカベンではなく、山田でもなく、太郎でもない。

私は、私。


人は私を記号で呼ぶが、私は私を何と呼ぼうか。

デカイ「な」



デカイことは、いいことだ。

世の中は
、お金がかかること=デカイであらわすことができる。
だから、高級住宅はやたらデカイし、住宅がデカイならそれを支える柱もデカイ。柱がデカけりゃ部屋もデカイし、部屋がデカけりゃ家具もデカイ。ダイヤモンドはデカイほど高値なわけだし、象さんはデカイからこその存在感がある。

おまけとして、デカ盛なのに安ければ、それだけでショッキングな出来事だ。

五十音の一つの「な」だって、これだけデカければやたら迫力があるし、「な」ってデカイ声を出せば、一躍注目の的。


デカイことには、パワーがある。

キナリ



神が鳴るのが雷ならば、木がなるのは、「キナリ」。

冬になり葉の落ちた木の枝は、雷鳴を轟かせるごとく存在感がある。


葉のついた木がたてる音は、大観衆の期待をにおわせるザワザワ感があるのだけれど、葉の落ちた木がたてる音には、聴衆が見入ったピーンとはりつめた緊張感がある。
夏と冬とではまた違った趣。


「キナリ」は、静かなる轟音なのだ。

アザヤカな景色




          道路も色彩に溢れている

茶色のガムテープでつながってるんだね



運命の人とは、「赤い糸」。似たもの同士は「緑のチェーン」でつながっているってことは、みんな周知の事実。

でも、知り合い同士が「茶色のガムテープ」でつながっていることは、意外と知られていない。

しっかり結びついてないようで結びついていたり、結びついてるようで結びついていなかったりする。そんな関係。途中で簡単に関係を断つこともできるし、再び容易にくっつけることもできる。

とりあえずな要素を含むのが、「茶色のガムテープ」。

いくらとりあえずな要素を含むといっても、お互いが結びついてるのは確かだし、袂を分かつときにすんなりいかず、ニチャニチャネチャネチャ後味の悪い結果になることだってある。

アートの壁




壁。

故意に、何かをを描くわけでもなく、何かをを貼るつけるわけでもなく、何かを刻み込むわけでもなく。

壁は、ただそこに立ふさがっているだけでアートだ。


年を経るごとに魅力は増していって、熟女ならぬ、熟壁になる。


敷島製パン的に言えば、超熟壁。

理屈屁理屈ハンバーグ



理屈と屁理屈をこね合わせることを、理屈屁理屈ハンバーグ。
理屈と屁理屈をからみ合わせることを、理屈屁理屈スパゲッティ。

っていうニャ~ン

バケツふぁんたじぃ~



プラスティック
存在意義
リレー
非桶
ウォーター
生誕の謎


何から生まれどこへ捨てられる

与えられた名前と形状
何一つ自分で決められず
入学シーズンに縁はない



しかし

一人の人間との出逢いが
バケツの運命をかえる

身も蓋もねー人生なんて もーやめだ
オレは液体をためるだけの道具じゃねー
己の器をはかるため
目指すは取っ手おきの人生さ


ブラシや洗剤、ぞうきん めいいっぱい詰め込んで
いま バケツの冒険がはじまる

星に願いを



星に願いごとをする。

毎日、あまたの願いが宇宙へ飛び立っていく。

でも、多くの星は遠くにあるので、願いをしても叶えてもらえるまでに時間がかかりそうだし、流れている星は動きを追うだけでも難しい。せっかく願いが届いても、叶うまでに100年かかってしまったらもともこうもないし、10年かけて向った願いが、星をとらえそこないでもしたら、がっかりだ。


近くて気付きにくいけど、地球も星。


地球に願いを。


してもいい。

あいたいときにポストはいない



ポスト。
あなたの存在が必要なときにかぎって、ワタシの前にあらわれない。

いてほしい時に駆けつけてくれる他のヒーローとは大違い。

「いつも見かけるのに、必要なときにかぎって見当たらない」ってのは、よくあることなんだけど、あんな目立つ色してるのに、なかなか見つからないのは哀しい。


あるあるなのにないない、ポストは赤なのにワタシの気持ちは青。