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できると思う。


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「できた」

「できない」


という考えがある。



「できた」は、物事を成し遂げたとき言える言葉だ。

「できない」は、その前のあきらめムード漂う言葉。


そんな中で、「できると思う」ってとこに留まることが、1番不安定な考えだと思う。

できると思っている状態。

できるはずだと思ってるトコにたちの悪さがある。




蟹を掴んだ

蟹なんて掴めない

オレなら蟹を掴めると思うんだ


ってところだ。



罵る


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例えば、


「すごくお金持ちだけど、人格に疑いがもたれる」

「すごく貧乏だけど、人格は尊敬に値する」

「すごくお金持ちだし、人格も素晴らしい」

「すごく貧乏だし、人格も疑いたくなる」


物事はそんなに極端でなく、思ってる以上に些細で繊細なのは当たり前。


人のどの面を見て、どう評価するかは人それぞれだけど、



人が人を「批評」することはできても、「罵る」ことは誰にもできないはずだ。





たとえ罵ったとしても、それを口に出して言うか言わないかだけでも、大きな違いがある。



鋭い不幸・にぶい幸福


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悪循環・報復の連鎖・不幸が重なる


良くないことって、ぐるぐる回ったり、繋がったり、積み重なったり



逆に、良いことは、


一瞬だったり、突然だったり、気づかなかったり、後から気づいたり、



そうなることが、多い気がする。



人間って、不幸に敏感で、幸福に鈍感な生き物なのかもしれない。

だから、普通・普段・平凡ってのは、幸福なのだ。


もしくは、


普通・普段・平凡ってのは、幸福なのだ。

だから、不幸に敏感で、幸福に鈍感なんだ。

傘は傘


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王様から頂戴した傘でもないし、


ダイアモンドをはめこんだ傘でもないし、

著名なデザイナーがデザインした傘でもないし、


傘というのは仮の姿で、実は銀行のキャッシュカードって傘でもないし、

傘がないと、家に入れないわけでもないし、


傘がないと寝れないというわけでもないし、


人の言葉を理解する傘というわけでもないし、


「チャッピー」って名前をつけて育ててきた傘でもないし、

おじいさんがお地蔵さまに譲った、あの傘(笠)でもないし、


世界最古の傘でもないし、


世界3大傘の1つだ!という傘でもないし、


世界で一番傘が似合うと自負する者の傘でもないし、

3度の飯より傘が好きの傘というわけでもないし、


先祖代々受け継がれてきた傘でもないし、


親の形見の傘でもない、




ただのビニール傘でも、傘は傘だ。




「おい、そこのブロッコリー!!」



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「おい、そこのブロッコリー!!」




そう呼ばれたら、ハッとすると同時に、自分のどこがブロッコリーぽいのだろうと考えてしまう。



髪の毛、ふっさふさになってる?

今日、肌、緑がかってるかな?

ブロッコリーっぽい名前だったっけ?



なんて具合に。

ブロッコリーみたいな


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ブロッコリーなんだけど、ブロッコリーじゃない。
ブロッコリーじゃないんだけど、ブロッコリーだ。


脇を固めてしまえば、なんとでもなる。



「ブロッコリーJr.(超人)」


「ニューヨーク・ブロッコリー区」


「ブロッコリー・ド・ノエル」


「ブロッコリー・ポッターと賢者の石」


「2010 ブロッコリーワールドカップ」


「晴れ時々ブロッコリー」


「ブロッコリー経由東京行き」


「今日のブロッコリー座は、」


「愛しさと 切なさと ブロッコリーと」


「ブロッコリー食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」


「United States of ブロッコリー」




2度言うけれど、そんなブロッコリー、今が旬だ。

ブロッコリー色に染める


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2009年、新語・流行語も、ブロッコリー色に染めてしまえば、あぁ今年もブロッコリーの年だったんだと思えてくる。



ブロッコリー権交代


ブロッコリー店長


ブロッコリー仕分け


新型ブロッコリー


ブロッコリー食男子


脱ブロッコリー


ブロッコリー切り


ブロッコリーファッション


ぼやきブロッコリー


ブロッコリー女




そんなブロッコリー、今が旬だ。


ブロッコリーのふっさふさ


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ブロッコリーの濃い緑のふっさふさ、それこそブロッコリーの象徴。


とはよく言ったもので、


もし、緑のふっさふさがなければ、ブロッコリーではなく、ただの植物の茎。

ブロッコリーを食べていようとも、茎を食べているとみなされても仕方がない。


どんな凝った料理も

「茹でたブロッコリーとハムの・・・」

ではなく、

「茹でた茎とハムの・・・」

になってしまうのである。


それほど重要なのだ。緑のふっさふさ。


逆に言えば、緑のふっさふさが付いていれば、茎の部分はなんだっていい。

+緑のふっさふさ、それだけでもうブロッコリー。



大根の葉の部分が、緑のふっさふさならば、ブロッコリー

チューリップの球根から、緑のふっさふさが咲いたならば、ブロッコリー

緑のアフロの人が街を歩いていれば、ブロッコリー


ワタシの居場所


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「ワタシの居場所はドコですか?」

どこかで誰かがそう言った。




ワタシの居場所


ワタシの居場所は、いつものコノ場所。


イライラ 腹が立つときも

シクシク 涙するときも

ニコニコ 笑顔になるときも


ワタシはいつもココにいる。


素直なワタシでいられるところ。


見送ったり、迎え入れたり

出かけたり、帰ってきたり

ときには、嫌で嫌でたまらなくなったり

でも、結局寂しくなって戻ってきたり。




ココには、大切にしたい人がいる。

ココには、大切にしてくれる人がいる。

ココには、大切にしなきゃいけないものがある。

ココには、大切だったものがあった。

ココには、これから大切にするものができる。


だって、ココがワタシの居場所。


ワタシにはココが必要で、ワタシを必要ともしてくれる。


だから

ワタシはココにいる。

だから

ワタシは生きてけるんだ。





「アナタの居場所はドコですか?」



ブロッコリー氏とカリフラワー氏


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ブロッコリーとカリフラワーが選挙に出馬した場合、どちらに投票しよう。

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