傘は傘
王様から頂戴した傘でもないし、
ダイアモンドをはめこんだ傘でもないし、
著名なデザイナーがデザインした傘でもないし、
傘というのは仮の姿で、実は銀行のキャッシュカードって傘でもないし、
傘がないと、家に入れないわけでもないし、
傘がないと寝れないというわけでもないし、
人の言葉を理解する傘というわけでもないし、
「チャッピー」って名前をつけて育ててきた傘でもないし、
おじいさんがお地蔵さまに譲った、あの傘(笠)でもないし、
世界最古の傘でもないし、
世界3大傘の1つだ!という傘でもないし、
世界で一番傘が似合うと自負する者の傘でもないし、
3度の飯より傘が好きの傘というわけでもないし、
先祖代々受け継がれてきた傘でもないし、
親の形見の傘でもない、
ただのビニール傘でも、傘は傘だ。
ブロッコリーのふっさふさ
ブロッコリーの濃い緑のふっさふさ、それこそブロッコリーの象徴。
とはよく言ったもので、
もし、緑のふっさふさがなければ、ブロッコリーではなく、ただの植物の茎。
ブロッコリーを食べていようとも、茎を食べているとみなされても仕方がない。
どんな凝った料理も
「茹でたブロッコリーとハムの・・・」
ではなく、
「茹でた茎とハムの・・・」
になってしまうのである。
それほど重要なのだ。緑のふっさふさ。
逆に言えば、緑のふっさふさが付いていれば、茎の部分はなんだっていい。
+緑のふっさふさ、それだけでもうブロッコリー。
大根の葉の部分が、緑のふっさふさならば、ブロッコリー
チューリップの球根から、緑のふっさふさが咲いたならば、ブロッコリー
緑のアフロの人が街を歩いていれば、ブロッコリー
ワタシの居場所
「ワタシの居場所はドコですか?」
どこかで誰かがそう言った。
ワタシの居場所
ワタシの居場所は、いつものコノ場所。
イライラ 腹が立つときも
シクシク 涙するときも
ニコニコ 笑顔になるときも
ワタシはいつもココにいる。
素直なワタシでいられるところ。
見送ったり、迎え入れたり
出かけたり、帰ってきたり
ときには、嫌で嫌でたまらなくなったり
でも、結局寂しくなって戻ってきたり。
ココには、大切にしたい人がいる。
ココには、大切にしてくれる人がいる。
ココには、大切にしなきゃいけないものがある。
ココには、大切だったものがあった。
ココには、これから大切にするものができる。
だって、ココがワタシの居場所。
ワタシにはココが必要で、ワタシを必要ともしてくれる。
だから
ワタシはココにいる。
だから
ワタシは生きてけるんだ。
「アナタの居場所はドコですか?」






