http://news.livedoor.com/article/detail/9353089/
知らない人同士が乗りあう「電車」。やはり気になるのは「他人の音」なのでしょうね。
知っている人との会話は楽しくても、そうじゃない「他人」の動向などどうでもいいし、聞きたくない「音」として認識することも多いです。
「音」は仮に耐えられたとしても、「?」としか思えない状況もあるのだそう。
例えば、電車内の座席の足元にあるコンセントにヘアアイロンをつないで髪をセットしていたり、 堂々と毛抜きで口の周りの産毛を抜いている女性がいたのだとか。
もはや展開についていけません。
が、一生懸命分析してみますと「コンセントを使う」というのは、(サービスで)電源が取れるカフェもありますし、その感覚の延長で使うのかもしれませんね。
あー。もうわからない。。。。すみません。わからない。ですが、いずれも「公の場という意識の低減化」「倫理観と想像力の欠如」ということなのでしょうね。
「知らない人は風景」とみなしているのではないでしょうか。
知らない人は「風景」。道路や木や電柱と一緒。話しかけても来ないしという意識があるのだと考えざるを得ません。つまり「誰も見ていない」という状況なのでしょう。
知っている人がいたらやらないと思うので。
つまり「知っている人がいない」ということは「他の人に見られている」という意識の低減化につながっている。と。
これって、知り合い以外にはどう見られてもいい、ということで、SNSでつながっている人たちには神経質なほど付き合い方を悩む、というのと反対の見方のような気もしないでもないです。感覚としては「SNSにくだらない投稿をする」というあの一連の事件と表裏一体な気もします。
倫理観ってどうやって育つんですかね。。。















