発達障害なんて言葉が出来たのっていつ頃なんでしょうね
私が小学校に行ってる頃はそういう類の言葉はまだなかった様に思います
小学5年生の時の話なんだけど
クラスにひとり、ちょっと変わったカンジの男子がいた
新学期にその子がお母さんと一緒にクラスに来て、
そのお母さんって人がこう云った
『Y夫が普通クラスに行きたいって云うので先生にお願いして入れてもらいました。これから宜しくお願いします。』
意思の疎通が難しい子だった
言葉を喋りはするけれども、云っていることの半分もわからなかった
授業中に奇声を上げてむずがる
むずがって手がつけられないくらい暴れて泣き叫ぶ
何度も授業が中断する
5月の初めに担任の先生がY夫のお世話係を決めましょう、やりたい人は手を挙げて、と
誰も手を挙げないでいると先生は、
『あなた達は冷たい人間だ』と
私はモヤモヤしていた
何でお世話係を決めねばならないのか?
無理だとわかっていたはずなのに無理くり普通クラスに捩じ込んだ責任は誰にある?
遅れがちな授業を取り戻すための時間は?
多分不服そうな顔をしていたんでしょう、私
先生はそんな私に、
『じゃ、海彦くんにお世話係になってもらいます。いいですね、皆さん。』と
どよめく教室
ほっとした様なざわめき
何で?
正直嫌で嫌で仕様がなかった
歩行が上手くなくて理科室や音楽室への移動も時間がかかるY夫を見かねた先生は、
『海彦くん、おんぶしてあげなさい』
尿意を感じにくい体質でしょっちゅうお漏らしをしていたY夫を『休み時間毎にトイレに連れて行ってあげなさい』
おんぶしている最中にお漏らしされて背中がお小水でびしゃびしゃになったこともある
手洗い場でシャツを洗っていたら先生が来たので背中でお漏らしされたと云うと、
『我慢しなさい』と云われた
流石にこの時は私もキレて、
なぜお世話係だけに負担を強いるのか理由を聞かせろと詰め寄った
大した答えは返って来ないとわかっていたけど苛立ちを隠さなかった
翌日から10日程、学校を休んだ
休むな、学校へ行けと母親は私を酷く叱ったがY夫のお世話係になったことや出来事を話すと態度を一変
学校に行って抗議したらしい
それが校内で大きな問題になって(校長も知らなかったとか)
Y夫は突然学校に来なくなった
先生は『養護学校に転校しました』と云っただけ
いやいやいや
最初から普通クラスとか無理だったんじゃんと
お世話係とかいう押しつけと負担
彼の周りの大人達はそれで平気だったんだろうかね
私はとても嫌だった
だから手を挙げないでいたのに
心が狭いと云われそうな話だけど、
実際やってみたらどんなもんかわかると思うの
普通クラスが無理な子だったんだから、
最初から彼に合った学校に行かせるべきだったんだよと
何十年も経った今でもあの頃の気持ちを思い出すわ
まさか今も似た様なことが行われてたりしないよね?