⊂O–O⊃ あしべ ブログ主 顔文字はメガネ

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(6∀6)シカタケル
当ブログはカザフスタンの音楽家集団TURAN ethno-folk ensembleのファンブログである…
最近は全く内実が伴っていないのだが、それでもここはTURAN ethno-folk ensembleのファンブログであることを、暇人な閲覧者に申し上げる。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
ここはTURAN ethno-folk ensembleのファンブログでございますが、前々々回と前々回と前回と今回につきましては音楽家考古学に注力しましたため、TURAN ethno-folk ensemble の皆さまのリンク貼りまたはYouTube動画はおやすみなのです。

⊂O–O⊃あしべ
え〜っと、このような次第となりながらそれでもTURAN ethno-folk ensembleのファンブログでございますと名乗るのはおこがましいとは思いますが、ここは日本とカザフスタンのコミュニケーションギャップを音楽と考古学で越えるためということで、よろしくお願いいたします。
 


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(ŎᴗŎ)シカハタビ
ブログカテゴリー「弓と弦楽器、日本とカザフ」では、これらの企画をお送りする予定です。
 
《TURAN ethno-folk ensembleと日本の文化財のクロスオーバー》
《アメノウズメとаруақ(先祖霊) 〜太鼓と琴と大地〜》
《鳴弦はどこから来たのか》
《弓道とэ т н о с о л ь ф е д ж и о (エスノソルフェージュ)》

これらの企画が日本とカザフスタンのコミュニケーション・ギャップを越える一助になれれば幸いです。

そしてブログカテゴリー「弓と弦楽器、日本とカザフ」では、日本とカザフスタンの文化財を取り上げる予定であります。
その意見はあくまで『太平洋の斜め上な島国に住む考察厨のブログ』の意見であり、文責はブログ主うみひぢ_あしべが負います。
文化財の所蔵者、並びに文化財の研究者、これらの方々と当ブログは全くの無関係であります。
これらの方々のお考えと、当ブログの意見は全く無関係です。
その上で、当ブログの素人丸出しな考えをご笑覧くださいませ。



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(ŎᴗŎ)シカハタビ
今までに当ブログの最大目的である『zither中近東起源理論』については、断定ができない範囲でしたが、相川考古館所蔵の弾琴男子像さんとカザフスタンの古代弦楽器Dzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)の平行関係を中心にお話ししてきました。
素人ブログゆえの拙い内容ですが、この両者の関係から『zither中近東起源理論』をイメージしていただければ幸いです。

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(6∀6)シカタケル
断定ができない範囲というのは、Dzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)の「弦が2組に分かれて張られている」という特徴が、弾琴男子像氏にも共通しているように見えるのだが、あくまで推定にすぎないということだ。
↓は相川考古館の弾琴男子像さんについての簡単な論点のまとめ。

孔が二個あるように見える。
>破損結果の孔なのか、意図的に二個表現しているのか、不明。
>絃は、各孔から二本ずつ出発しているようにも見える。
(参考 埴輪の楽器―楽器史からみた考古資料
宮崎 まゆみ 著 三交社 P24)

引用以上。
当ブログではこの推測に全面的に乗っかって投稿を進めてきた。
…もしもこの推測が違っていたら?ということは、ちょっと考えたくないなw

⊂O–O⊃あしべ
ほんとね、ちがっていたらどうしましょうか(苦笑)
それもありますが、ワタシは50年以上生きてきましたがブログ書くなんて初めてでしたし、まとまった文章を書くのも初めてでした。
いやもう、過去に書いた文章が拙すぎて読み返すのがきつい。

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(6∀6)シカタケル
…と泣き言をぬかすブログ主のあしべを叱咤激励してブログを書かせるのが朕と我が后の務めである。
このブログはノープランで頭の中はぐっちゃぐちゃで読書好きで空想好きな考察厨が思いつきだけで始めた代物だからな、目が滑って読みにくい文章を吐き出すしかできないんだよw

⊂O–O⊃あしべ
仕事は忙しいし、年齢相応に体調は良くないし集中力も続かない。
素人ブログをここまで投稿するだけでこんなにも時間がかかってしまいましたが、やっと南シベリアのハカス人のチャトハン(чатхан, chatkhan)まで話を進めることができました。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
今までの投稿では、『zither中近東起源理論』のイメージをお伝えするだけにとどめてきました。

⊂O–O⊃あしべ
さあ、いよいよ今回の投稿から『zither中近東起源理論』の説明を始めます。
zither中近東起源理論』の説明の導入部は、チャトハン(чатхан/chatkhan)から始めようとワタシは決めていました。
今回の投稿の主役は南シベリアのハカス人の弦楽器チャトハン(чатхан/chatkhan)です!

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(6∀6)シカタケル
そのチャトハン(чатхан/chatkhan)を当ブログは『クラスノヤルスクのチャトハン(чатхан/chatkhan)』と呼んでいる。その画像はこの投稿の最後で紹介するつもりだ。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
前回の投稿では古代日本の主な弦楽器を紹介し、以下の考察を投稿しました。
→古代日本の弦楽器のなかで、当ブログが「祖型のzither」と呼ぶ日本の伝統楽器和琴の前身と想定される弦楽器にだけある「鴟尾之形」または「鳥の尾形」と呼ばれる部分が、フィンランドの弓奏楽器ヨウヒッコ(jouhikko)の本体下部と共通性を持つこと
→相川考古館所蔵の弾琴男子像さんとDzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)の平行関係から考えれば、この両者の共通性はユーラシア大陸のlyre文化を背景に持つことに由来するのではないか

⊂O–O⊃あしべ
今回の投稿は、前回紹介した古代日本の弦楽器に共通する部分を『クラスノヤルスクのチャトハン(чатхан/chatkhan)』に見つけることができたという報告になります。

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(6∀6)シカタケル
zither中近東起源理論』と言いながら今まではlyre文化の話しかしていなかったんだよなw
今回の投稿でやっとzitherの話ができる。
このチャトハン(чатхан/chatkhan)の表記についてはこちらの論文を参考にした。
参考元
東京音楽大学リポジトリ
南シベリア、ハカス民族の音楽研究ノート
直川礼緒 著
https://tokyo-ondai.repo.nii.ac.jp/record/1060/files/VOL4-P37-51.pdf

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
そして
当ブログが『zither中近東起源理論』と呼ぶ理論はこの本の中の論考にあります。
その中には、ハカス人のチャトハン(чатхан/chatkhan)やカザフ人のジェティゲン(zhetygen/жетіген)も言及されていたのです。

『日本楽器の源流―コト・フエ・ツヅミ・銅鐸 (歴博フォーラム)
編集・出版 国立歴史民俗博物館
制作 第一書房
初版 1995年』 

まずはチャトハン(чатхан/chatkhan)より先に、この本の中で小島美子名誉教授が記述したアフリカのルワンダのzitherであるイナンガの話をします。この部分は当ブログが『zither中近東起源理論』と呼ぶ理論の前説明に相当します。

日本楽器の源流―コト・フエ・ツヅミ・銅鐸 (歴博フォーラム)
P12
問題提起 日本楽器の源流
筆者:小島美子
(国立歴史民俗博物館名誉教授)

3  楽器は同時多発か・伝わってくるものか?
ルワンダのイナンガという楽器は、全体が細長い板で、その上に絃を八本張った絃楽器です。ただお箏は表面が少しふくらんでいますが、これはちょうどお盆かお皿のように、凹型に表面を刳ってあります。しかし糸を直接に胴につけないという意味では、箏柱で糸を浮かせるのも同じ原理です。しかもちょうどお箏の竜角のように、絃が胴に当たるところには、やわらかい木で作った枕のようなものが当ててあります。そして驚いたことに、ちょうど日本のコトの古い形のように、両端には刻みめといいましょうか、凸凹がありまして、そこに糸をかけ渡しております。絃は針金のようなものですが、楽器の基本構造としてはずいぶん似ているところがあります。
 これまでお箏の起源は、竹の表面の皮に細長い刻み目を入れ、それにコマのようなものを入れて浮かせて弾く竹筒琴とか切り出し絃といわれる東南アジア辺りの楽器であるという説が有力でした。ただこのルワンダのイナンガを見てから、私の頭の中では、ハンガリーやドイツ・オーストリア辺りの民俗楽器であるツィターの類などを含めて、大きい視野でお箏の起源について考え直さねばと、いろいろな考えが渦を巻いております。

引用以上。

小島美子名誉教授が、この本の後半で述べられた論考に至るきっかけの発想を得たイナンガの写真です。
次にあるYouTube動画はこの楽器の弦の掛け方についてのレクチャーです。




撮影 浜松市楽器博物館

How to replace a string and to tune Enanga of Bakiga (Trough Zither)
・長い弦を1本用意する
・突起(凹凸の凸部分)に引っ掛けながらそれぞれの刻みめ(凹凸の凹部分)に弦を通す
という弦の装着方法が、画像や動画の内容で確認できます。

⊂O–O⊃あしべ
小島美子名誉教授はイナンガに注目した理由として

>ちょうど日本のコトの古い形のように、両端には刻みめといいましょうか、凸凹がありまして

と書いていらっしゃいますが、この部分は和琴や祖型のzitherの奏者左手側にあるパーツのことです。

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(6∀6)シカタケル
では和琴のそのパーツの画像だ。



撮影 浜松市楽器博物館

祖型のzitherの例として、東京都太田区の多摩川台公園古墳展示室 に展示されている弾琴男子埴輪の復元像とそのzitherの画像を見てもらおう。




撮影 多摩川台公園古墳展示室 
参考
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/kofuntejishitsu.html

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
和琴の突起の部分のパーツ名は現在「弭頭(はづがしら)」と呼ばれています。
しかしこれは古来から伝えられたパーツ名ではないとの知見がこちらのサイトにありましたので、参考とさせていただきました。

参考元サイト
雅楽研究所「研楽庵」
和琴 3(各部の名称1)

⊂O–O⊃あしべ
さっそく「国立国会図書館デジタルコレクション」で「楽家録」のデータを呼び出して調べてみました。

ここの部分でその記載が確認できました。
楽家録巻之七 和琴 安倍季尚 編
「是非定名余私所名也。末頭似于弰之形處也。」

https://dl.ndl.go.jp/pid/1125427/1/95
安倍季尚 編 ほか『楽家録』1巻-10巻,日本古典全集刊行会,昭和10-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1125427 (参照 2023-07-30)

「楽家録」は元禄3年(1690年)の成立だそうです。
前回の投稿で紹介した和琴の記述のある古文書「倭名類聚抄」が西暦10世紀半ばの成立ですが、こちらには和琴の奏者左手側の突起の名称について記載はありません。
もちろん「倭名類聚抄」に記述がなくとも、和琴の中で最も特徴的なこの突起の部分に名称がなかったとは考えにくいのですが、残念ながら、西暦1690年の頃にはその部分の名称は失われていたようです。
それで「楽家録」の作者・安倍季尚(あべすえひろ)が命名したのが「弭頭(はずがしら)」とのことでした。

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これは推測ですが、「無名抄 鴨長明 著 第24話 和琴のおこり」を意識した名付けと思われます。

以下引用
岩波書店 日本文學大系65 歌論集・能楽論集 53ページ

〔和琴の起事〕
或人云、「和琴の起りは、弓六張を弾き鳴らして、これを神樂に(かぐら)に用ゐけるを、『煩はし』とて、後の人の琴に作り移せると申し傳へたるを、上總の国の濟物の古き注し文の中に、『弓六張』と書きて、注に『御神樂の料』と書けり」とぞ。
引用以上。

⊂O–O⊃あしべ
〔和琴の起事〕を拙訳します。
ある人が言っていたのだが、「和琴の始まりは、六張の弓を弾き鳴らして、これを神楽に使っていたのだが、『面倒だ』とのことで、代わりに使うために後代の人が琴を作ったという伝承があるが、上総(現在の千葉県中部)からの貢物の古い記録に、『弓六張』と書いてあり、添え書きに『神楽のための品』と書いてあった」とのこと。

拙訳以上。

これは西暦13世紀頃に記された和琴と弓と神楽についての古記録で、和琴の始まりを六張りの弓と語っています。

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一方の端に複数の突起を持つ弦楽器が古代日本には他にもある。
前回の投稿で紹介したこの弦楽器だ。
・縄文琴(箆形木製品)
・筑状弦楽器(筑形木製品、棒作りの琴)

縄文琴(箆形木製品)
青森県八戸市是川中居遺跡出土
画像提供
 所蔵館 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館

©️八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館

筑状弦楽器
静岡県浜松市角江遺跡出土 弥生時代後期
画像提供
所蔵館 静岡県埋蔵文化財センター


©️静岡県埋蔵文化財センター
参考
https://www.smaibun.jp/exhibition/digitalmuseum/period/yayoi/469/

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さらに、古代日本の人物埴輪の中には、弓そのものを音具として使用していると推測される埴輪があります。
ただし弾琴男子埴輪に表現されているzitherが実際の考古学的遺物として発見されているのに対して、その音具としての弓そのものが考古学的遺物としては発見されていないのではっきりしたことはわかりません。
その埴輪は埼玉県東松山市下松5号墳出土の『弓を担ぐ人物埴輪』さんのことなのですが、残念ながら画像の確保ができませんでした。

参考資料

「琴か弓か ー上松本遺跡速報展ー」のパンフレットのP5

主催 東松山市教育委員会 平成16年(西暦2004年)


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だがそれに近い埴輪の画像の確保はできた。

それは福島県立博物館所蔵のある埴輪なんだが、実は「福島県立博物館 所蔵資料データベース」の中での彼の資料名は『冠を被る男子像(人物埴輪)』だった。

http://jmapps.ne.jp/fukushima/det.html?data_id=6651


だが、下松5号墳の「弓を担ぐ人物埴輪」氏の発見から、福島県泉崎村の原山1号墳から出土したよく似た埴輪である『冠を被る男子像(人物埴輪)』氏もまた、同様に音具として弓を使用しているとの推測がされるようになったんだ。

そういう経緯からだろう、福島県立博物館で展示されているその埴輪のキャプションカードでは、彼の資料名が別のものになっていた。


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(ŎᴗŎ)シカハタビ



撮影 福島県立博物館


キャプションカードにはこのように記載されています。

『形象埴輪 楽器を弾く人

 古墳時代中期(5世紀) 

 泉崎村 原山1号墳

 館蔵

 共鳴箱の付いた楽器を肩に担いで弾く楽人(ミュージシャン)と考えられています。』


そういうことですので、当ブログは彼を『楽器を弾く人』さんと呼びますわね。


参考

福島県文化振興財団

まほろん通信15号 2005年1月15日発行

<「冠をかぶった男子」と「弓?楽器?」泉崎村原山1号墳(福島県立博物館蔵)>

https://www.fcp.or.jp/mahoron/mahotu/mahortu15_3.htm


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カテゴリーテーマ「弓と弦楽器、日本とカザフ」らしく弓がやっと出てきました。
ともあれ、このような例を別にして、楽器の一方の端に複数の突起を持つことは、古代日本の弦楽器で多く見られるわけです。
その一方で、日本周辺の弦楽器の中には「弭頭(はずがしら)」のようなパーツが存在していません。
参考としてこの本から引用しますが、上記に挙げた古代日本の代表的な弦楽器についての簡単な説明も合わせて引用します。
この本の中で「祖型のzither」は「琴」、「弭頭(はずがしら)」は「櫛歯状の突起」、そして「筑状弦楽器」は「筑形弦楽器」と呼ばれています。

以下引用。
荒山 千恵 著『音の考古学 ―楽器の源流を探る』 - 北海道民族学会』

第4章 絃鳴系音響発生器具の検討ーー箆型ー琴型木製品について
P101
日本列島において規格性のある絃鳴系音響発生器具の候補となる考古資料には、「篦形木製品」・「琴」・「筑形木製品」がある。篦形木製品は、別名「縄文琴」とも呼ばれているが、織具説と絃楽器説の異なる2説が議論されてきた。筑形木製品では、考古資料のみに確認される絃鳴系音響発生器具であることから、機能や使用方法・衰退の要因が問題とされてきた。

P104
和琴や弾琴埴輪に認められる一端に突起をもつ「琴」が、日本列島にいつ頃から出現したのかという問題である。とくに、縄文時代後期から弥生時代中期にわたり確認される篦形木製品は、その一端に突起をもつことから絃楽器説が提唱されており、弥生時代以降における櫛歯状の突起をもつ 「琴」との系統的関係を明らかにすることが求められる。

第6章 音の人類史ーーまとめと課題
P217
櫛歯状の突起をもつ「琴」については、第4章に述べたように、縄文時代から出土している箆形木製品を原型に発達した可能性を想定する見方もあるが、弥生中期には完成度の高い「琴」が日本海沿岸域の遺跡を中心に多く出土していることから、現時点の見解としては、大陸由来の絃鳴系の影響によって製作・使用されるようになった可能性が高いと考えられる。その一方で、「琴」や筑形木製品を特徴づける櫛歯状の突起については、今のところ朝鮮半島や中国の箏琴類のなかにみることができない。

引用以上。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
埴輪の例だけであり、考古学遺物が発見されているわけではありませんが、古代日本では実際に弓が音具として用いられていた可能性があります。
であるならば、和琴の「弭頭(はずがしら)」、もしくは「櫛歯状の突起」は、古代日本の弓を音具として用いる習慣から自生したとする推測が成り立ちます。

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弓の両端に弦を取り付けることから、「弭頭(はずがしら)」、もしくは「櫛歯状の突起」のようなパーツが成り立ったと推測することができるというわけで。

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しかしながら、「音の考古学」のP217では「琴」つまり当ブログが「祖型のzither」と呼ぶ弦楽器に関しては、出土状況からその論を採っていません。
当ブログはこちらの「音の考古学」の論考に乗っからせていただきます!
そもそも当ブログは和琴とその祖型のzitherをユーラシア大陸のlyre文化の中の楽器として考察してきましたからね。

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(6∀6)シカタケル
「音の考古学」のP217ではこう書いている。

>櫛歯状の突起をもつ「琴」については、第4章に述べたように、縄文時代から出土している箆形木製品を原型に発達した可能性を想定する見方もあるが、弥生中期には完成度の高い「琴」が日本海沿岸域の遺跡を中心に多く出土していることから、現時点の見解としては、大陸由来の絃鳴系の影響によって製作・使用されるようになった可能性が高いと考えられる。

だがしかし、またこのようにも書いている。

>その一方で、「琴」や筑形木製品を特徴づける櫛歯状の突起については、今のところ朝鮮半島や中国の箏琴類のなかにみることができない。

だから「弭頭(はずがしら)」や「櫛歯状の突起」のようなものを、紀元四世紀の遺跡でDzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)が発掘されたカザフスタンの近くで見つければいいわけで。

⊂O–O⊃あしべ
そしてみつけました。
それがクラスノヤルスクのチャトハン(чатхан/chatkhan)です!


https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:Siberian_Musical_Instrument.jpg
(GNU Free Documentation License) 

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(6∀6)シカタケル
次の投稿では、国立歴史民俗博物館の小島美子名誉教授が「日本楽器の源流―コト・フエ・ツヅミ・銅鐸 (歴博フォーラム)」のなかでチャトハン(чатхан/chatkhan)やカザフ人のジェティゲン(zhetygen/жетіген)に言及されていた部分を紹介するぞ。



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