和歌山を楽しみ尽くす!⑥***串本vol.2 | マイニチ☆キラキラ

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自分のコト・ファッション・食べ物・スピ・旅・山歩き・・・などなどについて書いています。

こんにちは、 u です 

台風の動きが遅いですね・・・被害が拡大しないか心配です。
私の住んでいる地域も「大雨」「暴風」「洪水」「波浪」と警報のオンパレード・・・。
雨以外はそんなにひどくないようにも思いますが、お家にお籠もりDayにしようと思います。



心配しながらも、和歌山旅の続き。
(前回まではこちら ⇒      )

和歌山旅の中でも、串本旅の続きー。


最南端の碑が工事中で傷ついた私たちは、次の場所へ移動することに。


①本州最南端の潮岬に行くこと    一応できた。
②マグロバーガーを食べること  できた!!!
③親日国家トルコ誕生のきっかけ、エルトゥールル号遭難事件の地・樫野崎へ行くこと。


オレンジ○から、水色○のくしもと大橋を通って、隣の大島に上陸。
そして、紫○樫野崎へ!!!


14キロか・・・
今、こうやってみると、なかなか無謀なことをしたなと思いますな(笑)
車で20分の道は・・・自転車だと何分なんだろう・・・?

単純に14キロっていうけれども・・・、坂道がすごくてですね・・・
人も車もあんまりいなくてですね・・・ちょっとこわいところもありましたね(笑)



最初の難関、くしもと大橋

見えてきたよ?

え、あれですか?
USJのジェットコースターみたいになってますけども?

自転車で行けんの?


・・・不安・・・。





えーい、行ったれー!!!


行ったった!!!

自転車が走るレーン(? 歩道かも・・・)もあって、快適!!!
角度がすごいですけども・・・


くしもと大橋を渡り、紀伊大島へ上陸。
紀伊大島は串本の沖合1.8キロに浮かぶ和歌山県最大の島。

目指すは一番東の端っこ!!!
大島横断です!!!

ひたすら自転車を漕ぐのですが、坂道がエグい・・・。
そして、くしもと大橋を渡ってから20分くらいは海も見えず、人とも車ともすれ違わず、だんだん不安に・・・。

不安&太もものパンパン具合と闘いながら、自転車を漕ぎ続けていると建物が!!!

わーい!
人がいる!!!



・・・自衛隊の基地でした・・・(笑)


基地を過ぎると、また誰もおらず。




黙々と自転車を漕ぎ続け、ついに到達!!!
樫野崎!!!

自転車を借りた時にもらった地図のコースタイムをみると、潮岬観光タワー~樫野崎は69分。
私の写真から計算した実際のタイムは50分!!!
なんと!!!19分も短縮!!!
だいたいトレッキングでもコースタイムから大幅に遅れるのが常なのに・・・がんばったな、私!

樫野崎にある、トルコ記念館。



さて、私がここへ来たかった理由。
エルトゥールル号遭難事件。

トルコの人は親日家。
なんでかなー???と思ってはいたけれども、そんなに深くは考えてなかった。
でも、そのヒントは歴史にあったんですね。
日本のアニメが好きとかそういうしょうもない理由ではないわけです。



1890年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が台風の被害にあい、串本沖で難破、沈没。樫野崎灯台付近では大きな爆発音がとどろき、その後、トルコ人大男が崖を這い登り、樫野地区の住民に助けられる。その後、海岸に打ち上げられたトルコ人たちも発見され、住民により助けられた。このとき、樫野崎は不漁続きで住民たちも満足に食べられない状況だったのにもかかわらず、自分たちのことはさておき見ず知らずのトルコ人たちを助けたのです。
トルコの人たちはこのことを必ず学校の歴史の授業で習い、今でも日本人に対して深い感謝の気持ちを持っているとのこと。



というのを、つい最近、私はテレビ番組で知ったのです。
100年以上前のことで、日本ではほとんど取り扱わない出来事(日本人にしたら困っている人を助けることは当たり前なのかもしれないですね)に感謝し続けてくれているってなんかすごいことやなあと思って。

この話には続きがあって、トルコは感謝の気持ちを持っているだけじゃなくって、日本を恩返しで助けてくれたこともあるんですね。



1985年、イラン・イラク戦争真っただ中。イラクのフセイン大統領が「48時間後以降、イラン上空を飛ぶ航空機は打ち落とす」と宣言。48時間以内にイランを脱出しようとした日本人は空港に急いだが、日本からの航空機はこなかった(日本政府が日本航空に依頼したのに、日本航空がパイロットやCAが危険だと要請を拒否したため)。イランの空港の日本人は大パニック!!!その情報がトルコ首相の耳に届き、イランへ飛行するパイロットを募ると一人のパイロットが志願。タイムリミットぎりぎりにイランへ到着し、日本人たちは無事に救出された。



・・・ありがとう・・・やないですか・・・。
私はテレビを見たときに、なんでこんなことを知らんかったんかと思いました。
日本人が忘れてるのに、こんな100年経っても命を懸けてくれるとは・・・。
それもこれも、樫野崎の人のおかげやで・・・と思ったら、一回行っとかないとあかんなとおもったわけです。


で、トルコ記念館の先には、海を見渡せる樫野崎灯台があるんですけどね。


!!!
また通行止め!!!


電柱を地中に埋めるとかで工事中でした・・・
なんやのー!!!


私のちょっとしんみりした気持ちを返せ!!!





ま、そんな樫野崎なのでした(笑)  ⇒ エルトゥールル号遭難事件についてくわしくはこちら




さて、帰りましょ。


なんとなく時間があったので、駅を通り越して、橋杭岩へ行くことに。

坂道がほんとすごくてですね。
のぼりもきついけど、下りもすごいの。
ノーブレーキで走ったら、時速30キロくらいは出てたんでは?
こけてたら絶対に大けがレベル(笑 あ、ちゃんとヘルメットを貸してくれましたよ。)

このあたりでバッテリーが減ってきて、危険を感じたので、下りは電源OFF!
こまめな節電により、無事最後までバッテリー切れにならずに済みました!



下り坂を爆走し、またもや76分かかるはずのところを、1時間切る形で橋杭岩に到着!



なんか、外国の景色みたい♡



ここには伝説があり、


昔弘法大師があまのじゃくと串本から沖合いの島(紀伊大島のことだろうね?)まで一晩で橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、鶏の鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。弘法大師は諦めて作りかけでその場を去った。そのため橋の杭のみが残ったという・・・。



なんか聞いたことありませんか?
私は「鶏のまねをして朝が来たと勘違いさせた」というくだりはなんとなく覚えてました。
昔話って、何回も聞いたはずなのに、なんで部分的にしか覚えてないんでしょうね(笑)




行けないかなー?と思っていた橋杭岩まで行けて大満足。
その代わりに太ももパンパン!(笑)

その後、無事に駅で自転車を返却し、この日の旅程は終了!





感想***
串本でのサイクリングはおススメ♡
ただし、天気が良いときに限る。(雨天は絶対やめておいた方がいい!)



サイクリング楽しかったんですけどね、すんごい日焼けしたー(涙)
途中何回も日焼け止め塗ったし、手にはUV手袋(おばちゃんみたいな二の腕までの長ーいやつ)してたのに!!!
まあ、仕方ない。それが旅というものだ。

あと、途中で鳥のフンを落とされるという珍事が!!!
おもっきし、短パンに落とされた・・・次の日も着ようと思ってた短パンだったのに!!!


いろいろあった串本なのでした(笑)



あ、串本の橋杭岩をもう少し行ったところに「道の駅」があるんですが、そこに売ってる「柚子最中」がすごくおいしいらしいです。
箱に入ってるいかにもお土産って感じのじゃなくって、袋に入ってるんだって。
っていうのを、帰ってきてから聞きました。
先に言ってよ----------!