棒高跳のトレーニングの組み立てについて

(アンドレイ・チボンチクコーチらとのディスカッションなどから)


 これまで、ドイツのある陸上競技クラブ「TSV04レバークーゼン」や「LAZツバイブリュッケン」、「ドイツ陸連(DLV)コーチアカデミー」で研修をしてきました。また、ヨーロッパ棒高跳会議に出席し、各国コーチ達と情報交換をしてきました。

 そこで得られたトレーニングに関する内容ついて少し書きたいと思います。

 

1.棒高跳のトレーニングの組み立て方(ヨーロッパの場合)

 ヨーロッパの棒高跳では多くの場合、マトベイエフらが提唱した「伝統的なピリオダイゼーション」のうち、「ダブルピリオダイゼーション(年二重周期)」でトレーニングを組んでいます。

(アンドレイチボンチクコーチの資料)

 

 屋外の試合にむけたマクロサイクルは一般的準備期が3月後半ぐらいからはじまり、その後専門的準備期を経て、6月の国内選手権にピークを合わせていくことが多いです。

 また、室内競技会に向けたマクロサイクルでは、10月から一般的準備期が始まり、その後専門的準備期を経て、2月の後半ぐらいに各国の室内選手権が行われます。

 

 この年二重周期という方法は日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、ヨーロッパのほとんどの棒高跳選手が採用している一般的な方法です。


 アンドレイ・チボンチクコーチ(ドイツナショナルコーチ)に、「年1回の周期ではだめなの?」と聞いたことがあるのですが、「んー、ダメだね。室内競技会期というのも棒高跳にとっては大事だからね。年1回の周期だと試合のフィーリングがなくなってしまうからね」という答えでした。

 

 この年二重周期というのはヨーロッパではスタンダードではありますが、日本ではなかなか実現が難しいものだと思います。


 ヨーロッパでは、室内で陸上競技ができる場所が本当にたくさんあります。

 アンドレイ-チボンチクコーチに「ドイツにはどれぐらい室内練習場とか競技場があるの?」と質問したことがあったのですが、「いっぱいありすぎてわからない。数えたこともない」という答えでした。それぐらい当たり前にある設備のようです。

 

 また、冬季には室内の競技会も沢山あります(トップレベルだけでなくいろいろなレベルの選手向けにでもです)。

 「冬は室内で陸上やるのあたりまえじゃん」って感じです。

 また室内競技会に出る機会が多いというのは、ヨーロッパが陸続きであり、車で移動できることも関係していると思います。

 日本の場合海外の試合に出る場合、飛行機に乗って数時間移動しなければなりませ。そして棒高跳について言えばポールの運搬もあるので一苦労です。

 

 

 次に、ミクロサイクルにですが、ドイツでは多くの上位選手は1週間に9~10回の練習を行っています。

(1週間のトレーニングの資料:チボンチクコーチより)

 

 (マルティナ・スタルツ選手の1週間のトレーニング:ウェイトが非常に多い)

 

 例えば月(午前・午後)->火(午前・午後)->水(午前のみ)->木(午前・午後)->金(午前・午後)->土(午前のみ)->日(レスト)という感じです。

 

 この方法も私の知る限り日本ではあまり一般的でないように思います。

 日本で午前・午後の練習をするといえば、「合宿」と考えますが、それとは少し違います。


 ちなみに、ドイツで3月後半あたりに南アフリカにCamp(合宿?)に行くことが多いのです。

私はレシェク・クリマコーチに、「こんなに設備が整った競技場があるのになぜわざわざ南アフリカにいくの?」と質問をしたことがあります。

 レシェクコーチの答え「太陽を浴びに行くんだよ!」という意外なものでした。

 これはふざけた答えではなく、実は重要なことのようです。実は同じようなことはスウェーデンのコーチも話していたのです。ヨーロッパではけっこう一般的な考え方のようです。

(普段薄暗いヨーロッパですので、南アフリカに行って太陽を浴びることで精神的にもリフレッシュし、紫外線の働きがホルモンにも影響を及ぼすそうです)

 

 

2. 提案「鍛錬期」という呼び方はやめませんか?

 

 私がこの時ドイツを訪れたのは3月中旬でした。

 3月中旬というのは室内シーズンが終わり、屋外の試合シーズンに向けて「一般的準備期」が始まる時期です。

 私はピリオダイゼーション(期分け)については一通り勉強したこともありましたので、「一般的準備期」や「一般的運動」という言葉はある程度知っているつもりでした。

 ただ、今回実際にドイツを訪れ「一般的準備期」のトレーニングを見させていただくことで、「一般的運動(エクササイズ)という言葉の意味や一般的運動の実際の使い方についてこれまで以上に理解が深まりました。また日本との違いも感じました。

  

 とくに、ヨーロッパのコーチと話をしていていつも思うのは、ピリオダイゼーションなどの基本的な知識が現場のコーチにも深く浸透しており、使われる用語についてもコーチ間で共通理解があるということです。

 

 たとえば、ヨーロッパのピリオダイゼーションにおける「一般的準備期」という用語を日本では「鍛錬期」とか「基本期」などとよぶ人もいたりします。

ただ、その意味については厳密に定義されておらず、言葉の意味は必ずしも共通の理解を得られいません。


 他方、私がヨーロッパを訪問してみて感じたのは、やっぱり「一般的準備期」は「一般的準備期」であり、この言葉でなければいけないということです。


 日本の書籍などによっては「General」という用語を「一般的」と訳するのではなく「全般的」と訳している場合がありますが、私はこの「全般的」という訳語のほうが本当のニュアンスが伝わりやすいのではないかと思っています。

 

 日本ではこの時期を「鍛錬期」という言葉を使う人もいますが、私は鍛錬期という言葉はピリオダイゼーションの用語としてはふさわしくないのではないかと思っています。


 「鍛錬」という言葉を使ってしまうと、どうしても宮本武蔵の「千日の稽古をもって鍛となし、 万日の稽古をもって錬となす」というような「苦しさに耐える」というニュアンスが前面に出てしまいます。それでは

 Generalという本来の意味が理解されないままになってしまう気がします。


 もちろん、トレーニングに対して向かっていく気持ちが絶対に必要なことですし、特に一般的準備期にはそういう気持ちで望むことが必要なことには完全に同意します。

 ただ、「General」にはそういう意味合いはありませんので、鍛錬という言葉はピリオダイゼーションの専門用語としては使うべきではないと思います。

 やはり「一般的準備」とか「全般的準備」という用語を使うべきだと思います。



(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

ドイツにおける

棒高跳とバイオメカニクス

木次谷聡(福島工業高等専門学校)

 

 ドイツのケルンから列車で40分ぐらいのところにレバークーゼンという総合型のスポーツクラブがあります。

 このクラブは非常に大きいクラブでドイツでも最大規模と言われています(化学メーカーのバイヤーがスポンサーです)。


 下の写真でお分かりのとおり、非常に設備も整っています。200mのトラックの内側に棒高跳ピットや走幅跳ピット、走高跳ピットなどが設置されています。

 

室内競技場全景


トラックの横には150mぐらいの直送路

 

10m間隔で光電管タイミングゲートが設置されています(据え置きで)

 

すぐに走ったタイムがわかる!

 

 

2012年に研修に行った時ですが、2つある棒高跳ピットのうち一つが工事中でした。



ちょうどバイオメカニクスの専門家であるFalk Shade博士(ケルン体育大学::棒高跳のバイオメカニクス研究の世界的権威)が来ていたので、「今、何の工事やってるの?」と質問しました。私は


彼は「棒高跳のボックスと助走路にフォース・プラットフォームを3台埋め込む工事をやっているよ! あと、天井とかにもカメラ20台設置してるんだよ」と教えてくれました。

これは天井に設置されたカメラ

(見にくくてすみません)

 

 

完成するとこのように利用する

(2016年)

 

 Falk Shade博士のお話だと、これによって棒高跳の跳躍をした後に、選手やコーチにすぐに跳躍についての情報をフィードバックすることができるようになるとのことでした。

 

 選手はフィードバックされた情報をもとに、どこを変えたほうがいいかなどを理解し、またすぐに試してみる。そしてその跳躍をまた分析してその効果があったかを検証する、という使い方をするそうです。

 

 このシステムはレバークーゼンの選手は大体4~6週間ごとに測定をするそうです。

 他の地域(ミュンヘンやベルリンなど)の選手も、大体半年に1回程度ここを訪れてこのシステムを利用して測定をすることにしているそうです(ドイツ陸連としての測定キャンプ)。

 

 また、このピットは試合でも使えるものなので、試合の測定もできるそうです。

 このシステムによって、動作だけでなく例えばエネルギーをどれくらいロスしているかとか、身体重心の高さがどうかなど力学的な側面からもフィードバックを与えることができるそうです。

 

 ドイツでこのような設備があるのはここだけで、おそらく世界的に見ても一番大きな設備だろうとおっしゃっていました(オーストラリアにも似たようなものがあるが、モーションキャプチャーのシステムはないようです)

 

 また、ここは大学のような研究機関ではないので、選手が実際にトレーニングにする時に活用するということを目的にしているというのが最大の特徴であるとおっしゃっていました。

 

 このような設備を整備するには莫大な費用がかかると思います。

 私は「この費用はどこが負担するのか」と質問しました。

 Falk博士は「国が50%地方政府が40%そしてクラブが10%だよ」と教えてくれました。

 まじか、さすがスポーツ大国ドイツ!

 

 私は「このレバークーゼンの設備以外に、棒高跳のバイオメカニクス的なサポートとして他にどのようなことをしているの?」と尋ねました。

 

 Falk博士の答えは、「年間大体2~4回ぐらいは試合にもデータを取りに行くね。主にドイツ選手権だけど。」

 「あと、このようなデータをうまく活用してもらうために、私とかバイオメカニクスの専門家が合宿などに出向いて説明したり、技術練習の時などには速度や他のデータを測定して、選手の動作について、コーチとディスカッションしたりするね」 というものでした。

 

フィードバックされるデータの例

 


 私はFalk博士に対して「このようなバイオメカニクスは棒高跳の新しい技術を生み出すことが出来ると思うか?」と質問してみました。 


 彼は、即座に「NO!」と答えました。

 

 「バイオメカニクスには動作の原理についての知識はあるし、測定することはできる。」

「でも技術を作ることはできない。」

「技術を作るのは選手とコーチである。」

「バイオメカニクスができるのは、技術をその選手個人に対して最適化することである」

というのが彼の答えでした。

 

 まさか、バイオメカニクスの権威であるFalk Shade博士からこのようなお話が聞けるとは思いませんでした。

 

 ドイツはバイオメカニクスなどの自然科学的なアプローチによるスポーツ研究が発達しているだけでなく、それ以前からスポーツに関する研究においてとても長い伝統を持っている国です。

 

 マイネルらの「スポーツ運動学」が生まれ、育ったのもこのドイツです(主に東側でしたが)。

 

 私は大学院時代、白石豊先生から「スポーツ運動学」を学び、ドイツのスポーツ事情についてのお話を沢山聞く機会がたくさんありました。

 今回ドイツを訪問し、バイオメカニクスの専門家からこのようなお話が聞けたことということは感慨深いものがありました。

 

 バイオメカニクスの専門家はその立場から、コーチはコーチの立場から、それぞれが自分や相手の役割を理解し、その上でお互いに協力して選手の競技力向上に取り組んでいる様子が見て取れました。

 

コーチはコーチの役割。

まさに職人技(the art of coaching)ですね。

 

(続く)


棒高跳のピリオダイゼーション

(第8回ヨーロッパ棒高跳カンファレンス+その他いろいろ概要)

 

今回はドイツで行われる棒高跳カンファレンスの前に、チェコのピルセンというところにある西ボヘミア大学で研究会があったので参加してきました。

 

大学の入り口(向かって左側筆者)

 

私も発表しました

(チェコ語は出来ないので英語で)

 

西ボヘミア大学の先生とはクラブシステムについてディスカッションしました(筆者中央)

いろいろ話を聞いてみると、クラブシステムにも結構問題もあるようです。 


ポーランドからも大学の先生がいらっしゃっていました。

2014年にポーランドのソポトに行った時に覚えた「ジンドブレ(こんいちは)」というポーランド語であいさつしたら、喜んでくれました。

残りは英語でディスカッション。


 

その後チェコからドイツ・ケルンに移動して第8回ヨーロッパ棒高跳カンファレンス

今回のメインテーマは「ピリオダイゼーション」です。

とても興味深いテーマです。

 

これまでの「伝統的ピリオダイゼーション」でいいのか、ということについて沢山発表がありました。

 

 前ドイツ陸連ヘッドコーチのハーバート・ジンゴンコーチ(現在はスイスのコーチ)からは、マトベイエフらに代表される「伝統的なピリオダイゼーション」についての話題と、イスリンらが提唱している「ブロック・ピリオダイゼーション」を適用することについて話がありました。


 基本的にヨーロッパの棒高跳は「伝統的なピリオダイゼーション」の「ダブル・ピリオダイゼーション(年二重周期)」でトレーニングを組んでいます。

 これまでフランス、ドイツ、イギリス、チェコ、ポーランド、フィンランド、ノルウェーなどのコーチ達とディスカッションしてきましたが、ヨーロッパの棒高跳では年二重周期が一般的です。


 ただ、近年は国際的な競技会の数が増えたこともあり、エリート選手にはマトベイエフの「伝統的なピリオダーゼーション」を利用することは適さないでのはないかとも言われるようになってきています(「ピリオダイゼーションは終わった」と言われることもあります)。



 そこで注目され始めているのが、ベルホシャンスキーやボンダルチュク、イスリンなどが提唱している「ブロック式」のピリオダイゼーションです。

 それぞれの内容の詳細は割愛しますが、ジンゴンコーチはこの「ブロック式」のピリオダイゼーションを棒高跳に取り入れることを検討しています。


 その理由として、先ほど挙げた「国際競技会の過密化」もあるのですが、数年前から世界陸連が取り入れた「世界選手やオリンピックの出場権を獲得ポイントによって作られたランキングによって得る仕組み」(ワールドランキング制度)の導入が関係しています。


 これまでは、標準記録を突破していて各国の選考会で上位になることによって、オリンピックや世界選手権への出場権を得られたのですが、「ワールドランキング制度」では多くの試合(もしくはポイントの高い大会)に出場し、ポイントを稼がないとオリンピックや世界選手権に出場することはできなくなります。

 

 そうなると、主に各国の選考会の試合にだけベストの状態を合わせていればよいわけではなく、多くの試合でベターな状態(調子)で点数を稼ぎつつ国内の代表選考でも勝つ必要がでてきます。


そうなると「伝統的なピリオダイゼーション」でトレーニングを組む方法では対応ができないという問題も出てきます。

 この点については今後も議論や試行錯誤が続くだと思います。この点についてはまた別の機会に書きたいと思います。

 

今回は私も発表してきました。

自己紹介だけはドイツ語で、残りは英語で。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年第6回ヨーロッパ棒高跳カンファレンス(概要)

 

 

2009年にアメリカで行われた棒高跳サミットで親しくなった、ブラジルのファビアナ選手とコーチと偶然にも同じホテルになりました。

まさかこんなところで再会できるなんて。おどろきでした。

アメリカでの棒高跳サミットでは、時間を割いていただきトレーニングについて大変詳しく教えていただきました。

 グダニスク空港からオスロで乗り継ぎしてフランクフルトへ。

 フランクフルト国際空港では飛行機から鉄道に乗り換える必要がありました。

 ただ、この乗り継ぎ時間がわずかしかありません。これを逃すとその日のうちにザールブリュッケンには到着できません。

 空港では預け荷物がなかなか出てこないことがよくあって、それでかなり時間をロスすると予想してました。

 そこで、往路(日本→フランクフルト→コペンハーゲン→ポーランド)でフランクフルト国際空港に一度寄ったときに、大きなスーツケースはフランクフルト国際空港に預け、3日分の荷物だけを機内持ち込み荷物として持ち込んで、ポーランドに行きました。

 この作戦が正解でした!

 なんとかなりそうな時間に駅に到着したのですが、鉄道のチケット売り場には長蛇の列。「終わったか...」と思いましたが、 ドイツの人は親切で、私が急いでいるのを見て列車のチケットを買う列の順番を譲ってくれました。

 このおかげでぎりぎり列車に乗れ、その日のうちにザールブリュッケンのホテルにチェックインできました。

 ありがとうドイツの人。

 

 

ザールブリュッケンから30分ぐらい電車に乗って、ツバイブリュッケンに。

今回はアンドレイ・チボンチクコーチのところでも研修させていただきました。

 

アンドレイコーチには本当に親切にしていただきました。

技術、トレーニング、コーチングなど細かいところまでご指導いただきとても勉強になりました。またいろいろ連れて行ってもらいありがとうございました。

 

ツバイブリュッケンでの研修も終わり、次はいよいよヨーロッパ棒高跳カンファレンス。

ケルン体育大学で行われます。

前回から棒高跳だけではなく走高跳も同時開催。

正式には「ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス」です。

日本からは、愛知学院大学の渡辺輝也先生もいらっしゃっていました(前回もいらっしゃていました)

カンファレンスが始まる前に、走高跳の分析が行われていました(多分VICONを使って)

今回のメインテーマは「シーズンプランニング」。ピリオダイゼーション・期分けの話題が沢山です。

 

1日目は、全種目共通の内容として、アメリカのオリンピックトレーニングセンターのコーチであるジェレミー・フィッシャーコーチのお話。

棒高跳はラファエル・ホルツデッペ選手のお話から。

 

二日目には、ルノー・ラビレニの今のコーチである、フィリップ・ダンコースコーチ(フランス)のレクチャーと実技講習がありました。

 

ケルン体育大学での棒高跳カンファレンスが終わり、残りの2日間は再びレバークーゼンでの研修。

いつものことながら、レシェク・クリマコーチにはよくしていただきました。

棒高跳のピットは2か所あるのですが、一か所は工事中。

助走路とボックスに「フォースプラットフォーム」を埋め込む工事とのことでした。

 

シルケ・シュピールゲルブルグ選手と

身長はそんなに大きくありませんでした。

 

最後にみんなと

 

勉強した内容についてはまた別の機会にお知らせします。

 

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m91)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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16. テグ世界選手権がおわりロンドンオリンピックに向けて

 

 2008年のトレーニングの始まりの時期と、2012年のトレーニングの始まりの時期には共通点があった。

 それは、ケガをせず予定していたトレーニングを行うことができたということである。

 

 2012年の室内競技会シーズンも良い状態で迎えられた。

 その年はトルコで行われる世界室内が行われる年であったが、私は国内選考会となるドイツ室内選手権で5m82の自己ベストを跳んだ。

 私は自己ベストを跳ぶことができたのだが、マルト・モアやビヨーン・オットーがさらに高い5m87を跳んだため私は3位になってしまい、結果的に世界室内には出場することはできなかった。

 私はドイツ室内選手権で3位に終わったことに対して、いくらか残念な気持ちがあった。

 しかし、私は準備期で順調にトレーニングをし、実力も高まり、よい状態でドイツ室内に臨むことができていたので、「この状態で負けたのだから、これが私の今の実力であり、その時二人は私より優れていたたけだ」と思えるようになっていた。

 そして、二人に勝つために、二人よりさらに優れたトレーニングをすればよい、それだけだと素直に思えるようになっていた。

 そういう考え方をするようになって、私はその夏のシーズンに向けて、さらに意欲的にトレーニングに取り組むようになっていた。

 

 この年の試合期の調子の上がり方はいくらかゆっくりしたものであった。

 夏のシーズンに向けたトレーニングで、私はまた少しケガをしてしまい、何試合かキャンセルすることになったからだ。

 私はドイツ選手権にむけて、試合のリズムを取り戻そうとした。通常であれば試合のリズムを取り戻すには4~5週間ぐらいかかるのであるが、この時は比較的容易に調子を取り戻すことができていた。

 その年は、ほかの選手はあまり良い記録を出していなかったので、ドイツ選手権で5m70ぐらい跳べば十分戦えると思っていた。私は自分自身がやるべきことにしっかり集中することができていた。

 その結果、ドイツ選手権で5m77を跳ぶことができ、ロンドンオリンピックの出場権を得ました。

 

 

17. ロンドンオリンピック

 私は、ドイツ選手権の後も数試合出場し5m80も何度か跳んでいたので、自分がよい状態であるということがわかっていた。

 ロンドンオリンピックには自信を持って臨むことができており、予選はとても楽に通過することができた。

 続く決勝では5m75を跳び、5m85に臨む時には4番目のポジションにいた。

 知っての通り、オリンピックで4番目というのは何ももらえない順位である。

 私は5m85を2回失敗したのだが、気迫を持って3回目に臨み、5m85をクリアすることができた。

 次は5m91に挑戦することにした。私は5m91を跳べば、メダルの獲得は確実だと思っていた。

 集中力を維持して臨んだ5m91は1回目でクリアすることができた。

 私はメダルを手に入れたと確信した。

 次の高さは5m97であったが、5m91を跳んだことで、目標であったメダルを取れたことで少しほっとしていたのもあり、私は5m97を3回失敗してしまった。

 最終的に私は銅メダリストとなった。

 銅メダルではあったものの、私にとって本当に素晴らしい試合となった。

 

(続く)

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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13. 北京オリンピック後

 

 北京オリンピック(2008年)が終わりドイツに戻った。

 怪我もしていたし非常に疲れていたので、オリンピック後は試合には出場しないことにした。

 数週間の休養の後、私たちは合宿のためにイタリアに行った。今思うと、その時は非常に気合が入り過ぎていたと思う。

 それもあってか、私はムストリングスをケガしてしまい、4~5週間ほど跳躍練習をすることができなくなってしまった。

 こういうこともあり、試合シーズンに入ってもなかなか自分のリズムで試合をすることができず、5m40~50の記録が続いた。

 

 2009年は地元ドイツで世界選手権が開かれる年であった。

 私は地元で開催される世界選手権に出場したいと強く思っていたが、国内選考会で5m60しか跳ぶことができず、世界選手権の出場権を得ることはできなかった。

 

 国内選考会の後には、U23ヨーロッパ選手権が残っていたので、私はその大会に向けてトレーニングを積んだ。

 U23ヨーロッパ選手権では5m65を跳んで優勝したが、5m70の試技に臨んだが、そこで再びハムストリングスを痛めてしまった。

 世界選手権に出場することができず悔しい思いをしたが、U23ヨーロッパ選手権で優勝できたことはとても良かった。

 

 

14. ベルリン世界選手権・ヨーロッパ選手権

 

私は世界選手権を見にベルリンに行った。

世界選手権を見たというのは私のとってその時が初めてであった。友達と世界選手権を観戦したが、とてもエキサイティングな経験であった。

世界選手権を観戦した後、私は自分自身のトレーニングに戻った。私はとてもやる気に満ち溢れいて、コーチと一緒に、助走の仕方やポールの突込みの仕方について新しいことに取り組んだ。

これらの新しい取り組みは2010年に良い結果として表れてきた。

2009年のシーズンベストは5m65であったが、2010年にふたたび5m80を跳ぶことができるようになった。

その後、国内選考会で5m70を跳ぶことができ、ヨーロッパ選手権のドイツ代表となった。

2010年のヨーロッパ選手権はスペインのバルセロナで開催された。

男子棒高跳予選は午前中に行われました。私は午前中に試合をするのはあまり得意ではなかったのだが、なんとか決勝に進出することができた。

決勝は追い風がとても強い状況であった。私は足が速いこともあってか、追い風が強すぎると、踏切足がボックスに近くなりすぎる傾向がある。決勝ではこのことでとても苦しんだ。5m70にも挑戦したが、その高さを跳ぶことはできなかった。

 

 

15. テグ世界選手権

2011年の大きな目標は、韓国で行われる世界選手権であった。

2010年の秋から2011年にかけての室内競技会シーズンでは、試合への出場をすべてキャンセルした。再びハムストリングスを痛めてしまったからである。

 

私はよい跳躍を取り戻すまでとても時間を費やすこととなった。

2011年の屋外シーズンが始まっても、5m40や50の記録が続き、なかなか良い跳躍をすることはできなかった。

そんな調子が悪い中でも、5m70を跳ぶことができた大会もあり、参加標準記録を突破し世界選手権の出場権を得た。

 

テグの世界選手権の直前ぐらいには、私の跳躍はだんだんよくなってきた。

しかし世界選手権の予選では、私はまた緊張しすぎてしまい頭が真っ白になってしまった。自分で自分をコントロールすることができなくなっていた。

5m50は何とか跳んだのだが、その跳躍は自分ではあまり覚えていない。

5m60は3回失敗してしまい、予選落ちとなってしまった。

 

悔しい結果ではあったが、このことは地元にもどってトレーニングを始めたとき、私の意欲をかきたてるきっかけとなった。

次の年の2012年にはロンドンオリンピックがあったのだが、この時初めて、心の底から「オリンピックに出場したい」と思えるようになっていた。

 

(続く)

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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11 世界ジュニア記録後

 5m80の世界ジュニア記録を跳んだ後、私はドイツ陸連の人達といろいろ話し合いをする必要があった。

 その内容とは、世界ジュニア選手権の直前のナショナルチーム合宿と北京オリンピックの選手選考にあたるドイツ選手権が重なっているが、どうするかということであった。

 もし私が北京オリンピックに出場したいという考えであれば、ドイツ選手権に出場して3位までに入賞する必要があった。

 ドイツ陸連の人達と話をした結果、私はドイツ選手権に出場し、その後ジュニアナショナルチームの合宿に参加するという段取りにした。

 

 その時のドイツ選手権は非常に緊張した。あそこまで緊張したのは2度目の経験であったと思う。

 その頃私は結構自信があったのでいつも試合では5m50から跳び始めるのが普通であった。しかし、その試合で私がとても緊張しているということにコーチが気づいて、5m40から跳び始めようとアドバイスしてくれた。

私は5m40をクリアし、順調に次のバーもクリアし続け、最終的には5m75を跳んで、ドイツ選手権で3位に入賞することができた。これは北京オリンピックへの出場権を得たということである。

 

12 北京オリンピック

 オリンピックのために北京入りする前に、我々ドイツチームは時差調整のため、韓国で直前合宿を行った。

 その合宿では私は1回だけ跳躍練習を行った。

 その時はとても調子がよく、コーチから「もう跳躍練習は十分だ」と声を掛けてくれたのだが、私はさらにもう一本跳躍を行った。

 

 そこでハプニングが起きた。

 助走から踏切りバーをクリアするところまで行ったのだが、その後ポールがマットのほうに倒れてきてしまい、私の身体はそのポールの上に落ちてしまったのだった。

 

 私はオリンピックの予選まであと7日というところで、怪我をしてしまった。

 私はその直後ははジョギングすることも歩くこともできないぐらいであったので、医師やトレーナーに一日中治療してもらった。

 

 ケガをしてから5日後、私は決断をせまられた。

 その日にもし走れる状態であれば、オリンピックに出て跳躍しても大丈夫だが、もしそうでなければ、替わりの選手をドイツから呼ぶということにしていたのである。

 その日、試しに走ってみたのだが、若干痛みはあるものの走るのに支障のない状態まで回復していた。

 私は北京オリンピックに出場することができることになった。

 

 北京オリンピック・男子棒高跳予選の日を迎えた。

 予選では思ったほど緊張することもなかった。

 それは、直前のケガのせいで、身体の調子とケアのほうに意識が向いており、大きなスタジアムや沢山の観客、そして他の選手の跳躍などに惑わされずに済んだということも理由の一つである。

  体のほうも十分に回復し、跳躍ができる状態になり、自分の跳躍に集中することができた。その結果予選も通過し決勝に進むことができた。

 そして決勝では5m60を跳び、8位に入賞することができた。

 

 本当のところ、私自身としてはこの結果に少しがっかりしていた。

 自分としては、本当はもっと高く跳べたはずだ、という思いがあったからである。

 でも、今考えると、あのような状況でそれなりの結果が出せたということはとても幸運であったともいえる。

 

(続く)

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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10 世界ジュニア室内記録の更新

 ドイツ室内選手権の後にも室内競技会に何試合か出場した。

 その年の最後の室内競技会となった試合では、バーを5m68に上げそれを1回目でクリアし、新しいジュニア世界室内記録を樹立した。

 ジュニア世界室内記録を更新できたことは、ヨーロッパ室内選手権に出られず悔しい思いをしていた私にとって非常に嬉しいことであった、

 

 地元に帰ると、私がジュニア室内世界記録を跳んだということが大きく新聞に取り上げられ、北京オリンピックに向けて有望な選手が出てきたとまで書かれていた。

 ただ、実際のところ私としては世界ジュニア選手権のほうに目標を置いていたので、その時まで北京オリンピックの事を考えたことはなかった。

(トップ選手がトレーニングしていようと子どもたちは気にしません。マットからようやく下りてくれました)

 

 その年(2008年)の夏のシーズンに向けてのトレーニングはとても順調にいった。

 私は、屋外のドイツジュニア記録である5m62を更新したいと考えていた。また、もし可能なら北京オリンピックにも出場したいとも考えるようになっていた。

 したがって、当時の私の目標は5m65ではなく、オリンピックA標準記録である5m70を目指していた。

 

11 アンドレイ・チボンチク コーチのアドバイス

 私はずっと5m70を跳ぶことばかり考えていた。

 しかし、コーチであるアンドレイの考えは違っていた。

 彼は私に、「ラファエル。まず5m65を跳べるようになろう。5m70はそれからだ」と声をかけてくれた。

 私はコーチのアドバイスに従って、まずは試合で5m65をクリアすることに集中し、その結果5m65を跳ぶことができました。

 私は、屋内の自己記録よりも7センチ高い5m65を跳ぶことができたので、非常に満足であった、また、5m65を跳んだ時はかなり自分の身体とバーの間に余裕があった。

 

 アンドレイはここで初めて、「じゃあオリンピック出場を目標にして、5m70を跳ぶことを目標にしていこう」と声をかけてくれた。

 その次の大会は気温も暖かく、追い風も程よく吹き、棒高跳にとっては非常に良い環境だった。私はその大会で目標としていた5m70を跳ぶことができた。

 北京オリンピックへ出場する可能性を与えてくれたコーチには非常に感謝している。

(アンドレイコーチの犬と散歩に行きました)

 

12 世界ジュニア記録

 その頃、私は、ドイツで5m70のA標準を跳んだ選手の中で、持ち記録が4番目か5番目の選手であった。私は、もう一度5m70を跳ぶ力があれば北京オリンピックへ出場するチャンスも広がってくると考えた。

 

 次の試合では、私はそれまで味わったことのないような状態になってしまった。

 私は棒高跳の試合が大好きで、いつも楽しみに試合に向かう。

 しかし、その大会ではそれまで味わったことのないほど緊張していた。

 その大会には私以外にもA標準を跳んでいる選手が数名出場していた。その選手たちというのは、テレビでしか見たことのないような、私にとってはアイドルのような存在の選手ばかりであった。

 その時、私はもう一度5m70を跳びたい、この選手たちに勝ちたい、ということで頭がいっぱいになっており、それで過度に緊張していたのだった。

 

 私はそんな緊張感の中でもなんとか5m70を跳ぶことができた。そして再び棒高跳の試合を楽しむことができるようになった。

 私は5m70を跳んだあとバーを5m75に上げ、このバーもクリアし、次にバーを5m80の高さに設定した。

 

 私は5m80をクリアした。 

 実は私はあの時の5m80の跳躍をあまり覚えていない。

 助走をして踏切り、気が付くと自分の体はマットに着地し、バーはスタンドに乗ったままであった。

 

 その試合の帰りの車の中で、友達が私に「ラファエル、君が跳んだ5m80という高さは、タラソフ(ロシア)が出した世界ジュニア記録と同じ高さだったんじゃないか」と話しかけてきた。

 

 私はその時マキシム・タラソフの事を全然知らなかったので、私の反応は「そうなの?タラソフって誰?」というものであった。

 

(クラブの近くの馬。「タラソフって誰?」)

 

 

(続く)

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

*************

ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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7 ヨーロッパジュニア選手権での失敗

 世界ジュニア選手権が終わり、2007年の室内シーズンでも5m30前後を跳ぶことができ、2007年の屋外シーズンでは、5m50にまで自己記録を伸ばしていた。

 2007年はヨーロッパジュニア選手権が開催される年で、私はその大会をとても楽しみにしていた。楽しみにして臨んだヨーロッパジュニア選手権であったが、結果は非常に残念なものとなった。

 (屋外競技場にあるピット。マットは3か所に設置されており、バックストレートにあるマットは風向きによってどちら側からでも跳べるようになっている)

 

 今でもなぜかよくわからないのだが、私はその試合中とてもナーバスになっていた。

 私は競技場に入るとすぐに、自分でもどうしていいかわからないような状態になり、頭が真っ白になってしまった。

 結局、予選で最初の高さを3回失敗して記録なしになり、予選落ちをしてしまった。

 当時の私の自己記録は5m50であったので、その試合では当然メダルも狙っていた。

 そんな中で大きな失敗をしてしまい、私はとても落ち込んでしまった。

 

 ヨーロッパジュニア選手権が終わり、ドイツに戻ったが、私はまだヨーロッパジュニア選手権の失敗のことが頭から離れなかった。

 その後も、ドイツジュニア選手権やほかの試合にも出場したのだが、実際のところ私は、あまり競技に集中できていなかった。早く試合シーズンを終え、競技のことを忘れたいと思っていた。

 試合シーズンの後、私は4週間ほど競技から離れ、次のシーズンへ向けて心身ともにリフレッシュすることにした。

 

8 次のシーズンに向けて

 2008年のシーズンにむけてトレーニングが始まった。

 2008年のシーズンにむけたトレーニングは、技術よりも身体能力の向上を重視し、走トレーニングやジャンプトレーニング、ウェイトリフティングを重視することにした。

 

 2008年より前は、10月から1月の準備期でハムストリグスなどのケガをすることもあったのだが、このようなやりかたでトレーニングに取り組んだの結果、2008年の室内シーズンへ向けた準備期ではほとんどケガをすることもなく、とてもよい状態でトレーニングを行うことができた。そして、トレーニングが順調にいくにしたがって、室内競技会にむけて気持ちも高まっていった。

 

    

(練習器具は必ずしも最新のものがそろっているわけではないが、どれも細かい工夫がこらされていた)

 

 当時のドイツ室内ジュニア記録は5m52であった。

 私はその年の最初の室内競技会で5m60を跳び、ドイツジュニア室内記録を更新した。

 私自身としては、当時5m70ぐらいは跳べると思っていた。

 5m70を跳べばイタリアで開催されるヨーロッパ室内選手権に出場できるし、室内世界ジュニア記録を更新することになる。

 私は5m70を跳ぼうと非常に気合が入っていた。

 しかし、あまりにも5m70を意識し過ぎたせいか、その時期の私の試合での記録は5m50~60ばかりで、5m70はなかなか跳べなかった。

 

 その年、私は初めてドイツ室内選手権に出場した。

 結果は5m60を跳んで5位だった。

 私は自己ベストが5m60のジュニア選手であり、ドイツ室内選手権も初出場の選手であった。今考えると、そのような選手の結果としては上出来とも言える。

 しかし、当時の私は目標である5m70が跳べず、ヨーロッパ室内選手権の代表にも選ばれなかったことから、とても落ち込んでしまっていた。

 

 

(続く)

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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5. アンドレイ・チボンチク コーチとのトレーニング

 アンドレイは私のトレーニングを大きく変えた。

 それまでの私のトレーニングというのは、週2回棒高跳をして、ほかの日は走幅跳をしたり走高跳をしたり他の種目を行うというものであった。

 一方、アンドレイのトレーニングというのは、6か月の期間を準備期と試合期に明確に分け、必要な要素をトレーニングし、積み上げていくというものであった。このようなやり方は私にとって新鮮で、私のやる気はさらに高まった。

 アンドレイのトレーニングは、私に非常に合っていた。技術面でもとても向上し、自信もついてきた。2005年には私はドイツ代表として、モロッコで行われる世界ユース選手権に出られるまでになった。

 

   

 ツバイブリュッケンの室内練習場(棒高跳ピットが2か所ある)

(コーチは「ツバイブリュッケンの設備はこんなのしかない小さなクラブ。でもドイツではトップのクラブだ」と言っていました。日本から来た私としては設備も十分立派だと思ったのですが...)

 

 

それまで私はあまり海外に行ったこともなく、休日にパリに2回ほど行ったことがあるくらいであった。

 私は世界ユース選手権を非常に心待ちにいた。もちろんそれは初めての国際大会ということもあったのだが、気温が40度にまで上がる、モロッコのような暑い国で試合をするということ自体が初めてで、新鮮な経験であったからである。

 出場したその試合では残念ながら自己記録であった5mも跳べず、記録なしになってしまった。しかし、このような貴重な体験ができたこと自体にとても満足していた。

 

 地元ツバイブリュッケンにもどって、私は以前よりさらに意欲が高まっていた。

 それは、次の年の2006年に北京で世界ジュニア選手権が控えていたというのも理由の一つだ。私はもう一度ドイツナショナルチームの一員として試合に出場したいと考えていた。

 

 私は技術がさらに向上するように意欲的にトレーニングに組んだ。その結果、私は16歳で5m42のドイツのジュニア新記録を出すことができた。また、北京で行われる世界ジュニア選手権にも出場できることになった。

子供たちの練習の様子

(世界のトップ選手が真剣に練習している隣で、子供たちがワイワイと走り回って楽しんでいる姿はクラブシステムの特徴と言えます)

 

 

6 北京世界ジュニア選手権でのハプニングと幸運

 世界ジュニア選手権の直前には時差調整などのため、北京から3時間ほど離れた場所で合宿を行った。合宿自体はとても充実したものであった。

 

 しかし、その合宿中にハプニングに見舞われた。

 合宿で食べた中華料理というのはとても美味しいものばかりで、私の味覚にはとても合っていたのだが、どうも私の胃はそうではなかったようだった。

 私はその食事のせいでひどい腹痛に襲われることになった.この腹痛は私だけでなく、選手、コーチ、トレーナーなどドイツチームのほとんどの人を襲った。

 私は中国に来るまでは79kgくらい体重があったのだが、試合の直前には74kgくらいまで体重が落ちてしまっていた。

  

 中華料理で腹痛になり、体重を落としてしまうという不運に見舞われた私だが、不幸中の幸いともいえる出来事もあった。

 

 普通、棒高跳選手は試合に行くときポールを数本持っていくものである。私も普段そのようにしていたのだが、その時に限って持っていくポールを間違えてしまった。普通なら試合に持ってこないような柔らかいポールを持ってきてしまっていたのだ。

 

 腹痛のせいで体重が軽くなってしまっていた私であったが、幸運にも柔らかいポールを持ってきていたおかげでこのポールを使って予選を通過し、決勝では5m30を跳んで5位に入賞することができた。

 

  

アンドレイ・チボンチクコーチと一緒に学校の先生である奥さんの職場に行ってきました。皆さん親切にしてくださいました。

 

 

 

(続く)