ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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4. アンドレイ・チボンチク コーチ

 2004年に私にとって大きな出来事があった。

 その時まで私たちを指導してくれていたコーチが体調を崩してしまい、私たちの指導をすることができなくなったのだ。

 このことがきっかけとなってアンドレイ・チボンチクにコーチをしてもらうことになった。

 アンドレイは現役選手としての生活を終え、ドーハでコーチをしていて、ちょうどツバイブリュッケンに戻ってきたところであった。

 

 前のコーチは私に「君のために新しいコーチを見つけてきた。アンドレイ・チボンチクという人だ」と言ってくれたのだが、私は「それ、誰?」という反応であった。

 当時、私が知っている唯一の棒高跳選手といえば「セルゲイ・ブブカ」だけだった。失礼ながら、私は地元出身の棒高跳選手であるアンドレイ・チボンチクの事を全く知らなかった。

 

(アンドレイ・チボンチクコーチ)

(ドイツ陸連 棒高跳ナショナルコーチ)   

 コーチがこのことについて話し終わったところで、練習場の入口からアンドレイコーチが入ってくるのが見えた。

 私の前のコーチは「この人が、これから君の指導をしてくれるアンドレイ・チボンチク・コーチだよ」と紹介してくれた。

 私とアンドレイは挨拶をかわし、お互いに握手をしたが、実は私のその時の反応は「あ、そうなんだ」という程度のものであった。

 

 

 そして、前のコーチは、「アンドレイはオリンピックでメダルを取った選手なんだ。5m97の自己ベストも持っているんだぞ」とアンドレイの経歴について詳しく紹介してくれた。

 そこで私の反応は、初めて「え?マジ?」というものに変わった。

(筆者とアンドレイ・チボンチクコーチ) 

 

 私は、アンドレイと初めてトレーニングする日を心待ちにするようになっていた。

 とてもやる気になっていて、ちょっと気合が入り過ぎているぐらいだった。

 私としては、素晴らしい経歴を持ったコーチに、自分の良い印象を持たせたいと思っていた。

 

(続く)

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)。

・ラファエル・ホルツディッペ選手

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

  2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

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 1. 棒高跳との出会い

 私(ラファエル・ホルツディッペ選手)が初めて棒高跳に接したのは、多分7歳か8歳の時だと思う。それまでは、私は棒高跳というものがどういうものかについてまったく知らなかった。

 

 私はツバイブリュッケン(ドイツ南部)という町に住んでいた。

 ツバイブリュッケンはとても小さな町ではあるものの、棒高跳に関してはドイツの中でとても実績を残ししている町であった。

 ただ、そのころ私は陸上競技というものをまだやったことがなく、陸上競技以外のスポーツを楽しんでいるところであった。

 私は走ることもとても好きであったので、あるとき両親が私を陸上競技場に連れて行ってくれたことがあった。

 陸上競技場に入ると、すぐにバックストレートで「棒高跳」をしているのが見えた。

両親は近くにいって棒高跳を見てきても良いといってくれたので、私は近くまで行くことにした。

LAZ Zweibrücken(ラファエル・ホルツディッペ選手がトレーニングしているクラブ)

 

 実はその時「棒高跳」をしていたのは、後に私のコーチとなってくれるアンドレイ・チボンチクであった。その時彼はまだ現役の選手で、跳躍練習をしているところであった

 私が「棒高跳」を見たのはその時が初めであった。初めて見た棒高跳に私はとても感動し、今でもその時の光景を覚えている。

 見学してからある程度時間がたったので、両親は「そろそろ帰ろうか」と声をかけてきたが、結局アンドレイが跳躍練習をすべて終えるまで、ずっとそこで見学し続けることになった。それぐらい感動した。

 これが私と棒高跳、そして私とアンドレイ(コーチ)との初めての出会いであった。。

 

2. 棒高跳を始めるまで

 実は、私のスポーツキャリアのスタートは陸上競技ではなかった。柔道と体操競技が私にとってのスポーツの始まりであった。

 陸上競技と接点があったのは5歳のころだったと思う。

 私は結構足も速く、ジャンプ力などもあったので陸上競技のクラブから誘いを受けることもあった。ただ当時は柔道と体操競技にとても熱中していたので陸上競技にはあまり興味はなかった。

 両親から、陸上競技も試しにやってみるのも良いのではないかというアドバイスもあったので、2000年の夏ごろから陸上競技のクラブにも通い始めた。

 陸上競技のクラブでは私はいろんな種目にチャレンジしてみた。

 60m走、走幅跳、走高跳などを中心練習した。長距離や砲丸投、やり投などもすこし試してみた。ただ、これらはあまり自分に向いているとは思わなかったので、結局、跳躍競技を中心に取り組むことにした。

 

 あるとき、クラブのコーチから「君は脚も速いし、ジャンプ力もある。器械運動も非常にうまい。君は棒高跳に向いているかもしれないね。」といわれたことがあった。そのアドバイスもあって、陸上競技のトレーニングをする時には、ほとんど時間を棒高跳のトレーニングに割くことにした。

 

 

LAZ Zweibrückenの室内練習場

 

3. 棒高跳を始めたばかりのころ

 誰でもそうであるが初心者の棒高跳というのは、とても棒高跳の形にはなっていないものである。私もそうであった。しかし、私にとって、助走の仕方や跳び方などの棒高跳の練習をすることはとても楽しいものであった。

 

 私は、2000年の冬ごろには、棒高跳を中心に練習するグループに参加することになっていた。その頃は、週2回棒高跳の跳躍練習をし、ポールの持ち方やポールの曲げ方、跳躍の方法などを教わった。同時に、他の種目にも興味があったので、60mや走幅跳などの練習もし、試合にも出場していた。

 

 棒高跳のトレーニングを始めて2,3か月後、私は初めて棒高跳の試合に出場した。多分その時の記録は2mだったと思う。私にとってこの経験はとても楽しいものであった。

 楽しかったのはもちろん初めて試合に出場したからである。ただ、それだけでなく他のうまい選手たちの跳躍も見ることができたというのがとても嬉しかった。

 

 私は人生で初めての試合を終えて、もっともっと棒高跳の練習をしたいと思うようになった。

 しかし、当時の私のコーチは棒高跳の跳躍練習は週二回だけということを変えようとしなかった。コーチの考えは、棒高跳の選手は棒高跳以外の種目をやることも大切であるということであった。また、跳躍練習の日数を増やさないことでさらに棒高跳への意欲が高めようと考えていた。

 

4 ライバルの存在

 その頃、私にはお互いを刺激しあうライバルがいた。

 2002年には私の自己記録は2m80になったが。私たちが所属していたトレーニンググループではだれが最初に3mを跳ぶかということが話題になっていた。

 

 私にはグループの中にライバルがいた。彼は技術的にとても上手な選手で、結局彼が我々のグループの中で初めて3mを突破する選手となった。

 彼が3mを跳んだことで、私の闘争心に火がつき、練習に対して一層やる気が高まった。

 2003年には私も3mを跳ぶことができるようになった。そしてその後自己記録を3m50まで伸ばすことができた。

 

 今度は彼の闘争心に火が付いた。

 

 今度は彼が4mを跳べるようになり、それによった私も気合が入り、意欲的に練習するようになった。

 今思うとこのライバルとの競い合いというのはとても楽しい時間であった。

 

 その頃、私は棒高跳の以外にも、柔道と体操競技も続けていた。

 学校は7時ごろから始まり13時ごろに終わったが、毎週月曜と金曜日の放課後は、スポーツをする時間としていた。

 詳しくいうと14時から16時までは体操競技の練習、16時から18時までは陸上競技、18時から20時までは柔道の練習であった。

 当然、家に帰るとぐったりするという生活であったが、私はそういう生活を楽しんでいた。

 友達の中には、学校が終わって皆と遊びにいったり、家でDVDを見るのが楽しみだという子どももいたが、私はスポーツをしたり競技をしたりすることが大好きな子どもであった。

 

(次回に続く)

 これまでのヨーロッパ研修で多くの世界のトップ棒高跳選手、コーチの方々とやりとりしてきましたが、ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載したいと思います。数回に分けて掲載していきたいと思います。

ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)。

 

ラファエル・ホルツディッペ選手

             2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

             2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

             2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m77)

             2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

             2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

2018年11月中旬、Ultimate a.c.の木次谷コーチは、ヨーロッパにおける棒高跳の研究のために、ウェスト・ボヘミア大学(ピルセン・チェコ共和国)とケルン体育大学(ケルン・ドイツ)を訪問してきました。

フランクフルト国際空港で小さなプロペラ機に乗り換え(とても揺れました)

プラハ国際空港

 

 チェコではピルセン市というところを訪問しました(ビールの”ピルスナー”の名前の発祥の地です)

 

 

Ultimate a.c.は、福島県いわき市で活動している陸上競技クラブです。

現在は、棒高跳を中心に活動しています。


今後は棒高跳のトレーニング指導だけではなく、陸上競技の競技力向上に役立てていただける情報を掲載していく予定です。


早速ですが、次回以降はモスクワ世界陸上の男子棒高跳で金メダルを獲得したラファエル・ホルツディッペ選手のお話について報告します。


また、ホルツディッペのコーチでドイツ代表コーチである、アンドレイ・チボンチクコーチなどとディスカッションした内容についても掲載して行きます。


そのほか、頑張って次についても掲載していこうと思います。


トム・テレツ コーチとのディスカッション

レシェク・クリマ コーチとのディスカッション

ダミアン・イノセンシオ コーチとのディスカッション

フィリップ・ダンコースコーチとのディスカッション

スティーブ・リッポン コーチとのディスカッション

ハーバート・チンゴン コーチとのディスカッション


など…。


文字に起こす余裕がなかったら、ご容赦ください。


 

ヨーロッパにおける棒高跳の技術モデルやメンターコーチシステムについて

(第7回ヨーロッパ棒高跳・走高跳会議(2016年)概要)

 

2016年ヨーロッパ棒高跳会議では「コーチング」をメインテーマとして、様々な発表(講義・実技)が行われました。

 

始めにアテネオリンピックの金メダリスト(走高跳)であり2m37の自己ベストを持つステファン・ホルムコーチからお話がありました。

競技を始めたきっかけから、ジュニア時代の話、記録が順調に伸びていたころの話、挫折をした時の話、オリンピックで金メダルを取ったころの話など、違う種目ながらとても貴重はお話を聞けました。

 

今回は「コーチング」ということがメインテーマでしたので、棒高跳・走高跳の技術やトレーニングだけにとどまらず、心理学などについての発表もありとても充実したものでした。

 

 その中で面白いなと思ったのは、イギリス陸連の走高跳のコーチが発表した「メンターコーチ・システム」についてです。

 

 「メンターコーチ」というのは、簡単に言うと「コーチのためのコーチ」みたいなものです。

 若いコーチがコーチングの実践の場面で疑問に思ったことや困っていることを相談したり、経験の長いコーチからアドバイスをもらうことで、コーチングのスキルを上げていこうという試みです。

 

 より経験を積んだコーチが比較的若いコーチの相談に乗るという状況はこれまでも一般的に行われてきたことです.

 これをシステムとして整え、コーチを育てていこうという考え方が「メンターコーチ・システム」です。

  コーチの養成システムというと多くの場合「講義」を聞くとか「実技講習会」を受講するということが中心になるのではないかと思います。

 

 このような形態でのコーチ養成システムももちろん意義はありますが、講義をしてくれる方自身が実際にコーチングの経験がそんなに無かったり、「実技講習」の場合でもその教わった内容が自分がコーチングしている対象者に対して合ったものでなかったりすることがあります。

 

 また、コーチングの現場でも情報交換は行われることはありますが、多くの場合ちょっとしたアドバイスであったりして、必ずしもシステマチックに行われているわけではありません。

 

 この「メンター」という英単語は日本語では「師匠」と訳されるることがあります。

 ただ、この「メンターコーチシステム」での「メンター」というのは日本的な「師匠」とはちょっと違います。

 日本的な「師匠と弟子」の関係では上下関係が前提となっており、師匠側のコーチと弟子側のコーチの間ではフラットなディスカッションをすることが難しい場合もあります。

(これは年齢に基づいた日本的な上下関係や、日本のスポーツが主に「学校の部活動」で発達したことなどが関係していると思います)

 

 それに対して、イギリス陸連における「メンターコーチ・システム」では、選手の指導をするのはあくまでもコーチであり、メンターコーチとの関係フラットなものであり上下関係というものではありません(もちろんフラットな関係でも敬意を持ちそのように接します)。


 メンターコーチは、コーチから相談があった場合、その要請に応じて助言を行うことになります。場合によっては、コーチが指導している現場をメンターコーチに観察してもらい、技術的な内容だけでなく、選手との接し方や伝え方などについても助言してもらうこともあります。

(メンターコーチ自身もコーチですので、自分は自分で選手を持っていることもあります)

 

 話は少しずれますが、日本でも「臨床心理士(心理カウンセラー)」の世界では「スーパービジョン」という仕組みがあります.

 

 カウンセラー(臨床心理士)は現場でクライアント(相談者)の相談にのることが仕事ですが、その時点で持っている知識や技能で対応ができないことがあったり、迷ったりすることもあります。

また、カウンセラー自身も人間ですのでうまく相談者と問題解決していくためには、そのカウンセラー自身のメンタルヘルスも重要になって来ます。

 

 そこで、カウンセラーが、より知識や技能の熟達した上級者(カウンセラー)から事例に関して助言や指導を受けたり、相談する仕組みがあります。それがスーパービジョンというものです。(助言をする人はスーパーバイザーと言います)。

 

 イギリス陸連の「メンターコーチ・システム」はこれにとてもよく似ているシステムだと思いました。

こういうシステムが日本にできるといいですね。

 

 

棒高跳では、アメリカのジェフ・ハートウィグコーチからレクチャーと実技指導がありました。

ジェフ・ハートウィグコーチは現役時代6m03のアメリカ記録(当時)を保持していた選手です。

 

 また、スティーブ・リッポンコーチ(フィンランド)からは棒高跳の技術についてのプレゼンテーションがありました。

 スティーブ・リッポンコーチはオーストラリア→イギリス→フィンランドでコーチをしていて、世界の棒高跳の情報についてとても詳しい方です。

 日本にもよくいらしていて、大阪でクリニックをやったこともあります

(→大阪のクリニックの動画が欲しい人は連絡をください)

 

 私もこれまで棒高跳の研修のためにアメリカとヨーロッパを数度訪れて、トレーニングを見たりコーチ達と情報交換をしてきました。それらを総合した感想は、アメリカの棒高跳とヨーロッパの棒高跳はけっこう違うということです。

 

 棒高跳の技術について「ざっくり」というと、アメリカでは国内のコーチ間で技術についての考え方は結構バラバラです。

 それに比較するとヨーロッパでは技術についての考え方はコーチ間である程度共通認識を持っているように見えます。


 もちろんこれはかなり「ざっくり」言っています。

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----- アメリカでも最近は少しはコーチ間での共通認識も出てきたような気がします。

 これはpole vault summitの影響が大きいのではないかと思います。

 pole vault summitには棒高跳の選手やコーチが国内外から約2000名も参加し、試合だけでなく実技講習やコーチ間のディスカッションなども行われています。

 またヨーロッパなどからコーチを招聘したりして情報交換も盛んです。

【これを始めたのはボブ・フレーリー(フレズノ大)というアメリカ棒高跳界の大御所コーチです。日系のブライアン・ヨコヤマコーチ(マウントサック)による企画・運営への貢献も多大です】

 最近のアメリカの棒高跳が復興してきたのはこのpole vault summitによる貢献が大きいと思います。

 

 逆にヨーロッパ内でも技術について完全に同じというわけではなく、流派の違いのようなものもあります。代表的なのは「フランス型技術モデル」と「ペトロフ型技術モデル」の違いです。最近はこの両者をベースにしてそれらをうまく組み合わせたりそこに独自のスタイルを組み込んだりしている選手が多いと思います。

実は、マイナーなのですが、チェコ型技術モデルというのもあるのですが、これがとても特徴的です-----

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 トレーニングの組み方についてもアメリカとヨーロッパではかなり違いがあります。


 ヨーロッパ内ではある程度共通している部分ががありますが、アメリカはやっぱりそれぞれのコーチでバラバラです。

(ピリオダイゼーションについての考え方の違いがあります。これはまた別の機会に述べたいと思います)


 

ヨーロッパ棒高跳会議の後はまた、レバークーゼンに行って研修してきました。

これまでどおりレシェク・クリマコーチには大変お世話になりました。

「これは内緒ね」と秘密の資料をもらいました。

 

5m91の自己ベストを持つマルト・モア選手も練習に来ていました。

今はお父さんがコーチをしています.

練習内容もオリジナルでとても興味深いものでした。

 

(続く)

 

 

棒高跳の体力トレーニング

【第5回ヨーロッパ棒高跳会議(2012年)概要報告】

 

 

 

まずはレバークーゼンでレシェク・クリマコーチの下で研修

いつも丁寧に教えてくれます。

 

その後第5回ヨーロッパ棒高跳会議(ケルン体育大学で)

 

今回のメイントピックは「体力トレーニング」

 

マルティナ・スタルツ選手(右:4m80)の報告

一番左はスタルツ選手のコーチです。

スタルツ選手のコーチは投てきが専門のコーチです。

ドイツは投てき王国ということもありトレーニングの組み方はかなり厳密にやっていますし、かなりの量のウェイトトレーニングをやらせています。

スタルツ選手は身長1m60で体重は53kg。やはり体操出身。

お話をしましたが、小柄な選手です。日本人にも参考になる情報をいただきました。

コーチは旧東側出身なので東側の状況についても詳しくお話いただきました。

 

今回はルノー・ラビレニのコーチであるダミアン・イノセンシオコーチも来ていました。

レバークーゼンで再びお会いしました(合宿のため)。

いろいろ質問したら、たくさん教えてくれました。

残念ながらラビレニは合宿には不参加

(直前でスピード違反してしまって来られなくなってしまったみたいです...)

 

 

 

再びレバークーゼンで研修

レバークーゼンでは日本陸連の視察団とばったり遭遇しました。尾縣先生もいらっしゃていました。

私が日本から単独で研修に来ていることをお話したらびっくりされていました。

 

子どもたち向けの陸上クラブの様子(やり投げの指導)

 

 

総合型のスポーツクラブなので、他の競技も充実(ドイツでも最大規模のクラブ)

 

レバークーゼンのサッカーは日本でも有名です。スタジアムはすごく大きかった。

 

 

最終日は、マインツ大学にあるドイツ陸連(DLV)コーチアカデミーで研修しました。

ヘッドコーチのハーバート・ジンゴンコーチに時間を割いていただき、大変勉強になりました。

わざわざ駅まで迎えにきていただき感謝です。

ここでも、日本陸連の視察団とバッタリ遭遇。すごい確率でした。

 

ドイツ陸連で出している陸上競技のテキストブックをいただきました。(買うと結構高い)