ただいま、おかえり -9ページ目

ただいま、おかえり

山田花畑の番外編

虐待の背景にあり、トラウマとなって人の気持ちを長いこと縛る事実がある。
それは貧困である。

この問題は、意外と知られていないことと思う。
虐待が発生する家庭の貧困問題については、ようやく社会的に光があたるようになってきたが、これはあくまでも社会問題であって、貧乏が心に与えるダメージについては、問題にされていない。


M子さんは数ヶ月苦闘していた。

治療が進み、今までの人生の不幸の原因はすべて自分にあると思い込んで来たが、そうではなかったことが理解できるようになった。しかし。
なかなか前に進めないのだ。

ここしばらく M 子さんは職が安定しなかった。


世の中 M 子さんのような人が増えているとは言え、翌月からの収入の見通しが無いと言うことは、非常にストレスフルな状態である。

それはまるで貧乏神にでも取りつかれているような心境だったと言う。
しかし話を聞くと、本当に貧乏神に溺愛されていたのではないかと思える状態だった。

思いもかけず、職を失った時のことである。
M 子さんは以前から、欲しいと言えず、欲しくても買えずと記事に書いたことがあったが、外に出ると、誤ってお金を使ってしまうのが怖くて、買い物に出かけることはあまりなく、代わりにインターネットで買い物ごっこを楽しんでいた。

目に留まった物があると、気軽に買い物かごに入れたり出したりを繰り返し、結果大したものは買わないのである。

ところが、なかなか仕事が決まらなかった時、買い物ごっこが恐ろしくてできなくなったと言う。
お金が無いから買ってはダメ!
ダメダメダメダメと言う気持ちが大きくなって、買い物ごっこを楽しめない。
それが強迫観念となって、疾風のように追いかけてくるのだと。

現実的にお金が無ければ買い物はできないが、買い物ごっこまでやめる必要はなく、自分を追い詰める必要もないのである。
仕事が決まらないことと、買い物ごっこは全く関係が無いのである。
が、そう思えない。

そして、無一文になる恐怖を思い描いて、胸がつぶれるような気持ちになっている。
大きな物音にビクつき、眠りが浅く、汗をかきやすくなっている。

そんなある日、面接の知らせが来た。
それはとても朗報であったはずなのに、M 子さんは素直に喜べず、恐ろしくて仕方がない。
前向きに臨めば良いはずなのに、不採用で自分が落胆しているシーンを思い浮かべている。
明らかに、 M 子さんの意志とは違う方向に自分が向いてしまっていると言うのだ。

なぜ自分自身の近しい未来に希望が持てないのか、ビクビクしながらも不思議に思った。
そして気が付いたのだ。

M 子さんは貧乏なために、必要以上の落胆を数えきれないほど味わってきたのだ。
落胆の数が多すぎて、ポジティブなイメージを抱くことができなくなっていたのだ。
人の心に大きなダメージ与える貧乏の程度とはどの程度なのだろうか。
それは、衣食住にかかわる不足を必要以上に味わった場合と考えて良いと思う。

たとえば眠るのに最低限必要な温度であったり、活動に支障のない食事や、清潔な衣服、標準以下でも構わない。
みじめで涙が出ない程度にあれば良いのだ。
そして、もし貧しくて "無いこと" の心の不自由が子供を傷つけないよう、親が愛情を注げば、問題はさほど大きくはならない。

しかし、"無いこと" のみじめさを押し付けられたらどうだろう。
物心ともに満たされず、贅沢は望んでいないのに、理不尽な不幸を味わうことになる。
具体的には
「みんな我慢しているんだから贅沢言うな」
とか、お金がないことで両親が争ったりすることなど、気持ちが孤独になるような言葉や空気によって苦しみは増長される。

その時、子供は言い知れぬ解決不能な敗北感を味わう。

このような生活環境は、改善されない場合が多いので、子供は少なくとも20年近く、この環境で生きなくてはいけない。
そして染みついた負のスパイラルからなかなか抜け出せないのである。

M 子さんは気が付いた。
貧乏神から、自尊心を奪われていたことを。
貧乏神は、暗黒の両腕を広げて、M 子さんの敗北を待ち望んでいることを。

M 子さんはぬいぐるみを抱きしめた。

怖かった!私は貧乏神が怖かった!
貧乏に取りつかれていた!
たかが貧乏に、こんなに気持ちが苦しくなっていたなんて!

自分の心に気が付いたとたん、嗚咽がこみ上げた。

こみ上げてきた声を出そうとした時、ウニの殻が喉から出るような痛みを感じた。
激痛がしたが、大きな声をあげて泣いた。
長年の恐怖と我慢が一気に噴き出た。

そしてその陰に潜んでいた怒りも噴出した。
M 子さんはクッションをソファに並べて、思い切り叩きはじめた。
出ていけ
出ていけ
出ていけーー
もう、そばに寄りつくなーー!!

一心不乱にクッションを叩いて泣いた。

しばらく泣いて、ぐったりした。
本当に全力で何かを取り除いたような疲労感に襲われた。
いや、きっと本当に何かが出て行ったのだろう。

どんな理由があろうとも、理不尽に甘んじる必要は絶対にない。
どんなに人生で長いこと、理不尽な環境におかれたとしても、一生苦しむことはない。
望んでいない人生に甘んじる必要はないのだ。

心の問題を解決してゆく途上において、影響を受けていた理不尽な環境と、意図的に対峙するチャンスを逃してはいけないと思った。

M 子さんは、また一つ自由を勝ち取った。

連日報道されている川崎暴行事件。
先日は、上村君のお母さんの談話が掲載されており、胸が詰まった。
母子家庭だったため、子供との時間を十分作ってやれなかったことを悔いている。

最近、もと母子家庭のお母さんから、聞いた話にかぶっている気がした。

Z さんは、 子供が 10 歳の時シングルマザーとなり、15 年ほど苦闘した。
今は子供は成人して独立。
ようやく一息ついたところだ。


Z さんの離婚が確定した時、専業主婦からワーキングマザーに転身したわけだが、専業主婦と言うだけで世の中はその年数を社会的ブランクとみなして、職探しは難航した。

ブランクの年数が長ければ長いほど、職に就くのは難しい。
Z さんは段階的に仕事を得ることに成功したが、簡単な道のりではなかった。


これと言った特技もなかったため、履歴書はことごとく返された。
パソコンでも覚えなくてはと思い、やっとの思いで、無料研修を実施している派遣会社に登録し、週に 3 日の仕事を得る。
仕事以外の日は、研修センターに通いパソコンの操作を覚える。

仕事を二つかけもちし、不足した生活費を補う。

研修センターには二年ほど通った。

時短勤務から、フルタイム勤務に勤務形態を変える。
残業などでさらに不足を補う。

ところが、収入が増えると手当てが減る。
さらに専門的な知識をつけ、手当てに左右されない収入を得られるよう必死で働く。

専門技術を身につけ収入は安定するが、残業、出張続きで子供とのコミュニケーション不足が深刻となる。

段々健康状態が思わしくなくなる。

体のあちこちに支障が出始める。

子供が成人し、、少ししたところでしばらく休養が必要となる。

一年と少し治療に時間を費やしたところ、少しのブランクのため職になかなか就けない。

とりあえず、期限付きの職に就く。

気づけば年齢的に転職がリスキー。

子供が扶養から抜けたため、手取りの給料が少なくなる。

預金の底が尽きて、税金の引き落としができず。

役所で税金分納の手続きをするために、経緯を説明中に涙がにじんだそうだ。

ずっと母子家庭で、働けば手当てが減って
必死で働いて子供が大きくなったら体が壊れて
療養したら、仕事がなくなり
職に就けても給料が安く
子供が大きくなっても、大変なまま、、
老後の蓄えは、できておらず気持ちばかり焦る

一人が割ける労力には限りがある。
片親の場合、どんな労力にもまんべんなく、力を注ぐ時間と体力には限界がある。

経済的な不足を補えば、子供との時間が減り、その逆は極度な貧困を招く。
子供には罪はなく、だからこそ不自由を与えまいと、懸命に働くのだが不足は簡単には埋まらない。

その気持ちは、体を切り刻まれるように辛いと。
上村君のお母さんも、同じような気持ちを抱え、仕事と家庭を往復していたに違いない。

実は日本にはこんな女性が大勢いて、そのうめき声はどこにも届いていないのだと思った。
いや、彼女たちにはうめき声をあげる暇さえないのだ。
育ちざかりの子供のケア、働きどおしの母親のケア、高校、大学と最もお金のかかる時期に打ち切られる手当て。

さらに現実は厳しくなるのだ。

そして子供を育て上げ、ホッと一息をついた瞬間に貧困が押し寄せる。
いつまで血が出るほど、働かなくてはいけないのか。
「あんたの落ち度で子供に不自由させたんだから当然」なのか。

切ない話である。
どれだけの人に読んでもらえるか定かではないが、まずはここに書いて、考えたいと思う。
以前、H ちゃんのことを記事に書きましたが、続編です。

今、川崎の暴行事件が連日大きく報道されている。
事件はおおよそ予想どおりに展開するも、その無残な行為に憤りを感じる。

では、こんな行為は特異的なことなのだろうか?

実は数年前にも、似たような事件があった。
同世代の少年が一人の少年を集団暴行し、それがエスカレートして死に至ってしまった。
自分たちの行動が、一人の人間の命を奪うことなど考えておらず暴行を加えたようだ。

少年が動かなくなり、慌てた少年たちは、遺体を隣町の公園まで運び、置き去りにした。


少年の遺体が置き去りにされた公園は、H ちゃんが毎日お散歩をしていた公園だった。
H ちゃん達は、おばあちゃんの家に逃げてきてから、お父さんが連れ戻しに来ないかビクビクしながら過ごしていたが、この公園は比較的人通りが少なく、目立たない場所にあったため、お散歩コースになっていたそうだ。

H ちゃんは、朝、お母さんに公園に行きたいと言った。
ところが、お母さんは言葉を濁し、今日は別の場所に行こうと提案した。
H ちゃんが理由を聞いても、答えてくれない。

そこで H ちゃんは、おばあちゃんに理由を聞いた。
「ねえ?今日はどうしていつもの公園に行ったらいけないの?」

おばあちゃんも事件のことを知っていたので、答えに困ったが、正直に本当のことを伝えようと思いこう答えた。

「そうだねぇ、今日はその公園でね、、
大きいお兄ちゃんが、一人のお兄ちゃんをぶったり蹴ったりしたから、そのお兄ちゃんが死んじゃったんだって、可哀想だね、、」

H ちゃんは、一瞬黙ってこう言った。

「あたしは死ななかったね!」

4 才の H ちゃんの口からこんな言葉が出るとは。
H ちゃんがお父さんから暴行を受けていた時、H ちゃんは死ぬ思いだったのだ。
H ちゃんは、絶命の思いでお父さんに暴力を振われていたことを、ちゃんと認識していた。

抵抗すればさらに殴られ、泣き叫んでももっとひどく殴られるので、H ちゃんは
押し殺したような小さい声で
「やめてーーー」
としか言えなかったと聞く。

どれほど心細かったことだろう。
自分の親から、死ぬ思いの暴行を受けるなど、どれだけの絶望感を味わったことだろう。
H ちゃんが命を落とす可能性もあったと言う。

幸い死ぬことはなかったが、万が一命を落としたなら、H ちゃんのお父さんは犯罪者になっていたはずだ。
犯罪者になる可能性はあったが、H ちゃんのお母さんは被害届を出すことはしなかった。

誰かが血を流さなくては、このような暴行の事実は埋没してゆく。

被害を受けている人を守ること。
人に暴行を加えてしまうほど心が壊れている人をケアすること。

両方が解決されなければ、このような事件はなくならないであろう。
F さんのお父さんが亡くなってから 10 年が経った。
F さんは、時々お父さんのことを思い出す。

懐かしい思い出ではなく、お父さんが亡くなった時に送られてきた 10 万円のお香典のことである。

F さんはお父さんのことをヤクザのような人だと思っていた。
どこかの暴力団の組員というわけではなく、生き方がヤクザ映画に出てくる人そっくりなのだ。

自営の小さな会社を経営しているが、いつも借金に追われ、そのくせギャンブルが大好きだった。
F さんが 3 才になるまでに、お父さんは、競馬、競輪、競艇、パチンコなどの施設に F さんを連れて行ったことを自慢げに話していた。

気に入らないことがあると、夕飯の乗ったテーブルをひっくり返し、ご飯がおあずけになり、子供たちはお父さんの気の済むまで怒鳴られ、殴られた。


お母さんは、お父さんの生い立ちが恵まれていないことを言い訳していた。

恵まれていようと、いまいと、そのとばっちりを子供が受けて良い訳はない。

どんな風に恵まれていなかったかは、お父さんが亡くなった時に初めて知ることとなった。

一度の面識もなかった親戚が、お父さんの訃報を聞き、上京してきたそうだ。
どうやらこの人が、お父さんのお母さん (Fさんのおばあちゃん) の最後を看取ったそうだ。

お父さんのお母さんは、従軍看護婦で、戦地を転々とし、あちこちで子供を産み落としたそうだ。
お父さんのお母さんが産んだ子供の数は 13 人。
F さんのお父さんの兄弟姉妹は全部で 13 人だったそうだ。

そしてこの 13 人の子供のお父さんは、7 人いたと言う。

F さんのお父さんは、この 13 人のうち、数年暮らした 1 人の弟と、後年訪ねてきた父親違いの妹の顔しか知らない。
そして、お父さんは自分のお母さんの顔を知らないと言う。
生まれて数年は、父親と弟と一緒に満州で暮らしたそうだが、父親が死に、子供のいない資産家の親戚にもらわれたそうだ。

養母は家での権限はなく、相続人として家に迎えていた養女が実権を握っており、F さんのお父さんはこの養女に大変いじめられたそうだ。
書類上は義姉となるこの人は、資産を取られたくないため、F さんのお父さんをいじめぬいて追い出した。

「ただ飯食い」だの、「役立たず」だのと罵られ、F さんのお父さんは次第に荒れてゆく。
そしてついに、小刀一本を持って家を出たそうだ。

F さんのお父さんは、いつも苛立っており、穏やかな姿は一度も見たことがないと言う。
ギャンブルや女遊びが絶えず、浮気の現場を目撃することもあったそうだ。

自分に忠告する人は、すべて敵とみなし、呪い殺してしまいそうなほど恨み抜いた。
借金を抱えると、借りられるところから借りまくり、返さない。
返済を迫られると、逆上する。

家族は、お父さんに監禁されているような日常を送り、お父さんの目の届かないところへ出かけようものなら、殴る蹴るの暴行を受けた。

F さんが成人してから、お母さんは弟妹を連れ、お父さんのもとから夜逃げをした。
F さんは一年に数回だけ、お父さんと電話で話した。
電話を切ると、心臓がドキドキして、お父さんが訪ねてきたらと不安に襲われた。
大人になって、違う家に住んでいてもお父さんと話すと怖くて心臓がドキドキする。

いったいこの苦痛はいつまで続くのだろうと憂鬱だった。

そんなある日、お父さんが急死した知らせが届く。
F さんに葬式を出して欲しいと言い残して亡くなったそうだ。

そして、お父さんの実家から 10 万円の香典が届いた。
名前を見ると、お父さんをいじめた義姉のようである。

義弟の訃報を聞き、過去に与えた仕打ちを悔いたそうだ。
悔いても悔いても足りないと。

「そうか・・・」と F さんはため息をついた。
もう、過ぎたことだ。
お金の問題ではない、10 万円にも置き換えられない。

F さんは、お父さん、お母さんの影響により、外傷性ストレス障害 (PTSD) を発症していた。

そして思うのだった。
お父さんは、人格障害だったと。
異常な生育環境に、人間性が育たなかった。
そんなお父さんの子供として生まれて、負の遺産は間違いなく受け渡された。

どこかで、絶対に断ち切りたいと。
必死で治療に挑んでいる。
あなたは自分に点数をつけるとしたら、何点をつけますか?

ある健康セミナーでの講師の質問に、会場はざわめきました。
あなたはご自分に何点をつけるでしょう?

そこで、ゆっくり観察してください。
自分に点数をつけようと思った時、あなたのどんな気持ちが働いて、あなたを評価するでしょうか?

私の場合は、脳裏に小人サイズの自分の姿が登場し、私を色々な角度から眺めて評価がくだされます。

さて、セミナーの講師曰く、「この質問をするとほとんどの日本人が自分に 100 点満点をつけません」と。



私は確か、、60~70 点の間くらいの点数をつけたと思います。
講師は、参加者に点数を聞き、参加者が「73点」と答えたらこう言いました。

「そうですか 73 点!可哀想にー、あなたは 27 点分ダメだと決めているのですね」と。
27 点ダメと決めると言うことは、どんな影響があるかと言うと、、、

何をするにも、常に自身の行動の結果に、マイナス 27 点がついてくると言うのです。
さらに突っ込んで考えると、結果が出る前から、自分はマイナス 27 点と決めていると言うのです。

100点 の心構えで臨んだことと、73 点の心構えで臨んだことでは、結果がどのように出るか、、。
短距離走で考えてみたいと思います。

走るときに 100 点で走るのと、マイナス 27 点で走るのでは、どちらが速く走れると思いますか?と言うことですね。
自分が走ることを考えると、、心情としてどう体に響くと思いますか?

「よしやるぞ!」と 100 の気持ちを注ぐのと
「私はマイナス 27 」との気持ちで走るのでは、、前者の方が恐らく速く走れるでしょう。

このように書くと、じゃあいつも 100 点と思えばよいわけ?
と疑問に思われるかも知れません。
寝坊した時も?二日酔いの時も?遅刻した時も?仕事でミスした時も?
そうです、すべてに 100 点をつけましょう!

自分を取り巻く環境とは、日々変化の繰り返しです。
その中で、すべてが自分の都合の良いようにはいかないことでしょう。
だからと言って、その時どうして自分の評価にマイナスをつけなくてはいけないのでしょう?

自分にマイナスをつける根拠はどこにあるのでしょう?
マイナスをつける根拠は、残念ながらどこにもないのです。

あなたを評価して、あなたに責任をとれるのは、あなた以外に誰もいません。
だから、自分で責任を持って 100 点をつけるのです。

ここで講師はとても分かりやすいたとえ話をしてくれました。

あなたの学校の担任の先生が、ヘマをする都度評価をする先生だったらどうでしょう?
たとえば、、
忘れ物をしました。。
まあ、マイナス 27 点ね。
お腹が痛くて給食が食べられません。
まあ、マイナス 27 点ね。
因数分解がわかりません。
まあ!なんてマイナス 27 点だこと!

それより、どんなにミスをしても、、
「どんなことがあっても太郎君は太郎君よ!あなたが脅かされることはないわ」
と、存在を丸ごと受け入れてもらえたら、、、
気持ちが温かくなり、緊張もほぐれ、次はきっと期待に応えよう!と思うことでしょう。

前者が冷たい先生、後者が温かい先生です。
自分を見る目も後者の温かい先生のように、温かい目で見る方が良いと言うのです。
分かりやすいですね。

今から、最初は上手にできなくても、どんなことがあっても、「私は 100 点満点!」と心から思う練習をしてみてください。

練習方法は簡単です。
一日に 100 回 「太郎ちゃん、だーーーい好き!」と自分に声をかけてあげれば大丈夫です。

もし、自分の心が冷え込んでいて、そんなの無理!と思ったら、その気持ちがあなた自身の人生に暗い影をとしていることを認識してください。
自分が幸せになる基本は、いついかなる時にも自分が大好きであることが大切です。