M 子さんには子供の頃から、ささやかな夢があった。
家は貧しく、争いが絶えなかったが、いつのころからか音楽が唯一の癒しとなっていた。
そして、音楽家になりたいと切望するようになる。
M さんは、中学に入ったころから音大の受験勉強を始める。
いつも反対ばかりの両親は、世間体が良いと言う理由から、M 子さんに芸大卒の優秀な先生をつけた。
M 子さんは毎日、練習に没頭した。
家は自営業だったので、大学は学費があまりかからない国立の受験を希望していた。
それには、ピアノのほかに、専門分野の先生につく必要があり、高校生になったらレッスンを始める約束をしていた。

ところが受験の準備と言う時になりお父さんは、
「才能があれば、国立だろうがなんだろうが、先生になんてつかなくても合格できる!」と。
レッスン代は出してもらえず、 M 子さんは、勉強を中止せざるを得なかった。
それは、大学受験はできず、音楽家になる夢はかなわないと言うことだった。
唯一の夢だった。
頭の中が真っ白になって、何かがガラガラと壊れた。
だからと言って、進路の代替案があったわけではない。
一人で道端に放り出された気持ちになった。
M 子さんは、学校へ行くのがおっくうになった。
かよっていた学校は、家計に負担をかけないよう、レベルを 3 段階下げて、絶対に落ちない公立高校を選んだ。
大学進学の夢が断たれた今、行く理由が消えたも同然である。
学校へは行かず、アルバイト先と友達の家を、行ったり来たりするようになった。
不良になるほど勇気はなく、家に帰っても味方も居場所もなかったから、帰りたくなかった。
そんなある日、友達の家でたむろしていると、同級生が怒鳴り込んできた。
両親を心配させて、何をやっているのかと。
両親は、この同級生に娘を説得して家に連れて帰るよう頼んだようだ。
その場の空気が凍り、M 子さんは帰るしかなかった。
家に帰っても、進路の話があるワケもなく。
両親は M 子さんが絶望したことなど、気にも留めていなかった。
お父さんは家出した M 子さんの姿を見ると逆上し、殴りかかってきた。
「てめーブッ殺されたいか!」
M 子さんは応戦した。
約束など一度も守られたことがない。
子供の気持ちなど 「くだらない」 と聞いてもらったためしがない。
この両親のもとで幸せだと思ったことも一度もない。
牢獄の中で、生き地獄を味わってきたような生活で、唯一の安らぎが音楽だった。
いつになったら解放される?
解放されないのなら、死んだってかまわない。
「くそっこの野郎!てめえこそ死んでしまえーーー!!!」
M 子さんは、殺されても良いと思った。
どうやって、この取っ組み合いが終結したか覚えていない。
それから少したったある日、、
両親が目の前で、黙って取っ組み合いのけんかをしている異様な光景を目にした。
お母さんは、お父さんに立ち向かっていき、お父さんに突き飛ばされ、殴られる。
何度も立ち上がり、立ち向かっては突き飛ばされる。
しまいにお父さんは、どこかに行ってしまう。
お母さんは、おいおいと泣き崩れ M 子さんに向かってこう言った。
「あんたのせいで、お父さんと一年以上も他人なんだから!」
高校生にもなれば、夫婦が一年以上も他人と言われて、どういうことなのか理解できないわけはないのだが、M 子さんはげんなりした。
お母さんは、お父さんにせがんで拒否され、それを M 子さんのせいにして M 子さんの前で泣いたのだ。
夫婦不仲なのは M 子さんが悪いのか?
M 子さんが従順に両親の命令を聞いていれば、両親には夫婦生活が成立し、母親は満足なのか?
娘が将来に絶望していたとしてもか?
M 子さんは辟易としてつぶやいた。
「この女、母親失格だ」
M 子さんがどうして音楽に没頭したか、それは現実生活があまりに悲惨だったからである。
いつもお腹が空いて、いつも寒くて、笑いのない生活だった。
怒鳴り声と、泣き声と、暴力と、ゴミにまみれた生活から逃げ出したいと何度思ったことか。
無力な子供に逃げ場はなかった。
逃げきれず連れ戻されたら、父親から殴られ、母親は夫婦生活の愚痴をこぼして泣いている。
子供を抱き寄せもしない、この家は親が機能していない。
貧困だから虐待が起きるのか、虐待をする両親に貧困がついてくるのか、にわとりと卵のようなものだ。
子供は衣食住ままならないことが多く、将来一人で生きていくための力をつけるチャンスを失うことも多い。
しかし、驚くことに虐待にあった子供の多くは、自分の不幸の原因は、自分に落ち度があったからだと思っている。
そして、その亡霊のような罪悪感によって、明るい人生を送ることができないのである。
M 子さんのその後は、亡霊が付きまとうような人生展開となり、それが虐待によるものであったことを知ることとなる。
何年も治療にかよい、気持ちが少し上に向いてきた。
そして、自分に落ち度がないことを、何度もカウンセラーから教えられた M 子さんは、信じられない気持ちだったと言うが、徐々にその事実をかみしめられるようになってきた。
M 子さん、あなたは何も悪くない。
今まで十分我慢してきた。
もう我慢しなくて良いんです。
自分が望むように生きて良いんです。