パンツのゴム
非常にくだらない話だが、書かずにはいられないので書く。
最近のパンツはゴムが一体型になっていて、交換が出来ない。
おかげで私はゴムがダルダルのパンツを履き続けなくてはならなくなっている。
誰が一体こんな仕様にしたのか、ゴムを交換できない仕様に。
これが効率化と言うやつか、デフレと言うやつか、資本主義の末路か、
子供の頃見せられた、あの輝かしい21世紀はどこに行ったのだ!!
パンツのゴム如き交換できないように成るなど、これを進化と言って良いのか、
こんなパンツ、あんまりだ!!!
今すぐ全てのパンツのゴムが簡単に交換できるように社会構造から変革しなくては、
人類のパンツに未来は無い。
やばい・・・くだらなすぎる・・・まあ、いいか。
未来の自分、ごめんなさい。書きたい事が山ほどあるから。
書きたい事は山ほどある。
でも、それをここで書くべきかが最大の悩みだ。
確かに、書きたい事を書きたい時に書きたいだけ書く、とは以前のブログで書いたが、本当に何の抑制も無く書いてしまったら、おそらく結構面倒な事になると思われる。
確かに書きたい事は沢山ある。
でも、全てを書く事は躊躇される。
その一番の理由が、「これがブログである」と言う事だ。
つまり、不特定多数が見る物であり、私の鍵の掛かった日記ではない。
「いくら自由に書こうと決めたとは言え、本当に書くべき事なのだろうか。」常にそんな疑問が頭をよぎる。
確かに、このブログのアクセス数はほんの一桁しかないし、何を書こうとも、そんな事誰も気にも留めて居ないとは思うのだが、それでも、私の中の臆病な良心が、「そんな事、書いちゃダメだよ」と止めに入る。
なにも他人を誹謗中傷したいわけではない。
基本的に私は他人を、好きになるか、全く関心が無いか、のどちらかだ。
滅多な事では嫌いはならない。
それは単に、嫌いになりそうな人がいたら、その人に近づかない、ただそれだけなのだが。
ともかく私は人を嫌いになる事はあまり無く、従って、他人に誹謗中傷を吐くと言う気持ちになる事は殆ど無い。
では、何を書いてはまずいのか、それは、愚痴であり、悩みであり、問題である。
こんな物をこんな所で書いた所で、何の解決にもならない気がするし、第一、そんな物を見せられた人はたまったものではないだろう。
そう考えると、ここで過度に悩み事などを綴るのはどうしても気が引ける。
「チラシの裏にでも書いておけ」そんな言葉が聞こえそうで、書きたくても書くことは出来ないのが現状だ。
この文章自体、その悩み事の一つなのだが、この悩みは、ブログそのものに直結する悩みだし、解決できるかもしれない悩みなので、こうやって書きながら思考を整理して、何とか解決方法を探りたいと言う気持ちで書いている。
そしてもう一つ、ブログに関して言えば、かなり重大な悩みと言うか疑問のような物が沸いてきた。
他人の評判を全く気にしない人間などいない。
もちろん私もそうで、だから、アクセス解析などを覗いたりもする。
その解析結果を見ると、殆どのブログ記事が、見事にアクセス数一桁だ。
2桁いった記事は3つほどあるが、全てが今話題の人やモノに関する記事だった。
そして、私自身に関する記事など、はっきり言ってアクセスは全く無い。
そこで考えた。
「誰も見ないのなら、そもそもブログとして書く意味などあるのだろうか」
確かに0ではない。
でも、だからと言って、見たくて見ている人ばかりでは無く、大抵の人は検索などを頼ってきているはずだ。
その結果私の記事に当り、そして読んでくれている事だと思うのだが、もし良い記事だとしたら、より多くのアクセスが集まるはずで、アクセス数が少ないのは、つまり私の記事がつまらない事を意味している。
そしてその上、その様な、つまらない、アクセスの無い記事をこれまで以上に書こうかどうか悩んでいる。
単にアクセスが無いだけならまだ良いのだが、ヘタな事を書き散らかしてしまうと、私の人格そのものが疑われる事になる。
もちろん、私は無名な人間だし、世間からの注目を集めている訳でも無い。
でも、最低限の羞恥心のようなものが、私の筆を鈍らせる。
このブログ記事も、いずれgooleが巨大なサーバ内にキャッシュとして溜め込み、世界中の人間が閲覧できるようになる。
その時一番困るのが、未来の私だ。
例えば「あいつ、過去にこんな事書いていやがったぜ」みたいな事になるのをどこかで恐れている。
ネットに一度上がったデータはなかなか消せるものではない。
だから、後々後悔するようなものを、その可能性のあるものを、簡単にあげてしまって良いものか、それが一番の悩みだ。
この場合には、いつくかの解決方法がある。
1、当たり障りの無い事だけを描き続ける
2、何もかも書きまくる
3、ブログをやめて、一生、PCの中の自分だけの日記帳に書き込む
この3つ以外に選択肢は無い。
3は個人的には一番いやだ。そんな日記帳書いても書かなくても同じことだ。ならば書かずに他の事をしたい。
1はしんどい。せっかく何でも書ける自由な空間なのに、そこでなお「いいこちゃん」を演じなくてはならないなんて、悲しすぎる。
となると、選択できるのは、2である。
そう決めた場合、どのような問題があり、どう対処すれば良いかを考えておく必要はある。
その前にまず、問題を起こさない書き方を考えよう。
まず「他人を誹謗中傷しない」、これは私にとっては簡単だ。
つぎに、つぎに・・・、うむ、考えてみれば、問題を起こす事なんてそんなに無い気がして来た。
例え私がアホな事を延々と書き綴ったからといって、それで誰かが傷ついたりしないのであれば、そもそも問題になどならない。
将来の自分を傷つける事にはなるかもしれないが、それはそれでしょうがない。
将来の自分へは、私から謝っておくので、今の自分は将来の自分の事など気にせずに、書きたい事を書けば良い。
つまり、今回の問題は、「未来の自分への謝罪」これで万事解決だ。
------------------------------
未来の自分へ
将来、自分が恥ずかしい思いをするかもしれない、困った事に成るかもしれない。
でも許してくれ、未来の自分よ。
今の君があるのは、こんな訳のわからない、困ったブログ記事を書き続けずにはいられない、そんな過去の自分があったからなのだ。
罵ってくれても構わない、軽蔑してくれても構わない、今の私は今の私に記事を書かせることを止める事は出来なかったのだから。
でも同時に許して欲しい、未来の君がそこに居るのは、過去の自分が今ここに居たからこそなのだから。
私のブログ記事で何か大切なものを失うかもしれない。それも許してほしい。
でも大丈夫だ。未来の君が手にしていたそれは、全部過去には無かったものなのだから。
また作ればいい、一度出来たのだから、また出来るはずだ。
------------------------------
よし、これでいい。
未来の自分がこれで納得してくれるかどうかは疑問だが、今の私が書ける精一杯の文章だ。
と言うことで、未来の自分に対する問題は解決した。
あとは、読んでくださっている皆様への謝罪をしよう
////////////////////////////////////////
読んでくださっているあなたへ
人生は短いものです。
その人生の貴重な時間を、このようなくだらない文章を読ませるのに費やしてしまった事を、心からお詫び申し上げます。
おそらく、検索エンジンや、ブログタイトルを見てこのブログまでお越し頂いた事でしょう。
そして、訳の分からない文章を延々と読まされて、さぞや気分を害され事と思います。
その点はお詫びのしようも御座いません。
ただ、一つだけ言わせていただく事をお許しいただけるのならば、こう言わさせていただきます。
「書かずにはいられないのです」
私の身勝手な欲望に、あなた様の貴重な人生の瞬間を割いて頂きましたことを、感謝と共に、心よりお詫びをいたします。
そして、もし、もし少しでもお許しいただき、または「いいよ、もっと書きなよ」と言って頂けるのでしたら、
これ以上の幸せは御座いません。
今はただ、そんな奇跡がある事を信じたいと思います。
いずれにしろ書くことは止められないのですから。
////////////////////////////////////////
なんだかよく分からないブログ記事になってしまった。
しかし、書くにも書かないにも理由が必要で、その理由を見つける為の今回のブログなので、これでよかったと思う。
謝ってしまえば、あとは自由に書くことが出来る。
未来の自分、読者の皆様、どうか、へんてこな記事・面白くもなんとも無い記事を書いてしまうことをお許し下さい。
・・・・
何だか謝ってばかりで、ダメダメな記事だな。
でも、それでも良いや。
ダメダメな人間が書いている記事なのだから。
我が人生の敗因は「楳図かずお」に出会えなかった事にあるのではあるまいか!!
タイトル通りである。
さきほど、しょこたんブログを読んだ。
内容は直接読んで確かめて欲しいが、大雑把に書けば、しょこたんが楳図かずおに出会って人生が変わった事が、本当に魂の底から溢れる喜びと共に書き綴られていた。
一言で言えば、羨ましい。
私も十代の頃に楳図かずおに出会っていれば、ひょっとしたら人生が変わっていたかもしれない。
楳図かずお本人でなくとも、それに匹敵する偉大な人物に出会う事ができていれば、もう少しマシな人生になっていたかもしれない。
そう考えると残念でならないし、心の底からしょこたんを羨ましいと感じた。
やはり、成功する人間には、それなりの出会いと言うものがあるようだ。
これは単なる運なのか、それとも何か運命のような物なのか。
それは私には分からない。
しかし、例え、大好きな憧れの存在がいたとしても、その人に会い、そして共に仕事をするなどと言う幸運を、しかもそれを10代の頃に体験できてしまうと言うような奇跡的な出来事が、果たしてそう簡単に起こり得るだろうか。
しょこたんも公言しているように、しょこたん自信は相当なネガティブ人間だ。
つまり、ポジティブに考えれば上手く行くとか、ネガティブに考えてはダメだとか、そんな小手先の精神論では説明の付かない、なにかとてつもない力を持ち合わせているとしか、考えられないのだ。
普段私は、それほど他人を羨ましく思う事は無い。
でも今は違う、しょこたんが羨ましい、ただひたすらに羨ましい。
では、どうすれば良いのだろうか。
CDでも買い集めれば良いのか、それとも写真集も全部買えば良いのか。
いや、そんな事では変わらない気がする。
何かもっと、根本的な点に問題があるような気がしてならない。
それを考えると、今夜は眠れそうも無い。
だから寝ないで、少し考えてみる事にしよう。
・・・・
「ついている人間は、周りの人間にもツキを与える」
などと言う事を聞いた事がある。
「勝ち馬に乗れ」とか、「時代の流れ」とか、色々な言われ方はあるが、幸運が得たければ、それを持っている人間に分けてもらうのが一番良いらしい。
そんな何の根拠も無い、迷信じみたことを考えるのもどうかとも思ったが、ふとこんな事を思い出した。
松下電器の創業者、松下幸之助が、塾を開き、その門下生を募集した際に、入門希望者にこう尋ねたという「あなたは幸運ですか」。
もしかしたら、幸運と言うのは、単なる偶然では無く、なにかもっと違う力が働いているのかもしれない。
そして松下幸之助はそれを知っていて、自分の門下生候補に幸運かどうかを尋ねたのかもしれない。
しかし、怪しげな宗教やオカルトの力を借りずして、どうやれば幸運がやってくるのだろうか。
気の持ちようでは変わらない事はしょこたんが証明済みだ。
怪しいオカルトグッズに効果があるのならば、皆とっくに大成功を収めているはずだ。
いまだかつて、幸運を呼びこむ事が客観的に証明された宗教は一つも無い。
ならば、何が必要なのだろうか。
しょこたんを振り返ると、彼女は確かにネガティブでいじめられていたり、いろいろ陰鬱な10代をすごしていたらしい。
でも、彼女には他の人と違っているモノを持っていた。
容姿だ
容姿さえ良ければ、グラビアアイドルとして10代の頃ならば何とかやっていける。
そして、そこで偶然にも、敬愛する心の師に直接会うチャンスが巡って来た。
そしてこれがきっかけで、しょこたんは人生が変わった。
その時出会わなければ、10代でそのままアイドルを辞めていたかもしれないと言う。
この出会いが、全てを変えた。
10代で辞めて、惨めな人生を送るかもしれなかった少女を、ただのグラビアアイドルでは到達できないほどの地位や名声を得るに至らせたのだ。
ここで一つ気が付いた事がある。
それは、その仕事、つまり「楳図かずおとの仕事」は、どんなきっかけで実現したのだろうか。
そこにこの一連の出来事を解く鍵があるように思える。
単に偶然だったのか、それともしょこたんが普段から楳図かずおが好きな事を周囲に言っていたために、「それなら仕事を組んでやろう」という話になったのか。
もし、後者ならば、ここに重要なヒントが有る気がする。
それは 「言う」 と言う事だ。
普段から「楳図かずお」が大好きで仕方が無いと周囲に言い続け、それがやがては人々を動かし、出会いをもたらす事になった。
もちろんいくつもの偶然があった事は否定出来ない。
しょこたんの生まれながらの容姿、これはとびきり大きな幸運の一つと言っても良い。
しかし、単にグラビアアイドルならば世の中に山ほどいる。
その中で、単なるグラビアアイドル以上の存在になったのはこの「好きなものを好きと言う」、ここに原因があるのではないだろうか。
「好きだけど恥ずかしいから言わない」では、一生その思いは誰にも届かない。
恥ずかしくても、変わり者だといわれても、好きなものは好きだと、声を大にして言い続ける事、これこそが、しょこたんに訪れた幸運を呼び込んだ最大の原因ではなかろうか。
何だかスッキリした。
ありがとうしょこたん。
この事実、幸運をもたらす秘訣の一つを発見するに至ったのは、紛れもなくしょこたんのおかげである。
そして言おう、声を大にして
しょこたん、大好きだ!!
さきほど、しょこたんブログを読んだ。
内容は直接読んで確かめて欲しいが、大雑把に書けば、しょこたんが楳図かずおに出会って人生が変わった事が、本当に魂の底から溢れる喜びと共に書き綴られていた。
一言で言えば、羨ましい。
私も十代の頃に楳図かずおに出会っていれば、ひょっとしたら人生が変わっていたかもしれない。
楳図かずお本人でなくとも、それに匹敵する偉大な人物に出会う事ができていれば、もう少しマシな人生になっていたかもしれない。
そう考えると残念でならないし、心の底からしょこたんを羨ましいと感じた。
やはり、成功する人間には、それなりの出会いと言うものがあるようだ。
これは単なる運なのか、それとも何か運命のような物なのか。
それは私には分からない。
しかし、例え、大好きな憧れの存在がいたとしても、その人に会い、そして共に仕事をするなどと言う幸運を、しかもそれを10代の頃に体験できてしまうと言うような奇跡的な出来事が、果たしてそう簡単に起こり得るだろうか。
しょこたんも公言しているように、しょこたん自信は相当なネガティブ人間だ。
つまり、ポジティブに考えれば上手く行くとか、ネガティブに考えてはダメだとか、そんな小手先の精神論では説明の付かない、なにかとてつもない力を持ち合わせているとしか、考えられないのだ。
普段私は、それほど他人を羨ましく思う事は無い。
でも今は違う、しょこたんが羨ましい、ただひたすらに羨ましい。
では、どうすれば良いのだろうか。
CDでも買い集めれば良いのか、それとも写真集も全部買えば良いのか。
いや、そんな事では変わらない気がする。
何かもっと、根本的な点に問題があるような気がしてならない。
それを考えると、今夜は眠れそうも無い。
だから寝ないで、少し考えてみる事にしよう。
・・・・
「ついている人間は、周りの人間にもツキを与える」
などと言う事を聞いた事がある。
「勝ち馬に乗れ」とか、「時代の流れ」とか、色々な言われ方はあるが、幸運が得たければ、それを持っている人間に分けてもらうのが一番良いらしい。
そんな何の根拠も無い、迷信じみたことを考えるのもどうかとも思ったが、ふとこんな事を思い出した。
松下電器の創業者、松下幸之助が、塾を開き、その門下生を募集した際に、入門希望者にこう尋ねたという「あなたは幸運ですか」。
もしかしたら、幸運と言うのは、単なる偶然では無く、なにかもっと違う力が働いているのかもしれない。
そして松下幸之助はそれを知っていて、自分の門下生候補に幸運かどうかを尋ねたのかもしれない。
しかし、怪しげな宗教やオカルトの力を借りずして、どうやれば幸運がやってくるのだろうか。
気の持ちようでは変わらない事はしょこたんが証明済みだ。
怪しいオカルトグッズに効果があるのならば、皆とっくに大成功を収めているはずだ。
いまだかつて、幸運を呼びこむ事が客観的に証明された宗教は一つも無い。
ならば、何が必要なのだろうか。
しょこたんを振り返ると、彼女は確かにネガティブでいじめられていたり、いろいろ陰鬱な10代をすごしていたらしい。
でも、彼女には他の人と違っているモノを持っていた。
容姿だ
容姿さえ良ければ、グラビアアイドルとして10代の頃ならば何とかやっていける。
そして、そこで偶然にも、敬愛する心の師に直接会うチャンスが巡って来た。
そしてこれがきっかけで、しょこたんは人生が変わった。
その時出会わなければ、10代でそのままアイドルを辞めていたかもしれないと言う。
この出会いが、全てを変えた。
10代で辞めて、惨めな人生を送るかもしれなかった少女を、ただのグラビアアイドルでは到達できないほどの地位や名声を得るに至らせたのだ。
ここで一つ気が付いた事がある。
それは、その仕事、つまり「楳図かずおとの仕事」は、どんなきっかけで実現したのだろうか。
そこにこの一連の出来事を解く鍵があるように思える。
単に偶然だったのか、それともしょこたんが普段から楳図かずおが好きな事を周囲に言っていたために、「それなら仕事を組んでやろう」という話になったのか。
もし、後者ならば、ここに重要なヒントが有る気がする。
それは 「言う」 と言う事だ。
普段から「楳図かずお」が大好きで仕方が無いと周囲に言い続け、それがやがては人々を動かし、出会いをもたらす事になった。
もちろんいくつもの偶然があった事は否定出来ない。
しょこたんの生まれながらの容姿、これはとびきり大きな幸運の一つと言っても良い。
しかし、単にグラビアアイドルならば世の中に山ほどいる。
その中で、単なるグラビアアイドル以上の存在になったのはこの「好きなものを好きと言う」、ここに原因があるのではないだろうか。
「好きだけど恥ずかしいから言わない」では、一生その思いは誰にも届かない。
恥ずかしくても、変わり者だといわれても、好きなものは好きだと、声を大にして言い続ける事、これこそが、しょこたんに訪れた幸運を呼び込んだ最大の原因ではなかろうか。
何だかスッキリした。
ありがとうしょこたん。
この事実、幸運をもたらす秘訣の一つを発見するに至ったのは、紛れもなくしょこたんのおかげである。
そして言おう、声を大にして
しょこたん、大好きだ!!
ポケモンで遊ぼう。第2回
前回のお話はこちらを御覧下さい
ポケモンで遊ぼう。 第1回
よーし、今日もポケモンで遊ぼう。
前回は、仲間を集めて冒険にしゅっぱつだー、と言ったところでおわったんだったね。
よし、まずはみんなのステータスを確認してみよう
ピカチュウだ。
まだレベル1だけど、どんどん強くしていくぞ。
よーし次は・・・
いいこスライミーだ。
いいこスライミーについては前回のブログを見てね。
ハンカチとティッシュをちゃんと持って歩くなんて、とってもいいこだね。
次は・・・
おお、ケルディオだ。
みずタイプなんだ。よく分からないけど、水でも出せるのかなぁ。
親はしょこたんなんだよね、どうりでかわいいわけだ。
おや、もう一体いるぞ・・・
ええっ、しょこたんって、ポケモンだったのか!!
必殺技はバッカルコーンなのね。ほーっ、なかなか期待出来そうなポケモンだね。
しょこたん「ちなみに、普通のキャラクターとしてもいっしょに冒険するお」
なるほどなるほど、何でもやってくれるんだね、それは心強い。改めてよろしくね。
まあ、ここら辺は自分で作るゲームだから好き勝手に設定を作れるのだ。
それにしても顔はもう少しデフォルメした方がいいかもしれないね。
よーし、一通りステータスを確かめたから、いよいよ本格的に旅に出発だ!!
え、他のステータスはだって?、まあそれは追々と言うことで。
まずは近所でレベルアップをしよう。
それとも、街とかで対戦相手を見つけて戦ってみるかな。
そういえば、ポケモンの捕まえ方とかって習っていなかったけど、まあ、天性の勘で捕まえられたって事にしておけばいいや。
それよりも、どう進むかな。
本家と全く一緒じゃつまらないし、第一ストーリーがよく分からない。
こうなったら、完全想像のポケットモンスターにしてしまおう。そうしよう。
よーし、とりあえずライバルたちに戦いを挑むぞ。
おわっ、いきなりグレイ!!、普通こう言うやつはもっと後半にボス的な存在として出てくるんじゃないのかな。
まあいいや、とにかく戦おう。
グレイ「ヨロシクネ」
こちらこそ、よろしくお願いしますよ。超能力とかは無しでね。
相手はどんなポケモンで来るのかな?
グレイ「そーれ」
おおっ、コイツは幻の生物フライティッシュしゃないか。
なるほど、こいつはグレイの持つポケモンだったんだな。
よーし、こうなったら世界初、フライフィッシュを捕獲した人間になってやるぞ。
よーし、まずはピカチュウ、びりびりにしてやれっ!!
ぴーかーーちゅぅーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
よーし、いいぞこうかばつぐんだ!!
よーし、よくやったぞピカチュウ!!
「ぴかー」
おお、フライフィッシュが引っ込んで次に出てきたのは・・・
ヨツアシカセイジン?なんじゃそりゃ、宇宙ネタ大好きな私でもこんなやつ見た事無いぞ。
あ、ポケモンなんだから別に実在してなくてもいいのか。
さっきからグレイだのフライフィシュだのを見ていたから、てっきりそういう系のゲームだと思ってしまったよ。
まあ、私の趣味が大いに反映されるだろうから、UFO・ UMA ・心霊・超常が大好物の私の作るポケモンもそっち方面が多数登場するのは目に見えいるけどね。
よーし、それじゃあこっちはいいこスライミーにがんばってもらおうかな。
スライミー、体当たりだ!!
みーみー
んん!全然効いていないみたいだぞ。
やっぱりスイらミーはいいこだから攻撃は苦手なのかもしれないね。
おおおおおおおおおおおおおおっ、そんな事より、別のブログ記事 我が人生の敗因は「楳図かずお」に出会えなかった事にあるのではあるまいか!! を書き終った所だけど、何だか心に掛かったモヤが晴れた気分だ!!
よーし、この調子でどんどん行くぞ!!
えーと、どこまで進んだっけ、そうそう、スライミーが体当たりした所からだったな。
それで、全然効果がなかった、と言うところか。
よーし、次は・・・・ここは彼女しかあるまい、いけーーっ!!しょこたんっ!!
おおっ!!ばっかるこーんキターーー(゜∀゜)ーーーー!!!!!
こうかばつぐだ!!
よーし、やっつけたぞ!!
グレイ「マタクルヨー」
おお、自分の星に帰って行くぞ。
また来てね。
よーし、これでまたレベルが上がったぞ。
よーし、この調子でどんどんいこう!!
今日の絵
今日描いた絵です
斜め下の方向にあるもの
ご自由にモフモフして下さい
近所の猫たちにゃ
猫の額に鈴虫にゃ
スイカは最高にゃ
豚さんのお耳、美味しいにゃあ
他の絵は私のサイトにも貼り付けてあります。
よろしかったら御覧下さい。
絵のコーナー
斜め下の方向にあるもの
ご自由にモフモフして下さい
近所の猫たちにゃ
猫の額に鈴虫にゃ
スイカは最高にゃ
豚さんのお耳、美味しいにゃあ
他の絵は私のサイトにも貼り付けてあります。
よろしかったら御覧下さい。
絵のコーナー
ねこねこねこねこねこだらけ
昔住んでいた家は、アパートの一階で、小さな庭がついていた。
その庭には、沢山の猫たちが通って来ていた。
そして、その猫たちを家に上げては食べ物をあげたり、お風呂に入れたり、一緒に眠ったりしていた。
トラ キジトラ。♀。しっかり者で優しい。(もふもふもふもふ)
バブルス 黒猫。♂。トラの子。大人しくて人懐っこくてやさしい。(もふもふもふもふもふもふもふ)
プー 三毛猫。♀。トラの子。小柄でしっかりもの。(もふもふもふもふ)
子プーたち 主に茶色い猫。性別不明。プーの子。(もふもふもふもふ)
クロ 黒猫。♂。昔からその家の周囲を住処にしていた猫。もしかしたらバブルスの父親?(もふもふもふもふ)
デブ猫 白と茶のまだら猫。♂。周辺のボス猫的存在。我が家に居たウサギを追い掛け回す暴れん坊。(フーッ)
子子プー 子プーの子ども。(もふもふもふもふ)
と言うような感じで、他にも色々な猫が、山ほど我が家に遊びに来たり住み着いたりしていた。
そんな訳で、猫が居る事が当たり前の生活が続いていた。
ある日私が深夜に自販機にジュースを買いに行くと、背後に気配を感じる、トラだった。
そして私がジュースを買って家に帰るまで、ずっと付いて来ていた。
こんな暗がりできちんと私を認識できるなんて、さすが猫は目がいいな、と感心したものだ。
時が経ち、猫たちも入れ替わる。
毎日何度も通って来ていたトラが徐々に姿を見せなくなった。
どうしたのかと心配していると、ある夜、玄関の前で弱々しい鳴き声が聞こえる。トラだ。小刻みに震えている。
ドアを開け、すぐにトラを家に上げようとすると、トラは家には入らずに、私の顔を見上げると、そのまま夜の闇へと消えていった。
トラを見たのはそれが最後だった。
それからも猫たちは、ずっと私の家に遊びに来ていた。
中でも私のお気に入りは黒猫のバブルスだった。
オス猫だが大人しく人懐っこくて優しい。
いつも家に上げてはモフモフしていた。
殆ど我が家の飼い猫同然だった。一日の大半を私の部屋で過ごしていた。
そんなバブルスも、ある日を境にぱったりと姿を見せなくなった。
バブルスがどうなったのか、今でも分らない。
家猫ならば20年以上生きるといわれている。
私の親戚の家にも25年くらい生きている猫が居る。(今でも生きているかは不明だが)
だから、バブルスもどこかの家で大切に飼われていれば、まだ生きているかもしれない。(だとすれば相当な化け猫だけど)
そんな訳で、私は子供の頃から猫と一緒に生活していたので、猫が大好きだ。
残念ながら今は猫はいないが、機会があれば絶対に飼うと決めている。
猫はいい。存在そのものが、何もかもが全部いい。
猫は生きる奇跡だ。
猫嫌いの人がいるのは知っている。嫌うのは仕方無いが、憎まないで欲しい。猫はただそこでもふもふと生きているだけなのだから。
そして一言、 「猫好きに幸あれ!」
あー、猫モフモフ。
このぶろぐにはしょこたんがよく出てくる。
それは私が猫好きなのとも無関係では無い。
しょこたんはただ可愛いだけでは無く、色々といい。そして大の猫好きだ、そこにやられてしまった。
今後もしょこたんの事が端々に出てくるかもしれないが、どうかあなたの優しい心の手で、そっと私をモフモフしながら眺めていて欲しい。
我ながらへんてこな〆だな。まあ、いいや。
その庭には、沢山の猫たちが通って来ていた。
そして、その猫たちを家に上げては食べ物をあげたり、お風呂に入れたり、一緒に眠ったりしていた。
トラ キジトラ。♀。しっかり者で優しい。(もふもふもふもふ)
バブルス 黒猫。♂。トラの子。大人しくて人懐っこくてやさしい。(もふもふもふもふもふもふもふ)
プー 三毛猫。♀。トラの子。小柄でしっかりもの。(もふもふもふもふ)
子プーたち 主に茶色い猫。性別不明。プーの子。(もふもふもふもふ)
クロ 黒猫。♂。昔からその家の周囲を住処にしていた猫。もしかしたらバブルスの父親?(もふもふもふもふ)
デブ猫 白と茶のまだら猫。♂。周辺のボス猫的存在。我が家に居たウサギを追い掛け回す暴れん坊。(フーッ)
子子プー 子プーの子ども。(もふもふもふもふ)
と言うような感じで、他にも色々な猫が、山ほど我が家に遊びに来たり住み着いたりしていた。
そんな訳で、猫が居る事が当たり前の生活が続いていた。
ある日私が深夜に自販機にジュースを買いに行くと、背後に気配を感じる、トラだった。
そして私がジュースを買って家に帰るまで、ずっと付いて来ていた。
こんな暗がりできちんと私を認識できるなんて、さすが猫は目がいいな、と感心したものだ。
時が経ち、猫たちも入れ替わる。
毎日何度も通って来ていたトラが徐々に姿を見せなくなった。
どうしたのかと心配していると、ある夜、玄関の前で弱々しい鳴き声が聞こえる。トラだ。小刻みに震えている。
ドアを開け、すぐにトラを家に上げようとすると、トラは家には入らずに、私の顔を見上げると、そのまま夜の闇へと消えていった。
トラを見たのはそれが最後だった。
それからも猫たちは、ずっと私の家に遊びに来ていた。
中でも私のお気に入りは黒猫のバブルスだった。
オス猫だが大人しく人懐っこくて優しい。
いつも家に上げてはモフモフしていた。
殆ど我が家の飼い猫同然だった。一日の大半を私の部屋で過ごしていた。
そんなバブルスも、ある日を境にぱったりと姿を見せなくなった。
バブルスがどうなったのか、今でも分らない。
家猫ならば20年以上生きるといわれている。
私の親戚の家にも25年くらい生きている猫が居る。(今でも生きているかは不明だが)
だから、バブルスもどこかの家で大切に飼われていれば、まだ生きているかもしれない。(だとすれば相当な化け猫だけど)
そんな訳で、私は子供の頃から猫と一緒に生活していたので、猫が大好きだ。
残念ながら今は猫はいないが、機会があれば絶対に飼うと決めている。
猫はいい。存在そのものが、何もかもが全部いい。
猫は生きる奇跡だ。
猫嫌いの人がいるのは知っている。嫌うのは仕方無いが、憎まないで欲しい。猫はただそこでもふもふと生きているだけなのだから。
そして一言、 「猫好きに幸あれ!」
あー、猫モフモフ。
このぶろぐにはしょこたんがよく出てくる。
それは私が猫好きなのとも無関係では無い。
しょこたんはただ可愛いだけでは無く、色々といい。そして大の猫好きだ、そこにやられてしまった。
今後もしょこたんの事が端々に出てくるかもしれないが、どうかあなたの優しい心の手で、そっと私をモフモフしながら眺めていて欲しい。
我ながらへんてこな〆だな。まあ、いいや。
奇跡は常に起きている
自分はついてない、そう考える事もよくある。
しかし、奇跡はいつでも起きている。
地球に生命が誕生した事も奇跡だし、そして自分が今ここに存在する事も奇跡そのものだ。
私も医者に「今夜が山です」といわれた事があるが、今でもこうして生きている。
そして、何よりの奇跡は、私の書く何だか訳の分からないこんなブログを あなたが見てくれている、これこそが最大の奇跡だ。
今日も奇跡をありがとう。
しかし、奇跡はいつでも起きている。
地球に生命が誕生した事も奇跡だし、そして自分が今ここに存在する事も奇跡そのものだ。
私も医者に「今夜が山です」といわれた事があるが、今でもこうして生きている。
そして、何よりの奇跡は、私の書く何だか訳の分からないこんなブログを あなたが見てくれている、これこそが最大の奇跡だ。
今日も奇跡をありがとう。
根拠の無い自信ってなに?
自信を持つのは難しい。
人は言う、「根拠の無い自信でも良いから、とりあえず自信を持て」と。
その根拠の無い自信に実力を合わせるように努力すれば良い、という訳だが、確かに一理ある。
しかし、自信と言う物は実績によって生まれる物であり、実績の無い自信には実感が無いので、心の支えにはならない。
また、根拠の無い自信は、根拠の無い過信を招き、努力する心の妨げとなってしまう場合がある。
偽物の自信が過信を招いた結果、努力する心を奪い、本物の自信をつける事を妨害してしまう。
すると、いつまでも偽物の自信だけが心の中を覆い尽くして、いつまでたっても何も成し遂げる事は出来ない人間になってしまう。
そこで私は根拠の無い自信に代わる物として
「我々は予言者ではない」
という言葉を選んでみた。
つまり「どうせ何をしてもダメだ」「もう手遅れだ」「私にはそんな力は無い」・・・
そう言う努力を妨げようとする考えが浮かんだ時、己の心に問いかける。
「ちょっとまて、予言者じゃあるまいし、なんで未来の事が分かるんだ?」
我々は予言者ではない。
未来の事などここれっぽっちも分かりはしない。
自分の予測が、しかもネガティブな予測はよく当ると感じる場合、大抵そのネガティブな予測に実体を合わせようと無意識のうちに行動を取ってしまっているものだ。
それは予測が当ったのではなく、予測に合わせただけに過ぎない。
そして、自分で行動した結果、予測が当ったかのように見えているだけなのに、「自分の予測は当った」「私のネガティブな予測はよく当る」
などと、あたかも自分が予測する事が全て的中するといったような感覚、何やらオカルトチックな感覚が、身についてしまう。
本当は自分が予測に合わせて行動しているだけなのに。
我々は予言者ではない。未来の事なんてちっとも分かりはしないのだ。
そして、未来を生み出すのは現在の行動であり、決して分からない未来を少しでも自分の理想に近づける為に、その為に努力をするのだ。
根拠の無い自信を満たすために努力をするのはしんどい。
でも、誰にも分からない未来を、少しでも自分の理想の未来にする為に努力するのだと考えれば、幾らか気持ちが楽になる。
やってみなくちゃわからない。
ちなみに、私も「ネガティブ予言者レベル90」くらいであり、大預言者にして大魔法使いである。
その点はあらかじめ断っておきたい。
でも、幸か不幸か「根拠の無い自信」があまり持てない。
何故この記事を書こうと思ったのかと言うと、昔から「自信を持て自信を持て、根拠が無くても良いから自信を持て」と言われて来ていて、それに対しての違和感がどうしても解消できなかったので、それを文章にしてまとめてみたくなったから、だから書いてみたと言う訳だ。
書く事で自分の中での考えがまとまるし、何よりも自分自身に言い聞かせる事ができる。
この記事はなにも成功者が偉そうに説教を垂れている訳でも自説を押し付けようとしているわけでも無く、単純に、何の取り得も無い頭のおかしなそこら辺の一地球人が、自分に向かって言って聞かせる為に書いているので、これを見ても、怒ったりせずに、ほんわかと暖かい目で見守ってくださると大変あり難い。
・・・
面倒くさい話を書くと、その反動としてどうでも良いことが書きたくなる。
でも本当は、どうでも良い事の方が本当に書きたい事だったりするんだけどね。
まあ、それは内緒の話と言うことで・・・
うおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
猫もふもふもふもふもふももふもふしてーーーーーーーーー
猫いねーから、心の中の猫たちをモフモフしてやんよーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
・・・ふぅ
ブログに回帰しよう
1時間ほどしょこたんブログを見たりしてボーっとしてたら、書きたくなってきたので記事でも描こう。
ここ2年、ツイッターを毎日続けていた。
理由は簡単で、手軽に文章が投稿できるからだ。
ツイッターはブログよりも簡単に投稿ができる。
クライアントソフトを起動して、何か思いついたことをサッと書き込み、そして投稿ボタンを押すだけで簡単にツイートができる。
ブログもかなり簡単に投稿できるが、アメブロの場合はブラウザを立ち上げ、編集ページまで行き、そこで書き込まなくてはならない。
書きたいと思った瞬間に書く事は難しい。
そんな訳で、ツイッターを使っていたのだが、前にも書いたとおり、ツイッターには色々な特徴があり、そのどれもが私には合わないものばかりだった。
10000ツイートしても全く何の反響も反応も無い。
周囲に目をやれば、うんざりするような罵り合い。
名のある者、そしていわゆるリア充たちの楽しげな会話。
どれもが、ツイッターの真実である。
それでもツイートを続けていたが、次第に文字数の制限と、流れて消えてしまう特性が、何とも不毛に思えてきた。
拡散能力はツイッターのほうがあるらしいが、それは拡散させられる力を持った者が使えば、の話であり、そしてまた、拡散よりも、とにかく書き込みたいという欲求の強い私にとっては、拡散能力の高さはそれほど魅力的では無かった。
しかし、簡単に書き込めると言う大きなアドバンテージがあるので、それにつられて今まで書きつづけて来ていた。
しかしふと我に返ると、10000ツイートしても、手元に残っているのはただの10000と言う数字だけで、何を書いたのかさえ定かでは無い。
たしかにくだらないツイートも大量にしたが、何か良いアイデアや残しておきたい考えも書き込んだはずなのだが、それを今さらアーカイブから引っ張り出して編集してまとめるなんて事は気の遠くなる作業であり、簡単には出来ない。
後にまとめるつもりならば、初めからツイッターなど経由させずに直接ブログにでも書き込めば良いのではないか。
最近はそう感じるようになっていた。
考えてみれば、世のブロガーと呼ばれる人たちも、ツイッター内でブログのような書き込みをしている訳では無く、ブログへのURLのみを書き込んでいたりしている。
読む人間の立場になって考えても、140文字でぶつ切りにされた記事をわざわざ沢山のツイートの中から発掘してまで読みたいなどと考えないだろう。
ここに至り、このようにブログへと戻ってきた。
ツイッターは便利だ。手軽であり、様々なメリットもある。でも、やはり私には少々向いていなかった気がする。
今後はこのような長文はブログ中心で書き、お知らせや、一言で済む話などはツイッターで、そんな使い分けをしていこう。
ペタッて言うものを始めて知った。
ぺたぺたしていこう。
ここ2年、ツイッターを毎日続けていた。
理由は簡単で、手軽に文章が投稿できるからだ。
ツイッターはブログよりも簡単に投稿ができる。
クライアントソフトを起動して、何か思いついたことをサッと書き込み、そして投稿ボタンを押すだけで簡単にツイートができる。
ブログもかなり簡単に投稿できるが、アメブロの場合はブラウザを立ち上げ、編集ページまで行き、そこで書き込まなくてはならない。
書きたいと思った瞬間に書く事は難しい。
そんな訳で、ツイッターを使っていたのだが、前にも書いたとおり、ツイッターには色々な特徴があり、そのどれもが私には合わないものばかりだった。
10000ツイートしても全く何の反響も反応も無い。
周囲に目をやれば、うんざりするような罵り合い。
名のある者、そしていわゆるリア充たちの楽しげな会話。
どれもが、ツイッターの真実である。
それでもツイートを続けていたが、次第に文字数の制限と、流れて消えてしまう特性が、何とも不毛に思えてきた。
拡散能力はツイッターのほうがあるらしいが、それは拡散させられる力を持った者が使えば、の話であり、そしてまた、拡散よりも、とにかく書き込みたいという欲求の強い私にとっては、拡散能力の高さはそれほど魅力的では無かった。
しかし、簡単に書き込めると言う大きなアドバンテージがあるので、それにつられて今まで書きつづけて来ていた。
しかしふと我に返ると、10000ツイートしても、手元に残っているのはただの10000と言う数字だけで、何を書いたのかさえ定かでは無い。
たしかにくだらないツイートも大量にしたが、何か良いアイデアや残しておきたい考えも書き込んだはずなのだが、それを今さらアーカイブから引っ張り出して編集してまとめるなんて事は気の遠くなる作業であり、簡単には出来ない。
後にまとめるつもりならば、初めからツイッターなど経由させずに直接ブログにでも書き込めば良いのではないか。
最近はそう感じるようになっていた。
考えてみれば、世のブロガーと呼ばれる人たちも、ツイッター内でブログのような書き込みをしている訳では無く、ブログへのURLのみを書き込んでいたりしている。
読む人間の立場になって考えても、140文字でぶつ切りにされた記事をわざわざ沢山のツイートの中から発掘してまで読みたいなどと考えないだろう。
ここに至り、このようにブログへと戻ってきた。
ツイッターは便利だ。手軽であり、様々なメリットもある。でも、やはり私には少々向いていなかった気がする。
今後はこのような長文はブログ中心で書き、お知らせや、一言で済む話などはツイッターで、そんな使い分けをしていこう。
ペタッて言うものを始めて知った。
ぺたぺたしていこう。