根拠の無い自信ってなに?
自信を持つのは難しい。
人は言う、「根拠の無い自信でも良いから、とりあえず自信を持て」と。
その根拠の無い自信に実力を合わせるように努力すれば良い、という訳だが、確かに一理ある。
しかし、自信と言う物は実績によって生まれる物であり、実績の無い自信には実感が無いので、心の支えにはならない。
また、根拠の無い自信は、根拠の無い過信を招き、努力する心の妨げとなってしまう場合がある。
偽物の自信が過信を招いた結果、努力する心を奪い、本物の自信をつける事を妨害してしまう。
すると、いつまでも偽物の自信だけが心の中を覆い尽くして、いつまでたっても何も成し遂げる事は出来ない人間になってしまう。
そこで私は根拠の無い自信に代わる物として
「我々は予言者ではない」
という言葉を選んでみた。
つまり「どうせ何をしてもダメだ」「もう手遅れだ」「私にはそんな力は無い」・・・
そう言う努力を妨げようとする考えが浮かんだ時、己の心に問いかける。
「ちょっとまて、予言者じゃあるまいし、なんで未来の事が分かるんだ?」
我々は予言者ではない。
未来の事などここれっぽっちも分かりはしない。
自分の予測が、しかもネガティブな予測はよく当ると感じる場合、大抵そのネガティブな予測に実体を合わせようと無意識のうちに行動を取ってしまっているものだ。
それは予測が当ったのではなく、予測に合わせただけに過ぎない。
そして、自分で行動した結果、予測が当ったかのように見えているだけなのに、「自分の予測は当った」「私のネガティブな予測はよく当る」
などと、あたかも自分が予測する事が全て的中するといったような感覚、何やらオカルトチックな感覚が、身についてしまう。
本当は自分が予測に合わせて行動しているだけなのに。
我々は予言者ではない。未来の事なんてちっとも分かりはしないのだ。
そして、未来を生み出すのは現在の行動であり、決して分からない未来を少しでも自分の理想に近づける為に、その為に努力をするのだ。
根拠の無い自信を満たすために努力をするのはしんどい。
でも、誰にも分からない未来を、少しでも自分の理想の未来にする為に努力するのだと考えれば、幾らか気持ちが楽になる。
やってみなくちゃわからない。
ちなみに、私も「ネガティブ予言者レベル90」くらいであり、大預言者にして大魔法使いである。
その点はあらかじめ断っておきたい。
でも、幸か不幸か「根拠の無い自信」があまり持てない。
何故この記事を書こうと思ったのかと言うと、昔から「自信を持て自信を持て、根拠が無くても良いから自信を持て」と言われて来ていて、それに対しての違和感がどうしても解消できなかったので、それを文章にしてまとめてみたくなったから、だから書いてみたと言う訳だ。
書く事で自分の中での考えがまとまるし、何よりも自分自身に言い聞かせる事ができる。
この記事はなにも成功者が偉そうに説教を垂れている訳でも自説を押し付けようとしているわけでも無く、単純に、何の取り得も無い頭のおかしなそこら辺の一地球人が、自分に向かって言って聞かせる為に書いているので、これを見ても、怒ったりせずに、ほんわかと暖かい目で見守ってくださると大変あり難い。
・・・
面倒くさい話を書くと、その反動としてどうでも良いことが書きたくなる。
でも本当は、どうでも良い事の方が本当に書きたい事だったりするんだけどね。
まあ、それは内緒の話と言うことで・・・
うおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
猫もふもふもふもふもふももふもふしてーーーーーーーーー
猫いねーから、心の中の猫たちをモフモフしてやんよーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
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モフモフモフモフモフモフモフモフモフ
もふもふもふもふもふもふもふもふもふ
・・・ふぅ