ブログを放置
と言っても、別段書くこともないのだけど。
とりあえす書き方を忘れないようにこのように書き込んでみるのだった。
ちなみに死活判定は右のツイッターを表示する四角いヤツで分かるのでそちらを参照下さい。
来年は兎年なので飛躍の年というか、食料には困らない年になって欲しいものだ。
雪
はじめ雨かと思っていたが、次第にミゾレのようになりやがて雪になった。
珍しいこともあるものだと思わず写真に撮ってみた。
周りにいた人も物珍しそうに空を眺めている。
ただ、それは数分で止んだ。
真夏の夕方にたとえ数分とはいえ雪が降るというのは聞いたことがない。
少し行くと店があった。
そこはガラクタのようなものを並べてある店だった。
中には電気製品の部品や文房具らしきものが乱雑に積まれたいる。
広さは六畳間程度、品物が通路に散らばり足の踏み場もない。
中年男性の店主が出てきて品物を片付けていた。
いつもそうなってしまうらしい。
少し見て店を出ることにした。
その道はたまに行く道で、確か道端に駄菓子屋があった覚えがある。
道を行くと江戸時代の長屋のようなものがあった。
ただ、建物自体は新しく、つい最近建てられたもののようだ。
薄暗くなってきた。
長屋の障子の奥からテレビ画面からのものと思われる明かりが漏れていた。
それと微かにゲームらしき音も聞こえる。
障子を開けて中を覗こうと思ったが、先を急ぐことにした、この先に駄菓子屋があるはずだからだ。
道の突き当たりの丁字路まで来た。
駄菓子屋は見当たらなかったが、もしかしたら長屋のようなものがそれだったのかもしれない。
それとも、丁字路の先だったかもしれない、記憶が曖昧だ。
そこは高層建築物と畑と平屋が道沿いに並んでいる少し奇妙な光景だった。
以前来た時は高層建築物はなかった気がするが、それ以外は前と変わっていない気がする。
丁字路を右に曲がる。
道沿いは公園になっており、そこでは何かの撮影がされていた。
道のアスファルトを削りとってあり、監督らしき人物が役者に演技指導をしていた。
どうやらその穴は何かが爆発した跡の穴かもしくは何か爆発物を掘り起こしている最中の穴という設定らしい。
その横をすり抜けて公園の端に行くと、そこには大きな女と小さな女が二人で遠くを見ている石像があった。
周りを低いサクで覆われて苔むしていた。
その足元には「海部・・・」と言う名前が四角い石のプレート掘り込まれて置かれていた。
数式の解き方は分かるが、数式の作り方が分からない。
「こういう場合はこうすればいい」、というノウハウ情報は溢れている。
例えば「ダイヤモンドの作り方」を調べれば色々と情報が手に入る。
しかしどうやったらその環境を揃えられるかは書いていない。
超高圧を発生させる装置や、高温にするための装置、純度の高い炭素、それらをどこでどうやって手に入れるかを解説している情報は殆ど無い。
大部分の人間にとって必要なのは、「ダイヤモンドの作り方」以前に「ダイヤモンドを作るための設備の揃え方」であり、「設備を購入する資金」「設備を設置する施設の確保」などが必要になる。
その点を説明している情報は皆無であり、その説明のない情報は殆どの人にとって無価値だ。
偶然超高圧・高温状態を発生させる装置を所有していて、高純度の炭素を手に入れられる人間にとっては有益な情報かもしれないが、そんな人はほとんどいない。
有名人の話は役に立たない
有名人が語る「こうすれば成功する」という話は全く役に立たない。
例えば有名人が「こうやれば儲かる」といったとする。
たしかに「有名人ならば」儲かるのだろう。
しかし、殆どの人間にとってその「有名である」という前提を獲得するのは至難の業である。
「そんなことはない」と有名人は反論するだろう。
しかし、ならば無名であるということはどういう事なのかを考えてほしい。
「あなたの存在を誰も知らない」という事である。
親しい社長も、知り合いの有力者も誰ひとりとしていない、自分の事を誰も知らない。
例え会いに行っても門前払いされるだけだ。
「話くらいは聞いてくれるのでは」という方はぜひそうしていただきたい。
何の会社・組織にも所属しておらず自分にとって何の接点もない完全な赤の他人がただ「話がしたい」という理由だけであなたに面会に来たとして、それを受け入れることができるか。
何かの拍子に話をすることが出来る人間もいるかも知れない。
しかしただ雑談をするだけでは意味が無い。何か目的が必要だ。
相手にとって意味の有ること、それは「価値のあるものを提示すること」である。
相手にとって価値のあるものを提示しない限りそれはただの雑談であり押しかけてまで話すようなことではない。
「価値のあるもの」を用意する必要がある。
しかし、殆どの人間は特筆すべき価値を提示できない。
「**大学を出ました」「自動車免許を持っています」など履歴書に書いてあるような事は相手にとって何の価値もない。
「私は免許を持っているので私のことを注目してください」といっても唖然とされるだけだ。
相手に注目されるような価値を有している必要がある。
それがあれば自然と注目を浴び「有名人」と呼ばれるようになることもあるだろう。
そこで初めて有名人の言う「こうやれば儲かる」というノウハウが有効になる。
つまりこの場合「有名人限定「こうやれば儲かる」」と書く必要がある。
ノウハウだけを見れば即実行できると思ったら大間違えである。
隠された前提条件をクリアなくてはそのノウハウに価値はなく、その前提条件こそが一番大変だったりする。
「数式の解き方は分かるが、数式の作り方が分からない。」
どんなに難し数式を解く方法を会得しても、難しい問題を作れるとは限らない。
「テトリス-レベル99」をクリアできるからと言って、「テトリス」を作ることはできない。
解き方と作り方は違う。
解き方のノウハウはあっても作り方のノウハウが無いと意味が無い場合がある。
「Twitterをビジネスに活かす方法」というのが一時流行ったりした。
「フォロワーを増やすには対話が重要」「面白いこと・有用な情報を提供せよ」など色々と言われているが、これは絵で例えると「絵の具で色を塗れ」と言っているに過ぎず具体的な配色方法や筆遣いを懇切丁寧に指導していることは殆ど無い。
「面白いことを書けばよい」というのはあたりまえだが、具体的に「布団が吹っ飛んだ」と書けばよい、というような情報を提供されることは殆ど無い。
なぜ「ふとんがふっとんだ」が面白いのかそれを論理的に解説し他に応用する具体的な方法を解説する必要がある。
しかし具体的な点はいつも「自分で考えろ」である。
ノウハウとは「実行するのに必要な前提条件をすべて整えた人間にのみ有効な情報」
ノウハウとは「実行するのに必要な前提条件を整える方法は教えてくれない」
多くのノウハウは「生まれ変わってこのノウハウを実行出来るように生きて来ないと実行できない」
ノウハウを見ただけで簡単に実行できるとは限らない。
「伝記」は読まない方が良い
伝記には大抵サクセスストリーが書かれている。
言ってみれば「エライ人になるノウハウ」だ。
しかし、それを鵜呑みにして同じように実行しても大抵失敗する。
「隠された前提条件」が書かれていない事が多いからだ。
例えば「絵」は遺伝的な要素が少なからず影響している可能性がある。(空間認識能力など)
家庭環境も大きく影響する。
勿論運もある。
時代背景もある。
それらすべての条件が合致した場合に限り伝記は情報としての価値を有する。
それに気がつかずに同じようなことをしても意味が無いだけでなく有害である。
そもそも、すべての条件が一致する人間など何処にもいないはずだ。
したがって伝記にはノウハウとしての価値はない。
しかし、素直な人間ほど伝記を読み伝記と同じことを実行して失敗する。
伝記は「赤の他人の絵空事」として読めるのならば読んでも構わないが、憧れの人間の伝記を読んで「こうなろう」と感じて実行しようということは避けなければならない。
ただし、断片的には現在でも有効な情報が含まれていることはあるので、現在では役に立たないことと役に立つ事の区別がつくのであれば読んでも構わない。
もっとも、区別することはかなり難しが・・・。
ツイッターとフォローの関係
フォローされる
自分にとって価値ある人間
フォローする
有用な情報を提供できる
フォローされる
有用な情報を提供されたい
フォローする
面白い人間
フォローされる
面白いことが好きな人間
フォローする
フォロー数・フォロワー数は上記のような関係で増減する。
つまり、数そのものには何の意味もない。この数は結果論だから。
フォロワー数をどうしても増やしたいなら簡単である。
他者にとって価値がある人間になる、価値のある情報を提供する、面白い人間になる、これだけでいい。
それが無理・面倒ならばフォローする事に徹して有効に利用すればよい。
そして、つまらないからと言って「やめる・やめない」という種類のサービスでもない。
無料のメールサービスを誰にもメールを送らないからと言って辞めるだろうか。
そのうち使うこともあるだろうし、使わなくても問題ない、放っておけばよい。
ツイッターというのはそういうもではないだろうか。
私の場合はらくがきノートと化している。
ただ、誰にでも見られるので、見られてまずいものは書かないほうが良い。
(それをあえて書いてフォロワー数を増やす手もあるが)
文章を書くのは簡単だ
文章を書くのは極めて簡単なことだ。
ただ単に言葉をつなげてゆけばよいのだから。
しかし、面白い文章は単に文章を書くのとは関係の無い種類の能力が必要であるという点が最大の注目すべき点であり、文章を書くのが早いとか好きだとかは何の意味もない。
ということでここから少し無意味に沢山の文章を書くという試みをして暑さを紛らわすことにしようと思う。
この試みには特に意味はないが、意味などなくても特に気にしないという人はお読みくださればありがたい。
世間ではもう真夏と呼ばれる季節。
季節というのは放っておいてもやってくるものだ、生きていれば。
生きていれば何でもやってくる。
季節もやってくるし、年齢加算の儀式も、家賃の請求もやってくる。
何かがやって来くるが、そのすべてが去るとは限らない。
去って欲しいものは蓄積し、蓄積して欲しいものは去ってゆく。
知識は蓄積しそうなものだが大抵どこかへ去ってゆく。
PCに蓄積すれば、web上に蓄積すれば検索によって瞬時に取り出せるから脳への記憶よりも確実に蓄積できるという幻想も、「検索する目的」が脳内から去ってしまっては意味を成さない。
ただのon-offの中に意味を見出すのは人間自身でありその脳であるとも言えるが、その脳こそがあやふやであっという間にモヤの中に掻き消えてしまう。
しかし、人間の脳とは関係なくやってきて蓄積するものも多い。
蓄積することは良いことばかりとは限らないが、大抵の場合それを消し去ることはできない。
だからそういう場合は放っておく他にない。
いちいちあらゆる滞留物に心を削っていては次に来るものを掴むことなどできない。
秋に向けて夏の暑さのことは忘れよう。
今熱くてもすぐ秋が来る。暑さは蓄積しない、いいことだ。
秋は一番よい季節だ。
枯れ葉がある、涼しい、爽やかだ。
冬もいい。空気が冷たい。水がぬるまない。
夏は暑いがいずれ過ぎ去る者だ。一宿一飯の恩義にと、花火を打ち上げ去ってゆく。
花火を楽しもう、夏は夜が良い。
夜は暗くて暑くない。花火も見やすいしカブトムシも飛んでくる。金持ちならスイカを食べることもできるだろう。
そういえばここ数年スイカを食べていない。
梨の次に好きな果物ではあるが、スイカは高い。
重量で計算すれば梨もスイカも値段的には大差ないのかもしれないが、やはり夏期の富裕層の道楽であろう。
夏と言えば何を思い出すか、それは扇風機である。
扇風機というのは夏と対峙するための懐刀である。
鉄格子のようなカバーを取り外すことによって釈放された囚われ人、鳥かごから解き放たれた青い鳥のようにその実力を十二分に発揮する。諸刃ではあるが。
夏のこと、扇風機のこと、そんなことを此処でいくら書いても何の意味もない。
なぜならこの文章は何も生み出していないからだ。
何も生み出さないものに価値はない、と言われ続けてきたので私にも潜在意識レベルまでそれが染みている。
つまり、生産的なものにのみ価値があるというのが現実であり、人間は現実のみで存在しているのだから、現実に否定されるものは存在できない。
この文章には何等の金銭的価値がない、つまり何も生み出さないのだから現実世界には存在する意味が無い。
文章を書くのは簡単だが、それに生産性を持たせるのは困難である。
それができるのが才能というものだろうが、ならば才能のない人間はどうすればよいか。
それは簡単である、諦めればよい。
そうすればこのような全く生産性のない無意味な文章でも好きなだけスラスラと書く事ができる。
「感動を与えなくては」とか「楽しくなくては」などという生産的な文章を創造する行為を放棄すれば才能のないただ単に文章を書くのが好きな人間も心置きなく駄文を垂れ流した上で一切の呪縛から解き放たれる。
しかし、しかしそれではただの日記となってしまい、何のためにweb上に書くのかという根本的な疑問を抱くことになってしまう。
そんな疑問すら忘れ去ってしまうことが必要なのは分かっているが、それを忘れてしまうと、ただ単に心の声がみんなに聞こえてしまっているかわいそうな人になってしまう。
別に可哀想な人で終わってもいいという人もいるだろうが、私は可哀想な人にはなるべならないように努力して、結果的に可哀想な人になる、というのがいいと思うので少しはかわいそうではない文章を書くくらいの努力はしたほうが良いと思う。
努力と言っても簡単で、要は哀れみや同情を買わない文章を書いていればいいのである。
扇風機の話などは何の意味もないが、意味がなさ過ぎて少なくとも私に対する何らかの、悲しみを伴う感情は生じにくいと思う。
そのような何の意味もない、生産性を伴わない文章を垂れ流すことこそが才能の無い人間のできる唯一の活動かもしれない。
というわけなので、もう少し文章を伸ばしてみようと思う。
最近、ustreamというものを見たり配信したりしている。
これは誰でも簡単に生放送できるサイトで、ほかにもニコニコ動画のニコ生やstickamとかがある。
私はカメラはもっていないので、デスクトップ画面を配信できる機能を利用して、自分が絵などを描いている様子を垂れ流したりしている。
ただ、放送をするとPCが重くなるのでそれほど頻繁というわけにはいかない。
それに、デスクトップ画面を映す方法だと見られたくない個人情報なども写り込んでしまうこともあるので気を使わなくてはならない。
ただ、配信を見た人は数人なので情報漏えいに神経を尖らすまでもなかろうとは思うが。
やはり、どこの世界でも有能な人間の周りには人間が集まってくるし、無能な人間は見向きもされない。
同じお絵かき配信でも数十人・数百人が見ているものもあれば、誰も見ない配信もゴロゴロある。
両者の違いを少し考えてみたが、やはり最終的には「能力」という点に行き着く。
これはどんな世界でも仕方がないが、世界中のどこからでも見られるからと言って、誰もが観るわけではない。
意味もなく見る人間は少なく、何らかの目的を持っており、お絵かき配信の場合はおもに「著名な作家の制作状況」に最も注目が集まる。
つまり、他所ですでに認められる程度の能力がある人間が配信をしてはじめて見る人間が出てくるわけで、ただ単に配信できる環境を構築して配信を開始してもほとんど誰にも相手にされない。
天才的な才能を持つ人間ならばいきなり大注目をあびることも可能だろうが、凡人にとってustreamなどの動画配信はこのブログと同じでほとんど誰の目にも触れない。
それでも配信する価値はある。
つまり自分自身に対するちょっとしたプレッシャーとして活用するという方法だ。
「誰かに見られている可能性も完全には否定出来ない」というプレッシャーを与えることによって、何も無い状態よりも作業がはかどる場合は確実にある。
しかも見る人間が少ないのでそれほど大きなストレスになることもなく、簡便に自己へ鞭を振るうことができる。
そのためだけにでも、少しやってみてもいいかもしれない。少なくとも私はそのためにやってみている。視聴者は毎回ほぼ0だが。
人間は自分が必要としていないものは見向きもしないので、いくら気合を入れてもダメなものはダメであり、必要とされてさえいれば自分が好きなものに対する力の10%の力で作ったものでも比べものにならないほど注目を集めたりビジネスになったりする。
そんな分かりきったことばかり羅列するのも、私が分かりきったことしかわからないからだ、仕方無い。
扇風機の最大の欠点は目が乾く点である。
夏場は扇風機を止めない、寝ている間も止めない。なぜなら夏は熱いから。
扇風機を止めると体温と変わらない室内の大気が体の周りに停滞して暑い。
真夜中でもようやく30度くらいになる程度だ。
夏と言えばアウトドアレジャー、海に山に繰り出す人も多いだろう。
海は良い。富豪にでもなったら海と山との間に別荘でもこしらえてひとりで仙人のような生活がしたい。
富豪になる前に仏になる気がするがそうなれば別荘も必要あるまい。
近所には、水といえばコンクリートで囲われた溝川と、そして池が少しはある。
関東平野なので山はなく、坂道があるだけだ。
アウトドアと言っても、歩いていける範囲には在り来たりの公園くらいしかなく、こうやってキーを叩く事によって指先に物体の感触を与える程度の事しか出来はしない。
熱中症に注意しつつ、水をがぶ飲みしなから、夏の土産の打ち上げ花火をustreamで見つつ、爽やかな秋の来るのを待ちながら、積もるものに足を取られないように、ただ単に脳内のひらめく単語の渦に手を突っ込んでくしゃくしゃの文字列をこうやって電子的に貼り付ける作業をする。それが夏、どこにでもいる誰かの夏。
ここでお得情報でも入れてみればいいのかもしれないが、そんなお得な情報ならば教える前に実践しているだろうから、こんな文章書いていない気もする。
お得情報というのはお得情報を売ればお得だよという情報を売る行為が特になるという情報を売ることであり、金銭的価値のある情報のエキスを搾り出したモノではあるが、絞りカスを誰かが処分しないといけなくなる。
そんなことはどうでもよくて、文章を書くという行為に没頭することがほとんど無意味であることを説明するためにここまで書いてきたが、これは書いた人間以外の誰にとって意味のある文章だったのだろうか。
意味なんてあんまりいらない。
これで少しは暑さを忘れることが出来たかもしれない。
SCFH DSF および FME にアクティブウィンドウを追わせ、表示させるTEST中です。
そこで現在「SCFH DSFでアクティブなウィンドウを自動で追尾・表示する手助けをするアプリ」をつくっています。
大雑把な所はできたのであとは見てくれとか細かい所を詰める 段階です。
ここでTEST中 -> UKISTREAM
USTREAMで配信をしてみた
ustreamを利用して、絵を描く所を配信するのも面白そう。
効能・・・「なんとなく気合が入る。」
見る人の利点・・・・「環境ビデオ的な効能?」
たまにNHKなどで職人が黙々と何かを作っている番組があるが、誰かが絵を描いているところを見ているとそれを見ているようでおもしろい。
ゲームをプレイしている動画も面白い。
自分でゲームをするのも楽しいが他人がするゲームを眺めていると自分でするほどには疲れない。
というわけで絵を描いている様子を配信をしてみた。
*使用ソフト
SCFHDSF
これでデスクトップ画面を任意の大きさにキャプチャする。
Flash Media Live Encoder 3.1
これで取り込んだデスクトップ画面をUSTREAMへと配信する。
おえかきソフトいろいろ
「gimp」「inkscape」「DPixed」ほか
万事準備を完了し、配信を開始。
何だかんだで5時間47分ほど配信したところで終了。
ustreamのサイトでは各種統計情報が得られるのでそれを覗いてみる。
配信した時間: 5 時, 48 分, 20 秒
総視聴者時間: 5 時, 47 分, 24 秒
ユニーク視聴数: 0
「ユニーク視聴数: 0」。
なるほど、私が配信した5時間47分、誰も見ていなかったわけか・・・・。
USTREAMでは各ジャンル毎に今放送している番組の一覧が見られる。
デフォルトでは視聴者数の多い番組から並べられており、下の方に行くと視聴者2人・1人といったページが並ぶ。
しかし、ここで「視聴者0人」のページが表示されることはなく「off-air」のページがずらりと並ぶ。
つまりデフォルトの設定では視聴者0人の番組は検索結果に現れないようだ。
理由は不明だが、おそらくそれだけ視聴者0人の番組が多いということなのかもしれない。(多すぎて表示し切れない)
「視聴者数10人・平均視聴時間3秒」とかならばただ単に私の配信がつまらなかったということで片が付くが、ひとりも見ていないとなると話が変わってくる。
これは何らかの原因があるはずだ。
一番考えられる理由が「配信していることを誰も知らない」という事だ。
特に宣伝をしていたわけでもなかったので、当然の結果なのかもしれない。
とは言うものの、宣伝と言ってもこのブログで発表したり自分のサイトに告知するくらいしか方法はない。
ツイッターで宣伝をしたところで私のフォロワーは0なので意味が無い。
やはり宣伝が重要なのか。
もっとも、私が「宣伝するに価する存在であるのか」という点についてここに書くと長くなるので割愛したい。
Twitter初心者
Twitterを初めてから数ヶ月経つ。
著名人の書くツブヤキには確かに興味深いものもある。
しかし、今ひとつフォローする決め手になる点が無い。
そんなわけで現在は誰もフォローしていない状態である。
ツイッター初心者用のサイトを覗いてみると「まず100人くらい適当にフォローしてみろ」と書かれている。
「メールアドレスを元に自分の知人がツイッターをしているか調べられるのでそれをフォローするのも良い」とも書かれている。
ツイッターのトップページには何人かの有名人のアイコンが貼りつけてあるが、それ以外には特に紹介的なコーナーもなく、検索で文字列を調べられるだけだ。
検索は明確な目的が定まっている場合には威力を発揮するが、「ただ漠然と何となく面白そうなツイート」をさがすには向いていない。
そんな中で100人もフォローするのは難しい。
「メールアドレスを元に・・・」とも書いてあるが、私のThunderbirdにはひとつもメールアドレスは登録されていない。これでは探しようもない。
ランダムでフォローすればよいのか、それともこのまま放置しておくか・・・。
ツイッターというのはある特定の性格・性質を持った人間にとっては非常に面白いツールだが、そうでもない人間もいるという、当たり前の結論に達しつつある。
あらゆるツールを完璧に使いこなさなくてはならないわけではないし、ただの一過性の流行病のようなものだという人もいるが、何がツイッターというものをここまで大きくさせたのかを知ることは悪いことではないとは思う。
ブログが壁新聞ならばツイッターは伝言板のようなものだろうか。
ちょっと違う気もする。たぶん既存の何かであるようで何者でもないからこそここまで大きくなったのだろう。
*ツイッター分析
大量のフォロワーを獲得している人は・・・
ネットの外の世界でも著名である。
何らかの才能・能力・特技を持っている。
社交的である。
つまり「著名で才能に溢れ社交的」な人にとっては非常に面白いツールと言える。
反対に「無名で才能もなく非社交的」な人間にとってはあまり面白くない。
もっとも、ツイッターをコミニュケーションツールではなく「最新情報を知るためのツール」として利用するという使い方もある。
どんな最新情報があるのかといえば・・・・
企業が宣伝目的で流す「最新情報」
真偽不明の噂話。
友人知人に関する情報。
興味のある製品などの最新情報ならば見るのも悪くないが、それはすでにrssで実現しているのでツイッターで改めて知る必要性は薄い。
うわさ話などもrssやニュースサイトで山のように垂れ流されており、これ以上見聞きすると寝る間もなくなってしまう。
友人知人に関する情報は・・・・・私には縁のない利用法だ。
やはり情報収集に特化するよりも何らかのコミニュケーションをとる為のツールとして利用するのが最良の利用方法だろう。
結論「しばらく放置」
振り分け
時間は有限であり、有効に配分する必要がある。
ここ数カ月、CGイラストを描く事に多めに時間を振り分けてきた。
しかし、ここひと月の調査の結果、私の描いたCGイラストをwebサイトへと見に来てくれた人は「0人」であることが判明した。
他のコーナーへはパラパラと人は来るが絵のコーナーだけは誰一人やってこない。
これは何か根本的な問題があるに違いないので、それを発見できるまではとりあえず原因究明に時間を振り分けざるをえない。
web上に公開するからには見られることを目標としなくてはほとんど意味が無い。
「描くこと自体に目標がある」と言いたいところだが、それだけでは不十分である。
ここで原因を考えてみる。
まず、サイトを訪れる人は殆ど検索サイトを利用しているという事実がある。
そして、検索サイトには今のところ絵の上手い下手を判断する能力はない。
(そのおかげで私の絵にも可能性はあるわけだが。)
将来強力な人工知能が発明されてそれで絵の善し悪しを判断できるようになる事になれば話は別だが、今のところ検索サイトは絵ではなく文字を参考にしてそのサイトの良し悪しを大雑把に判定しているらしい。
今回のケースでは、一応各絵には説明書きを付けてはあるが、それが不十分ということなのかもしれない。
あと、検索サイトは「リンク」を調べと言われている。
つまり私のサイトへどれほどのリンクが貼られているかを調べているというわけである。
それを調べてみるとたしかに私の絵のコーナーへは外部からのリンクがひとつもない。
しかし、外部からのリンクというのは自分で操ることはできない。
他のサイトへリンクしてもらえるようにお願いして回るという方法もあるが、残念ながら今のところ頼めるようなサイトや人を私は知らない。
検索サイトへの対処方法をまとめると・・・
1.リンクしてもらえるサイトを探す
2.絵の説明文を洗練させる
ということになる。
もちろんより良い絵を描くことは言うまでもない。
しかし、間違って一人くらいやってきてもよさそうなものだが、それすらないということはよほどコンテンツがショボいということなのかもしれない。
(検索サイトでは検索順位10位以下は存在しないも同然だと言われている)