2番目にやりたいことをやれ
やりたい事をやる事がそれを一番効率よくやる方法である。
しかし、一番やりたいことが「何もやらないこと」な場合はどうすればいいのか。
2番目にやりたいことをやればよいのである。
思い浮かばず
何度も目にしたものは大抵鮮明に思い浮かべることが出来るはずだと思い込んでいることが多いが、実際にはほとんど何も思い浮かべることが出来ない。
「りんご」と言う物体は何千回も見たはずだが、今こうやって目を閉じて必死にりんごの像を結ぼうとしても、頭の中にはただ赤くて丸い玉のようなものがぼんやりと漂うだけだ。
おそらく最も見ているであろう自分の顔でもまったく思い浮かべることが出来ない。
それでももちろん自分の顔の写真を見ればほぼ確実に見分けがつくし、リンゴと赤いゴム球の区別も容易につく。
と言うことは、脳内には正確なデータが詰まっているのだが、それを映像化することが困難なのかもしれない。
しかし、夢はかなり生々しく脳内のデータを可視化しているように思える。
起きている間は映像化処理が制限されており、睡眠時にはその制限が解かれるのかもしれない。
だとしたら、絵を書くのがへたくそな人は映像化処理への制限が強く、結果として上手い絵が書けないのかもしれない。
その制限を起きている間に意識的に弱められれば、もっと写実的な絵が描ける可能性はある。
ただ、その場合「幻覚」と言う副作用が生じるかもしれない。
もしかしたら霊感の強いという人は絵が上手いかもしれない、ただし絵は学習も重要な要素なので才能があるだけでは不十分ではある。
ちなみに私は霊感はまったく無く、幻覚も見たことはない。
(今私が見聞きしているもの全てが幻覚なのかもしれないが。)
ipadを車で活用するには・・・
1 車の免許を取るための資金を得るために仕事を探す。
2 正社員は不可能なので時給800円の単純作業のアルバイトに就く。
3 社会的信用が無いのでローンは組めず、教習所への支払いを一括でするために必要な代金が溜まるまで貯蓄に励む。
4 3年後にようやく教習代金が溜まる。
5 代金を一括払いして教習所へ通う。
6 半年で何とか免許を取得。
7 車を一括で買う(ローンは組めない)ために貯蓄を始める。
8 貯蓄を開始して5年後、中古の軽自動車が買える程度の資金が溜まる。
9 車庫証明が必要だが、近所の駐車場は満車なので空くまで待つ。
10 空くまで我慢できず自転車で20分かかる駐車場を借りる。
11 駐車場を借りたので中古の軽自動車を買う。
12 ipadを買いに行く。
13 毎月の駐車場代、ガソリン代、税金など出費がかさみ、ipadどころではなくなる。
14 車を手放す。
15 ipadも手放そうと思ったが早期の解約は違約金が発生するので我慢して普通の携帯電話として無理やり使い続ける。
16 ipadを手放す。
17 あれから10年、時給800円の中年が一人。
キャラクター
webサイトに自作のフリー素材をいくつか設置してある。
旧式の道路標識や鳥獣戯画のウサギやカエル(著作権切れなので誰でも利用可能)、他にもいくつかのちょっとした小物を置いてある。
こうしたものは確かに便利かもしれないが、何かが足りない気がする。
大体の素材が「物」であり「者」はほとんどない。
絵を描く人は多いが、そこで描いたキャラクターは大抵絵の中で完結しており、外に出ることはあまり無い。
自分の生み出したキャラクターに愛着があり、簡単に他人に利用されるのが嫌だということがあるのかもしれない。
しかし、ここは発想を転換して、キャラクターたちを積極的に表に出すというのは悪くないアイデアではないかという結論に達した。
そこで、オリジナルのキャラクターたちを他のサイトへ出張させることにした。
出張の条件
・年齢制限のあるサイトはNG。
・基本的に非営利サイト限定。
・キャラクターが特定の団体や商品を推奨するのはNG。
・基本的に『出張』であり、著作権は「ゆうき」にあるものとする。
・こちらのwebサイトへのリンクを必須条件とする。
・こちらの要請によりいつでもキャラクターをサイト上から撤去しなくてはならない。
他にも条件などは詰める必要があるかも知れないが、基本的にはこのような方針で行こうと思う。
どれほどの需要があるかは不明だが、需要が無ければ止めればいいだけの話で、それによる実質的な損害は皆無である。
とりあえずやってみよう。
何も言わないからって嫌いだとは限らない
四六時中しゃべり続けている人をあまり目にしない。(テレビでは目にするけど)
常に発言をし、大いに盛り上がっている人間など稀である。
考えてみれば、よく行く店やよく食べるあの食品お気に入りのソフトウェア、色々と好きなものはあるが、それに対して「この製品最高」とか「このソフトウェア素晴らしいですね」などとこちらから積極的に伝えたことなど一度も無い。
声を発することはないが、案外肯定的に捕らえている物事は多い。
大抵の人間は無口で日常は静かだ。
案外このブログをちょくちょく読んでくれている人もいるのかもしれない。
フォロー
今流行のツイッターというものに入会してみた。
一通りの設定が終わって、しばらく・・・。
いくつかさえずりを発してみたが、自転車に乗って走りながら目に付いたものに思わず一言ぼそりとやってしまった時の感じだ。
もののサイトを訪ねてみれば、フォローという行為によってより活用できると説明があり、そのフォローというものを試みようと考えた。
その仕組みの説明を読むと、こちらがフォローをするとその事実が相手に伝わるらしい。
たとえるならばこのブログを RSS で登録すると私にそのことが通知されるのと同じである。
そしてこの通知は拒否できない。
自動的に私がフォローしたことを相手は知ることになる。
この機能を無効に、つまり「非通知フォロー」は出来ないらしい。
ここで固まってしまった。
ウェブサイトを見るのに会員登録が必要なのに等しい。
ゆるいつながりが特徴らしいが、「ツイートを見ているぞ」と通知しなくては見ることも出来ないというのはゆるいどころかかなりガッツリとした息苦しいつながりに思えてならない。
このわずらわしさを超越するような利点が見出せるまではフォローせずにこのまま置いておこうと思う。
それがどうした
一応、何をしようとも構わないことにはなっている。
しかし、「それがどうした」の壁を越えることができなければ、それは壁の向こうで朽ち果てて消え去るのみである。
数多くの能力者が、それがどうしたの壁を乗り越えられずに朽ちていった。
たとえば、うまい絵を描く人のサイトが何年も放置されていたりする。
「閉鎖しました」と一言残してどこかへ行ってしまう人も多い。
ブックマークの山盛りをかきわけて、古い馴染みのサイトに立ち寄ってみれば「ページが見つかりません」。
特に絵などはそれだけ見せられても「だから何」「それがどうした度」が高い。
その中でもデジタルな絵は特にその傾向がある。
まず無限に複製できるので希少性はゼロであり、持っていること自体には価値が無い。
見て癒される、元気になる、ということはあるかもしれないが、人の感情を動かすことができる絵など簡単に描けるものではない。
感情を揺さぶらないまでも、何かに利用できればまだ救いもあるが、ほとんどの絵が何にも利用できない。
今現在何の価値が無くてもそのうち価値が出てくる、ということも無くはないが、それは稀でほとんどは永遠に何の価値も無い。
他人にとって価値が無くても、本人にとって何か価値があるのならばよいのかもしれないが、本人だけに価値のあるものですら、つくり出すのは容易ではない。
そして今日も他人の・自分自身の「それがどうした」に答えられずに有能な人間が筆を折る。
利用できるものを作ろう。
感情を揺さぶるものを作ろう。
少なくとも自分自身にとって価値のあるものを作ろう。
・・・とは言ったものの、全てを簡単に作り出すほどの才能ある人間などほとんどいない。
私自身、これを書く最大の理由は自分自身に言って聞かすためである。
物心付いた頃から絵を描いたりいろいろ物を作ってきたりしたが、何一つ役に立ったためしが無く、誰一人私の描く絵や文章を良いと言わない。
その理由は「それがどうした」に集約されると考えている。
この壁を越えなければ、壁の内側で朽ち果てるのみである。
このブログにコメント欄やブックマークが無いのは何もスパム対策というわけけでは無く、批判に反論できないからというのが大きい。
「つまらない」といわれればまったくそのとおりで反論できない。
無視するのは簡単だが無視しても事実は変わらない。
確かに「つまらない」と感じる人間がいて、そしてそれに反論できない。
少なくとも批判に正当に反論できる力が身につくまではコメントやブックマークは無効にしようと思う。
価値観の違いによる批判ならば問題ないが、私の描くものの場合、価値観などという以前のもっと単純な部分での「つまらない」「だからどうした」しか聞こえてこず、そして「その通りでございます」と頭を下げるしかない。
今まで、ただの一度も誰一人として私の描く絵を「良い」と言った人はいない。
これはおそらく、何か根本的な部分に致命的な欠陥があり、それを改善しない限り人様の心に届く・役に立つ絵などは到底描けない。
暇さえあればいろいろな人のサイトを見て周り、様々な絵を見ているが、まず何よりみんな上手であり、これはもはや「先天的な才能」としか言いようの無い次元にある人も多い。
もっとも、ただ上手いだけで「それがどうした」に答えられていない人も多い気もするが・・・・。
でも、少なくとも私よりは上手い。
まずはそのレベル到達しなくては話にならない。
といってもただ模写するだけでは意味が無い。
デジタルの世界は無限に複製ができる世界なので完璧な模写は完璧に無価値である。
追うのではなく、輝かなくてはならない。
しかし、自分で自分の輝きを確かめることはできない。
幸い、インターネットでは自分のサイトへどれくらいの人間が来たか簡単に調べられる。
これを利用してどれくらいの人が自分のサイトに訪れるのか見てみれば、自分がどれくらいの光を放っているかがなんとなく分かる気がする。
私のサイトへは多い日には3人くらいの人がやってくる。
そして、滞在時間は大体1分弱、一人が見るページ数は平均1.5ページくらいである。
ほとんどの人がチラッと見てあっという間に去ってゆく。
検索エンジンからの訪問者が一番多く、やって来たは良いが何ら価値の無い場所であるとあっという間に気が付き、そして二度とやってはこない。(リピーターかどうかも調べることができる)
アクセスカウンターも設置してあるが自分でサイトの表示等を確かめるためにカウントさせてしまうことが多くカウント値の70%は私自身のカウントである。
自分自身の輝きは分かった。
次はいかに現状を改善するか。
現在、サイトを少しずつ改築しており、以前よりは少しはマシになってきてはいるはずである。
それがどうしたの壁を乗り越える日はいつになるのか
睡魔
睡眠はあらゆる問題を解決するという人がいる。
大抵の問題は一晩眠れば、どうと言うことも無い事だと気づくという。
もしそうならば、3年くらい眠り続けて、世界中の問題を「どうという事無いよ」と言ってみたい。
まだ眠りたくない、何一つ砂粒ひとつ手にはしていない、まだ眠りたくない。
せめて、星のひとかけらでも手にできれば喜んで睡魔を受け入れよう。
空気の底
雨が降る。
滑らかな冷気に満ちる。
深海でぼうっとしている感じ。
梅雨時の暑くなる前の、ひんやりとした、しっとりとした、滑らかな空気が一番心地よい。
太古の海の記憶が、陸で生きる人の心のどこかでゆらめくからかもしれない。
道ではない。爆発である。
そこにあるのは空(から)の場である。
「道を進む」というが、65億の意志が進むのは、平面の「道」ではなく、立体的な「場」であり、その広がりは爆発そのものである。
意志の次元は無限に広がり、そこには道など無い。
何も無い空っぽの空間をいくら探ってみても、そこには何も無い。
だから星を、だから銀河を一人ひとりが作る。
はるか彼方、無数の銀河は見えるけど、それに手は届かない。
ただ夜空を見上げるのみである。
今日もまた、星をひとつ作る。
この星の瞬きを、遠 くの銀河から見ている者もあるかもしれない。